第二章 智花サプライズ2
「ここがタルタル星……」
日本でもなく外国とも違う風景に、トオルはまばたきさえをも忘れてしまった。
天上を貫かんとばかりに、幾重にも切り立つ群山。
そびえ立つそびえ立つ山の岩肌には石化した巨大な幹が張りつき、そしてそれらは根となって麓へと這い伸び、大地をめくり上げていた。その電柱の何倍もあろう太い根を跨ぐように、地球外生命体が往来していた。ある生物はロボットを引き連れて地球人のように二足歩行をし、かと思えば四つ足で這うものもいる。またある生物はヒレでもって空を彷徨い、またある生物は珊瑚樹の木に張り付いて蠢いている。
また空を仰げば、二つの太陽と大小の衛星が点在し、このタルタル星を囲む環が白いアーチ状の虹となって青空に浮かび上がっていた。そんな中、もっともトオルの関心を惹きつけたのは、コロセウム・キャニオンの頂上付近で浮遊している巨大な塊だった。
浮遊島。
渡航中における宇宙船で観せられたガイドムービーによれば、コロセウム・キャニオンの標高は高いもので四〇〇〇メートル級を誇るものがあるという。そうなれば浮遊島も同じ高さを保ったまま、浮かんでいると考えてもいいのだろう。
凄い……。と首を後ろに反って眺めていると、保子莉も声をうわずらせた。
「驚くのも無理はないじゃろうな。何しろ浮遊島のある惑星は数少ないから、大抵の者は感動するはずじゃ。ちなみにここでは展望台の役目を兼ねているらしく、展望島とも呼ばれているらしいぞ」
「展望島かぁ……」
あの高さなら、きっと地平線の彼方まで見渡せることだろう。
「異…………」
「もちろん、滞在中に展望島へ行こうと考えておる」と人差し指を頭上に突き上げる保子莉。まさか、体ひとつであの高さまで山登りをしなければならないのだろうか。
「いや、転移エレベーターでの移動じゃから、心配には及ばん」
「異……」
保子莉の説明によればコロセウム・キャニオンの内部をくり抜いたホテルからもアクセスが出来るとのことらしい。巨大な岩山のホテルと展望島。トオルとしては、それだけで胸が高鳴る思いだった。が……
「異世界キタァァァァァァァァァっ!」
巨大リュックを背負ったまま、長二郎が溜めに溜めた歓喜の声を一気に爆発させた。
「転生サイコォォォォ! ファンタジーーウェーーイ!」
いや、僕らまだ死んでないし。……とトオルが苦笑していると、保子莉が迷惑顔で怒鳴り散らした。
「うるさいぞ! (うっさい!)長二郎! (ちょーじろー!)」
同時に長二郎がキョロキョロ周囲を見回した。
「なぁ、トオル。今、智ちんの声が聞こえたような気がしたんだが?」
「気のせいじゃない」
異世界と騒ぎすぎて、ついに幻聴まで聞こえるようになってしまったのか。何しろ今回のリハビリ計画は智花に内緒だし、そもそも地球から遠く離れた星だけに、この場にいるはずがないのだ。
「おっかしいなぁ……」と賑わう町のど真ん中で首を傾げる長二郎に気を取られていると、どこからともなくブーンという羽音がした。
――虫?
直後、左のこめかみに何かがぶつかり、驚いた拍子でもって、地面にひっくり返った。
「いたた……」
痔面に打った腰をさすっていると、荒くれた罵声が頭の上から降ってきた。
「邪魔ちゃどっ! 小僧ぉっ! 轢き殺されたいのかっ!」
殺気を帯びた声につられて見上げれば、見たこともない小さな生物が宙に浮いていた。
――よ、妖精……さん?
それにしてはちっともメルヘンを感じられない容姿……いや、むしろ中世の風刺画に出てくるような小悪魔と言った方がいいだろう。身の丈三〇センチほどで、土色の肌にトンボのような二対の翅を背に生やし、小汚い壷のような荷車を引っ張っていた。
「なんちゃん? 何か文句でもあるちゃんか?」
大きな目玉でもってトオルを睨み据える小人。その喧嘩腰の態度に、トオルは焦りまくった。地球の常識が通用しない異星だけに、余計なトラブルは抱えたくなかったからだ。トオルはすぐに立ち上がり、空飛ぶ小人に頭を下げまくった。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
すると小人はトオルの周りをグルグルと旋回し……
「お前、もしかして生粋の純人間ちゃんか?」
訊ねられた人種属性に、トオルが素直に頷いてみせると、小人はくぼんだ瞳をギョロリと輝かした。
「小僧、この界隈でそんなトロくさいと、悪い連中に絡まれるちゃんよ」
そしてニヤリと口角を持ち上げ……
「よし、分かったちゃん! 変な連中に絡まれないよう、ワシが特別な薬を打ってやるちゃん。コレを打っておけば、おかしな奴らに絡まれんようになるちゃんよ」
――虫除けみたいなものかな?
