異譚25 光明
チェシャ猫の発言に、誰もが口を閉ざす。
異譚支配者だけでも手に余ると言うのに、その異譚支配者を作り上げている存在が居るというのだ。それも、その者から数段規格を落とした存在が異譚支配者であるという。根本的に異譚を終わらせるのであれば、異譚支配者を作り上げている存在をどうにかしなければいけない。
だが、その何者かは異譚支配者よりも格上の存在である。それこそ、今計測している異譚侵度などでは収まらない程の存在で在る事は間違いない。
チェシャ猫の言葉が本当であるならば、大勢の犠牲を出した異譚侵度Sの異譚支配者でさえ、まだあれ以上の強さを持っているという事に他ならないのだ。
果たしてそんな存在に勝てるのかどうか。
誰もが押し黙る中、綾乃は即座に話題を切り替える。
「……今は、先行きの分からない話より、目先の事を優先しようじゃないか」
「キヒヒ。そうだね。異譚の向こうから手を出すにはかなりの時間を要するからね。今直ぐにどうにかなる訳じゃぁないよ」
それでも、後々相手をしなくてはいけない事には変わりない。まったく考えなくて良い訳では無いだろう。タイムリミットはもう刻まれているのだから。
「そうですな。では、どうなされますか?」
「植物状態になった人間を集めて監視するのが一番現実的だろう」
「殺してしまえば早いのでしょうけど、流石に倫理的にアウトですからねぇ」
異譚支配者になれる人間は少ない。植物状態になった人間を全て殺してしまえば今回の異譚は解決するだろう。
けれど、倫理的にも法律的にも問題が在る。例えそれが異譚を防ぐための殺人だったとしてもだ。だからこそ、別の解決法が必要なのだ。
「ご家族にはなんて説明しようかね。流石に、異譚支配者になるから、なんて説明は出来ないからね」
「人間が異譚支配者になるという情報は、上層部のみに留めておいた方が良いでしょう。末端まで情報を通すと、何処で漏洩するか分からないですからね」
「そうだね。メアリ、情報統制のラインを定めておいてくれ」
「了解しました」
情報統制と聞いて、春花ははっと何かに思い至ったような顔をする。
「すみません。推測は童話組のカフェテリアで行ったので、童話組には微妙に話が漏れてるかもしれないです……。猫屋敷さんにも、何も口止めしていないので」
「では、童話組にだけは情報の共有をお願いします。その上で、外部に漏らさないようにと念書を書いてもらいます」
「分かりました。チェシャ猫。説明だけしてきて」
「キヒヒ。了解だよ」
春花のお願いを聞いて、チェシャ猫は童話組のカフェテリアに向かうために姿を消す。
「植物状態になった方達は監視カメラでの監視に留めましょう。下手に動かすと、注目を集めますからね」
「名目はどうするのだね? ただ監視するというのでは疑念を抱かれるのではないか?」
「では、魔力値の変動測定とでもしましょう。治療法の模索のためとでも言えば拒まれはしないでしょう」
家族にとっては藁にも縋るような思いで撮影を許可するのだろうけれど、その実、異譚発生のための監視だ。異譚の解明と被害拡大の阻止、情報漏洩をしないための措置なので仕方の無い事ではあるのだけれど、それでもやはり嘘を吐くという事に心が痛む。
「警邏の順路も変更しましょう。必ず当該地域に魔法少女が居るようにしましょう」
「そうだね。即時対応出来るよう調整しておいておくれ」
あれよあれよという間に対応策を決めていく幹部達。
しかして、問題はまだ残っている。
「さて、残る問題はこの異譚がいつまで続くかだけれど……」
「先程のチェシャ猫の言葉に間違いが無ければ、適性を持つ者が全ていなくなれば終わるはずでは?」
「確かに、適正を持つ者が全ていなくなれば終わるだろう。だが、適性を持つ者が前回の異譚で植物状態になった者達だけではない場合はその限りでは無いだろうね」
異譚支配者になる人間がどのようにして選出されているのかが分からない。今回は偶然適性者が分かっただけだ。今回の異譚支配者の適性者が他にもいる可能性が在る。
「根本的な解決にはならない、という事か」
「進展は進展ですがね。まぁ、そんなに簡単に事は進みませんよ」
直ぐに直ぐ真相が分かるようなら、もうとっくの昔に異譚への完璧な対応策が発案されているはずだ。
春花は自身の発表が終わったので、沙友里の隣に座る。
春花の席の前にだけケーキとお茶が置かれている。フォークを持って、ケーキを一口サイズに切り分けてから口に運ぶ。
大人達が真面目に会議をしている中、春花だけはのんびりとケーキを食べる。
今後の対策やら調査方法やらを真面目に話し合っている。春花も参加したいところだけれど、専門的なところは分からない。下手に素人が口を挟んでも会議をかき乱すだけだ。
今回の推測だって、餡子のお陰でたまたま形になっただけなのだ。調子に乗って口を挟むような事はしない。
ケーキを食べながら、大人達の会議を見守る。
あまり食べ物に頓着しない春花だけれど、会議で出るお菓子は結構好きだ。何せ、高いだけあって味が良いのだ。それが無料で食べられるのだから更に良い。
もぐもぐもぐもぐとケーキを頬張る春花。
「キヒヒ。アリス、美味しそうなのを食べているね」
いつの間にか戻っていたチェシャ猫が、春花の食べているケーキをじっと見つめる。
「説明は終わった?」
「キヒヒ。終わったとも。念書は後で書いてもらうと良いさ」
言って、チェシャ猫は大きな口をあんぐりと開ける。
春花はケーキを切って、チェシャ猫の口に運んでやる。
ぱくりとケーキを食べたチェシャ猫は満足そうに目を細める。
「美味しい?」
「キヒヒ。贅沢な味がするよ」
「そうだね」
頷くけれど、春花にそんなに味の違いは分からない。美味しいのは分かるけれど。
「キヒヒ。アリス、怒ってないかい?」
「何が?」
「キヒヒ。色々黙っていた事さ」
確かに、チェシャ猫は重要な事を黙っていた。けれど、それは春花の学びと紐づいているとチェシャ猫は言った。
であれば、チェシャ猫も話したくなくて話していない訳では無いのだ。怒る意味が無い。
「別に、怒る必要が無いから」
淡々と言ってからお茶を飲む春花。
「今まで出てた推測の強度が上がっただけだよ。異譚支配者が誰かに作られた存在で、その後ろに誰が居るとか関係無い」
そう、春花には関係の無い事だ。
誰が相手で、誰がその後ろにいて、どれだけ強かろうとも、関係無いのだ。
「全部倒せば良いだけの話だから」
淡々と事も無げに言い切る春花。
何処の誰だろうと、アリスの致命の大剣は必殺の一撃になる。例えそれが神様だろうと、アリスの剣が届くのであれば――
「なんだって殺すよ」
小さな、小さな声。けれど、その声は会議室全体に行き渡り、思わず全員が喋る事を中断した。
子供が出すとは思えない程冷徹な色を持った春花の言葉。
「キヒヒ。物騒だよ、アリス」
「異譚の方が物騒だよ」
「キヒヒ。違いない」
異譚支配者のその向こうに誰かが居る。この情報は絶望とも取れるけれど、希望とも取れる。
何せ、黒幕さえ殺せばその異譚はもう二度と発生しないという事なのだから。それは、春花にとっては光明である。
それが春花にとって良い事なのかは、また別の話だけれど。




