異譚5 花の英雄 その名は――
春花の教育担当になる事を決めてから一週間が経過した。
あの後直ぐに家族には包み隠さず説明をした。沙友里と話を詰めた結果、教育には最低でも一ヶ月程の時間をかける必要が在ると二人で判断したため、自身の魔法少女への復帰は一ヶ月である事。
色々と事情の在る子供である事。魔法少女としてでは無く、一人の人間として、救ってもらった一人として、春花を見過ごしたら自分は自分を許せないと言う事も、自分を救ってくれた夫に顔向けが出来ない事も、全部説明した。
けれど、やはり話は平行線だった。
当初の約束通り、離婚という形に落ち着いた。自身の娘である如月白奈――改め、姫雪白奈を引き取った。本当は、引き取ろうとは思っていなかった。その資格を自分が持っているとは思えなかったから。
家族よりも自分の事情を優先したのだ。母親失格である自分よりも、父親の元で暮らした方が幸せだろうと考えていたのだけれど、白奈は自分に付いて来た。
「本当に良かったの? 私に付いてきて……」
白奈に問えば、白奈は荷解きの手を止めて笑みを浮かべる。
「良いも何も、私がお母さんに付いて来たかったの。お母さん寂しがり屋なの、私知ってるんだから」
にこやかに微笑む白奈に、思わず形相が崩れる。
「ありがとう。……でも、本当は離婚なんてしない方が良かったんだけどね」
「それは……正直に言うけど、私もそう思うよ」
包み隠さずに本音を漏らす白奈。
けれど、その声音に責め立てるような色は無い。
「でも、お母さんが譲れないモノがあったんだよね。なら、仕方ないよ」
「……ありがとうね、白奈」
仕方が無い、なんて白奈は言うけれど、本当は自分が間違えている事もちゃんと分かっている。
仕方が無いなんて事は無い。悪いのは家族よりも自分と他人を優先させた自分だ。
白奈だって本心では仕方が無いなんて思ってはいないはずだ。それを押し殺してまで自分の所に来てくれたのだ。なら、中途半端な事は出来ない。
自分が間違えている事は百も承知だ。けれど、白奈や家族に対しての申し訳無さで中途半端に春花と向き合う事こそ今の自分が一番してはいけない事だ。
賽は投げられた。であれば、もう全力で事に当たるしかない。
良くも悪くも、もうそうするしか無いのだから。
引っ越しも終わり、書類などの提出も済ませ、ようやっと仕事に専念出来るようになるのに更に数日を要したけれど、なんとか生活の基盤は整った。
これでようやく春花の指導に専念出来るというものだ。
事前に発行されていた魔法少女免許を封筒から取り出す。色々忙しくて確認する暇が無かったので出動初日に開封する事になったけれど、免許証を見て思わず笑ってしまう。
「あちゃぁ……旧姓のままだ。そういや、離婚した事伝えて無かったなぁ」
忙しくしていたので沙友里に離婚した事を伝え忘れてしまった。
「ま、後で変更すれば良いか」
免許にはなるけれど、旧姓のまま記載されていても特に問題は無い。魔法少女程の重責の在る職業ともなればその程度でとやかく言われたりはしない。
魔法少女免許を財布に仕舞い、パンツスーツに着替えて姿見の前に立つ。
「いやぁ……やっぱスーツ似合わないなぁ、私。ま、仕方ないっちゃ仕方ないんだけど……」
姿見に映る自身の姿を見て思わず苦笑してしまう。
「子供が背伸びしてるみたいだなぁ。これでも三十六なんだけどなぁ」
ちょっとは大人っぽくなりたかったなと思いながらも、これはもう仕方の無い事なので諦める他無い。
身だしなみを整え、対策軍本部へと向かう。
対策軍にほど近いマンションで部屋を借りたので、対策軍へは徒歩へ向かう。
入館証を入り口でかざし、沙友里のオフィスへと向かう。
沙友里のオフィスの扉をノックすれば、扉の向こうから『どうぞ』と帰ってくる。
「失礼します」
一言断ってから、沙友里のオフィスへと入室する。
