第四章 ライドガンナーレース4
海賊頭首の無差別乱射により、修羅場と化した観客スタンド。そんな中、トキンがコース際の塀壁を盾にしながら長二郎に囁いた。
「ははぁん。そういうことするなんてチョーちゃんも酷い男ね」
「なんのことだよ?」
「トボけてもダメよ。お仲間さんに一点賭けして、いざピンチになったからって、横槍を入れて牽制したじゃない」
不満顔のトキンに、長二郎は流れ弾から逃れるように体を縮こませた。
「俺たちの間で、邪魔をしてはいけないと言った取り決めはしてねぇだろ」
「まぁ、そうだけどぉ……あーぁ、でもやっぱり悔しいわー。そうやって、いつもいろんな女たちをたぶらかしてきたんでしょ?」
「心外だなぁ、俺はいつだって女の子には優しい男だぜ」
「どうだか」と目を細めて微笑むトキンだった。
一方、智花も女監視員の機転によりスタンド裏へと避難していた。
「もぉ! なに考えてんのよ、アンタんとこのディアさんは! アタシたちまで殺すつもりなの?」
壁を背にして縮こまる智花に、女監視員も身を低くして応える。
「滅多に怒らないディアさまですが、一旦キレると見境いがなくなってしまって」
「だからって、関係ない人まで巻き込んでどうすんのよ!」
もうバカじゃないの。と、あきれ果てる智花だったが、それはトップを走る当事者も同じだった。
「もぉ、取り付く島もないのぉ」
デタラメに実弾をぶっ放すディアに、保子莉も呆れていた。
「そんな呑気なことを言っている場合じゃないよ! 観客の中には智花もいるんだよ!」
すると保子莉はディアを垣間見て豪語する。
「当たりはせんから大丈夫じゃ。どう言うわけか、あの頭首の腕前は天性の下手くそじゃて。こうして見ている限り、誰ひとりとして怪我をしておらん」
「そ、そんな馬鹿なことって」
「下手な鉄砲数撃ちゃ当たるとは言うが、あの頭首に限っては、それも通用せんようじゃ」
単に狙いが定まっていないだけなのでは。と、トオルが首を傾げたときだった。突然、観客席を見渡していた猫娘の尻尾がビンっと立った。
「トオル! わらわにしがみついとれ!」
いきなりの命令に、わけが分からずトオルが戸惑っていると、矢継ぎ早に保子莉が叫んだ。
「この先でミサイルを構えているバカ者がおるのに、何を躊躇しておるのじゃ!」
「へっ?」
突然のミサイル発言。前方の観客スタンドを見れば、筒状の砲身をこちら側に向けている者がいた。
――僕たちを狙ってる!
トオルはすぐさま目の前の細い腰にしがみ付いた。それを合図と見なし、保子莉はライドマシンを急加速させ、ミサイルランチャーを構える相手の前を通り過ぎた。
「あっ、こら! お待ちなさい!」
「……猫、逃がさない」
「アホかぁぁっ! 観客の中に危ない輩が紛れ込んでおるのが分か……っ!」
刹那、保子莉の猫耳がピンっと立った。
シュルルルルルルルルルッ!
白煙の螺旋を描きながら真っ直ぐ飛んでくるミサイルに、トオルは猫娘の背中を引っ叩いた。
「保子莉さん! ヤバイヤバイヤバイッ!」
「くっ!」とマシンをドリフトさせる猫娘。スライドする感性重力に合わせるように、トオルも前傾姿勢でもって対応する。そして反転と同時に急加速でコースを逆走し、金色マシンとすれ違った瞬間、ミサイルが背後に着弾した。
ドォォォォォォォン!
鼓膜が破れんばかりの轟音と煽る風圧がトオルたちを襲った。
――吹っ飛ばされる!
マシンの挙動がブレる。だが保子莉は絶妙なアクセルワークとカウンターテクニックでもって体勢を立て直し……そして爆発の余波が収まった頃を見計らって、ライドマシンを停車させた。
――いったい、何がどうなったんだ?
