異譚3 レッツクッキング
沙友里の後を付いて行けば沙友里の専用オフィスへと辿り着く。
沙友里のオフィスの中に入れば、中には一人の子供が居た。
黒く艶やかな長髪に、酷く使い古された冬用のセーラー服。ちらりと袖から見える手首は、華奢を通り越して最早病的なまでに細い。
暗く陰鬱とした雰囲気の少女。少女はその場に座り込んでおり、自身の吐瀉物を素手でかき集めていた。
「大丈夫か、春花?」
沙友里が慌てて声を掛け、春花と呼ばれた少女の背中をさする。
春花はゆっくりと沙友里の顔を見やる。その顔には申し訳なさそうな色があるけれど、表情はまるで動いていない。
「……ごめんなさい」
謝って、春花は俯く。かき集める手は止めず、けれど、何処に捨てて良いのか分からないのかただひたすらにかき集めている。
「大丈夫だ春花。此処は清掃員に頼むから。春花は手を洗ってきなさい。良いね?」
「……ごめんなさい」
春花は謝った後に立ち上がり、オフィスに併設されているトイレへと向かう。
沙友里は内線を使い、清掃員に沙友里の専用オフィスに来るように依頼する。
「あの子がそうなの?」
「はい……。あの子……春花の事は一部の人間しか知りません。此処に居る事も、殆どの者が知りません」
「極秘中の極秘って事ね」
暫くして清掃員がやって来て、ささっと春花の吐瀉物を清掃して去っていく。
清掃員が部屋から出て行くと、タイミングを見計らっていたのか、春花がトイレから出てくる。
申し訳なさそうにそろそろと出てくる春花を見て、沙友里は怯えさせないように優しく微笑む。
「大丈夫だよ春花。吐いたくらいで怒ったりしないから」
「……ごめんなさい」
それでも申し訳なさそうに俯く春花。
沙友里は春花から視線を逸らして、テーブルに置いてあるサンドウィッチを見やる。皿の上に乗ったままのサンドウィッチは一口齧ったような跡が残っている。頑張って一口食べてみたのだろう。
「食べようとしたのか? 偉いじゃないか」
沙友里が褒めてみても、春花はスカートをぎゅっと握って俯いている。吐いてしまった事が申し訳無いのだろう。
「……春花。まだもう少しかかりそうなんだ。座って待っててくれるか?」
沙友里が言えば、春花はこくりと頷いた。
「先輩。いったん、会議室に戻りましょうか」
「いいえ。その前に、腹ごしらえしましょう。春花ちゃんもお腹空いたわよね?」
にっこりと微笑みかければ、春花はちらりと顔を上げる。
そして、視線がぶつかる。
その瞬間、全てを理解する。
春花の状態。春花が経験したであろう出来事。
自分も経験した。程度は違えど、起こった出来事は同じはずだ。
「沙友里、キッチンってどこかある?」
「一応、この子が寝泊まりしている部屋に在りますけど……」
「そう。じゃあ、ちょっと買い物してくるね」
それだけ言って、すたすたと部屋から出て行く。
「え、先輩?」
何が何だか分からない沙友里を尻目に、さっさとオフィスから出て行く。
残された二人は一度顔を見合わせるも、春花は直ぐに気まずそうに視線を逸らしてしまった。
「たっだいま~!」
ほどなくして、ビニール袋を片手に戻って来る。
「さ! 寝泊まりしてるっていう部屋に案内して! お昼ご飯作るから!」
「は、はぁ……」
沙友里は、何故急に彼女がお昼ご飯を作ろうと思ったのかが分からない。
春花も急な展開に困惑している。
「ほら早く! お腹ぺこぺこよ私!」
テンション高く沙友里を急かす。
「わ、分かりました……」
促されるまま、沙友里は春花の寝泊まりしている部屋へと案内する。春花は、チェシャ猫を抱き上げてから二人に付いて行く。
春花が寝泊まりしている部屋まで辿り着けば、早速ビニール袋を開ける。
袋から出したのは食パンにレタス、トマトとハムときゅうりとマヨネーズとからし。
材料から察するに、作ろうとしているのはサンドウィッチだろう。
