3 冒険
翌朝、早朝に起き出したリンは、鼻歌交じりに弁当を準備した。
「楽しそうねえ」
「わっ、母さん」
リンと同じ榛色の瞳を持つ母親が、リンを生温く見ていた。視線は手元の弁当に注がれていて、リンはわたわたと手を動かす。
「あのね、母さん、これはその」
「レオ君と、でしょ。あんたたち2人とも声が大きいんだから、まる聞こえよ。道を外れないで、気を付けていくのよ」
「……はあい」
「あと、魔物がこの辺りに出たって情報はないけど、油断しちゃ駄目だからね。とはいえ、リンも分かってあの森を選んでるんだろうけど」
母親に指摘された通り、リンが今から向かう森は、世界情勢を考えると不思議なほど魔物が出ない森だ。レオの両親が木こりに出かけても、仕事仲間も誰1人襲われた事すらない、村人の中には神様の森とまで呼ばれるような恵みの森だ。この森がなかったら、村はもっと食糧難にあえいで、危険な村の外へと買い出しに出かけなければならなかっただろう。
「とはいえ、獣は出るんだし、毒のある草も少なくないんだから! 明るいうちに帰ってこられるよう、奥まで行っちゃ駄目よ」
「はあい」
腰に手を当てて忠告する母親に素直な返事を返して、リンは首をすくめた。
***
すっかりばれてしまったリンは、潔く母親に声をかけてから出発した。
「おばさん、流石だな……」
「本当に、ばればれだったわ」
微妙に引き攣った顔のレオに頷いて見せて、リンは溜息をつく。まだまだ2人にとって、親というのは逆らっても絶対に敵わない、という相手だ。
「ていうか、ちゃんとした剣までもらってたんだ」
「だから言ったろ、トール爺の覚えが良いんだよ」
ふふん、と胸を張るレオの腰には、やや古びた剣が一振りさげられていた。トール爺に譲られたものだが、きちんと手入れをされた中古の剣は、獣相手くらいならば十分な切れ味を保証する一振りだ。
「ま、獣なんて出会わないのが1番だけどね」
「……まーな」
レオがぶすっとした顔になるのを見て、リンは呆れ顔になった。
「男の子って……何でそんなに血の気が多いんだか」
「うっさいな。リンだって冒険楽しみなんだろ。弁当なんか作ってるじゃん」
「うっさいわね。お昼までに帰れる保証はないんだから当然の備えよ」
リンが背中の布袋に詰め込んだお弁当は、森の中でも食べやすいようにあれこれ工夫した自慢のお弁当だ。そんな努力はおくびにも出さず、リンはレオとやいのやいの言い合いながら、森の細い道を進んでいった。
「あ、これこれ」
リンはかがみ込んで、目当ての薬草を摘んだ。辺りを見回して、群生していないかと目で探す。
「レオ、そっちは?」
「おー、あるぞ。リンとこも結構あったろ」
「……レオって、これだけはきっちり探し出すわよね」
手伝いも嫌がりがちなレオだが、時折森に出かけて薬草を採っているリンと同じ位、森の中では目が利く。きのこの毒の有無なども、僅かな特徴の違いをきっちり見分けて採集するのだ。
「んー、なんかこう、わかんだよ」
「へんなの」
「うっさい。さっさととるぞ、遅くなる」
「分かってるわよ」
その後もせっせと薬草とついでに食用キノコを採集し、2人は手近な切り株に腰掛けて昼食と洒落込んだ。
「これ、おじさんが切ったのかもね。切り口が凄く綺麗」
「かもな」
どうでも良さそうに相槌を打って、レオはパンを手頃な大きさに切って、具材を挟んだものにかぶりついた。リンが作ったそれにろくろく感想は言わず、けれどがっつく様子に、リンは少し頬を緩めて自分の分に手を付けた。
「……魔物、か」
「え?」
ふと呟いたレオの言葉に、リンが首を捻る。レオはリンを見ないまま、遠くを見透かすような眼差しをしていた。木漏れ日を受けた木の葉の色をした瞳が、深く沈む。
「いや……この村は平気だけど、あちこちで村が全滅するような被害が出てるんだよな、ってさ」
「……そんなの、私達にはどうしようもないでしょ。国のお偉いさんが、きっと頭を悩ましてるわよ」
「お偉いさんが被害を直接受けなきゃ、意味ねえ気もするけどな」
がぶりとパンにかぶりついて、レオが吐き捨てる。リンは少し驚いてレオを見直した。
「あんた……そんな事、いつの間に考えるようになったわけ」
「トール爺の受け売りだよ、どうせ。でも、……うちもいつまでも無事とは限らないし、気になるだろ」
「……まあ、ね。でも、どうしようもないから、私はあんまり考えないようにしてる」
手元のパンに視線を落として、リンはぽつりと言う。
「おとぎ話の勇者様が、全部解決してくれれば良いのにね」
幼い頃、親に寝物語で聞かされた、巨大な悪を正義の剣で倒す物語。キラキラした目で素直に憧れたあの頃とは少し違うけれど、それでも、今この瞬間も殺されている人が居ると思うと、つい願ってしまうのだ。
誰か、悪い奴をみんなやっつけてください、と。
「そんな都合の良い話があれば、おれだって縋りたいよ」