背後のコース上を見れば、ポッカリと空いた大きな穴から、火の粉と黒煙が立ちのぼっていた。
「ウヨヨーン! やったぜぇぇぇぇん! あのディアとエテルカを葬ってやったぜぇぇぇん!」
観客スタンドの最上段でミサイルランチャーを担ぎ上げて高笑いするジャゲに、ビヂャが声を震わせた。
「ダ、ダンナ! 脅かす程度だって言ってたのに、なに直撃させてるちゃん!」
「う、うっせぇん! 吹っ飛んぢまってからガタガタいうなぁん!」
「と、取りあえずこの場から早く逃げるちゃん! このことがクロウディア一派の連中に知れたら、間違いなくワシら殺されるちゃんよ!」
まとわりつくハエのように顔の周りをうるさく飛び回るビヂャに、ジャゲも落ち着きさを失っていく。
「そうだなぁん、もうこの星には居られんかもしれんなぁん。お前の言うとおりぃ、ほとぼりが冷めるまで姿を眩ますとするかぁん」
「そうするちゃん! そうするちゃん!」
ジャゲはミサイルランチャーを放り投げると、騒ぐ野次馬たちをよそ目にスタンド裏へと姿を眩ました。
実感の湧かない恐怖に、膝が震えていた。
何しろテロ攻撃を目の当たりにし、しかもつい先ほどまでトオルたちを追いかけ回していた女の子たちがミサイルで吹っ飛ばされたのだから。それはトオルにとって生まれて初めての経験であり、受け入れるにはあまりにも衝撃的な出来事だった。その生死の境目でトオルが茫然としていると、保子莉が重い声を漏らした。
「不慮の事故じゃ。おぬしがどんなに気を病んでもどうにもならん」
保子莉の機転により、九死に一生を得たトオル。もしあのまま走っていたならば、ディアたちもろとも、ミサイルの巻き添いを喰らっていたに違いない。しかし15歳の少年にとって、目の前の現実を受け入れるにはまだ幼すぎた。
――二人とも死んじゃったのか?
あまりにも呆気ない生命の消失に、トオルは命の儚さを知って、愕然とするだけだった。
そんな最中、後続車の一団が野次を飛ばしながら事故現場の横を颯爽と駆け抜いていく。巻き上げる風が濛々と立ち昇る黒煙を凪払い、無様に転がる金色のマシンをあらわにする。きらびやかだった外装は砕け散り、フレームはグニャリとひしゃげていた。朽ち果てたライドマシンの下敷きになっている幼女とウインチに繋がれたまま地面に放り出された金髪少女の無残な姿に、トオルは青ざめた。
「なんで、こんなことに……」
その時だった。幼女エテルカの体がピクリと動いた。
生きてる? と、トオルは反射的にライドマシンから飛び降り、幼女のもとへと駆け出した。
「こら、どこへ行くつもりじゃ? まだレースは終わっとらんぞ!」
慌てふためく彼女の声を振り切り、トオルは大破した金色マシンに走り寄った。下半身が下敷きとなっている幼女エテルカ。頭から多量の血を流し、髪や服が真っ赤に染まっていた。その尋常でない血の量にトオルが狼狽えていると、小さなうめき声が幼女の口元から漏れた。膝をついて鮮血で濡れた幼女の首に手を当てれば、指先に小さな脈拍が伝わってきた。
――まだ助かるっ!