腕を出すちゃん。と小人に急かされ、トオルはシャツの裾を捲り上げて腕を差し出した。すると小人は引っ張っていた壺から得体の知れない注射器のような物を取り出し、トオルの腕に針を立てる。
「ちょっと痛いが我慢しろちゃん。なーに、すぐ気持ち良くなるから心配ないちゃん」
同時に首の裏筋を突き抜けるような痺れが伝わっていく。その不快な感触を我慢していると、保子莉が小人を地面に叩き落とした。
「やめんか、この吸血星人めがっ! 人のツレを騙くらかして、血を漁るでないわっ!」
すると小人は地面を這いつくばったまま、猫娘を睨み上げた。
「この小僧が勝手に腕を出してきたちゃんから、お前ごときにとやかく言われる覚えはないちゃん!」
出せと言われたから出したはずなのに、言っていることがまるであべこべだった。その虚偽に、猫娘は目を細め、伸ばした鋭い爪を小人に見せつけた。
「ほぉ。これはまた粋の良いビヂャヴゥロォ星人じゃのぉ。貴様、猫族と合間見えたことがあるのか? 言っておくが、わらわは手加減せんぞ。貴様を八つ裂きにすれば、同族の者たちが貴様の屍を乗り越えて、後生大事に引っ張っているその血壺を横取りすることになるが……それでも良いのかのぉ?」
牙を覗かせて脅す猫娘に、ビヂャヴゥロォ星人と呼ばれた小人は悔しそうに彼女を睨み上げていた。
「うぐぐ。大事な血を他のヤツに取られるのは癪ちゃん。今回はお前に免じて血は貰わないとするちゃん」
小人は羽ばたいて宙を舞うと、そそくさと雑踏の中に紛れ、消え去っていった。
「まったく、油断も隙もあったもんじゃないのぉ」
保子莉は爪を収めると、トオルの腕を手に取り、刺された箇所を視診し始めた、
「今の様子なら、言語認識の方は問題なさそうじゃのぉ。どれどれ……。ふむ、抗凝固剤なども打たれてないから問題なさそうじゃな。ちなみにあのまま血を抜かれていれば、あっという間にミイラになっておったぞ」
即身仏のように干からびていく自分を想像して背筋がゾッとした。
「良いか、トオル。おぬしのその人を疑わぬ性格は良いことじゃが、安易に相手の言葉を鵜呑みにするでないぞ。ここはおぬしの知る地球とは違い、常識が通用しない外惑星なのじゃから、くれぐれも用心を怠るでないぞ」
もう騙されるもんか。とトオルが肝に銘じていると……
「良い心掛けじゃな。ところで、あやつはいったい何をしておるのじゃ?」
保子莉の視線の先を見れば、犬のような尻尾と耳に加え、頬には犬の髭を生やした五人の獣人娘たちが長二郎にまとわりついていた。
「ねぇん、カッコいいお兄さん。観光なら私たちが案内するわぉん」「もちろん、その後のお楽しみは分かってるわよね?」「私たちがたっぷりサービスして、体の疲れを癒してあげるわぉん!」「きゃん!大胆すぎー!」
可愛い獣人娘たちに尻尾を振られ、長二郎が鼻の下を伸ばして歓喜の声を上げた。
「やっぱ異世界、サイコーだぜぇぇぇっ!」
「そうでしょうそうでしょう。さぁさぁ、その大きい荷物を私たちに預けて一緒に遊びましましょうよぉん」
モフモフの尻尾と甘ったるい犬撫でモテモテはやされる長二郎。その無警戒さに、保子莉が六人の間に割って入った。
「こらこらこらぁぁあっ! 商売女が田舎者の素人男にまとわりつくでないわっ! シッ! シッ! 散れ散れっ!」
手を振って追い払う保子莉に、獣人娘たちがブゥ垂れながら長二郎のもとを去っていく。
「油断も隙もあったもんじゃないのぉ……」
鼻を鳴らして憤る保子莉に、長二郎が憤慨した。
「なに勝手に獣娘ちゃんたちを追い払ってくれるんだよ! 俺のハーレムが台無しじゃねぇか!」
初めての土地で臆することなく獣人娘たちと戯れる図太い神経。正直、見習いたいところだ。しかし保子莉は……
「幼い純人間型だけが好みと思っとたが、正直、おぬしの見境なしの女好きには流石のわらわもビックリじゃわい!」
