第一章 敷常智花6
「それじゃあ、また明日」
玄関先で靴を履くトオルに「うむ」と頷く保子莉。
「じゃ、クレアたんに、よろしくな」
「あぁ、伝えておこう。……って、どうでもいいことじゃが、おぬし、まさかその格好でバイトに行くつもりなのか?」
当然だろ。と羽織っていた白衣を翻し
「どうよ。まるで『ドクター・堕天使』みたいだろ?」
どうやら『ドクター・なんちゃら』の人物になりきっているらしいが……トオルと保子莉には何のキャラなのかさっぱり分からなかった。まぁ知らなければ大概はそんなものである。
そんな他愛のない会話を重ね……長二郎はアルバイトに出掛け、トオルも重い生身の体を引きずって隣家の自宅へと帰ることとなった。
「ふぅ。急に誰もいなくなると、少々寂しいもんじゃのぉ」
使い終わった食器類を洗い、一息つこうと居間に戻れば……ちゃぶ台に置いた携帯電話の着信ランプが点滅していた。
「ん、誰じゃろう?」
携帯電話のフリップを開けば、何十件もの未読メールが。しかもその全てが智花からだった。
「本当に加減を知らぬようじゃな……」
着信時間を確認すれば、丁度、洗い物を始めた頃から数分毎に送られてきており、そのいずれもが返信の催促だった。
「このまま放置しとったら、メモリがパンクしてしまいそうじゃ」
仕事も兼ねている端末機である。肝心な時に用を足さないのでは本末転倒だと判断した保子莉は、すぐにキーを押し始めた。
『クレアは友達の家に遊びに行って、今日は家に戻らんそうじゃから、今度、改めて遊びに来ると良い。保子莉より』
そんな適当な内容文を送信してから、保子莉は智花にメアドを教えてしまったことを少しだけ後悔した。
「トオルには申し訳ないが、智花の記憶を半日ほど消させてもらおう」
と、保子莉は智花を呼ぶことにした。
「それでぇん、接舷した途端、生意気にもヤツら、こっちの船に乗り込んで防戦を挑んできましてぇん」
ジャゲのしどろもどろな説明に、モヒカン頭のイノシシ男が眉間に皺を寄せた。目元の深い傷痕を掻き、下顎の牙をギロリと光らせながら周囲に目を配らせた。
「で、この有様か?」
縛られている乗組員たちの縄を、救援に駆けつけた乗組員たちが解いていた。
「とんでもねぇ目にあったな」
「すまねぇ。まさか素人相手に、こんなに目に遭わされるとは思わなかったぜ」
強盗にでも押入れられたかのような光景を見やりながら、イノシシ男がジャゲに尋ねた。
「なぜ許可無く単独行動をおこなった? お前のお遊びに、このセカンドシップを預けているわけではないんだぞ」
睨みを利かせるイノシシ男に、ジャゲの口の触手がブルルッと震えた。
「いえぇん。あっしは、もう少し稼ぎを上げようと思ってただけでぇしてぇん。そしたらぁん、たまたまオンボロ商船が航行していたんでぇん、襲ったまでなんでありやしてぇ……」
揉み手をしながらの弁解に、イノシシ男が嘆息する。
「俺のこの耳はなぁ、お前の見苦しい言い訳を何度も聞くために付いているわけではないんだ。それで、この失態の落とし前はどうつけるつもりだ?」
「へ、へい! そりゃあぁん、奴らを見つけ次第ぃん、ぶっ殺そうかと。ウヨョン」
イノシシ男は、ヘラヘラと愛想笑いを浮かべるジャゲの口触手をギュッと掴んだ。
「お前の報復などには興味はない。それより聞きたいのは、お前自身がこの場でどういうケジメをつけるのかを訊いているんだ。俺の言っている意味が分かるよな? お前の体で落とし前を示せと言ってんだよ」
「あ、あっしの体でですかぁん? そ、それだけはぁん、勘弁してくだあさいぃん」
「勘弁ならねぇな」