「先輩。サンドウィッチは、さっき……」
食べられなかった。そう言おうとしたけれど、春花の手前言葉を濁す。
「大丈夫大丈夫! 春花ちゃん、私と一緒にお料理しよっか!」
笑顔を向けて春花を手招きする。
突然誘われ、戸惑いを見せる春花。
「キヒヒ。アリス、料理をしてみれば良いじゃないか。きっと楽しいよ?」
春花に抱かれたチェシャ猫が、春花の顔を見上げながら言う。
チェシャ猫に促され、春花は躊躇いがちにこくりと頷く。
春花はチェシャ猫を床に置き、おどおどしながらキッチンに立つ。
「よし! じゃあ私と一緒にやろっか! と言っても、サンドウィッチ作るだけから、切るだけなんだけどね~」
二人は包丁を持ち、材料を切る。
パンと具材を切って、からしマヨネーズを作ってパンに塗り、具材を挟む。子供でも出来る簡単な料理。
お皿に簡単に盛り付けて完成である。
「さ、食べて食べて」
椅子に座らせ、食べるように促す。
春花は戸惑いながら、サンドウィッチに視線をやる。
「先輩、それは……」
「沙友里は黙ってて。春花ちゃん。これなら、食べられるはずだよ」
優しく春花に言う。
先程吐いてしまった事もあってか、春花は食べる事に酷く躊躇を見せる。
「ゆっくりで良いよ。春花ちゃんのペースで良いから。私達は、大人らしくゆっくりとコーヒーブレイクしてるから。ね」
用意しておいたコーヒーを飲みながら、ぱちりとウィンク一つする。
しかし、サンドウィッチしか見ていない春花は気付かない。
暫くサンドウィッチと睨めっこをした後、春花はゆっくりとサンドウィッチに手を伸ばす。
サンドウィッチを一つ掴んで、春花は恐る恐る口に運ぶ。
小さく一口、春花はサンドウィッチを食べる。
顔を顰めながら、咀嚼をし、ゆっくりと嚥下する。
二人は緊張した面持ちで春花を見る。
だが、二人が危惧した事は起こらなかった。
「……」
春花も、ちゃんと食べられた事に驚いたのか、目を見開いてサンドウィッチを見ている。
もう一度食べて嚥下し、また食べて嚥下する。それでも、春花は吐かなかった。
「……どういう事ですか?」
驚いたように春花を見やる沙友里。
「後で話すね。春花ちゃん、美味しい?」
にっこりと微笑みながら訊ねれば、春花はこくりと頷いてサンドウィッチを食べる。
春花自身、食べても吐かない事に驚いてはいるけれど、それでも空腹の方が勝つのか夢中になってサンドウィッチを食べ続ける。
夢中になってサンドウィッチを食べる春花を見て、沙友里は安心したように肩の力を抜く。
「良かった……この子、ずっと食べては吐いてって繰り返してて……」
「え、じゃあ今まで何食べてたの?」
「水やお茶を飲むだけでした」
「ずっとそれだけで? 栄養失調になっちゃうわ、そんなの……」
「一週間、本当にそれだけしか口に出来なかったので……良かったです、本当に」
「一週間? それより前は?」
「それが、分からないんです。この子、地方の対策軍支部で保護されたんです。それ以前の記憶が、この子には全く無くて……」
「記憶喪失って事?」
「はい」
「……それで私を呼んだ、って訳でも無いわよね」
この子が魔法少女に成れるというのは理解している。でなければ、対策軍で保護をする理由がない。記憶喪失以外にまだ何か裏がある。だが、その裏が極秘情報に繋がるのだろう。
現役復帰しなければ教えてはくれないだろう。
もぐもぐとサンドウィッチを食べる春花を見やる。
「……良いわよ、復帰しても」
「え、本当ですか?!」
「ええ」
本当なら、家族と相談して決めるべきだろう。けれど、そんな悠長な事を言っている場合ではないだろう。
春花は、自分に似ている。だから、放っておけない。いや、放っておいてはいけないのだ。
今の春花を放っておくのは、色んな人に助けて貰った自分がして良い事ではない。
例え全ての運命が狂ったとしても、この運命は避けて通ってはいけないのだ。