「日本のことわざに『旅は恥のかき捨て』ってぇのがあんだから、俺が何をしようと保子莉ちゃんには関係ねぇことだろぉ!」
「恥をかき捨てるのはかまわんが、もっと命を大事にしたほうがいいぞ。ちなみに教えておくが、あのスティミュルス・ウルフはのぉ、血肉を主食とする種族じゃぞ」
「えっ、マジ? それってもしかして……」
「観光案内を装って、おぬしを食らうつもりだったのじゃろうな。何しろあやつらは人肉が大の好物じゃからのぉ、匂いだけでおぬしのところに集まってきたんじゃろう。それとも、食われた方が世のためじゃったのかのぉ?」
保子莉の説明に、長二郎は腕組みをして思慮する。
「やり残したこといっぱいあるしなぁ。来月、発売される新作アニメもあるし、今は食われるわけにはいかんなぁ……」
「今さらじゃが、おぬしが何を生きがいに毎日を過ごしているのかが、良く解ったような気がするわ」
「何を言う。生きがいあっての人生だろ」
金髪をかき上げて胸を張る長二郎に、保子莉は眉間に指を添えたまま頭を振った。
「モノは言いようじゃな。まぁ精々頑張ってくれ。……ん?」
と今度は長二郎の巨大リュックを見て、眉をしかめる保子莉。
「つかぬことを訊くが、おぬしが背負っているその袋の中身は……いったい何が入っておるのじゃ?」
片眉を上げていぶかしむ保子莉に、トオルが代わりに答えた。
「漫画とアニメとゲーム機一式だってさ。ホント、信じられないよね」
「そんなはずはなかろう。じゃあこれは何じゃ? わらわには人間の髪の毛のように見えるのじゃがのぉ?」
見れば、リュックの蓋の絞り口から黒い毛がダランと垂れていた。保子莉はその毛を掴み上げ、疑わしい眼差しを長二郎に向けた。
「おぬし……どこからか、おなごを攫ってきたのではあるまいな?」
「長二郎、それ本当なの?」
取り返しのつかない拉致行為。根っからの女好きではあるとは思ってはいたが、まさか誘拐をしてしまうとは。
「そ、そんな目で俺を見んじゃねぇよ! 俺だって物事の善し悪しの分別くらいあるんだぞ!」
長二郎は否定すると同時に、背負っていたリュックを地面に下ろした。
「くそぉ! どいつもこいつも、人を悪者扱いしやがってぇ! いくら俺でも人攫いなんかしねぇてぇんだよぉ! もし違ってたら、土下座して謝ってもらうかんなっ!」
よほど悔しかったのか、それとも自分の日頃の行いに自信がないのか、声に余裕がない。そしてリュックの蓋をめくれば……
「ジャジャーン♪ 智ちゃん参上ぉ♪」
シルクハットから現れた鳩のように、智花が両手を広げてポーズを決めた。
「どど、どうして……ここに?」
巨大リュックから湧いて出た妹の姿に、トオルの思考が止まった。保子莉宅の家から宇宙船に乗り込み、八時間以上を要する航行時間。いったい、いつから荷物として紛れていたのか。思いおこぜば出発日の晩御飯を最後に、智花の姿を一度も見かけていなかった。夕食後、トオルはリビングにある家族共有パソコンでネットを見て、父親とテレビを観ながら雑談を交わし、その後、入浴を済ませてから自室へと戻ったのだ。そうなると考えられることはただひとつ。誰もいない兄の部屋に忍び込み、リュックの中身を自室に隠し、空になったリュックに入って息を潜めていたに違いない。
「そしたら、すぐにちょーじろーがうちにやって来て……」
もう後は聞くまでもなかった。荷物を持って隣家へ向かい、トイレを通じて出立したのだから、智花の存在など気づくはずがない。
「何でそんな密航者みたいな真似をして着いてきちゃったのさ!」
「なによなによ! 別についてたっていいじゃない! 智花だってみんなと一緒に遊びたいのにさ。みんなだけで楽しいことばっかりして不公平だよ! 」
小学生のような言い草に、呆れて声も出なかった。その一方で長二郎が涙目で空っぽとなったリュックの底を見つめていた。
「俺の大事な宝物がぁ……命よりも大事な青春がぁ……」
膝から崩れ落ちる親友が不憫でならなかった。
