9 見送り
そうこうしている間に、出立の支度は済んだらしい。煌びやかな衣装と鎧を纏った勇者が歩み出ると、わっと歓声が湧き上がった。それに応じる勇者に、黄色い声も混じる。
「人気ねえ」
「そうだね」
「人気だな……」
先頭で勇者が近付いてくるのを待つリン達3人は、それだけ言って黙り込んだ。身内ならではの一体感がその場に漂う。
すなわち、──あいつのどこがイケメンなんだろう、と。
確かに赤髪も緑の瞳も鮮やかで人目を引くが、顔立ちは良いとこ中の上ではなかろうか。実際、5年前まではきゃーきゃー言われる経験皆無の、泥だらけ少年だったのだ。
(いや、確かに背が伸びて肩ががっしりして、頼りがいのある感じにはなったけど。いや実際頼りどころじゃないのか、魔物吹っ飛ばすんだし。あれ、ていうかレオって魔法とか使えたんだっけ……?)
「リンちゃん、声に出かけてるわよ」
「おっと」
レオの母親に指示に呻いて、リンは慌てて口を塞いだ。不敬罪で目を付けられるとマズかろう。
そうして改めて勇者を見ると、両脇を固めるように立つ女性2人が目に入る。白い服に顔もボディラインも隠れ、フードからきらきらと輝く金髪がこぼれ落ちている方が「聖女」か。そして、同性のリンが憧れるほど美しい身を乗馬服のようなもので包む気品ある女性が王女様だろう。
(……いや、てゆーか王女様ちかっ。こんな近くで見るの初めて……!)
慌てて跪きつつ、リンはそう思った。王家の証である濃紺の髪と同色の瞳は、真っ白な肌を一層引き立てる。重々しさすら感じさせる静謐さを湛えた気配に、息が詰まりそうだ。
聖女も王女も、旅先だからだろう、その貴き身分を思えば信じられないほどの軽装だ。が、その身から放たれる気品が、何よりの装飾となって、2人を一層引き立てていた。
こんな2人に常日頃ひっつかれてたら、レオもそこんじょそこいらの女性では目を奪われないだろう。なるほど、国や教会が初期から2人を旅に連れさせていた理由がよく分かる。……ちょっと面白くない、とリンは密かに唇を尖らせた。
いっそのこと、カエルを掴んでリンに投げつけようとして、毛虫をわし掴んだリンを見て泣きながら逃げていったエピソードでもばらしてやろうか……などとあらぬ方向に思考がむきかけたリンは、直ぐ側で立ち止まる気配に我に返った。
「……貴女が、リン?」
「っ!?」
悲鳴を呑み込んだ自分を誰か褒めて欲しい、とリンは思う。何故にこの場面で、聖女様から声をかけられるのだ。
「は……はい」
「そう。レオ様から聞いているわ」
にこり、と微笑む気配がしたが、リンは俯いたまま固まっていた。吹き出すのを堪える気配を敏感に捉えたが、それにイラッとする余裕すらない。
「可愛らしい幼馴染みなのね、レオ様」
「……そう、ですね」
(レオ、何を話した!)