「大丈夫かい? 今、助けてあげるから、頑張るんだよっ!」
意識の無い幼女を励ます。だがエテルカは意思表示することもなく、うめくだけだった。
――呼吸が乱れてる
それが痛みによるものなのか、それとも肉体における致命的な損傷からなのか。いずれにしても危ない状態なのは確かだった。
――早くマシンをどかさないと
トオルは迷うことなく、ライドマシンのフレームに両手をかけ、引っ張り上げた。
「うぐぐぐぐぐぅっ!」
歯を食いしばり、渾身の力を出し切るも、浮力を失ったマシンは軋む音を発するだけで微動だにしない。
「くっそぉぉぉぉぉぉぉぉおっ!」
つい先日まで装着されていた義体を思いだした。こんな時、際限無く力を発揮できる義体ならば、こんな鉄屑など軽々持ち上げただろう。しかし今は地球の平凡な高校一年生に過ぎず、ましてや女の子にも負ける非力な身体だけに持ち上がるわけがなかった。
「何をしておる! エンジンは掛からぬのかっ!」
駆け寄る猫娘に、トオルは四肢を踏ん張ったまま言う。
「保子莉さん! こっちは僕に任せて、ディアさんの方を!」
男としての見栄と強がりが入り混じる。だがエテルカを救いたいのも本心だった。
「ディアのほうは外傷もなく、息も安定しておったから大丈夫じゃ。それよりもエテルカのほうを救出せんと!」
トオルが手間取っている間に、保子莉は保子莉でディアの容態を確認していたらしい。保子莉はライドマシンに詰め寄ると、スクラップマシンのハンドルを握りしめた。
「今すぐにエンジンを掛けてやる!」
どうやら動力源の浮力を利用し、マシンを排除するつもりらしい。しかし保子莉が懸命になって何度も何度もメインスイッチを入れても、一向にエンジンは掛からなかった。
「ダメじゃ、完全に死んでおる」
呆気なく期待が裏切られた。こうなると人力だけで引き起こすしかない。すると保子莉がトオルの隣に並び、マシンのフレームに手を掛けた。一人より二人。互いの力を合わせれば何とか持ち上がるかもしれない。
「せぇぇえのぉっ!」
トオルの気合の声に合わせるように、保子莉の細腕にも力が入る。二人の力が合わさり、わずかながらスクラップマシンが持ち上がった。
――浮いたっ!
しかしそれでも幼女を救い出せるほどの隙間は生まれず、トオルは保子莉と共に踏ん張ったまま、ありったけの力を振り絞った。
「ぐぐぐぐ……」
もうちょっと。もうちょっとだけ持ち上げられればエテルカを救い出せる。両脚と両腕はプルプルと小刻みに震え、腰骨と奥歯がギシギシと唸りをあげている。すでに気力も体力も限界に達しようとしていた。もしここで下ろしてしまったら、もう二度と持ち上げることはできないだろう。それだけに出涸らし同然の気力を振り絞って足腰に力を込める。だが、どんなに頑張ってもそれ以上、持ち上がらなかった。そしてついに保子莉の口から弱音が漏れ始めた。
「……もう……無理じゃ」
「もうちょっとだけ……もうちょっとだけ頑張ろうよ……保子莉さん」
細る自身の声が情けなく、泣きたくなった。
――もうダメだ……力が……もうこれ以上、力が出ない……
と、諦めかけたその時だった。
「トオルさまぁ! 加勢に来ましたですよぉ!」
ライドマシンを挟んだ向こう側に、小さなチアリーダーが現れた。クレアである。見てくれは子供だが、大人以上の力を持つ幼女の存在は正に百人力だ。次いでイノシシ男もクレアの隣に並んだ。
「俺様も忘れないでもらおうか!」
本来ならば敵同士。だが今はそんなことで言い争うつもりもないらしい。その助っ人たちの登場に、再びトオルの体に力が漲った。
「一気に持ち上げるぞっ!」
ギンツォの掛け声に、鉄屑と化したマシンを放り投げるトオルたち。すると走ってきたハンマーシャークもどきの一団を巻き込み大クラッシュを引き起こした。まさか空からスクラップが落ちてくるとは思わなかっただろう。正に不慮の事故だ。だが幸いなことに各ライダーとガンナーに怪我はなく、リタイアとなってしまったことに地団駄を踏んでいた。それを横目に、トオルと保子莉が力尽きてヘナヘナと腰を抜かしていると
「エテルカァァァァ!」
長二郎がギンツォを押し退け、血だらけとなった幼女を抱き上げた。
「痛かったろ……今、医者に診せてやっからな……。だから死ぬなよ!」
半ベソで取り乱す長二郎。それを見やりながらギンツォが無線で救急の手配をしていると、意識を取り戻したディアが手下の肩を借りて長二郎に歩み寄る。
