2.お友達が遊びに来ました
猛烈で衝動的な恋に落ちて早どれくらいの時間が経ったのだろうか。
あれからアノ人が話しかけてくることは無かった。真剣な顔をしてまた文字を書き始め、何度かこちらを見たけれどそれ以上はない。慈愛に満ちた眼差しをもう一度受け止めたい、というワタシの気持ちにはどうやら気付かれなかったようだ。
恋というものを姉が恍惚とした表情で語らっているのがわからなかったけど、今ならわかる。見るだけで心が満たされていくような、指先まで痺れるような甘さ。
離れていると会いたい気持ちと、会うとうまく頭が働かないような気分。この人のためならなんでも出来るようなーー、
ぐぅ〜〜〜。
お腹が鳴った。水の中で響くことは無い。だけど周りから見られていないか小恥ずかしくてちらりと周囲を見る。幸いニンゲンがあまりいない様だ。
そういえばお腹が空いた気がする。普段はご飯に有りつけないことも頻回にあるけれど、動けなくなった頃に兄がマグロを持ってきてくれていたので困ったことは無かった。
できれば小魚がいいと伝えたこともあったがチマチマと持ってくるのが面倒くさいのと捕まえにくいからと却下されてしまったことがある。
もう一度鳴り出しそうなお腹を撫でながら、そういえば自力で捕まえた小魚は色の着いた子ほどマズかったことを思い出した。
空腹を紛らわすためにくるりと回ってみる。
床は絡まないように回転する仕組みになっているらしく鎖はふわっと追いかけてきてはゆっくり降りていく。初めて気付いた時は感動してしまって何度も回ってみたのだが、吐きそうになってしまい少しはしゃぎ過ぎたと反省した。
暇と空腹を持て余しているとニンゲンが数人集まってきた。
どうやら何かを抱えている。透明な容器、あれは瓶だろうか。落ちているのを拾ったことがある。
やや上に集まっているようだったのでそちらを見たのに目が眩むくらいの光が射し込んできて思わず顔を逸らす。
焦点が合わないうちにポチャン、と何かが落とされた。
落とされたものに視線を向けると、……え、エビ……?
どういう意図だろう。
落とされたエビは足をバタバタさせながら必死に体勢を立て直そうとしながら叫んでいる。
「オワァァア!!なンダ!?たッ、助かっタ!?」
ここの状況を把握してきたワタシからしたら何も助かっていないように見えたが、本人がそう思えたなら何よりである。
「別に、助かってはいないわよ」
「ギャッ!?……なんだァ、深海の令嬢ミリィかい……」
「まぁ!失礼ね。ワタシの顔を見るなりガッカリしないでくれるかしら。そもそも、ワタシはあなたのこと知らないわ」
親切のつもりで教えてあげたのに、明らかにワタシに気が付いて落胆している。しかもどうやらワタシのことを知っているようだった。深海の令嬢ミリィとは紛れもなくワタシのことだからである。
兄姉たちに都度マグロ等を持ってこられては目立っていたのだろう。海では自分で食事にありつけなければ生きていけない。なのに大層手を掛けてもらっていたおかげでいつの間にか不名誉なあだ名が付いていた。
しかしどこのエビだか存じないが、顔見知りとあれば少しだけ心強い。これがどういう状況なのか知れるかもしれない。
「ねえエビさん。ここは一体どういうところなの?」
「知らナイよ!ニンゲンに捕まっテ狭いトコろに閉じ込められたと思っタらアンタがいるところに来たンダ」
何の役にも立たない情報だった。
隠しきれずに肩を落とす。ちょうどいい所まで来たので優しさで手のひらに乗せてあげると安心したようで礼を言われた。満更でもないので指先で背鰭を撫でる。
「マァ、でも、誰かいるのは安心シたヨ」
不躾なことを言っておきながらよくもまあヌケヌケと。しかしながら同様のことを思ったのも事実なので笑顔で頷いておく。
そろそろまたお腹がすいてきた。でもエビはご飯にならない。美味しくないし、共生関係にもある。少し恨めしげに見つめてしまう。そんな気持ちを余所にエビは暢気に自己紹介を始めた。
「おレはアリエルド。お前さんハどうシてココにいるンだ?」
エビ、もといアリエルドの名を聞いてもピンとこない。派手な名前をしているので知っていたら忘れないはずなのにと思っていたらワタシの名前だけが一人泳ぎしているらしかった。
アリエルドとは会話の周波数が違う様で、聞き取りにくさを感じたので指摘する。すまんすまん、とよくよく考えたら非はないのに謝って合わせてくれた。
「ここはケンキュウシツって言うらしいわ」
「ヘェ、それは一体ナンダ?」
「知らないの、ワタシも気が付いたらここにいたから」
「そんだけデカい体しといてか……?」
アリエルドからしたらそうかもしれない。でもマグロもサメもクジラも捕まってしまうのだ。ワタシたちが捕まっていなかったのが不思議なくらいである。
実は慣れて少しだけ外の会話が聞こえてくるようになったので会話を聞いていたら理解できていないものもあるが単語を聞き分けることができるようになってきた。
ニンゲンたちは〝ケンキューイン〟と言うらしい。その中でも〝ニンギョ〟〝カンサツ〟〝スバラシイ〟〝シュヒギム〟は何度も繰り返すので覚えた。
その他はイマイチまだわからない。
空腹の主張が段々激しくなってきた。いざとなれば食べてみるか、と真剣に悩んだけれど、やっぱりエビは美味しくないので辞めた。それに口の中を綺麗にしてくれるので正直ありがたい。
気付かないうちにもう一度ポチャン、と死にかけらしき赤い魚を落とされる。今度は話しかけてくる気力もない様子だ。
どうやらケンキューインは食事を落としてくれているみたいだった。
これもそんなに美味しくないんだけど、贅沢は言ってられない。
噛みちぎるための尖った歯で魚をしかめっ面で食いちぎる。赤い液体がじわりと水に溶けた。
「アリエルド、ご飯、半分こね」
「了解だァ。俺も腹減ってるから急ぎで頼むぜ」
食べきったあとにカパッと口を開ける。アリエルドがいそいそと口の中へやって来て、引っ掛かった食べカスをつまみ出す。
口を閉じないようにしながら空腹を凌げたことに安堵する。
前途多難。どうしてアリエルドも来たのかわからないけれど、とりあえず食事が貰えることがわかった。飢え死ぬことはなさそうなので一安心できる。
それと好きな人が居るとはいえ、正直心細かったのでお友達ができて何よりだ。
顔が緩んで、ニンマリしてしまうと、アリエルドが焦った声で口を開けろと叫ぶので慌てて口を開け直した。