5,誇りある王国騎士団。
「トーマス! 逃げるわよ!」
いまだ泣きわめいているトーマスの手をつかみ、アリスは走り出した。
あのヒト型──魔人と名乗った生き物は、ヤバすぎる。
ジェフの戦闘力が、トーマスが言うほど高かったのだとしたら。それは騎士団員に匹敵する。いや、並みの騎士団員以上ではないのか。
それを、あんなにあっけなく殺してしまった。
そもそもアリスやトーマスにとって、あれほどの暴力的行為、はじめての経験だ。見るのも初めてなら、リアルタイムの話にさえ聞いたことがない。
古い文献で、たまに出てくる拷問の記述。
そういう歴史的な暴力的記述さえも、15歳になってはじめて、閲覧可能になったばかりだというのに。
とにかく、これは未曽有の事件。
一つだけ確かなのは、魔人が別の国から来たのではないこと。
大賢者にして大魔法使いホーンが発動した最終魔法《平和な世界》。それはアリスたちの王国だけではなく、全世界へと行きわたっているのだから。
よって他国の者でも、人に対して暴力的なことはできない。だからこそ、何百年ものあいだ、戦争は行われてこなかった。
(なのに魔人と名乗ったヒト型は、ジェフさんをあんなに惨いやりかたで、殺してしまった)
そこでアリスは、あることを思い出す。魔人は確か、自分たちは【裏次元】から来た、と言っていなかったか。
かなり走ったので、アリスは立ち止まる。
市街地の中でも、ひと気のないところまで来た。さっきの魔人も、もう見えない。
「ねぇトーマス。ありえると思う? トーマス!」
まだメソメソと泣いているトーマスを、アリスはビンタした。
「え?」
「しっかりしてよ、トーマス。いい加減に──」
とたん、影がアリスとトーマスをおおった。
ハッとして見上げると、影を作ったものが分かった。
先ほどの魔人だ。いつのまに追いかけてきたのだろう。
「お前たち、さっき殺した男の知りあいのようだな」
アリスは悲鳴をあげようとした。だが先に、隣のトーマスが悲鳴をあげだす。
これで逆に、アリスは冷静になった。
(とにかく、話し合いよ。話し合いを──)
「あの、あたし達は──」
話し合おうとして、アリスは凍り付いた。魔人が右手にぶら下げているものに、ようやく気づいたからだ。それは何個もの生首だった。
アリスとトーマスを追ってくる前に、手あたりしだいに、市民を殺したようだ。そして首を切断し、髪をつかんでぶら下げている。戦利品として。
(ダメ。コレに、話し合いは、無理──)
ふいにアリスの後ろから、槍が飛んできた。
槍の穂先が、魔人の右肩をえぐる。
「くそっ」
魔人が動じた。どうやら、ダメージは受けるらしい。
「今よ!」
アリスはトーマスの手を引っ張り、魔人に背を向けて走り出した。
いつの間にか駆けつけていた、騎士団一個小隊の後ろへと。
さらにこの小隊は先遣隊でもあったようだ。さらに騎士団員が駆けつけてくる。その数は、ぜんぶで250人近く。一個中隊というところか。
トーマスが安堵の吐息をつく。
「良かった! これで僕たちは助かったよ! 騎士団なら、あんな化け物、いちころさ!」
「そ、そうね」
確かに。この数ならば、あの魔人は倒せそうだ。不意打ちだったとはいえ、投げ槍でダメージを与えたのだし。
そのときだ。
新たな光源が、魔人のそばに落ちた。
新たな光源から現れたのも、魔人。しかも、額にツノを生やしている。
もとの魔人が、とたん跪いた。
「閣下!」
どうやらツノ付きの魔人のほうが、位が上のようだ。
ツノ付きの魔人の視線が、こちらに向けられた。虫けらでも見るように。
とたんアリスは、確信した。この騎士団中隊は、すぐに全滅すると。新たに現れたツノ付きの魔人によって。
アリスは、トーマスの耳元で声をおさえて言った。
「逃げるわよ、トーマス。死に物狂いで!」