第三章 交渉4
翌日の午後。
断崖絶壁に囲まれた谷間を縫うようにして走る一台のライドマシンがあった。
「…………」
無言でハンドルを握る猫娘。どうやらすこぶる機嫌が悪いようだ。その証拠に彼女の両肩は走り出してから、ずーっと怒りに震えていた。
明日、行われるレースに備え、少しでも慣熟走行をしておこうと言い出した保子莉。予選はライダーのみのタイムアタックなのだが、本戦はガンナーを含めた二人乗り。そのためトオルは加速特性や重心移動などを体で覚える必要があった。だが、肝心なマシンに問題があった。
「ヘイヘイヘイっ! 遅せぇな、猫のネーちゃん!」
「まさか、その旧式マシンでレースに参加するつもりじゃあねぇよな?」
「周回遅れで最下位狙おうってなら、本選前にリタイヤすることをオススメするぜ。なにしろ、このレースには参加賞やブービー賞なんて無いからな」
後方から追い上げてきた参加者たちが、抜き去り際に野次と笑い声を残していく。
――くそ……好き放題言ってくれやがって
こっちは妹と保子莉の未来を賭けて走っているのだ。野次を飛ばすハンマーシャークもどきの宇宙人の目玉にゴム弾を撃ち込んでやろうかと、競技用サブマシンガンの引き金に指を掛けるトオル。昨日に引き続き、つい先ほどまでクレー射撃の的相手に5000発もの練習をしたのだ。それだけに当てる自信はあった。
だが今は練習走行中であり、銃撃でもしようものならば、規定に従いエントリー資格が剥奪されてしまう。そんな規定項目の縛りがトオルの怒りを自重させた。
「まぁ、せいぜい頑張るこったな!」
捨て台詞を残し、砂塵を巻き上げて走り去っていくライドマシンに、トオルが歯ぎしりしていると、ヘッドギアに内蔵されている無線から長二郎の声が流れてきた。
『保子莉ちゃんよぉ……もう何回、同じヤツらに抜かれてんだよ』
「5周じゃ……」
圧倒的なまでの周回遅れ。その様子を渓谷の崖上から見ていた長二郎が『7周目だろ』と訂正する。何しろ、ライドマシンのエンジンはスタートした時から唸りっぱなしなのだ。その不調振りは、後ろに同乗するトオルでさえ理解できるものだった。
そして深くうねる渓谷を抜け、砂丘地帯のコース上でライドマシンが停車した。
「どうしたの、保子莉さん?」
ヘッドギアのシールドを押し上げて、前席の猫娘に声をかければ
「トオルよ。どうやらわらわは、海賊業に身を投じなければならぬようじゃ」
と保子莉は項垂れたまま言葉を紡いだ。
「さすれば、智花はおぬしのもとへ戻れるじゃろう……」
自ら身代わりとなることに、トオルは苛立ちを覚えた。
「本当に、それでいいの?」
「…………」
「それで、保子莉さんはいいのかよ!」
「良くはない……。じゃが、このオンボロマシンでは勝てんのじゃ」
「つまり、戦わずして負けを認めるんだ?」
あからさまな挑発。「そんなことはない!」と、憤怒してやる気を出すものだと思っていた。しかし彼女は無言で小さな背中を向けたままだった。
「やってもいないうちから、負けを認めるなんて保子莉さんらしくないよ!」
「おぬしの言いたいことは分かっておる。それでも……無理なものは無理なんじゃ」
その覇気の無い声に、トオルは彼女に頼ることをやめた。
「もういいよ。僕が運転するから、保子莉さんは狙撃手を務めて」
そう言ってトオルは後部座席を空け、保子莉と入れ替わるように前席に跨がった。
「言っとくけど、僕は最後まで諦めないよ」
トオルはサブマシンガンを後ろの保子莉に預けると、慣れない操作でもってライドマシンを走らせた。
その様子を崖の舳先から見守っていた長二郎も、単眼鏡を下ろした。
「こりゃ、ダメかもな」
そう呟いて、停めておいたミニライドマシンに跨り、レース会場のパドックへ向かう長二郎。すると入れ替わるように、奇抜な出で立ちをした宇宙人が舳先に現れた。
「やっぱり、間違いないYO」
