異譚26 避難準備
妹を自殺に追い込んだ張本人――蟹江美子を前にしケイティは一瞬で頭に血が昇るのを感じた。
思考は怒りで染まり、全てを忘れて美子へと詰め寄る。
「よくオレの前に面ぁ出せたなぁ! あぁ!?」
詰め寄り、胸倉を掴むケイティ。
「はぁ? 後から来たの貴女でしょう? よくもまあ遅れて来たくせにいきがれるわね。本当、おめでたい人」
ケイティの手を振り解き、馬鹿にするように嗤う。
「人助けとは程遠いテメェには言われたかねぇんだよ。テメェが妹にした事、オレは忘れてねぇからな?」
「私だって、貴女にされた事忘れて無いわよ。折れた鼻を元に戻すのに、どれだけ時間が掛かったか……!」
「じゃあ今度は治らねぇ程ボコボコにしてやるよ。そうすりゃテメェも二度と家から出らんねぇだろ?」
「はっ、まだ自分だけが強いと思ってるの? 今や私は魔法少女。それも、黄道十二星座が一つ、蟹座よ」
美子の衣装は蟹座を構成する星が模様としてあしらわれており、イヤリングやら髪留めも蟹がモチーフになっている。
また、可愛らしい衣装の中に見える頑丈そうな装甲も蟹を思わせる質感や色をしている。
「知ってます? 魔法少女の原典が有名であればある程、その魔法少女は強力な力を得る事が出来るの。黄道十二星座はその最たるよ。分かるかしら? つまり、私と貴女じゃ格が違うのよ、格が」
「ああそうだな。オレもテメェと同列に扱われたくねぇ。どんな綺麗に着飾ったって、テメェはただの人殺しの人でなしだ。下衆以下の糞女が、一丁前に人になった気でいんじゃねぇぞ?」
「その下衆以下から妹を護れなかったどころか、妹の状況にも気付けなかった貴女はそれ以下よね。ゴミお姉ちゃん?」
「んだと!!」
ケイティがもう一度美子の胸倉を掴もうとしたその時、ぴこっ、ぴこっと軽い音と共に二人の額に鏃が吸盤になっている玩具の矢が刺さる。
「おっ、ヘッドショット。2キルってやつ?」
そう言って、玩具の弓をアリスに返すブラックローズ。
何を隠そう、玩具の弓矢を作ったのはアリスだ。こんな場所でこんなふざけた事が出来るのはアリス以外に居ない。
「な、何するのよ! これっ、取れないし!」
「どういうつもりだテメェ!」
矢を取ろうとする二人だけれど、まったく取れる気配が無い。
「貴女達、異譚に何しに来たの? くだらない事をしに来たのなら、今すぐに帰ってくれる。邪魔だから」
「くだらねぇ……だと? テメェに何が分かんだよ!! コイツはなぁ、オレの妹をいじめて自殺に追い込んだ奴なんだぞ!?」
「だから何?」
「なっ……!!」
ケイティの言葉に対し、特に何の感情を動かされた様子も無く返すブラックローズ。
「周りをよく見てみなさい。此処に居るのは貴女達だけじゃないのよ?」
ブラックローズに言われ、ケイティは自分が何処に居るのかを思い出す。
周りを見渡せば、そこには怯えた様子で二人を見る救助を待つ人達が居た。
救助に来てくれたはずの魔法少女が、来て早々に喧嘩をし始めるのだ。自分達が助かるかどうか不安になってしまうのも当たり前である。
「貴女達がどんな関係でどんな過去があるとか、そんな事はどうでも良い。魔法少女として異譚に居る以上、貴女達がすべきことは喧嘩じゃ無くて人助けよ。貴女達が今何者なのか、よく考えて行動なさい」
「……わりぃ……」
ブラックローズの言葉に、ケイティは申し訳なさそうな表情を浮かべて謝罪をする。
「ふんっ、偉そうに」
美子は面白くなさそうに悪態をついてから、その場を離れる。
「……わりぃが、避難までの舵取り頼む。核討伐までには、何とかする……」
「ええ、分かったわ」
ケイティはブラックローズに避難の舵取りを任せて、自身は避難を待つ人々の目に入らない位置まで移動する。
「どっちか行ってあげて。異譚で一人は危ないし、それに……」
ブラックローズは離れていくケイティの背中に視線を送る。
「誰かいた方が良いでしょ。貴女達も心配でしょうし」
「じゃあ、私が行きます。テーラー、此処は任せて大丈夫?」