苦笑混じりに返された言葉に、リンは瞬いて顔を上げた。
「自分が勇者になりたいとは思わないのね」
「んー、ガキの頃は憧れたし、今でもまあ、憧れないと言ったら嘘になるけどよ。……そこまで強くないよなあ、って」
「へえ」
「だって、大抵勇者ってさ、1人で敵と立ち向かうじゃん。流石にそれは怖いなって、トール爺に剣を教わって思った」
冷静な言葉に、リンはなるほど、と頷いた。改めてあの偏屈じじいが、悪ガキばっかりを集めて剣を教えている理由が分かった。
「獣相手するのだってめちゃくちゃ大変なんだよ。すげーよ、騎士様って。今でも沢山の魔物を相手にしてるって、すげーことだなって思う」
「そうねえ、ありがたいわ」
そう言って、リンは最後の一口を口に押し込んだ。一緒に持ってきた水を飲んで、立ち上がる。
「さて、そろそろ帰るか」
「おう……ん?」
レオがふと、何かに気付いたように顔を上げた。腰を浮かして、ふらふらと森の奥へと体を向ける。
「ちょっと、方向音痴にも程があるわよ」
「ちげーよ、なんか今ちかって光ったから……」
レオの答えにリンは首を傾げた。光り物が好きな鳥が巣に溜め込んでいるのだろうか。しかし、その程度の光なら、森に入り慣れたレオが気にするはずもない。
「なになに? あんまり遠くないなら行ってみる?」
「……リンってそーゆーとこ、怖い物知らずだよな」
「何を今更。レオだって目がきらきらしてるわよ」
リンが指摘してやると、レオは頬を少し染めてそっぽを向いた。けれど、ぶっきらぼうな声で言ってくる。
「足元、気を付けろよ」
「りょーかい」
藪を切り払いながら慎重に進んだ2人は、やがて唐突に開けた場所に辿り着いて、立ち尽くした。
「……なんだこれ」
「……聞いた事、無いわよ」
呆気に取られる2人の目の前に広がるのは、澄み渡った泉とその淵にそびえ立つ巨木。水の流れる音が異様に響くのは、さっきまで無意識に耳に入っていた虫や鳥の声が聞こえないからだろうか。
そして。
「で。何あのぼろいの」
「さあ……剣、だろ」
泉の手前に、泥だらけのサビだらけで転がっている剣。よくよく見れば装飾もされていて立派そうなのだが、如何せん鞘も柄もすっかりぼろぼろになっていて、レオが今腰に下げている物と比べてすら「ただの棒きれ」としか言えない代物だった。
「光は……泉の反射かな」
「そうじゃない? ……というか、なんでこんな所に剣が落ちてるのよ」
「おれに聞かれても」
恐る恐る近寄った2人は、つま先で剣をつついた。剣がごろんと転がると、柄の赤い石がきらりと光った。
「あ、光ってたのこれか」
「これね……抜けるのかな」
ふと気になって、リンが鞘を、レオが柄を持って脚を踏ん張る。せーのの合図で互いに力を込めると、錆び付いた見た目を裏切りあっけないほど簡単に抜けた。勢い余って、2人揃って尻餅をつく。
「いったあ……って、うわ」
「おお……」
レオは勿論、リンまで言葉を失うだけの光景だった。ボロボロだった鞘や柄から、てっきりサビついて使い物にならない骨董品が出てくるかと思ったそれは、木漏れ日を弾いてうっすらと美しく輝いていた。
「すげえ、良い剣だぞこれ」
「あ、やっぱり? 素人目でも綺麗よね」
「たぶん、相当切れ味やべーと思う……触ったらすぱっといくぞ」
まじまじと眺めながらレオと言い合ううちに、リンはじわじわと笑いが込み上げていくのを感じた。顔を上げると、案の定レオも似たような顔をしている。
「……ねえレオ」
「だよな」
顔を見合わせて、レオとリンは思わず笑い出す。軽やかな笑い声が響き渡った。
「なんかこれ、すっげーおとぎ話っぽい! 出来ればもっとそれっぽく、石とかに突き刺さってれば完璧!」
「あったあった、勇者様が聖なる剣を引き抜く場面! 母さんてば、「外に置いてたら錆びてるに決まってるわよね」とかいってレオ半泣きだった!」
「夢潰しにかかる寝物語、懐かしい!」
箸が転がってもおかしい年頃の2人は、けらけらとしばらく笑い続けていた。存分に笑い倒してから、レオがひょいと剣を拾った。
「折角だから、持って帰ろうぜ。おれたちの冒険の記念ってな」
「棒拾って持ち帰るガキの発想じゃない。でも、石は外して綺麗に洗ったら売れそうよね」
「リン、現実的すぎ……」
レオがちょっとうんざりした顔をしてから、剣を慎重に鞘に戻す。そうして2人は顔を見合わせて、また少し笑った。
「じゃ、私達の秘密って事で」
「だな。うし、帰るか」
この日、余計な冒険をした2人は、心配し始めていたリンの両親に揃って拳骨を落とされる羽目になったが、予期せぬ冒険に興奮していた2人は、それすらも楽しいとばかりに笑い合った。そうして、翌日レオの両親が帰ってきて、レオはいつものように引き摺られるように家に帰っていった。
──いつもどおりのやり取りが、これで最後になるとは2人とも夢にも思わずに。