トオルの運転するライドマシンに合わせるように首を振り、頭にかぶったヘルメットのような機械を光らせた。
「ミーがロックオンした以上、もう逃がしませんNE」
スコープ眼鏡を中指でクイッと持ち上げ、ニヤッと笑う宇宙人だった。
二時間近く走り込んだ結果、まったく話にならないほどに遅かった。
――これでは、どうにもならない
覚えたての運転技術もあるのだろうが、慣れ不慣れ以前に、圧倒的にマシンが遅すぎたのだ。
――保子莉さんが諦めるのも無理ないか
洞穴のようなピットガレージにオンボロマシンを押し込み、気力を失うトオルと保子莉。すると敵情視察を終えたばかりの長二郎が戻ってきた。
「どこもかしこも、余裕って感じだな」
そりゃそうだろう。むしろ自分たちのように遅いマシンでレースに挑むほうがどうかしているのだ。
「それで、どうするつもりなんだ?」
勝てる見込みのない状況に、うつ向く二人。
「リタイアじゃ。後でエントリーを取り下げてくる」
このままでは格好の餌食になるだけに、そのほうがいいのかもしれない。
――でも、保子莉さんが……
隣の椅子に腰掛けている猫娘の行く末を案じていると
「その必要はないYO!」
陰気に沈んでいたピットガレージに、陽気な声が飛び込んできた。見れば、見慣れぬ宇宙人が一人。長く蓄えたモジャモジャの顎髭を首に巻き付け、電飾が施されたサイバーパンク風の服をまとっている。
「あんだ、お前? このあたりじゃ、見ない顔だな」
チンピラのように難癖をつける長二郎。この星を訪れてから、まだ三日しか経っていない自分たちのほうが新顔のような気がするのだが。
「さては敵情視察か? だったらお門違いだな。あいにく、うちのチームはそんな価値はねえから、他を当たりな」
と手をヒラヒラと振って追い払う長二郎。だが……
「アロ? アロなのか?」
椅子に腰掛けていた猫娘が、突然現れた宇宙人に詰め寄った。
「ヘーイ、ボス。ご無沙汰YO」
「何がご無沙汰じゃ! いったい、どこをほっつき歩いておったのじゃ!」
「それは違うYO。むしろミーのほうがボスに言いたいNE。でも、今はそれどころじゃないはずYO」
そう言って、アロはオンボロライドマシンを指差した。
「エントリー表見たYO。そのマシンでライドガンナーレースに出場するつもりですKA?」
すると保子莉は沈鬱な面持ちでかぶりを振った。
「あの遅いマシンでは勝負にならんのでな、レースは諦めることにした」
「遅い? OH! それは残念YO。でも速ければ問題ナッシンGU?」
記憶学習により銀河標準語をマスターしたトオルでさえ、アロの言葉は理解しがたいものがあった。しかし保子莉だけは彼の言っていることを理解できるらしく
「もしかして速くなるのか?」
「ミーの技術なら、確実NE」
スコープグラスをクイっと持ち上げてニヒルに笑うアロに、長二郎が眉をしかめた。
「保子莉ちゃん。いったい、なんなんだよ、こいつ?」
「我が社の専属メカニックマンじゃ」
その降って湧いたような対人関係に、驚くトオルたち。もし、それが本当なら鉄屑同然のライドマシンも洗練されるかもしれない。
「それで、このマシンのどこが悪いのじゃ?」
「ミー、渓谷からズーッと観察してたYO。マシンサウンド聞く限り、どこも変じゃないNE」
「ちょっと待て。その前につかぬことを聞きたいのじゃが」
と広げた手のひらをアロの口元にかざす保子莉。
「八ヶ月前にサリュン星で行方をくらましたおぬしが、なぜここにおる?」
「行方不明になった覚えないYO。掘り出し物のメカが、サリュンオークションで出品されているから、ちょっと競り合っただけNE。で、競りに負けて港にリターンしたら、キャッツベル号が消えてたYO」
「たわけ! 出向間際に船を降りるヤツがどこの世界におる! もう、これで3度目じゃぞ!」