「大丈夫です! ケイティさんの事頼みます!」
「うん」
マッチがケイティの後を追う。
「それじゃあ、私達はブリーフィングを始めましょう。まずは、避難経路の確認からね。あ、君、ちょっと良い?」
「はい、なんですか?」
ブラックローズは近くを通った星の魔法少女を呼び止める。
「避難経路ってもう決まってるの?」
「一応決まってます。ただ、外の風が凄いので避難経路が潰れる可能性もあって……」
建物の外で猛威を振るっている乱気流の影響で、あらゆる物体がしっちゃかめっちゃかになっている。
少し前までは通れた道も、少し時間が経てば崩落した建物に塞がれている可能性もある。現在進行形で道が塞がれ、新たな道が拓かれているような状態だ。
「まるで生きた迷路ね……。人数はもう足りてる?」
「最低限って所ですね。少しでも穴が空いたら、ちょっとまずいです……」
避難民の数は五十人程。対して、魔法少女の数は二十人程だ。この乱気流の中、空に居る敵と吹きすさぶ暴風、それに乗って飛来する物体、そして、何処に居るのかも分からない異譚支配者に気を配り続ける必要が在る。
「此処はまだましですけど、他のところは酒気に当てられた人が暴れてるって報告も受けてます。避難中に酒気に当てられない保証は無いですし、私達は平気ですけど風に乗って砂塵で視界が塞がれちゃうのも難点です……」
「問題は山積みね……」
確かに、外の砂塵は常人であれば目を開けておくのは不可能だ。
視界が悪くなれば、躓いて転んでしまうし、それで怪我でもすれば避難に支障が出来る。
「キヒヒ。人数も視界も酒気も、何とか出来るよ」
今まで黙っていたチェシャ猫が唐突に口を開く。
急に喋り出したチェシャ猫に、星の魔法少女は驚いたように目を見開く。
「何とか出来る……って、そっか。アリスちゃん、防塵マスク出せる?」
ブラックローズが聞けば、アリスはこくりと頷く。
そして、いつの間にか手に持っていた防塵マスクをブラックローズに渡す。
アリスの作り出した防塵マスクは顔を覆うように作られたフェイスシールドに砂塵を通さないようにフィルターが付いている物だ。
「キヒヒ。アリスの魔力で造ってるからね。酒気対策は完璧さ。それに、ゴーグル型だから普通のよりも視界は開いていると思うよ」
「アリスちゃん、この防塵マスクと防護服も人数分作れる?」
チェシャ猫の説明を聞いた後、ブラックローズがアリスに確認すれば、アリスは悩む事も無くこくりと頷く。
「それじゃあ、人数分サイズに合った物の制作をお願い」
ブラックローズに頼まれ、アリスはこくりと頷く。
「キヒヒ。人手の方は、避難開始直前に出そうか。少しでも魔力は温存しておくべきだろうしね」
「そうね。アリスちゃん、頼りっきりで申し訳無いけど、準備をお願い」
こくりと頷いて、アリスは一ヵ所に集まっている人達へ視線を送る。
その直後、全員の前に防塵マスクと防護服が何処からともなく現れる。
ほんの一瞬、瞬き一つの間の出来事に全員が驚愕する。
「……すごっ」
誰かが思わず呟く。
それほどまでに規格外の魔法。
だが、驚いている場合ではない。
「全員、防護服着用後に防塵マスクをしてください! 着方、付け方が分からない方が居ましたら、直ぐに近くの者に知らせてください! 全員の準備が整い次第、直ぐにでも避難を開始します! 焦らず、慎重に準備を進めましょう!」
星の魔法少女のリーダーと思しき少女が即座に人々に声を掛ける。
それに倣い、他の魔法少女達も声を掛ける。
一気に事態を好転させる事が出来る魔法。場数を踏んで、対人恐怖症さえ治せば、確実に英雄になれる。それほどまでの力を、アリスは持っている。
けれど、どうしてか、その事をたまらなく不安に思う。理由は分からない。けれど、このまま英雄になってしまってはいけないと、漠然とした不安があるのだ。
英雄の器を持つアリス。けれど、決して英雄になってはいけない。
強く、そう思ってしまう。
 




