異譚13 人型
花の魔法少女の増援が来てすぐ、アリス達は核の破壊へと向かう。
歩きながら、ロデスコは鳥肌の立った二の腕をさする。
「うぅ……夢に出そう……」
「失礼な事言わないの」
「いや、分かってるけど……」
花の魔法少女の増援が来る前に、新しく漁港の住民が避難をしてきた。
住民の顔は少しだけ薄茶色になっており、目の位置が離れて眉間が広がっている。ぎょろりと丸く出た目玉と広がった口元。
蛙になりかけの人間達が、魔法少女に連れられてやって来たのだ。
完全に蛙になってしまえば化物だと割り切れるけれど、本来有り得ない変化には中途半端な気味の悪さを感じざるを得ない。ともすれば、蛙人間よりも不気味である。
「アリス、チェシャ猫貸して!」
言って、ロデスコはチェシャ猫をアリスから奪いじっとその顔を見詰める。
「睨めっこかい、ロデスコ。キヒヒ」
「気味の悪さをブサ可愛いアンタで中和してんのよ」
じっと眺めた後、ロデスコはチェシャ猫を抱き抱えながら歩く。
「ヴォルフ。アンタも抱っこする?」
「今なら無料だよ。キヒヒ」
ロデスコがチェシャ猫をヴォルフに差し出す。
でろーんと身体の伸びたチェシャ猫。
「良いんッスか?! 自分、猫大好きなんッス!」
ヴォルフはチェシャ猫を受け取ると、もふもふとその毛を堪能する。
撫でられ、ごろごろと喉を鳴らすチェシャ猫。
元人間である異譚生命体を殺してしまったという事実に顔を真っ青にしていたヴォルフだったけれど、今は少しだけ血色も良くなってきている。
ただ、まだ本調子では無いだろう。変質したとはいえ、人間だった者を殺してしまったのだ。精神的に疲弊はしているはずだ。
アリス達だって、殺す事に慣れてしまった訳では無い。そうする他無いから、そうしているだけなのだ。
異譚によって完全に変質してしまった者は、もう二度と元には戻らない。それこそ、万能と謳われるアリスの魔法をもってしてもだ。
何をしても、もう二度と元に戻りはしないのだ。
であれば、殺すしかない。それ以外に、彼等を異譚の呪縛から解き放つ方法が無いのだ。
しかして、裏を返せば完全に異譚によって変質しない限りは元に戻るという事になる。
異譚の外に出るか、異譚を消してしまえば、時間はかかるけれど元に戻る事が出来る。
だからこそ、一刻も早い異譚の消滅が必要なのだ。
「サンベリーナ、核の位置は動いてる?」
「う、ううん! ずっと同じ位置に居るよ!」
「そう」
アリスの感覚でも、核が動いているようには感じられない。
「怠け者か、脚が無いかね」
「どっちにしろ好都合でしょ。手間が省けるってもんよ」
「あ、えっと、そうでもない……かも……?」
「どういう事?」
自信なさげに言うサンベリーナにアリスが静かに訊ねれば、サンベリーナはこれまた自信なさそうにアリスに返す。
「か、核の魔力が大きくて分かり辛いと思うけど、その周りに結構いっぱい居る……と、思う……」
サンベリーナの報告に一同は脚を止める。
サンベリーナ以外の全員、核の位置はなんとなく掴めていた。そもそも、魔法少女は相手の魔力を感覚的に把握しており、その魔力で大体の位置を掴んでいる。
五人の中で一番魔力感知能力が優れているのがサンベリーナであり、魔力を感知する機械よりも正確に感知出来る事から、核の位置はサンベリーナに毎回任せている。
それほどまでに、サンベリーナの魔力感知能力は優れており、全員がその感知能力を信頼している。
だからと言って、魔力感知を怠っていた訳では無い。周囲を警戒しながらも、核の動向に気を配っていた。にもかかわらず、核の周りに大勢の異譚生命体が居る事に気付かなかった。
相手が核だけだと思っていたから進んでいたが、そうでないのであれば話は変わってくる。
「それ先に言いなさいよ!! 戦術とか変えなきゃいけないんだから!!」
「ひぅっ、ご、ごめぇん……」
「怒鳴っても仕方ないでしょう。それに、ロデスコの戦術は一に突撃、二に突撃、三四五もまとめて突撃じゃない」
