異譚30 異常拡大
二度目の避難も問題無く終わらせる事が出来た。
ブラックローズは自身の親と子が居たため、いつも以上に緊張したけれど、こちらもまたアクシデントも無く無事に完了した。
「じゃあお父さん。白奈をお願い」
「分かってる。お前も、気を付けるんだぞ」
「ええ。……白奈、帰ったらちゃんと話をしようね」
ブラックローズは白奈に声を掛けるけれど、白奈はそっぽを向いて答えようとしない。
本当は返事をして欲しいけれど、このまま時間を消費する訳にはいかない。
二人に背を向け、ブラックローズは童話の四人と一緒に異譚に戻る。
範囲もそんなに多く無い事から、残りの救出地点の数もそう多くは無い。
ブラックローズ達が救助活動を行うのも、数と掛かる時間を考えれば二回くらいだろう。
実際、その考えは正しかった。
同じように救助活動を繰り返し、二回目で全ての要救助者を異譚の外へ避難させる事が出来た。
救助活動が終われば、残るは異譚支配者の殲滅のみだ。
救助活動が終わり、一息つく間も無く異譚へと戻ろうとした、その時。
「っし、んじゃあ、今度こそ核をぶっ殺しに――」
突如として、異譚を覆う暗幕が膨張する。
「――っ!? どう言う事!?」
膨張した暗幕は風のように素早く広がり、あっという間に異譚の外に出たはずの避難民達を飲み込んだ。
それだけでは無い。暗幕はようやっと避難した者達を追い越し、更にその先まで異譚の手を伸ばす。
瞬く間に倍以上に範囲を広げた異譚に対し、その場に居る全員が混乱する。
異譚は緩やかにその範囲を広げる。速度の差はあれど、徐々に広がっていく事だけは確かだ。今まで経験した異譚は全てそうだった。
こんなに急激に異譚が広がるなど前代未聞である。
「ど、どういう事です!? い、異譚がこんなに早く広がるものなんです!?」
「分からない。でも、実際に広がってる……!!」
「狼狽えんな!! おい!! 直ぐに結界を再構築しろ!! 童話は全員敵の警戒!!」
状況に困惑しながらも、ケイティが即座に指示を出す。
年季の差か、ブラックローズは異変の後即座に周囲を警戒していた。
だからこそ、遠くから襲来する異譚生命体にいち早く気付く事が出来た。
だが、きっと誰でも気付く事が出来ただろう。何せ、十や二十ではきかない。百を超える群れとなってこちらに迫っているのだ。
異譚生命体が群れとなって襲来する。
「敵影有り!! 戦闘準備!!」
素早く指示を飛ばすブラックローズ。リーダーはケイティだけれど、緊急事態のために指示を出す。
「アリスちゃん!! お願い!!」
アリスは即座に剣を生成し、来たる異譚生命体の群れに備える。
混乱の中、何とか結界を生成したその直後に、異譚生命体からの襲撃を受ける。
アリスは落ち着いた様子で異譚生命体を迎撃する。
「いったん何処かの建物に避難しましょう!! そこで態勢の立て直しを!!」
ブラックローズの指示の元、近くの建物へと移動する。
建物の中に入り、結界で護りを固めればいったんの安全は確保する事が出来た。
だが、一息ついている時間は無い。
「本部、応答して。今の異常拡大、そっちでも観測してる?」
ブラックローズが通信機で対策軍本部のオペレーターに問うが、返ってくるのは酷い雑音だけだった。
「通信機がいかれてる。他の機器はどう?」
「……ダメだ。操作は出来るが、圏外になっちまう」
「私のも同じです」
「こっちもです!」
アリスも端末を突いてみるけれど、通信の類いは行えない。
ブラックローズと目が合えば、アリスは首を横に振る。
「まぁ、通信が出来ねぇなんてままある事だ。そこは気にするだけ無駄だが……」
「問題は、異譚の異常拡大ですね」
「ああ。あんな速度で広がる異譚なんざ、見た事も聞いた事も無ぇ……」
「それに、タイミングも良すぎだわ。最後の救助が終わった瞬間だったもの」
「たまたま時間経過でって可能性もあるが……異譚生命体共の襲撃も早かった。わざとだろ、コレ」
「そうね。向こうにどういう意図があるか分からないけど、次に避難をしても同じように異譚の範囲を広げられる可能性があるわね……」
「そうなれば、無駄な労力ばかりかかります。私達は良いですけど、彼等はもたないですね」
マッチの視線の先には絶賛混乱中の民間人が。
助かったと思った瞬間に、異譚に引き戻されたのだ。混乱して当然だ。
