7 だいきらい
勇者様、勇者様と人々が騒ぐ度に、リンは思う。
人々が夢想するような勇者なんて、いるわけがないだろう。人々のために戦って、人々の幸せが自分の幸せで、その為に命をかけられる。そんなの人間じゃないし、勇者を神の遣いだと言い訳したって無理がある。
だって、「勇者」は、ただのクソガキだ。人よりちょっと運動神経が良くて、その分ガキ大将で。リンのスカートを捲っては、毛糸玉を投げつけられて逃げ回るような、そんなどこにでもいる子どもだ。
甘いものが好きで、野菜が嫌いで、友達と遊んでいるのが1番大好きで、お手伝いが大嫌いな、元気溢れるただの子供だ。
父親に少しは家の仕事を手伝えと怒鳴られ、母親に泥だらけの服を見つかって拳骨を落とされ、それでも懲りずに悪戯を考え、偏屈老人に剣を教わりに飛び出ていく。
そんなレオが、突然いなくなったのだ。
レオは神様に選ばれた勇者様なんだと、魔王を倒す為に戦わなければならないのだと、その為に旅に出たのだと告げられた。意味が分からなかった。
だってあいつはただのガキで、たった数日前、リンと冒険と称して突撃した森の中で、きらきらと綺麗に輝く剣を、おれたちの宝物だと笑い合いながら持ち帰ったばっかりで。
だから、そんな、勇者の証だなんて、しらなくて。
……自分が言いだした冒険のせいで、レオが勇者になってしまった、だなんて。
悪い、冗談のようだったのだ。
***
──明日の祝福は、ちゃんとやれよ。国のお偉いさんが来るから、今日みたいな感じだと、殺されっぞ。
そう言って、レオはどこかへ去っていった。泊まっていけば、というリンの昔のままの誘いに、レオは薄く笑って首を横に振る。
──出来るなら、おれもそうしたいんだけど、な。
その言葉に、リンはますます勇者が嫌いになった。
***
明くる日の早朝。全ての村人が各々の家の前で跪き、勇者を今か今かと待っていた。
勇者が家を1つ1つ周り、人々が勇者へ祈りの言葉を、勇者が人々へ祝福の言葉を。そうして希望を分け与える、という「儀式」が執り行われて、勇者の訪問は終了となる。
リンは冷め切った気分で、家の前に佇んでいた。儀式というのは、神殿の仕事じゃないのか。折角着いてきている聖女はお飾りだとでもいいたいのだろうか。ばかばかしい。
歓声が次第に近付いてくる。レオの警告に従うなら、そろそろ跪いて到着を待つべきなのだろう。けれどリンは、真っ直ぐ地に両足を付けて立ったまま、顔を上げて勇者の来訪を待った。
やがて、太陽が真上に近付いた頃。
歓声が直ぐ側まで来たなと思ったら、足音が聞こえてきた。幾重にも響く物々しい足音に顔を向ければ、騎士隊と、いかめしい顔をした文官らしき人達、さらに勇者の旅のパーティが勢揃いで歩いてきていた。勇者は中心で、一際煌びやかにみえる。リンは、思わず顔を顰めた。
リンの家の周囲は、少し人気が少ない。だから、彼らがリンの家へと真っ直ぐ向かっているのは自明であり、彼らがリンを見とがめるのも当然の流れで。
ぐっと表情が強張るのは、騎士隊と文官。視線だけで射殺しそうな彼らの気迫にびくりと肩が震えたけれど、リンはぎゅっと歯を食いしばって耐えた。
だって、リンは勇者が嫌いだ。
何で嫌いな相手に、頭を垂れなければならない。勇者を祭りあげた人々に、膝を付かなければならない。大嫌いなものばかりなのに、何を感謝しろというのだ。
役人も騎士も嫌いだ。あいつ等が戦争を長々と続けていたせいで、魔物が生まれて世界が滅びかけたのに、いざ勇者が旅を始めた途端、挙って戦争そっちのけで勇者に手を貸し始めた。勇者がもたらす恩恵を、権力を、我が物にしようと媚びへつらった。
王女を付けたり、聖女を付けたり。あからさまに、辺境の村出身の初心な青年を騙して絡め取ろうとして。勇者の威光をあたかも我が物のように扱って、勇者が魔王を斃してくれた後も、こうして利用し尽くすような連中だ。自分達の所行を棚に上げて、さも正義の味方面をする彼らには、反吐が出る。
彼らがいるからこそ、リンは勇者が大嫌いだ。
そう思って、睨み返そうとして──ふと、リンは勇者の顔が目に入ってしまった。
リンを見て、静かに目を細めて。穏やかに、哀しげに、優しく笑うその顔に、リンは泣きそうになった。
違う。勇者なんて知らない。こんな顔をして笑うその表情も、すっかり声変わりして低い声も、逞しい腕も、リンは何一つ知らないのだ。
ああ、ああ、本当に。
ぐっと目を閉じて、涙を堪えて。きっと顔を上げたリンは、リンの目の前に来て佇む勇者に、静かに膝を折った。腹と喉に力を込めて、震えそうになる声を押し出す。
「勇者様の勝利に感謝を。平和を、ありがとうございます」
レオが、リンの生活を救ってくれた。レオが、リンが生き延びる為の世界を守ってくれた。本当に、本当に感謝している。
でも、勇者も、勇者を勇者にした人達も嫌いだから、リンが跪くのはこいつだけだ。
「……そして、祈りを」
祈るのも、こいつだけ。
「どうか、──どうか、これからも、ご無事で」
語尾が、震えた。駄目だ、最後まで頑張れ、とリンは自分を叱咤する。
「どうか……、また、帰ってきて──レオ」
「…………」
息づかいが聞こえる。それだけで、分かる。レオが泣きそうなのを必死で堪えていると、分かってしまう。だってリンは、レオの幼馴染みだから。ずっと、生まれてから15年間、一緒にいたから。
だから、リンは勇者が嫌いだ。
「……祝福を。これからも貴女の行く道に、幸多からん事を」
掠れた声が、頭上から落ちてくる。名前を呼んでくれない「勇者」に、リンは堪えきれず目を閉じた。ぱたぱたと、熱いものが地面に滴り落ちる。
だからリンは、勇者が大嫌いだ。
だって勇者は、たった5年で、リンから幼馴染みを──大事な想い人を、奪っていったから。