好きな人の、好きな人。
「好きです。付き合ってください」
気付けば目で追ってしまう、同僚に告白された。
恋愛感情はよく分からないけれど、誰にでも分け隔てなく接する彼女には、幸せになって欲しいと思う。
相手は俺じゃない方がいいと思うけれど。
「俺なんかで良ければ」
そう言うと君は嬉しそうに
「貴方がいいんです」
と言った。
君が俺と居たいと思ってくれている間は、良い彼氏でいられるように頑張ろう。
それから一年後、同棲することになった。
手を繋ぐとか、キスをするとか、それ以上のこともしたくなることはなかったけど、すると嬉しそうにする、君の顔を見るのは好きだった。
でもその度、罪悪感に苛まれた。
俺は君と同じ気持ちを持てていないのに、君と一緒に居てもいいのか。
そんな悩みが顔に出てないことを願いながら、今日も震えぬ胸で抱きしめた。
いつしか
「私のこと本当に好き?」
が君の口癖になった
「もちろん。愛しているよ」
これが俺の口癖になった。
嘘を吐いている訳じゃない。
俺は彼女をこの世で一番、大切に思っているし、彼女の幸せを心から願っている。
そうやって自分を肯定する、呪いのような日々が続いた。
「さよなら」
いつもと変わらないある日の晩。
君が突然言った。
「………………なんで」
本当は理由なんて分かっていた。
でも聞かずには、いられなかった。
「貴方が私と同じ気持ちでいてくれてると、どうしても思えない。貴方は優しいから、ずっと嘘をついてくれてたんだよね。貴方に本当に好きになってもらうために、頑張ってきたけどもう疲れちゃった。ごめんね」
「杏恋が謝ることじゃないよ。俺の方こそ、ごめん」
君を幸せにしたいだけなのに、どうしてそんな顔をさせてしまっているんだろう。
「これからは自分に嘘をつかないでね。貴方はとても素敵な人だから、ちゃんと思い合える人と出会えるはずだよ」
「………………うん。ありがとう」
本当に本当に、愛しているんだ。ずっと一緒に居たいんだ。
そう言って抱きしめてしまいたかったけど、何故だか体が動かなかった。
「愛している。さよなら」
そう言って、君は背を向けた。
君はひどい人だ。
別れ際にそんなことを言われたら、いつまでも忘れられないじゃないか。
「俺も、愛しているよ」
この言葉が解けない呪いのように、君の心にずっと残ればいい。
君はスーツケースを持って歩き出し、あっという間に居なくなった。
「もう何もかも、疲れた」
そう言って、俺はベッドに倒れ込んだ。
君との思い出のすべてが、今日の悲しみに呑まれそうで怖い。
でも思い返してみると、君の笑顔ばかりを思い出した。
ケーキを食べておいしいねと笑う顔も、映画を観て面白かったねと笑う顔も、月を見て綺麗だねと笑う顔も全部全部大好きだった。
そんなことを思っていると、いつの間にか眠ってしまった。
翌朝、目が覚めると真っ先に隣を見た。
そこは昨日まで杏恋が居たとは思えない程、ひどく無機質だった。
分かっていたのに、なにを期待していたんだか。
会社に行かなくてはと、クローゼットを開けると、杏恋の服がたくさん入っていた。
「どれがいいかなー?」
と言いながら何着も着て、決めかねている杏恋を見るのが好きだった。
「どれを着ても綺麗だよ」
心からそう思った。
「えー、それが一番困るのにな」
そう言いながらも、嬉しそうな杏恋を見るのが好きだった。
この服を取りに来てくれたらいい。
そしたらもう一度、この家で杏恋に会えるのに。
それで何かを変える勇気がある訳でもないくせに、願わずにはいられなかった。
三年が経った今でも、その願いは叶っていない。
それどころか杏恋とは挨拶しか交わさない、ただの同僚に戻ってしまった。