「……待って。異譚ってどこまで広がってるの? 私達の方だけに広がった訳じゃ無いわよね?」
「キヒヒ。確認してきたけど、放射状に広がっていたよ。異譚の端から一キロ先の救護施設まですっぽりさ」
「――っ!! それって、白奈達もまた巻き込まれてるって事!?」
救護施設は異譚に巻き込まれた者の身体検査と治療を行う簡易的な医療施設だ。数ヵ所に設置されているけれど、チェシャ猫の口ぶりから察するに全ての救護施設が異譚に覆われているという事なのだろう。
「キヒヒ。そうなるね」
「嘘……っ!!」
一気にブラックローズの表情が青褪める。
「不味ぃな……救護施設に配置されてる魔法少女は新人ばっかだ……」
「それに、人数も十人くらいです! あとあと! 全員補助系です!」
補助魔法を得意としていても、決して戦えない訳では無い。だが、全員を護り切る事は不可能だろう。
「どうしよう……っ、どうすれば……っ」
考える。考える。考える。必死に、考える。
魔法少女であるならば、勝手な行動は許されない。例え身内が危険にさらされていても、仲間を信じて任せる他無い。
この場を任せて自分だけ家族を助けに行く事など出来ない。それはあまりに無責任だから。
それに、もう一度避難をしたところで今回のように異譚を広げられては意味が無い。
要救助者を此処に置いて、防衛班と攻撃班に分かれたとしても、攻撃班に分けられる人数も限られる。その上で救護施設への救援へ向かわせるとなると、どう考えても人数が足りない。
空から飛来する異譚生命体の数は計り知れない。アリスの魔法で迎撃は可能だけれど、数に数で対抗できるアリスだからこそだ。絶対的多数を相手に、此処がどれだけ持ちこたえられるかも分からない。
全員の認識の中で、異譚侵度はDから更新されている。異常なまでの拡大は脅威度を見直すには十分だ。
恐らく、異譚侵度はB~A。いや、内部に発生する乱気流を考えれば、確実に異譚侵度はAだろう。
英雄が対処に当たるべき異譚だ。
だが、今は――
「――っ」
――思考に没入していると、不意に袖が引かれる。
ブラックローズの袖を引いたのは、少しだけ眉尻を下げているアリスだった。
「……私が行く」
「行くって、何処に?」
「……救護施設」
それは、罪悪感の発露。
自分のせいでブラックローズの家族がバラバラになった。
それに、アリスはしっかり聞こえて来ていた。この異譚が終わったら、話をしようと言っていた。
自分のせいで家族がバラバラになったのに、話も出来ないでお別れだなんて、それは、とても悲しい事だと思った。
せめて、少しだけでも罪滅ぼしがしたい。
「私が、行く……」
きゅっと、ブラックローズの袖を強く握る。
「キヒヒ。迷ってる時間は無いと思うよ。割ける人数に限界があるなら、効率的に使うべきだと思うな」
ブラックローズの迷いを見抜くように、チェシャ猫が正論をぶつける。
一瞬の逡巡。そして、ブラックローズは答えを出す。
「ケイティ、私達四人が攻撃班。アリスちゃんが救護班。それが、一番効率的だと思う」
「正気か? アリスはまだ新人だぞ?」
「正気よ。言いたく無いけど……救護施設は絶望的だわ。生きてる可能性の方が、低いと思う……」
ぐっと拳を握りこむ。
「だからこそ、必要最低限で最高効率を叩き出せるアリスちゃん一人の方が都合が良い。絶望的な状況の場所に、これ以上の人員は割けないし、新人であるアリスちゃんには異譚支配者の相手は荷が重いわ」
「…………良いんだな、それで」
「ええ。私は、アリスちゃんを信じる」
そして、二人が生きている事も信じる。その上で、自分のエゴを少しだけ乗せて、アリスを送り出す。
それが、ブラックローズの考えた最善策。
ケイティはブラックローズの目を真正面から見据える。
「……分かった。なら、速攻で行くぞ」
「ええ。速攻でぶっ倒す」
言って、ブラックローズは自身の袖を握り込んだアリスの手を優しく解き、アリスの頭に優しく手を置く。
「ごめんなさい。アリスちゃん、お願いしても大丈夫?」
何をとも、誰をとも言わない。分かってて口にしない。
アリスはこくりと頷く。
「それじゃあ、お願いね。アリスちゃん」
もう一つ、アリスはこくりと頷く。
アリスの行動原理が罪悪感である事に、ブラックローズは気付いていた。それでも、ブラックローズはアリスを頼るしかなかった。それ以外の、手が無かった。