イノシシ男は腰に差してあった大振りのナイフを取り出すと、刃に沿って舌舐めずりする。
「取りあえず、その千枚舌を切り落としてみるか?」
「そ、それだけはご勘弁のほどぉん! あっしっらジャゲナッテ星人が舌を切られたら死んじゃいますってえぇぇぇん!」
「じゃあ、半分だけ残してやるから大人しく切られろ」
イノシシ男の半殺し宣告にジャゲが悲鳴を上げていると、艦橋のドアが開き、幼い声が響き渡った。
「そのくらいにしておきなさい、ギンツォ」
突如として現れた長身の美少女と栗色髪の幼女。その二人にイノシシ男こと、ギンツォが背筋をピンと伸ばした。
「そんなくだらないことで艦橋内を汚すのは感心しませんね」
そう言ってギンツォの前に歩み寄る幼女。それに合わせて真っ黒な鳥の羽で身をくるんだ金髪美少女もギンツォに向き合った。美しく整った顔立ち。だがその表情は冷淡で、感情の起伏が一切みられなかった。
「………………」
無言で周囲を見渡す美少女に、拘束から解かれた乗組員たちが愛想笑いを向けていた。無様な失態とへつらう態度。それを美少女は笑うでもなく叱責するでもなく、ただ黙って見ているだけだった。
『感情欠落の頭首』
それは乗組員らが彼女に付けた二つ名だった。
そんな美少女とは対照的に、幼女が苛立ち、睨みを利かしていた。
身の丈一メートル未満の子供。
今しがたイノシシ男を制したのは、紛れもなくこちらの幼女だった。だがギンツォと呼ばれた獣人は納得がいかない表情をして金髪の娘に向かって言う。
「しかしディアさま。今回ばかりは、何かしらケジメをつけさせないと、他の者への示しがつきません」
訴える部下に、金髪美少女は変わらず無表情のままだった。
「目は口ほどに物を言う」などのことわざがあれど、この娘の底冷えするような瞳の前ではそれも通用しないようだ。何を考えているか分からない頭首の代わりに、幼女が言う。
「暴力的な醜態を見たくないだけです。それにディアさまと艦内を検分してきましたが、特に荒らされた形跡などはなく、被害は乗組員の拘束だけのようです」
大人びた言葉で淡々と語る側近の幼女。だが、それでもギンツォが金髪美少女に食い下がった。
「ですが、ディアさま」
すると幼女がイノシシ男を睨み上げた。
「ディアさまを困らせるようなことを言わないように」
「はっ! 失礼しました!」とギンツォは掴んでいたジャゲの口触手を放し、ナイフを腰の鞘に収める。それをいいことに、ジャゲは大喜びで金髪美少女にこびを売り始めた。
「さすがぁん、ディアさまだぁん。どっかの暴力イノシシと違って寛大であられるう~ん!」
愛想を振りまくジャゲを、ディアは冷めた目を見下げて抑揚のない声で呟いた。
「……降格」
「へっ? 近頃、忙しくてぇん耳掃除をしておりませんからぁん、良く聞こえませんでしたがぁん、今、なんと?」
マヌケ顔で再度耳を傾けるジャゲに、幼女が冷笑を浮かべた。
「降格と申されたのですよ。武器を持っていない商船相手にこれだけのことをされて面子を潰されたのですから、貴方の指揮能力が劣っているとしか思えません。よって現時点から貴方はセカンドシップの艦長ではなくなりました。新しい持ち場については、追ってギンツォから言い渡します」
「なんだとぅん! 俺様が降格だとぉん? このガキぃん! ふざけるなぁよぉん!」
奇声を発しながら、幼女の胸ぐらを乱暴に掴むジャゲだったが、すぐにギンツォに殴り飛ばされた。
「格下の分際でエテルカさまを冒涜するとは何事か! 今の行為は万死に値するぞ!」
ギンツォが吠える一方で、エテルカは喉元をさすってディアを見上げていた。