それなのに家の7割を占める君の物を、何一つ捨てられていない。
もしかしたら取りに来てくれるかもなんて、ある筈のないことを未だに願っている。
自分の未練がましさに、嫌気がさす。
ある日の昼休み。
杏恋が友達と、社食を食べていた。
杏恋の視界に入る位置に座る。
こんなストーカーまがいのこと、辞めなくてはと思うけれど、別れた日から日課のようになってしまった。
君に忘れられたくなくて。
「えー!!結婚するの!?」
杏恋の友達が言った。
「ちょっと声大きい」
焦っている杏恋の顔を、うまく見れなかった。
でも当然と言えば当然だ。
杏恋のような素敵な女性を、世の男が放っておく訳がない。
それにどうせ、話をする勇気すら無いんだ。
結婚してくれたら、きっといつかは諦められる。
杏恋が好きな人と幸せになれるなら、相手は誰だっていい。
付き合った時から、ずっとそう思ってきたんだ。
必死に自分を言い聞かせた。
「いつから彼氏なんていたのよ?」
「彼氏じゃないのよ。私が30になっても結婚しないからって、親が勝手に」
それを聞いた瞬間、体が勝手に動いていた。
「桐生さん。少しお話いいですか」
気づいたら杏恋に声をかけていた。
「……はい」
そう返事する杏恋の顔は、戸惑いで満ちていた。
「ごめん。ちょっと行ってくる」
そう友達に声をかけて、俺のそばに来てくれた。
それだけで、訳がわからないくらい嬉しくて、やっぱり他の男に取られるなんて、絶対に嫌だ。
杏恋と社外の人気のないところまで、移動した。
「俺と結婚してくれませんか?」
杏恋がひどく驚いた顔をしてるのを見て、正気に戻る。
まずい。順番間違えた。
「ふざけてるんですか?」
ものすごい形相で、杏恋は言った。
三年間挨拶しか交わしていない、元彼にいきなりこんなこと言われたら、そう思うのが当然だろう。
でも
「本気です」
ここで引いたら、絶対一生後悔する。
「………………貴方は私のこと好きじゃないでしょ」
「好きです。愛してます」
「嘘だよ」
「嘘じゃない。君の笑顔を見ている時が一番幸せだし、君の幸せばかり願ってる」
「……なんであの時、言ってくれなかったの?」
あの時とはきっと、別れた日のことを言っているんだろう。
別れた日からなんで引き止めなかったのか、ずっと考えていた。
後悔することなど、分かり切っていたのに。
答えが出そうになっては、目を逸らした。
その答えがあまりにも、情けなかったから。
「……………自分に自信がなかったんだ」
「え?」
「付き合った日も君の彼氏は、俺じゃない方がいいと思った。俺なんかより、君を幸せにできる男はいっぱいいるって。だけど付き合いたかった。君の笑顔を隣で見させて欲しかった。
別れた日はこのまま君といても、いつか失望されると思った。嫌われる前に別れた方が、まだいいと思ったんだ。ごめん本当情け無いね」
「そんなことない!!どんな話も笑顔で聞いてくれたり、どんな服を着ても綺麗だよなんて言ってくれる人、藍以外いないよ!!私はそんな優しい藍が大好きだよ!!」
「……ありがとう」
やばい。嬉しすぎて泣きそうだ。
杏恋みたいな素敵な人が、俺のことをこんなにも好きでいてくれている。
それだけで俺はすごい男だ。
そのことにもっと早く気付けていたら、こんな遠回りはしなくてもよかっただろう。
「……もう一回ちゃんと言わせて」
「え……」
「絶対に幸せにするなんて、無責任なことは言えないけど、杏恋を幸せにするために、全力を尽くします。だから俺と結婚してください」
「……はい」
と返事して、杏恋は俺に抱きついてくれた。
そんな杏恋を優しく抱きしめ返す。
胸が高鳴りすぎて苦しくて、でもそれ以上に嬉しくて。
こんな時間をいつまでも続けていきたいと思った。