異譚36 ごめんなさい
ゆっくりと微睡に落ちていた意識が浮上する。
まだ微睡んでいたいような気もするけれど、それどころじゃなかったような気もする。
なんとなく起きなくちゃいけないような気がして、春花は、ゆっくり、ゆっくりと重い目蓋を持ち上げる。
「…………?」
最初に目に入ったのは見慣れた少女の顔だった。というか、最初も最後も無い。目前には少女の顔しか映っていないのだから。
「……東雲さん……?」
どういう訳か、春花は朱里と同じベッドで寝ていた。
どういう状況なのかまったく理解できず、春花の頭の中は疑問符だらけである。
「キヒヒ。おはよう、アリス」
いつの間にか朱里の上に乗っかっていたチェシャ猫が春花の顔を覗き込む。
「おはよう……なんで東雲さんが?」
「キヒヒ。アリス、憶えて無いのかい?」
「何が?」
春花が小首を傾げて訊ねれば、チェシャ猫はにんまりといやらしい笑みを浮かべる。
「キヒヒ。あんなに激しく――」
「事実無根」
「キヒヒぃん」
バシッと朱里に頭を叩かれるチェシャ猫。
つい今しがた起きたのだろう。欠伸をしながら眠たげな眼で春花を見やる。
「調子は?」
「大丈夫だけど……」
「そ」
朱里は立ち上がり、冷蔵庫の方へと向かう。
そこで、ようやく今居る場所がアリスのプライベートルームである事に気付く。
どうして朱里がアリスのプライベートに居るのか分からず困惑する春花。
困惑しながらも春花も起き上がろうとしたけれど、全身が痛くて思うように身体を動かせない。
「キヒヒ。アリス、無理をしちゃだめだよ」
チェシャ猫がアリスの頬に前足を置いて春花が起きないようにする。
「そうよ。アンタ、ぼろぼろだったんだから」
冷蔵庫から水を取り出し、ごくごくと呑む朱里。
余程の喉が渇いていたのか、一本丸々飲み干してしまった。
「ぷはぁっ……はぁ、潤った」
ボトルをシンクに置き、朱里はベッドに横たわる春花を見やる。
「アタシ、知っちゃったから」
「何を?」
「アンタがアリスだって事」
「――っ」
朱里の言葉に、思わず息を呑む春花。
「安心しなさい。知ってるのはアタシだけ」
「…………」
安心しろと言われても、春花には安心出来る要素が一つも無い。絶対に知られてはいけない事を知られてしまったのだから。
「アンタが空から落ちて来た宇宙船を迎撃した後、変身が解けたアンタを拾ったのがアタシが――って何してんの!?」
話している最中でゆっくりと起き上がり、その場に土下座をした春花を見てぎょっと目を見開く朱里。
驚く朱里を余所に、春花はそのまま深く頭を下げる。
「騙しててごめんなさい。でも、僕もやらなくちゃいけない事があるから、その……もう少しだけ魔法少女でいさせて欲しい」
「ちょ、ちょっとちょっと! 止めてよ!」
慌てて春花の元へ駆け寄り、土下座をする春花の頭を上げさせる。
「別に、アタシは騙されたなんて思ってないわよ。世間とか色々考えたら、アンタが正体隠すのは理解できるし。まぁ、どうして男のアンタが魔法少女にって謎は在るけど」
申し訳なさそうな顔をする春花の隣に座る朱里。
「それに、アンタに魔法少女を辞めて欲しいとも思ってないわ。現役のアンタを超えるのがアタシの目標なんだから。勝手に辞められたら困るわ」
いつもの勝ち気な表情で言う朱里。
「勝ち逃げなんて許さないわ。アタシが勝つまでアンタは現役。良いわね?」
「うん……」
朱里の言葉は本心なのだろう。けれど、やはり騙していた事は申し訳無く思ってしまう。
「それに、今はそれどころじゃないわ。町中大変だし、敵はまだ倒せてないしね」
言いながら、朱里は春花の肩をゆっくり引いてベッドに寝かせる。
「アンタもちゃんと怪我治しなさい。詳しい話とかは戦いが終わってから聞くから」
「うん……」
掛け布団をかけてやり、ぽんぽんっと胸元を優しく叩く。
「……町の状況はどうなってるの?」
「酷い有様よ。衝撃波と熱波でぼろぼろ。住民は地下シェルターとか他県に避難してる。宇宙船の方は山間部に落ちたみたい。不幸中の幸いってやつね」
それでも、街は酷い有様だ。
「僕があの時、ちゃんと壊してれば……」
致命の大剣が効かなかった。いや、効かなかったというよりも、通じなかったという方が正しいだろう。
弾かれ、四方八方に散らばった致命の極光。
圧倒的防御力だった。致命の大剣が弾かれた事なんて初めてだ。がむしゃらに大剣を振るって、それで――
「…………?」
思い出せない。何か、重要な接触が在ったような気がするけれど、何も思い出せない。
身体中に激痛が走って、気が付いたらベッドの上で眠っていた。
「アンタが全壊させられないんじゃ、他の誰でも無理よ。ダメージ与えられただけでも十分よ」
「え? ダメージ……? 僕の攻撃、通ってたの?」
「は? 憶えて無いの?」
「うん……」
「そう……それだけ必死だったって事ね。アタシのカメラに映ってると思うから、後で確認しときなさい」
「分かった」
なんとなく納得は行かないけれど、きっと今考えても仕方のない事だろう。
「今はちゃんと休んどきなさい。いざという時に動けないと困るからね」
「うん」
まだ疲れが在るのだろう。ゆっくりと目蓋を閉じる春花。
やがて健やかな寝息が聞こえて来た頃、朱里は静かにベッドから立ち上がる。
「チェシャ猫。あの敵の事、知ってる事が在るなら全部話しなさい」
「キヒヒ。良いとも。不服だけども、情報が更新されたからね」
ぴょんっと春花の眠るベッドから降り、朱里の肩の上に乗るチェシャ猫。
「キヒヒ。通信設備も回復したようだしね。せっかくだから全員に説明しようじゃないか」
二人はアリスのプライベートルームを出る。
「キヒヒ。覚悟する事だね。今回の敵は結構強いよ」
「はっ、いつだって覚悟十分よ。それに、強い敵ほど倒しがいがあるってもんだわ」
「キヒヒ。勇ましいね。しょんぼりタイムはもう終わりかい?」
チェシャ猫のからかうような言葉を鼻で笑う朱里。
「アタシくらいの強メンタルになると、一回睡眠挟めばリセットされんのよ」
自分は自分だ。明確になりたい自分が在って、そのために自分を磨き続けているのは事実だ。
嫌な夢を見て一時ナーバスになっていただけに過ぎない。
自分は母親とは違う。母親には無いモノを、自分は持っているのだから。
友人、ライバル、憧れ、仲間、プライド、使命――
自分で手に入れた、自分だけのモノ。
「それに、うじうじしてる場合じゃないでしょ。早いとこぶっ倒して、長期休暇貰うんだから」
「キヒヒ。違いない」
しっかりとした足取りでカフェテリアへと向かう。
「どんな相手だろうが、アタシの平穏を奪うなら、アタシが蹴り殺してやるわよ」