保子莉曰く、出向から三日後にアロが乗船していないことに気づき、サリュン星に戻ってみれば、すでにアロはいなかったらしい。……と言うよりも、三日間誰も気づかないことのほうもびっくりである。そして置いてきぼりを食らった当の本人と言えば、珍しい機械を求め、星々を放浪していたらしいのだが。
「タルタル星でライドガンナーレースが行われるのを知って、見に訪れたら、ボスがエントリーしてたYO」
「さすがに今度ばかりは、おぬしとは会えないだろうと思っておったが……ここで会えたことは、不幸中の幸いじゃったかものぉ」
「そうYO。ミーに再び会えたボスは、とってもラッキーNE」
「たまにイラッとさせられるがな。それで、このマシンをどうするつもりなのじゃ?」
「クールに改造するYO」
「しかしのぉ、ショップのヤツもタダでくれてやると言っておったゴミ同然のシロモノじゃぞ。そんなモノに手を加えたところで速くなるのか?」
「ノンノン。それは現行車の方が売れるからYO。旧車種は不人気で邪魔なだけNE」
「つまり厄介払いということか。そもそも、わらわには現行車と旧車の違いが分からんのじゃが」
「そこのライドマシンはビッグマルチリアクターエンジン。現行車はクォーターサイズのトリプルリアクターエンジンYO。つまりエンジンのリアクター数が違うNE」
メカに疎い三人でも、数を並べられてしまえば理解も容易い。2つと3つでは、走りに違いも出るのも当然だった。
「では、おぬしの技術でエンジンを4つにしてくれ」
「OH! パーツも規格も違うから、それはムリNE」
「なら、どうするつもりなのじゃ?」
「リアクターエンジンを高出力モードにセッティングし直して、最大出力をギリギリまで上げるYO。もちろんそれに合わせてフレーム強化、あと旋回能力も低いから、強化スタビライザーもブチ込むつもりYO。つまり手当たり次第の大改造NE」
アロはそう言って、両手にVサインを作ってカニ爪のようにクイクイ動かした。
「言っていることはさっぱり分からんが、おぬしのすることじゃ、間違いはないのじゃろう。それで、どのくらいで完成する?」
「ご希望はいつですKA?」
「明朝から予選が行われるのじゃが、それまでに完成させられるか?」
「不眠不休はイヤだけど、ボスのためなら徹夜も覚悟の上YO」
おどけたポーズで笑うアロに、保子莉の表情に笑顔が戻っていた。
「保子莉さん。アロさんって、そんなに凄い技術者なの?」
レース会場近くのライドショップから借りた大型工作機械を運びながら訊けば
「格好と頭は変じゃが、腕は超一流じゃ。あれは確か、去年くらいじゃったかのぉ。とある海域で船が立ち往生してしまったことがあってのぉ」
迷い込んでしまった小惑星帯のど真ん中で、保子莉所有の商船であるキャッツベル号のメインエンジンが故障し、立ち往生したことがあったらしい。しかも直すにあたって、ドック入りしなければならないほどの致命的な損傷。それをアロは、漂流中の二日間で応急処置を施し、航行状態にまでに回復させたというのだ。
「寄港先のドック作業員たちも驚いておったわい」
プロも認める腕前。そんな優秀な技術者を、いったいどこで雇ったのだろうか。
「うちのダリアックの知り合いじゃから雇ったまでじゃ。じゃが、珍しい機械に目がなくてのぉ、そんな物を見つけてしまうと、こっちの都合などお構いなしに、どこかへ消えてしまう癖があるのじゃ」
先ほどのサリュン星の件が、その実例なのだろう。それはどうであれ、こうして再会し、ライドマシンを直してくれるのだから、幸運としか言いようがない。
これで万全を期して挑める。と見え始めた希望の光に、気持ちが晴れていくトオルだった。
その夜。
ライドマシンの改造をアロひとりに任せ、宿泊ホテルへと戻った。問題のライドマシンはアロの見立て通り、なんとかなりそうだ。
その代わり、あることがトオルを悩ませていた。