「……エテルカは強い子。だから大丈夫」
片足を引きずるディア。軽症とはいえ、彼女もそれなりのダメージを負っているようだった。
「その怪我じゃと、レース復帰は無理のようじゃな」
と負傷した海賊頭首を見上げる猫娘。ライダーであるエテルカが意識不明の重体ではレース続行というわけにはいかないだろう。しかもこちらはマシン共々健在なだけに、トオルもディアの返答が気になった。
自然に考えればトオルたちの不戦勝だ。この場でディアが素直に負けを認めれば、智花は解放されて保子莉も自由の身になるはずである。結果はともあれ万事丸く収まった。そんな終結を想像していた矢先だった。電子音が鳴り響き、ギンツォが通信端末を耳にかざした。
「俺だ。どうした? ……何、人質を攫われただとぉ!」
聞き逃すことのできない言葉に、トオルと保子莉の顔色が曇る。
「分かった。後の対処はこっちで考える」
苦悶の表情で通信を切るギンツォに、トオルは不安を抱えながら訊ねた。
「あのぉ、智花に何かあったんですか?」
間違っていなければ、妹は誰かに攫われたのだ。だがギンツォは視線を合わせることなく黙り込んだままだ。
「なぜ、答えぬ?」
地べたに胡座をかいて睨み上げる猫娘に、ギンツォは口を噤んだまま目を反らした。
「無関係の輩に攫われたならば、一刻も早く手を打たんと取り返しのつかないことになるぞ! 言うておくが、もし智花が戻らなかった時には、おぬしらの死で償ってもらうぞ!」
猫娘の啖呵に、ギンツォが顔を顰めて無言を貫いていると、手下から治療を受けていたディアが命令する。
「……ギンツォ、言いなさい」
するとイノシシ男は渋々、重い口を開いた。
「実は、スタンド裏で鉢合わせたジャゲに人質が攫われました。見張りの証言では、駐車場に停まっていた青いライドバンを奪って南へ逃走したそうです」
その事実にトオルは目眩に襲われた。ディアたちに勝っても、その対価が保証されないのだから無理もない。
――もう……ダメだ……
二度と妹に会えない絶望感の中で、トオルは最後に見た妹の姿を思い出した。
「智花、家に帰れるよね? またみんなに会えるよね?」
「会えるさ。そして、みんなで一緒に地球へ帰ろう」
「うん。期待して待ってる」
脳内でリフレインする約束の言葉が、トオルの胸を締め付けた。
――ごめん、智花。もう約束は守れそうもないよ
歯痒い悔しさで手足が無意識に震えた。
――何で僕たち兄妹がこんな目にあわなきゃならないんだ
項垂れて失意に打ちひしがれていると、隣に座っていた猫娘が立ち上がった。
「行くぞ! トオル!」
ライドマシンにまたがり、ハンドルを握る保子莉に、トオルははらわたが煮えくり返る思いだった。
「ふざけんなっ! 智花が攫われたのに、レースの続きなんかできるわけがないだろっ!」
「何をたわけたことを言っておる! ジャゲを追うのじゃ!」
保子莉はトオルの早とちりを責めることもせず、代わりにリアクターエンジンを唸らせた。
――そうだ。まだ智花を取り返すチャンスはある!
即座に腰を持ち上げ、後部シートに飛び乗ると、ギンツォが叫んだ。
「お前たち、どこへ行くつもりだ?」
「駐機場じゃ! ジャゲはそこに向かっておるっ!」
「駐機場だとぉ? いったい、何を根拠にそんなことを?」
「勘じゃ!」とアクセルターンでもって、マシンの鼻先を観客スタンドに旋回させる猫娘。
「近道をするから、しっかり掴まっておれ!」
言われたとおりサイドバーを握りしめた途端、ライドマシンは巨大サンゴ樹の観客スタンド目掛けてウィリーした。
「保子莉さん、まさか観客席に突っ込むつもりじゃないよね!」
そのまさかだった。
保子莉はコースと観客スタンドを隔てている塀壁を乗り越え、逃げ惑う観客たちを蹴散らせながら突っ走っていく。そしてスタンド頂上に辿り着くと、そのままの勢いで裏手の駐車場へとダイブした。
「無茶しすぎだよ!」
高さ十メートル以上。その高さからの急落下に、胃袋が喉元まで込み上がった。もうこうなると絶叫アトラクションなどのレベルではない。
「今は一刻を争うだけに、通用口などくぐり抜けている暇などないのじゃ! それよりも振り落とされぬよう、ちゃんと捕まっておれよ!」
応える余裕もなく、反射的に保子莉の細い腰にしがみついた。そうしなければ、間違いなく地面に這いつくばりそうだったからだ。そして二人を乗せたライドマシンは駐車場に着地すると、暴れ馬の如く南に向けて加速した。





