異譚16 魚蛙(ギョカイ)
アリスが更地にした場所を走り核へと向かう。
「うげぇ……マジ……?」
近付くごとに見える核の全容。それもまた気味の悪いものではあるのだけれど、ロデスコが引いたような声を出したのには別の理由がある。
瓦礫の玉座に気だるげに座り込む異譚支配者。
「ぅ、ぁ……」
その異様さを理解し、ヴォルフの顔色が真っ青になる。
ぐっちゃぐっちゃ、ぼりぼり、ぺっちゃぺっちゃ、ちゅるん。
「う、ぉぇ……っ!!」
たまらず、ヴォルフがその場で吐き出す。一度吐いたからか、胃液を無理矢理出すように喉を鳴らして吐き出す。
アリスだって、新人であれば吐いていただろう。それくらいに、異譚支配者の行動は胸糞悪く、怒りとも嫌悪ともつかない、あるいはどちらとも取れるような感情を覚えた。
異譚支配者は咀嚼をする。
食べているのは同じ異譚生命体。
しかして、それは純粋な異譚生命体ではない。
現代的な服を着た、蛙頭の人型異譚生命体。そう、つまりは、元人間である。
異譚支配者は蛙頭をむんずと掴むと、長い舌を巻きつけて大口を開けて飲み込む。
その際、食べやすいように丁寧に咀嚼をする。
異譚支配者の前に列をなす蛙頭。前の者が掴まれ、異譚支配者に丸のみにされるたびに蛙頭は前に詰める。
まるで、それを望んでいるかのように、躊躇う事無く列を詰める。
「ぃあ……いぁ……」
むちゃむちゃと咀嚼をしながら、言葉とも咀嚼音とも取れる音を漏らす異譚支配者。
「食らいなされ、食らいなされ。貴方様の力を広げるために、食らいなされ」
異譚支配者の陰に潜み、人型の老人がぼそぼそとしゃがれた声で話す。
「アリス」
「分かってる。ヴォルフ、行けそう?」
「ぇ、ぁ、だ、いじょうぶ、ッス……!!」
吐きながら、涙を流しながらも、ヴォルフは確かな怒気と覚悟を持って返す。
「さっき言った通りで行く」
「こんな胸糞悪い奴、アタシ一人で充分よ!!」
額に青筋を浮かべながら踵を鳴らす。
「ぶっ蹴り殺すッ!!」
合図を待たず、ロデスコは爆炎と共に異譚支配者に肉薄する。
「スノーホワイト、サンベリーナ。ヴォルフをお願い」
「分かったわ」
「わ、分かったよぉ!」
「ヴォルフ、無理はしないで」
「了解ッス!!」
全体をカバーできる位置で立ち回りつつ、アリスは人型を警戒する。
爆速で異譚支配者に肉薄したロデスコは、鋭い蹴りを異譚支配者に向けて放つ。
が、突如としてロデスコと異譚支配者の前に瓦礫の壁が出来上がる。
「紙装甲だっつうの!!」
しかし、意に介した様子も無く、ロデスコは瓦礫の壁を蹴り壊す。
「おらぶっ飛びなさい!!」
蹴った後に回転し、もう一度異譚支配者に向けて蹴りを放つ。
が、ロデスコの足を遠くから蟇蛙の異譚生命体がベロを伸ばして引っ張り、ロデスコは異譚支配者から引き離されてしまう。
「――ッ!! アリス!! 露払いはアンタの仕事でしょーが!!」
「もうやってる」
ロデスコが文句を言っている間にも、アリスは剣で蟇蛙の異譚生命体を串刺しにしている。
「ワンテンポ遅いのよ!!」
文句を言いながら、ロデスコは周囲に群がる原始獣人を蹴り飛ばす。
アリスは周囲に幾つもの剣を浮遊させながら異譚生命体を串刺しにし、隙を見て異譚支配者に剣を飛ばすも、寸前で瓦礫の壁に阻まれる。
命を狙われているにも関わらず、異譚支配者に焦った様子が無い。加えて、異譚支配者からはまるで敵意を感じない。ただ黙々と目の前の贄を食らうばかりである。
異譚支配者の行動原理など理解できるはずも無いけれど、周囲の喧騒を無視してただ食のみに集中している様は異様の一言に尽きる。
「邪魔な羽虫め。ああ、忌々しい羽虫め」
人型が杖で地面を突く。
瞬間、地面に亀裂が入りガラガラと崩落していく。規模にして、学校の校庭ほどの広さの地面が崩れていく。
「ちっ、面倒臭いわねぇ!!」
崩落した地面の底から幾つものぬめりけを帯びた触手が伸び、魔法少女達をからめとろうとくねる。
「させない」
