異譚28 ビヤーキー
アリスの魔法のお陰で一行は主だったトラブルも無く進むことが出来た。
異譚の範囲も狭いので、トラブルなくスムーズに進めればそう時間は掛からない。
アリス達が難無く異譚の外へ出て行く様子を、空飛ぶ異譚生命体の背に座りながら見守る者が居た。
身を包む程の赤い外套とフード。フードの隙間から見える肌の色は褐色で、瞳は燃えるような赤をしている。
ちらりと覗く髪の毛は金色で、組んだ脚はすらりと長く美しい。
「おいおい、良いのかい? アリス、簡単に出ちゃったよ?」
高く美しい声が発せられるも返答は無い。
しかし、赤い外套の女性はうんうんと頷く。
「まぁ、そうだろうね。聞いた話によると、今回は護衛任務だけらしい。他が随分遅延しているみたいだし、アリスは戻って来るだろうね」
風の音色が変われば、赤い外套の女はまたうんうん頷く。
「ほう……出向かないのか。それ、職務怠慢かい? うんうん、ああそう。ふふっ、上手く行くと良いね」
赤い外套の女の言葉に、まるで文句を言うように風が鳴く。
「だって、今回連れて来てるのはビヤーキーだけだろう? ジェミニもウォーカーも居ないなら、頼れるのは君自身だけだ。制限がある以上、アリスの相手はちょっと荷が重いんじゃないかな?」
赤い外套の女の周囲で風が唸る。
唸りの直後、赤い外套の女が乗っていたビヤーキーが細切れにされる。
「ヒヒヒッ。怒んなよ事実だろ?」
乗り物を失ったとて、赤い外套の女は座った体勢で空に浮かんでいる。
「まぁ頑張ってよ。私はどっちに転んでも別に良い。勿論、君で終わるならそれはそれで良い。私としては、アイツの出番の前に片付けてくれた方が良いけど……まぁ、それは君次第だ」
組んだ脚を解いて、空中に立ち上がる。
「それじゃあ、頑張ってくれたまえ」
さようならも言わずに、一瞬で姿を消す赤い外套の女。
後に残るのは、吹きすさぶ風だけだった。
避難民達を異譚の外へと誘導した魔法少女達は、直ぐに異譚へと戻る。
ブラックローズ達はスムーズに避難を終えられたけれど、他の所はそうもいかない。
既に避難を開始しているところもあれば、救援がまだ来ておらず遅延してしまっているところもある。
避難が終わらなければ、満足に異譚支配者との戦闘が出来ない。一仕事終えたとしても、休んでいる時間は無い。
乱気流の中、五人は避難を始めていない場所へと向かう。救援を少しでも進めるために、各チームに分かれて救援待ちの場所へと向かっている。
「……なぁ、オレ達もチームを分散するべきじゃねぇか?」
移動中、ケイティがブラックローズに言う。
「アリスの能力がありゃ、アンタと二人で避難は余裕だろ? その間にオレ達三人で核を倒しに行った方が効率的じゃねぇか?」
「それを決めるのは貴女よ。リーダーでしょ?」
「リーダーだからって全部が全部、自分で決める訳じゃねぇ。必要とあらば意見は求める。……オマエも感じねぇか? この異譚、なんか変だ」
「……ええ。それについては同感よ」
異譚侵度Dは最低ランクの異譚。幾つもの異譚を戦い抜いて来たから分かる。
明らかに、異譚侵度Dの世界観では無い。
異譚は逃げ辛く、世界を飲み込もうとする狂気が垣間見える。その侵食能力が低ければ低い程、狂気は薄く、侵食力も弱い。
だからこそ、この異譚はおかしい。侵食力はともかくとして、世界に起こっている現象があまりに強固過ぎる。
建物を壊すほどの乱気流に、全ての人間が酩酊する空気。魔力に満ちた風が吹き荒れているから、異譚支配者を感知する事も困難を極める。
「私も同感です。外からは分からなかったですけど、この異譚、魔力に満ち過ぎてる。この魔力量で異譚侵度Dは在り得ないです」
「計器の故障です?」
「いや、故障じゃねぇ。そもそも、異譚侵度は世界への侵食力を表してるだけだ。強く広い異譚ほど異譚侵度は高くなる。基本的に、異譚はデカければデカい程侵食力が強ぇ。だから、異譚侵度は脅威度の指針として機能してるんだが……」
「例外ってやつね。あの時もそうだったわぁ……」
「あの時……?」
アリスが小首を傾げて訊ねれば、ブラックローズは少しだけ恥ずかしそうに笑う。
「自慢話みたいになっちゃうけど、私が花の英雄になった異譚の事よ。異譚侵度はCだったんだけど、異譚支配者が馬鹿強くてね。異譚が終わった後に脅威度の見直しで異譚侵度がAに引き上がったの」
「それ、確かアンタが核を単独撃破した異譚だったよな?」
「あら、よく知ってるわね」
「有名な記録には目ぇ通してある。特に、英雄と呼ばれた奴の記録はな」
ただ強いから英雄になる訳では無い。英雄になるにはそれ相応の理由がある。
ある者は指揮能力に優れ、見事なチームワークを見せ味方の犠牲者をゼロに抑えて異譚を撃破。
ある者は個の能力に優れ、最早立て直し不可能と思われた異譚を、単独で異譚支配者を撃破する事で解決した。
ある者は国民から好かれ、巧みな話術と確かな実力を持って異譚による一般人の被害を過去最少に抑えた。
その功績を称えられ、彼女達は英雄と呼ばれる。
「その英雄と呼ばれたアンタから見て、この異譚に違和感があるなら早々に手を打っておきてぇ。被害が広がる前に、な」
ブラックローズは思案するように眉を寄せる。
「……異譚侵度が仮にAだとして、異譚支配者と戦闘になった場合、範囲の狭い異譚だと一般人は確実に邪魔になる。向こうが大人しい間に、一人でも多く異譚の外に避難させておいた方が得策だと私は思うわ」
「向こうが力を付けるために身を隠してる可能性は?」
「無い……とは言い切れないけど、この規模の世界を形成出来るなら、隠れる必要なんて無いと思う」
「ならなんで攻めて来ねぇ?」
「さぁね。あいつ等の考えてる事なんてこれっぽっちも分からないもの」
異譚支配者の目的など分からない。分からないのであれば、考えるだけ無駄である。
「ともあれ、何があるか分からないなら隊の分断は危険だと思うわ。慎重に行動して損は無いんじゃない?」
「なら、当初の予定通り一般人の避難完了後に核の対処に当たる」
「了解。異譚支配者との戦闘は私も同行するわ。ちょっと、嫌な予感がするから」
「分かった。アンタは近接主体だろ? なら、オレと一緒に前衛だ。一応、映像見てるから合わせられると思うぜ」
「私もよ。三人の戦い方は一通り目を通してるから、貴女が主体で動いてくれて問題無いわよ」
「了解だ」
移動中に今後の方針を固めていると、次の救出地点が見えてきた。
「アリス、さっきと同じ手筈で頼む。いけるか?」
ケイティの言葉にアリスはこくりと頷く。
「よし、じゃあ行くぞ。さっさと終わらせて、この酒臭ぇ異譚を終わらせてやる」
 