ついでに、その微妙に震える声は何だと言いたい。あれか、昨日は堂々と仁王立ちして役人に喧嘩を売った癖にと言いたいのか。
リンだって、勇者以外に跪くなんてごめんだ。けれど、こんな大多数の目がある中で王族相手に突っ立ったままというのは、斬新すぎる自殺志願者でしかない。昨日の村人の目がない状態ですら、ギリギリのグレーゾーンをごり押した自覚くらいはあるのだ。
(それでも、譲りたくなかったんだもん)
自分が跪くのは勇者だけだと、感謝するのはレオだけだと、誰よりもレオ本人に、伝えたかったから。自分だけは、レオをレオとして見ているよと、態度で示したかったから。
そして、それがちゃんと伝わったから、今リンはこうしているのだ。……そう望んだのは、レオ自身じゃないか。
勇者として頑張り通すと、レオ自身が態度で示したから。だからリンはこうして、「勇者様」の見送りを、しているんじゃないか。
「……ふふっ」
何故か小さく笑って、聖女様は身を引いた。譲るように下がった聖女様と入れ替わるように、レオが1歩前へ出る。
「……父さん、母さん。行ってくる」
「……行ってこい、レオ」
「気を付けてね、レオ。いつでも帰ってきて、良いからね」
「……ん。父さんと母さんも、元気で」
聞こえてきた会話に、リンは密かに胸を撫で下ろした。彼らが「親子」として会話が出来たのなら、今までのやり取り全て報われるというものだ。
こっそりと、ポケットに手を突っ込む。指先に触れた布の感触にちょっと迷って、ゆっくりと引き戻した。
レオがいきなりいなくなってしまってから、リンは両親にこれまで以上に熱心に織物を教わった。織る時の力加減、模様の意味、色の選び方、バランスの整え方。あらゆる基本を一から学び直し、代々継いできた柄の出し方を教わって、リンはめきめき力を付けた。
そしてその傍ら、無事を祈るおまじないを意味する紋様の織を教わって、少しずつ少しずつ、織っていった布がある。レオの無事を祈って、帰ってきたら渡そうと思って。毎月のお小遣いを少しずつ使って買い集めた糸1本1本、大事に織り込んでいった。
完成してから肌身離さず持ち歩いていたそれは、未だリンのポケットの中にある。
けど、今更照れくさくて。意地を張って平気な振りをした一昨日の夜も、勇者として振る舞われた昨日も、渡す勇気が出なかった。今、渡さなければ次があるとも限らない、けれど。
(……無理……)
勇者の纏う衣服を見れば分かる。一目で鼻であしらわれるほど、リンの持つそれとは品質に差がありすぎるのだ。別に衣服として纏うものを作ったわけではないが、あからさまに見劣りする代物なんか、こんな場面で渡せない。
願掛けは、当人に渡さなくても効果はある。リンがずっと持って、レオの無事を祈っていればいいだけの話だ。
黙って跪いたまま自分に言い聞かせたリンは、レオがリンの前に立ちながら、リンだけでない、全ての村人に告げる言葉を聞いた。
「みんな、今日は集まってくれてありがとう。これまで、魔物に苦しめられ、哀しい別れに涙しただろう。……今こうして、みんなが無事にいることを、本当に嬉しく思う」
(……ばか)
勇者の言葉に、リンは泣きそうになった。なんでこいつは、「レオ」の言葉を混ぜてくる。「勇者」と「レオ」は別人だと、思おうとしたのに。
「これから、この世界は復興していく。良くなっていく。……みんな、力を合わせて欲しい。助け合って、笑い合って、これからの世界を創っていこう」
わっと、歓声がリンの鼓膜を叩いた。リンは目を閉じて、ぐっと歯を食いしばる。
(助け合って、笑い合って、か。……レオも、だからね)
これからの方が、敵が曖昧な分だけ解決が難しい問題も多いと、分かっているはずだ。勇者として魔物と戦い続けたレオがどんな力を付けたのかは知らないけれど、たった5年前までただの村人だったのに、政治に関わる問題に巻き込まれて、対処出来るのか、心配だった。
それでも、信じて良いのだろうか。レオの側にも、ちゃんと助け合う仲間がいて、笑い合えるのだと。今もレオの両隣に立つ王女と巫女が、ただ婿取りの為だけにくっついているのではなく、レンが笑っていられるように、支えてくれているのだと。
(だったら……うん)
なら、大丈夫だ。悪戯好きで、腕白で、でも親がいないとすぐ寂しそうな顔をするあいつも、側にちゃんと人が居るなら、きっと大丈夫。
本当はリンが、誰よりも側にいたいけれど、それはリンの我が儘だ。レオがそれで良いと納得しているのなら、押しつけてはだめだ。今までずっと胸の箱に押し込んでいた思いは、改めてぎゅっと詰め込んで、鍵を掛けておこう。
(ばいばい)
今でも十分嫁ぎ遅れている自分は、きっと生涯独身だろうな、なんて思いつつ、馬車に乗り込んだレオを見送る。動き出した馬車は、リンの初恋ごと持って行ってしまうのだろう。
そう思うと、馬車が見えなくなり、周囲に集まっていた村人達が興奮気味に何かを言い合いながら散り散りになっても、リンは動けなくて。レオの両親さえもリンに一声掛けて戻ってしまうまでずっと、その場に立ち尽くしていた。