第1話「人界」
騙した挙句に、この僕は、あの子を檻に閉じ込めました。
泣き喚く姿を見てみぬフリして、嘘ばかりを吐いたのです。
赦されません。赦してほしいとも思いません。ただ辛いとだけ言わせてください。胸の奥が張り裂けそうなのです。
からい。にがい。つらい。
落涙はいつだって辛酸を伴うものでした。
*
すぐに席を立つべきだったのだ。揺れる電車内の吊革には、老婆が手を掛けている。覚束ない足取りで揺れに身を任せている様は、危なっかしくて見ていられない。それでも周りを見渡せば見てみぬフリをする輩と、俺のように考えあぐねている者ばかり。
自分がやらなければ。きっと誰も老婆に席を譲ったりはしないのだから。なのに身体は動かない。スクールバックの取手を握る手に力が入る。滲んだ汗が俺の焦燥を表しているような気がした。
ブレザーがやたら窮屈に感じる。緩く締めた筈のネクタイが、首を絞め上げているような錯覚に陥った。
結局、なにも出来ずにいれば電車が駅に止まる。ここで降りてくれ。老婆に念を送るものの、そんな仕草は零。溜息を吐いていれば、数人の乗客が出入りした。
空いた席に素早く滑り込む乗客に「あっ」と零す俺。唇を噛み締め、目を伏せていれば俺の前に女性が立った。
「立ってください」
「え?」
「立てって言ったんです」
「早く」
「え?」
「具合が悪いんですか?」
「い、いいえ」
「じゃあ立って」
「は、はい」
低く唸る女性の声に顔を上げる。不機嫌そうな声音と、目付きの悪さに目を瞠りながら声を裏返していれば、彼女が俺を急かした。
慌てて立ち上がる背中に、囁くような「ありがとう」という言葉を投げ掛けられる。彼女は高いヒールをカツカツと鳴らしながら老婆に声を掛け、椅子まで誘った。転ばないようにと差し伸べられた手、腰に添えられた腕に彼女の優しさが垣間見える。
無事、座席まで到達した老婆の笑みを見ていれば自然と頬が緩んだ。安堵と罪悪感が胸を占める。俺に出来なかったことを見事やってのけた彼女を確認するべく目を向ければ、吃驚が俺を貫いた。
美しかったのだ。白いかと言えばそうでもないが、極め細かやかな肌。肩甲骨まで伸びた黒髪。先程、恐怖した目付きの悪さも、笑顔になれば姿形もない。大きな目は綺麗なアーモンドのようで、撓る目元と、頬を彩る笑窪が人の良さを表しているようだった。
スキニーパンツに革ジャンを合わせたスタイルはガラが悪く見えるが、小顔でバランスのいい体型には、よく似合っている。身長はそれほど高くはないが平均だろう。
老婆の「顔が綺麗な子は心も綺麗なのね」という言葉が胸に刺さる。俺の平均的な容姿には一般的な行動がお似合いだ、と言われた気がした。