「智花! 僕らは遊びでここへ来ているわけじゃないんだよ!」
もっとも遊び道具しか詰め込んでいなかったリュックでは、説得力に欠けるのだが……あえてその辺は触れないでおく。
「そのくらい船の中で、おじいちゃんにいろいろ教えてもらったから、アタシだってわかってるもん!」
リュックに忍び込み、なおかつ保子莉に仕える老執事と一緒に船内を徘徊していたという事実に……
「審査ゲートで入星審査に引っかからず、しかもおじいちゃんとなると……該当者はひとりしかおらぬではないか」
と保子莉は、背後で涼しい顔をしている老人を睨みつけた。
「お察しの通りでございます、お嬢さま」
「悠長に構えてる場合か。なぜ地球からの乗船を許したのじゃ? 手荷物検査のセンサー越しで、智花がリュックに入っていたことくらいお見通しじゃったろうに」
「最初はそちらの大きい方の身内だとばかり思っておりました。ですが、智花さまにお話を伺ったところ、大変、トオルにぃさま思いの妹さんであることを知りまして……これには流石の爺も鬼にはなれず、感涙してしまいました」
ハンカチを目にして嘘泣きする老人。お世辞にも演技力が上手とは言えなかった。
「それで、なぜ今まで黙っておったのじゃ?」
「幸いなことにお嬢さま方が、智花さまに気付かれていなかったようなので、ちょっとしたサプライズを演出してみようかと」
目尻を下げて楽しげに語る老人に、保子莉も「サプライズ過ぎて、怒る気が失せたわ」と指で眉間を押さえていた。
「まぁここまで来てしまった以上、とやかく言っても始まらんしのぉ。それで確認のためじゃが、なぜ智花はリュックに入ったまま審査ゲートを通過出来たのじゃ?」
「航行中、皆さま方が就寝している間に『リュック・イン・智花』として入星申請の追加登録をしておきました。ですから、出星の際もリュックに入って頂ければ特に問題はないかと」
したり顔で説明する老人に、保子莉がイラついた。
「当たり前じゃ! 無届けで保護対象区域の原住民を連れ回しているなどと惑星保護団体にバレた日には、折角、築き上げた廃缶転売業が廃業に追い込まれてしまうじゃろうし、それどころか人生そのものが廃業してしまうわ!」
「ごもっともでございます。お嬢さまが犯罪者にでもなられてしまっては、従業員一同も路頭に迷われてしまいますし、何よりも一族の名誉に傷を付きかねません」
「何でわらわが諭されねばならんのじゃ。……って、それよりも問題は智花のほうじゃが」
と道のど真ん中で、口喧嘩している敷常兄妹に目を向ける保子莉。
「前の日にトオルにぃたちの話を聞いちゃったら、誰だって一緒に行きたいと思うじゃない!」
「それでも智花には関係のないことなんだから、着いて来ちゃダメなんだよ!」
「説得力がないのぉ……」
「智花さまの話によれば、何でもご両親には御学友の家に泊まるとの伝言を残されてきたとのことです」
「外泊許可のアリバイまで作っておったとは何とも用意の良いことじゃが、一週間も音沙汰なしでは、地球に帰星した頃には大騒ぎになっておるぞ」
と保子莉はしばらく黙考し……
「爺よ。智花の面倒はわらわがみるから、至急、地球へ戻って智花周辺の記憶操作をしてくれ」
「承知しました」と頭を下げる老人に、トオルが反論の意を唱えた。
「そうやって智花を甘やかさないでよ、保子莉さん!」
ただでさえつけ上がる性格だけに、これ以上、妹のわがままに付き合う必要はない。しかし……
「まぁ良いではないか。ここはわらわに任せておけ」
保子莉はそう言って老執事に念を押す。
「くれぐれも家族や周囲の者たちに疑われぬよう自然な状況設定にするのじゃぞ。もし何か問題が発生したならば、すぐに連絡を寄こせ。良いな」
「御意」
頭を下げて身を退き、宇宙船が停泊している駐機場の方へと向かっていく老人。その後ろ姿を見送りながら保子莉はため息をついた。
「お守りが三人……まぁ、何とかなるじゃろ」と気持ちを切り替える保子莉だった。