「……エテルカ」
寡黙な美少女の青い瞳が、幼女の安否を気遣っていた。エテルカはディアの心を読み取り、コクリと静かに頷き返した。
「私は大丈夫ですから、その者を解放しなさい」
「しかし、エテルカさま……」
戸惑うギンツォに幼女は、なおも言う。
「それと私個人の考えではありますが、無礼を働いたその者に対して処罰を求める気はありません」
「いや、しかし、それこそ他の者に示しが……」
ギンツォが判断にこまねいていると、幼女が凛とした態度で応える。
「構いません。あなたのおかげで怪我もないですし、ディアさまも私の好きなようにして良いと申しておりますので」
エテルカの私見に無言で頷くディア。その了承に、ギンツォは渋い顔をして鼻を鳴らした。
「分かりました。お二人がそうおっしゃるのであれば、俺は何も言いません」
そう言ってギンツォは不満あらわにジャゲを蹴飛ばした。
「いつまで艦橋で油を売ってるんだ! とっとと下に降りて後片付けをして来い!」
「へ、へぇぇえいん!」
慌てふためいて艦橋から出ていくジャゲ。ギンツォはそれを見届け、「馬鹿者が」と唾棄する。
「それでディアさま、後任の艦長はどういたしましょうか?」
ジャゲを解任した今、セカンドシップを運行するにあたり、新艦長を決めなければならなかった。空席となった人事状況に、側近のエテルカが指示を言い渡す。
「セカンドシップにおける人事決定は貴方に一任します。セカンドの副艦長を繰り上げても構いませんし、何でしたらファーストシップの艦長である貴方の部署から配属させても結構です」
「ハッ! ご期待に応えられるよう手配させていただきます」
敬意を払って頭を下げるギンツォに、無言で頷き返すディア。そして艦橋内を流し見ながらギンツォが声を漏らす。
「しかし……たかが商船とは言え、見事なまでにやってくれましたなぁ。負傷者はともかく死亡者はゼロ。船を壊さず、緊急回線で救助要請までするとは……」
そう言って、ギンツォは12時間前に音声のみで発信された無線内容を思い出した。
『クロウディアとやらの仲間たちよ、聞こえておるか? こちらはジャゲとやらの船じゃ。たった今、この船の乗組員を占拠したから助けに来い』
それは高圧的で、一方的なメッセージだった。
「しかも救難信号まで発信して現在地を知らせるとは……ある意味、借りを作られてしまったとしか言いようがありませんな」
イノシシ男が脱帽していると、エテルカが幼声で告げる。
「同感ですね。しかも相手の商船クルーたちは、しっかりした統率の元で動いているようですし。……何者なんでしょう、その商船の船長とは?」
「声だけでは何とも判断しかねますが、ジャゲの証言では、猫族の若い女であることは間違いないようですな。もし、そのような者をヘッドハンティングできるのであれば、このセカンドシップの艦長に就任させたいものです」
笑いを混じえて皮肉るギンツォに、エテルカが不愉快な面持ちを浮かべていた。
「すみません。不謹慎な発言をお許し下さい」
表情を引き締め、モヒカン頭を下げるギンツォに、エテルカが小さな溜息をひとつ吐いた。
「貴方の気持ちは私にも良く分かります。それだけに今回の相手が秀逸だったと言うことですね」
と船外モニターの宇宙を睨みつける幼女。海賊としてのプライドを傷つけられたのだ。心中は決して穏やかなはずはなく、また頭首であるディアも同じ心境だったに違いなかった。エテルカは、怒りで瞳を揺らす金髪少女の横顔見つめ、代弁した。
「いずれにせよ、この借りは返さねばなりませんね」
そう言って漆黒の宇宙を見つめるディアとエテルカだった。