「トオル、頼む! 一生のお願いっ! 今夜はエテルカと一緒にいさせてくれ!」
頭を床に打ち付けて土下座する親友。その懇願に、トオルは首を横に振ることができず、『半月の間』を長二郎に明け渡したのだ。
――保子莉さんに泊めてもらうのは気が引けるなぁ
他に行く当てもなく『新月の間』の前でウロウロしていると、突然ドアが開き、シャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。
「や、やぁ、保子莉さん」
愛想笑いをするトオルに、ネコ柄パジャマを着た猫娘がいぶかしんでいた。
「さっきから、妙な気配が漂っているとは思っていたが、まさか夜這いをしに来たのではあるまいな?」
腕組をして蔑すさむ保子莉に、トオルはしどろもどろで答えた。
「いやぁ、実はそのぉ、エテルカさんが部屋に遊びに来ていて……」
「それで二人に気を使って部屋を出てきた、と言ったところか。大方、おぬしのことじゃ。無理矢理、あのアホににせがまれでもしたのじゃろ?」
そして廊下越しに隣室をひと睨みし
「ルームメイトを追い出して、女を連れ込むとは良い度胸をしておるのぉ。どれ、おぬしの代わりにわらわが話をつけてきてやるわい」
肩を怒らせて『半月の間』に向かう保子莉に、トオルは焦りまくった。
「ダメだよ、保子莉さん! 二人の邪魔しちゃ悪いよ!」
「アホか! 元々はおぬしとの相部屋なのじゃぞ! 邪魔も何もあるものかぁ!」
がなり立てる保子莉に、トオルも必死に説得を続ける。
「二人とも幸せに浸ってるみたいだから、しばらくそっとしてあげようよ!」
「幸せじゃと? ならば、なおのこと、その幸せとやらをブチ壊して、現実を思い知らさせてやる」
悪魔のような薄ら笑いを浮かべる保子莉。もしここで邪魔などをして事を荒立てれば、長二郎に怨まれるどころか、エテルカの機嫌を損ね、人質である智花も無事で済むはずがない。
「やめようよ、保子莉さん! そうやって人の嫌がることしちゃダメだよ!」
とトオルは黒い尻尾を逆立てて前進する保子莉の前に立ちはだかった。
「嫌がる以前に、おぬしが行き場を失って困っておるじゃろうに? なんで、そんなにも自分を犠牲にできるのじゃ?」
「僕がちょっと我慢して他の人が幸せになるなら、それでいいんだよ」
すると保子莉は大きなため息を吐いた。
「おぬしは本当にお人好しじゃのぉ。おかげで聞いてるこっちも興醒めじゃわい」
トオルのしつこさに根負けした保子莉は、抗議しに行くことを諦め、『新月の間』のドアを開けた。
「そんなところで、みすぼらしく居座られてはわらわが恥ずかしい思いをするのでな……そのぉ、おぬしさえ良ければ、今夜はこっちで寝るが良い」
少しだけ顔を赤らめる保子莉。耳たぶまで赤いのはお風呂上がりだからなのだろうか。
「ありがとう、保子莉さん」
一時は廊下の隅で雑魚寝することも考えていただけに、彼女の気遣いに救われる思いだった。
「保子莉さんは優しいね」
すると保子莉は、フンッと鼻を小さく鳴らした。
「大事なガンナーに風邪でも引かれては困るからのぉ」
とパートナーを気遣う保子莉。しかし……女の子と二人っきりというのも、ちょっとまずい気がする。
「や、やっぱりいいよ。女の子の部屋に泊めてもらうわけにはいかないから、僕はロビーかどこかで寝ることにするよ」
若い男女が同じ部屋で一晩を過ごすわけにはいかない。……とトオルが転移エレベーターへと向かおうとした途端、保子莉に耳をギュッと掴まれた。
「何を言っておる! わらわが良いと言っておるのじゃから、黙って入れ!」
「痛てててっ! 耳が千切れる千切れる!」
「やかましい! ほれ、さっさと入らんかっ!」
保子莉は無理矢理トオルを部屋へ引き込むと、ドアを静かに閉めた。
この後、保子莉の薦めでマタタビ酒を呑むことになるのだが……就寝までの出来事は、なぜかトオルの記憶に残っていなかった。





