異譚33 正体
アリスが上空へ飛んで行くのを、ロデスコは黙って見ている他無かった。
アリスでしか行けず、アリスしか行動出来ない高度に自分が行ったところで何も出来ない。
ぎりりと悔しそうに奥歯を噛みしめるロデスコ。
間違い無く、過去最大の危機。その危機の渦中に居るというのに、アリスの隣に行けていない。
状況が悪いのは分かっている。どんな魔法少女でもたどり着けない高度で戦えるアリスでしか迎え撃てないのも分かっている。
それでも、隣で戦えない事がこんなにも苛立たしいだなんて。
ロデスコが自身の力不足に憤りを覚えているその最中、眩い二つの光が衝突する。極光が四方八方に散り、極光の花を成層圏に咲かせる。
破滅的な美しさに見惚れているのも束の間。
十数秒の光の衝突は唐突に終わりを迎える。
二つの光が別々の方向へと落下していく。一瞬の迷い。けれど、ロデスコは即座に行動に移した。
落ちていく大きな光の方ではなく、宵闇に紛れて消えそうな小さな光の方へと跳ぶ。
何度も空気を蹴りつけ、今までに無いくらいに必死にアリスの元へと向かう。
遠くの方で巨大な何かが落ちる。
衝撃波と熱波が町中を襲うけれど、そんな中をわき目もふらずにアリスの元へと跳ぶ。
衝撃波にあおられ、アリスの身体が強風の日のゴミのように飛んで行く。
自身も衝撃波にあおられそうになりながらも、軌道修正をしてアリスの元へと向かう。
「アリス!!」
落下していくアリスが地面に落ちる前に何とかアリスを抱き留める事が出来た。
地面に落ちる前に抱き留める事が出来、ロデスコは安堵の息を漏らす。
それほどまでに必死だった。必死過ぎて、何も気にしていなかった。
生身で高高度に到達できる者などアリスしか居なくて、その高高度から落ちて来る人間などアリスしか居ないと、そう思っていた。
だから必死に、魔法少女の義務すら投げ捨ててアリスの元へと走ったのだ。
最初の違和感は抱き留めた時の大きさだった。その抱き心地はアリスにしては大きかった。
次にようやく服装が目に入った。アリスの空色のエプロンドレスとは違う、ロデスコが日常的に見慣れた制服。
「…………え?」
その顔を見て、ロデスコの口から困惑の声が漏れる。
一目見て他人を魅了する美しい顔。陶器のように艶やかで白い肌は今は血と煤に汚れている。
「なんで……有栖川が……」
困惑と混乱。
けれど、ああそうかと納得している自分も居た。
「キヒヒ。ロデスコ」
「――っ」
いつの間にかロデスコの肩に乗っていたチェシャ猫が、ロデスコの顔を覗き込む。
「キヒヒ。早く病院へ連れて行っておやり。全身ボロボロだ。早くしないと死んじゃうよ」
「――っ!!」
返事も無く、ロデスコは病院――に向かおうとして、思わず足を止めた。
その光景を上空から見下ろして、思わず愕然とする。
街は衝撃波によってぼろぼろになり、熱波によって所々に火の手が上がっている。
それは病院も例外では無く、今向かったところでまともな治療を受けられるとは思えない。
「サンベリーナ!! 聞こえる!? ねぇ生きてる!?」
即座に判断を下すロデスコ。
しかし、先程の衝撃波と熱波で通信設備が破損したのか、サンベリーナからの応答は無い。
「チェシャ猫!! サンベリーナの位置分かる!? てか皆生きてんの!?」
「キヒヒ。分かるとも。それと、全員無事だよ。やっぱり夢見る灰被りの城は丈夫だねぇ」
「そんな事いいから!! 早く案内して!!」
「キヒヒ。了解だよ。ただ……」
「なに!?」
「アリスの正体は最重要機密だからね。サンベリーナを対策軍本部に呼んだ方が良いかな」
「この……!!」
この期に及んで何を、とも一瞬考えたけれど、春花と対策軍が何が何でもひた隠しにしていた理由も一瞬で理解する。
「さっさと呼んできなさいクソ猫!!」
「キヒヒ。了解だよ」
チェシャ猫は姿を消して、サンベリーナの元へと向かう。
ロデスコも春花を抱えて対策軍へと向かう。
本来であれば、落ちた星間重巡洋艦の元へと向かわなければいけないのだろう。
あのアリスですら倒せなかった星間重巡洋艦だ。一人でも多くの魔法少女が必要になるはずだ。
それに、街もこんな有様である。住民も怪我をしているだろうし、住居だって住めないくらいに崩壊している。
なるべく多くを救わなければいけない。一を捨ててでも十を助けなければいけない。
それでも、それでも……。
ロデスコにとって一番大事な一は、どうしても見捨てる事が出来なかった。
街も、人も、敵も、全てを見て見ぬ振りをする。
それが魔法少女として間違えている事であっても、ロデスコは止まる事が出来なかった。
出撃前の綺麗さは見る影も無くなり、荒れ放題の煤だらけになった対策軍本部。
対策軍本部のアリスのプライベートルーム。そこで、サンベリーナは春花の治療を行う。
巨大な花に包まれた春花を壁際に座りながら眺める朱里。
変身は既に解除しており、酷く疲弊したような顔で春花を見ていた。
サンベリーナには春花が倒れているところを発見した。という事にした。
サンベリーナはアリスが大好きだ。妄信的と言っても過言ではない。そんな相手に、アリスの正体が実は男でした、なんて言える訳がない。
そうじゃなくても、アリスの情報は最重要機密だ。朱里の口から安易に漏らせる情報でも無い。
泣きながら春花を治療するサンベリーナを見て、申し訳無く思う朱里。
しかして、サンベリーナはアリスの正体を知っている。その事はチェシャ猫との秘密なので誰にも明かしてはいない。
アリス=春花だと分かっているからこそ、おいおい泣きながら治療をしているのだ。
アリスのプライベートルームはチェシャ猫が案内してくれた事になっているので、三人がこの場に居ても不思議ではない。
後は、戦場に居ないアリスの事をどう説明するか、なんて今考えなくても良い事に思考を逃がす朱里。
外の状況は分からない。落ちて来たのが星間重巡洋艦だと言う事も知らなければ、町中がどうなっているのかも分からない。
チェシャ猫の報告で童話が全員無事である事は知っている。それだけは、朱里が安堵出来ている材料になっている。
それでも心は落ち着かない。
安堵よりも不安の方が勝っている。
壁際で膝を抱え、膝に頬を付けながら前髪の隙間から様子を窺う。
こうしていると、思い出したくない事を思い出す。
魔法少女になる前。惨めで、貧しい、誰かに振り回されっぱなしの日々の事を。
「キヒヒ。疲れているんだろう、ロデスコ? 外に敵は居ないよ。今はゆっくり休むと良い」
いつの間にか現れたチェシャ猫が、朱里の膝に前足を乗せながら朱里の顔を覗き込む。
「……そうする」
今の自分に出来る事なんて無い。
救助も救命も、朱里には出来ない。
朱里に出来る事と言えば、次の襲撃に備えて休む事だけだ。
朱里はゆっくりと目蓋を閉じる。
次に目を覚ました時に春花が起きている事を願いながら、朱里はゆっくりと眠りに落ちていった。
次回、激重回