オフィスに入れば、中にはこの部屋の主である沙友里と、本を読んでいる春花の姿があった。
「おはようございます、道下担当官殿」
「先輩の敬語って、少し気持ち悪いですね」
「ちょっと! こっちが真面目にやってるんだから、そっちも敬語崩す! それに、沙友里の方が役職が上なんだから、先輩呼びはしないの!」
怒ったように言えば、沙友里は苦笑で返す。
「敬語を崩すのは、ちょっと……立場は上でも、先輩を尊敬している事には変わり有りませんから。それに、先輩である事実も変わりません。今まで通り接していきますよ、私は」
上の立場だからと言って敬語を使ってはいけない訳では無い。自分より歴が長いのであれば、先輩と呼んでも問題は無いだろう。
それに、一応は対策軍の幹部の一人だ。ある程度の自由は許容されている。自分よりも下の者に先輩呼びかつ敬語を使ったところで、それがへりくだったものでないのであれば問題無いだろう。
「まぁ、沙友里が良いならいいけど。幹部様だもんね、沙友里は。おっと、道下担当官殿でしたね。失敬失敬」
「先輩も、無理して敬語にする必要無いですよ。先輩は花の英雄なんですから」
「それは昔の話でしょー? 昔取った杵柄で偉ぶるなんてしないわよ」
花の英雄。花の魔法少女の中で一番優秀な魔法少女に与えられる称号。
ただ、当時の彼女が選ばれる事にはかなり賛否が分かれた。勿論沙友里は賛成派であるのだけれど、本人は最後までずっと反対していた。
因みに、今の花の英雄は彼女ではない。当たり前だけれど、現役を退いた時点で剥奪されている称号だ。
「これからは部下だからね。表ではちゃんと分別付けるわよ、私は」
「分かりました。大変違和感だらけで落ち着きませんけど」
沙友里としては昔のままでも良いとは思うのだけれど、周りがそれを許さないだろう。
沙友里の立場は今や幹部だ。沙友里に敬語を使わないと言う事は、沙友里が侮られている存在だと周囲に示してしまう事になる。昔から童話には問題児が多い。必然、担当官である沙友里への風当たりも強くなるだろう。
そんな沙友里が侮られるような隙を、先輩である自分が与える訳にはいかないのだ。
「あ、そうだ。魔法少女免許だけど、言い忘れてた事があってさ……」
「なんです?」
「実は、離婚したから旧姓に戻っちゃった」
てへっ、と軽く笑って見せるが、沙友里は驚いたように目を見開く。
「私のせいですか……?」
「ああ、違う違う違う! 復帰するのは自分で決めた事だから、関係無いわよ。私が説得出来なかっただけ。沙友里のせいじゃ無いから気にしないで」
「ですが……」
「気にしないでって言ったら気にしない! はいこの話終わり! 免許の名前が如月のままだと問題在るんだったら後で変更するから言ってね」
「……分かりました」
頷くけれど、流石にそう簡単に納得できる事でもない。なにせ、自分が復帰をお願いしたから離婚する事になってしまったのだ。気にするなという方が無理である。
「さて。それじゃあ、仕事を始めましょうか」
今日は此処に遊びに来た訳では無い。これからは、春花の教導役としてしっかり春花を一人前の魔法少女に育てなければいけないのだ。
本に夢中になっている春花の隣に座れば、春花は本から顔を上げる。それでも、視線を合わせるのが苦手なのか、見ているのは膝元だけれど。
「そう言えば、まだ自己紹介もまともにしてなかったわね」
彼女は優しい笑みを浮かべて春花に自己紹介をする。
「私、如月黒奈。花の魔法少女、ブラックローズ。今日から春花ちゃんの先生になるから、よろしくね」
彼女――如月黒奈は春花に手を差し伸べる。
それが握手を意味する事は春花にも分かったので、春花はおずおずと黒奈の手を握る。
これは、春花が英雄になるまでの物語。けれど、この物語の主人公は春花ではない。
花の英雄、魔法少女ブラックローズである如月黒奈の人生最後の魔法少女譚である。