「そんな突貫野郎じゃないんだけど!?」
「女郎よね?」
「そういう問題じゃないわよ!!」
じゃれ合っているロデスコとスノーホワイトを無視して、アリスは一人空に上がる。
目立つ上に、敵に居場所を教えてしまう事になるので本当はやりたくなかったけれど、今回の場合は仕方が無いだろう。相手の規模をその目で確かめる必要があるのだから。
「あれか……」
視界に映るのは、あまりにも惨く、あまりにも常軌を逸した光景だった。
漁港の船着き場近くにある加工場。崩落し、僅かばかりの外壁のみが残された瓦礫の山に鎮座する、見るも醜いナニカ。
どっぷりとした巨大な腹部に、蟇蛙に似た頭部。半ば閉じられた目蓋は眠たげで、口から垂れた舌からはだらしなく涎が滴っている。
潮風になびく黒く短い体毛は不定形にも見え、次の瞬間には別の何かに変わっているような、そんな錯覚を覚える。
あれが核であると、直感的に理解する。
周囲にはサンベリーナの言葉通り多くの蛙頭が居り、まるで供物を捧げるように核の周りに魚を置いている。
その他にも原始獣人と大きな蟇蛙のような異譚生命体の姿も見える。
その数は多く、百を優に超しそれ以上数えるのが億劫になるほどである。
ちょっかいをかけられる距離。けれど、異譚支配者がどれほどの強さを持っているのかが分からない上に、アリス以外の者が危険に晒される事になる。
いったん降りて皆に情報を共有しようとしたその時、何者かの刺すような敵意の籠った視線を感じる。
視線の方を見やれば、異譚支配者の影に紛れるように爛々と輝く眼がアリスを射抜いていた。敵意に満ちているけれど、どこか挑発するような視線。
その者はのっそりとした足取りで異譚支配者の影から現れる。
腰の曲がった背。袖の大きなローブから覗く、しわがれた肌に酷く痩せ細った腕。杖をつきながらも、しっかりとした足取りの老人は、異形蔓延る異譚にて明らかに異端であった。
「老人……?」
まずもって、魔法少女以外に異譚で人の形を留められる存在は居やしない。余程異譚の影響力が弱くなければ、誰一人例外なく異譚の影響を受ける。
しかし、その老人は人の姿をたもっている。
つまり、老人もまた異譚生命体である事に間違いが無い。
「チェシャ猫」
「なんだい?」
チェシャ猫を呼べば、何処からともなくチェシャ猫がアリスの肩に現れる。
「あれ、何か分かる?」
アリスが指差せば、チェシャ猫は真ん丸な目を老人に向ける。
「異譚生命体、という事しか分からないね。キヒヒ」
「そう」
異譚生命体の中に、人の形をした存在が極まれに存在する。
それが人間なのか、人間では無い化物なのか、アリスには分からない。けれど、良くない存在である事は分かっている。
そういった存在に、アリスは過去出会った事が在る。悪質で悪辣。人の言葉を解し、人の苦しむ様を好む歪んだ人型の異譚生命体。
「もう少し、何か分からない?」
「分からないね。キヒヒ」
「そう」
チェシャ猫は異譚に詳しい謎の存在だけれど、それでも知らない事も勿論ある。
ただ、異譚生命体であれば人型でもなんでも躊躇なく殺すしかない。何せ、姿形はどうあれ異譚生命体に変わりはない。悪辣である事には違いないのだから。
「下に降りよう。あれも含めて話を――」
話を詰めよう。そう言おうとしたその時、老人がアリスに杖を向ける。
魔法の気配はない。けれど、周囲の異譚生命体が老人の杖の先に視線をやる。
何百もの目がアリスを射抜く。気持ち悪い、ぞわりと鳥肌が立つような気味の悪さ。
老人がなにがしかを呟けば、異譚生命体の幾つかがアリスに向けて動き出した。
「面倒」
アリスは舌打ちをしながら、下に降りる。
面倒と口では言いながらも、アリスは差し迫った危機感を覚えている訳では無かった。
老人も異譚支配者も、此処に来ようとしている異譚生命体も倒せない敵ではない。
ならば、アリスにとって何も問題は無いのだから。




