赤ちゃんと同じ
いつもビクビクして怯えた目で麗亜を見る<璃音>を、包み込むように彼女は守った。無理に自分に懐かせようとはせず、璃音の方から近付いてくれるのを待って、優しく話し掛けた。
すると次第に璃音も麗亜に対しては酷く警戒するような様子を見せなくなっていった。と言ってもそれも最初に比べればマシになったという程度でしかなくて、不安そうに怯えた視線を向けてることには変わりないけれど。
そんな璃音のことを『面倒臭い』とか『可愛げがない』とか言って苛々する人もいるだろう。でも麗亜にとってはそんな風に感じられるものではなかった。それどころか、少しずつ警戒を解いていってくれる様子が嬉しくて、それを『可愛い』と彼女は感じた。
「璃音ちゃん、何か食べたいものある?」
そんな風に訊いても困ったような顔で自分を見る姿さえ可愛いと感じた。
『この子は生まれたての赤ちゃんと同じなんだ。この世の何もかもが不安だらけで怖いんだ。そうじゃないって分かってもらうには時間がかかる。時間をかけなくちゃいけないんだ。私のお父さんもお母さんも、赤ちゃんだった私が普通に話ができるようになるまで何年も待ってくれた。それと同じことなんだ』
そう自分に言い聞かせて気持ちを穏やかにすることを心掛けた。
人間が赤ん坊を育てる時、『自分を信じろ』と赤ん坊に向かって言うだろうか。普通は言わない。だって、赤ん坊にそんなことを言っても通じないことを知っているから。
じゃあ、どうやって信頼関係を築く? そんなもの、行動で示すしかない。『あなたを守ります』っていうのを行動で示して、その通りにしてみせて、信頼を勝ち取るしかない。つまりそういうことなのだ。自分を取り繕う百の言葉よりも、一つの行為。
それに、この子は、本当の赤ん坊と違って、夜泣きもしないしおむつの交換も必要ないし、お風呂にはむしろ入れないし、こっちの言ってることは理解できるし、仕事で留守中に一人にしてても大丈夫だしずっと楽な筈だった。これで無理みたいなことを言ってたらそれこそ実際に赤ちゃんを産んだ時に育てられないと思った。
『予行演習みたいなものかな』
しかも、以前の璃音とずっと一緒に暮らしてきたのだから、それに比べてもすごく大人しくて楽なものだった。その経験も活かされているのを感じる。
その一方で、言葉が通じると言っても、意味が理解できるというだけで、こちらが何を言ったところで信じてはもらえない。だから言葉も通じるとはなるべく考えないようにしようと麗亜は思った。『信じて』とか『安心して』とかも、たとえ言うとしても押し付けがましくならないように気を付けなくちゃと思っていたのだった。




