11 取引
何とか自分を励まして立ち上がると、フェリシアは残念そうな顔になる。それを見て、リンは頑張って良かった、と思った。
……それにしてもこのフェリシアという女性、織物に携わるリンが思わず手にとって触れたくなるくらい、見事な刺繍が施された布地をたっぷりと使ったドレスを纏っているのだが、なんで人1人抱えてあんな速度で走れるのだろう。リンは素直に不思議に思った。
促されるまま馬車に乗り込むと、両隣をフェリシアと聖女様に挟まれる。リンは、疲れた顔であとから乗り込んできたレオに、縋るような目を向けた。
「レオ──」
「無理。おれ、そうなった2人を止めるとか、無理」
悟りを開いたような顔で言い切って、レオはリンの真正面に腰を下ろす。そちら側にはあと2人、既に先客がいた。
そのうちの1人、ゆったりとした乗馬服らしきものに身を包んだ女性が口を開く。
「フェリ、アナ。その娘は?」
「素材です!」
「身代わりです!」
「なんて!?」
物騒どころではない台詞が両隣から飛んだ。思わず声を荒らげたリンに、乗馬服を纏ったブロンド髪の女性がひたりと視線を当てる。目のあったリンは、思わず見惚れた。
(綺麗……)
髪と同色の、濃紺の瞳。ずっしりとした重厚さを持ちながら、軽やかな光を発する不思議な瞳の色は、一目でリンを魅了した。
(すごい、父さんが御貴族様に献上した織物より滑らかな髪に、母さんが織物に織り込んでた天然石より綺麗な瞳……こんな綺麗な色あるんだ……って、ん? 濃紺って……)
「……お、王女様! 失礼いたしました!!」
王族を前にしてぼんやり眺めていたという最大級の不敬に、リンは青醒めてその場で身を投げ出そうとした。が、両側から伸びてきた腕に引っ張られて、元の座席に戻る。
「うふふ、素直な性格が可愛らしいですわ。貴女にとって、私達は幼馴染みを奪った泥棒ですのに」
「あら、そういえばそうなっちゃうわね」
目を白黒させるリンと、両脇で自由に会話する2人を見て、王女様は溜息をついた。
「話が進まない、フェリもアンも少し落ち着いてくれ。それで、貴女がレオの幼馴染みなのだな」
「は、……はい」
取り敢えず状況を説明して欲しい、とリンは本気で思った。一体何がどうなって、今リンは王女様と至近距離で会話しているのだ。
「……殿下。少々、自分とレオで、状況の説明をさせて頂いても?」
「うむ」
王女様が鷹揚に頷いたのを見て、馬車に乗る最後の1人がリンに目を向けて話し出した。リンも、この赤銅色の肌をした男には見覚えがある。レオが洗濯場で話しかけてきた時、側にいた男だ。剣術の指南役だったか。
「突然、驚かせたな。自分は、レオに剣を教えたウィリスという。端的に言うと、君は聖女様と巫女様に気に入られて掻っ攫われてしまったんだ」
「うん、ウィリス。それじゃあ説明になってない」
レオが溜息混じりに駄目出しをして、リンに視線を向けた。灰色の目をしばたかせるウィリスを余所に、レオが情けない顔でリンに話しかけようとして。
「あのな、リン──」
「レオ様が話すとややこしくなるわ。黙ってて」
「……ハイ」
ぴしゃりと声を出したのは、聖女様だった。死んだ目で口を閉じたレオに変わって、聖女様はリンににっこりと笑いかける。
「リン、だったわね。私はアナスタシア。人々は聖女だなんて呼ぶわね。──率直に言うわ。リンには、私達と取引をして欲しいの」
「と、取引……?」
「私ね、結婚するなら自分の理想の殿方と結ばれたいの」
強い意思を持って放たれた言葉に、リンは思わず息を呑んだ。真剣な光を浮かべる青の瞳は、真っ直ぐにリンを覗き込んでいる。
「教会は聖女である私にレオ様の鎖役を求めてくるけど、まっぴらごめんよ。それに、凱旋した勇者が村で無事を祈り続けた幼馴染みと結ばれる……という結末だって、王女様と結婚するのと同じ位の話題性がある」
「ええ、幼馴染み特有のお互いに分かり合っている落ち着きと、それでいて知らない顔に戸惑う様子というのは、それだけで完成した絵画ですわ。そこに勇者というスパイスが加わることで、素晴らしい──」
「フェリ、語るのはあと。……見て分かるように、フェリはリンとレオ様の関係を応援することに積極的なの。勇者の誕生を占った張本人である巫女様が応援するのよ、神の託宣と言っても通用するでしょう」
「……巫女、様」
リンも、その肩書きは知っている。神の声を聞き神の意思を地上に降ろす役割を担う巫女もまた、折に触れて勇者に助言をしていた、と。戦いに参加することはなくとも、直接神から知らされる魔物の情報は、勇者達が民を助けに行くのに、たいへん役に立ったのだという。
目の前の女性の、抜けるように白い髪に、紅の瞳は、確かに巫女様の特徴として語られている者と一致していた。
「そして、ここにおわすは、この世界の半分を支配すると言われる国の第一王女様よ。戦力と権力と宗教とおとぎ話が重なれば、村人と勇者が結ばれるなんてチョロいもんでしょう」
聖女様が言っちゃならないことを平然と口にして、唖然としているリンを覗き込んだ。
「貴方が、ここから先の私達の旅で、ちょっとばかり、おとぎ話の幕引きまでをお手伝いをしてくれるなら。……「勇者」を、返してあげるわ」
「!」
「悪くない取引だと思わない?」
目を見開いたリンに、アナスタシアはにっこりと笑う。目を見開いたまま、リンはゆっくりとレオの顔を見た。