が、直ぐに逆再生するかのように崩落した地面が元に戻っていく。触手が邪魔をするけれど、戻る瓦礫に押し潰されてそのまま千切れてしまう。
数秒後にはまるで何事も無かったかのように地面が元通りになる。
魔法が阻止され、人型はのっそりとした動作でアリスを見やる。
アリスは間髪入れずに剣を射出するが、剣は人型を避けるように地面に刺さる。
人型が杖でとんとんっと地面を突くと、直後に周囲に落ちていた大きな瓦礫が浮遊し、ひとりでにアリスの方へと飛来する。
高速で飛来する瓦礫を、何処からともなく現れた巨大なハンマーが人型に向かって打ち返す。
しかし、狙い違わず打ち返されたはずの瓦礫は人型に当たる事無く、少し外れたところに衝突する。
「……」
アリスは大量のナイフを生成し、一斉に人型へと放つ。
寸分違わぬ速度で大量のナイフが飛来する。
逃げ場のない攻撃だけれど、人型は一歩も動かない。
このままでは直撃を免れない軌道。しかし、ナイフは人型に当たる前に自ら軌道を変え、あらぬ方向へと突き刺さる。
「……面倒」
心底面倒くさそうにアリスがこぼす。
どういう芸当かは知らないけれど、アリスの攻撃の一切が老人に当たらないらしい。
ただ、弱点が無い訳では無いだろう。
アリスの魔法もそうだけれど、魔法には出来る事と出来ない事が存在する。
例えば、アリスの魔法は生物に直接作用しない事があげられる。ただし、チェシャ猫に渡したように瓶の中身を飲ませるなどの工程を挟めば別だ。チェシャ猫を直接大きくする事は出来ないけれど、大きく出来る薬を作る事は可能であり、それを飲んでもらう事で作用する、という事だ。
自由度は高いけれど、それなりに制約がある。
ロデスコの魔法は近距離戦では爆発的な火力を誇るけれど、相手が遠くに居ると炎は届かず届いたとしてもかなり威力が減衰したものになる。
サンベリーナのように攻撃手段を持たないけれど、補助に特化した魔法を持っていたりと、魔法は一長一短だ。
アリスやスノーホワイトのように多くの事を出来る方が珍しい。
だからこそ、人型が使っている逸らすという魔法にも欠点があるはずだ。
その欠点を突けば人型を倒す事が出来るのだけれど、アリスは人型を封じ込められればそれで良いと考えている。
そも、人型は大変厄介ではあるけれど、それは万能のアリスが居ない場合の話である。
アリスに出来ない事は殆ど無い。すなわち、アリスは人型を妨害し続けられる。つまり、人型など居ないのと同じであるという事だ。
加えて、今回はアリスでさえ近距離戦では勝ち越せない程の実力者であるロデスコも同行している。火力としては申し分なく、一対一であれば大抵の相手ならば打ち倒せる。
今回に限って言えば、アリスはサポートに回っていられるのだ。
今もこうして人型を完封出来ている。校庭ほどの範囲で地面を崩落させる事が出来るのは凶悪だけれど、アリスにも同じ事は出来る。
相手の圧倒的上位互換がアリスであり、常に相手を上回り続ければ問題無い。
このまま火力に物を言わせて押し切れる。
そう判断したけれど、物事はそう簡単に進まないものである事もアリスは良く知っている。
ぼそぼそと人型がなにがしか唱える。
その直後、黒いタールのような液体の詰まった加工場の水槽から、何かが飛び出してくる。
黒いタールの様な液体を滴らせながら地面に降り立つそれは、どうにも奇怪な恰好をしていた。
見た目は魚。けれど、魚の割には表面がぬめりけを帯びており、出目金のように目が飛び出ている。両生類のような手足が生え、エラの隙間から鳴き袋がげこりと膨らむ。
まるで魚と蛙を掛け合わせたような、そんな姿の異譚生命体。
それが、次々に水槽の中から現れる。
どこにそれだけ入っていたのかと問い質したくなるくらい、同一の水槽から数体ずつ姿を現わす。
アリスは面倒くさそうに剣を飛ばす。
面倒臭そうにしながらも、その速度は常人では回避不能な速度。弾丸のように放たれた剣は、しかし奇怪な生物を逸れるようにして地面に突き刺さった。
それを見て、アリスはむっと眉根を寄せる。
「面倒臭い」




