2 約束
「よい……しょ」
水をたっぷり含んで重くなった衣類を詰め込んだ籠を、リンは慎重に背負う。たたらを踏みかけて、洗濯場の石を掴んで体を支えた。
「リンちゃん、大丈夫? 気を付けなよ」
「大丈夫! ありがとうございます!」
心配して声をかけた近所の中年女性に笑顔でお礼を言って、リンはぐっと体の芯に力を入れる。しゃんと背を伸ばして歩き出して少しもしないうちに、リンは籠をぐいと引っ張られて尻餅をついた。
「きゃっ!」
「ぷっ、にっあわねえ悲鳴」
この声は、ときっと顔を上げたリンは、にやつきながら見下ろしてくるレオに噛み付く。
「ばかレオ! 洗濯物が汚れたらどーするのよ!」
「籠に洗濯物入れすぎてひっくり返す常連が、何をえらそーに」
けっと笑うレオに、リンはむぐと口を閉じた。1度で運びたくて籠に詰め込みすぎ、結果的に泥だらけにして母親に呆れられたのは、1度や2度のことではない。
「だ、だって洗い物嫌いだし……っていうか、だったら運んでよ、はい!」
ぐいっと籠を押しつけられたレオは、あからさまに嫌そうな顔をした。
「なんで、おれが」
「へー、そういう事言っちゃうと、3日前におじさんお気に入りの酒樽をひっくり返した「動物」の正体ばらすわよ」
「おっまえなあ……」
脅しにかかったリンに、レオは渋々と籠を背負う。背丈はまだそんなに大きな差が無いのに、こうして重たい物を背負うと体格差を自覚させられて、リンはなんだかむかついた。
「図体ばっかりでかくなって、むかつく」
「運ばせといて文句言うかよ。泥だらけにするぞ」
睨み合い、ふんと顔を背ける。そのままリンの家へと通い慣れた道を歩く途中、レオが思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ。今日からしばらくまたリンの家だから」
「あ、そ。力仕事よろしく」
「そればっか……トール爺んトコは行かせろよ」
「手伝いやれば良いんじゃない。……というか、最近通い詰めでしょ? おじさん嘆いてたよ、木こりに剣を振るスキルはいらないでしょ」
ここ最近、レオは父親に殴られようがリンに怒鳴られようが、村はずれの寡黙な老人の元へ通い続けていた。トール爺と呼ばれる老人は、かつては名うての冒険者だったとかで、剣の扱いが上手い。元気のあり余る若者に、エネルギー発散も兼ねて剣の扱いを手ほどきするのは、トール爺の日課でもあるのだが、それにしたって最近レオはそこにばかり行っている。
「良いだろ別に。トール爺に良く褒められるぜ、筋が良いってさ」
「そりゃレオは元々運動神経が良いし、元気だけが取り柄だけど。だからと言ってお手伝いのサボる回数が増えてるのはどーなのよ」
「そんなの、おれの勝手だろ」
「ガキなんだから」
はあ、と溜息をついたリンをちらりと横目で見て、レオはぼそりと言った。
「……戦いたいんだよ」
「え?」
唸るような声で、リンには良く聞こえなかった。聞き返すと、レオはぷいと顔を背けて言う。
「魔物が増えてるだろ。魔王が現れたとかなんとか、噂もあるし……うちの村だって、いつ襲われてもおかしくない。リンだって、おじさんとおばさん、心配なんだろ」
「……」
リンは、ぎゅっと口を引き結んで俯いた。魔物は村や町を繋ぐ道で人間を襲う事が多い。織物を売りに街まで出かける両親が、それに襲われないとは限らないのだ。
「だからさ。せめて、村を魔物が襲ったら、おれは戦う側にいたいわけ」
「……子どものくせに、口だけは大きいんだから」
男の子だからさ、とレオが言うのに、リンはそれだけ言い返し、足を速めた。
***
その日の夜。夕食が終わり、寝支度をしたリンは、聞き慣れたコツン、という音に窓を勢いよく開けた。窓の縁を叩いたレオが、びくっと肩を跳ねさせる。
「なんで驚いてるのよ、レオ」
「あのな、それ下手すると外の人間吹っ飛ばすぞ」
「レオは分かってて距離とってるんだから問題ないでしょ」
「そうじゃ……はあ、まあいいや。で、わざわざ呼びだしてまで、何の用だよ」
何故かリンを見もせずに聞くレオに構わず、リンはずいと身を乗り出す。
「レオ、明日森に行こう」
「は?」
「薬草がなくなったのよ。明日行けばおじさん達と合流出来るし、それなら獣も安心だし、木こりが通る道なら足場もしっかりしてるし」
「いやいや、何言ってんだよ。さっき魔物の話をしたばかりだろ」
「だから」
リンは建物のハンデで視線が同じ高さになったレオに、にっこりと笑った。
「あんたが私を守ってよ。剣の腕に自信があるんでしょ?」
「……」
「ふふ、冒険みたいね」
楽しそうに笑うリンに、レオはがしがしと燃えるような赤髪を乱暴に掻きむしった。
「あーもう……」
「何よ、口だけ?」
「なわけねーし。朝の準備が一段落して、おばさんたちが仕事に行ったらな」
「了解。じゃ、また明日」
「おう、おやすみ」
ひらひらと手を振り合って、リンは既に彼専用となった客間に戻っていくレオを見送った。