第二章 智花サプライズ7
一方、その頃。
トオルは賑わう繁華街へと繰り出していた。物珍しい宇宙人や露店商。しかし、なぜかイマイチ気分が乗らないでいた。
――やっぱり、ひとりだとつまんないなぁ
一生に一度来れるかどうかも分からない異星の観光。そんな思い出作りを、誰かと共感したかったのだ。
――保子莉さんを誘ってみようかな
ホテルに戻り、転移エレベーターを使って宿泊階に移動した。そして長二郎との相部屋である『半月の間』へと向かう途中で、保子莉たちの部屋のドアが開けっ放しになっていることに気がついた。
不用心だなぁ……。と『新月の間』を覗き見れば、部屋の奥から保子莉の声がした。
「おーい、智花ぁ。どこじゃ? おるなら、返事くらいしてくれぇ」
――智花のヤツ、また何かやらかして、保子莉さんに迷惑をかけてるのか
何しろ落ち着きのない性格だ。おとなしくしていられるほうが不思議だろう。
「智花がどうかしたの? 保子莉さ……っ!」
兄として妹を叱ろうと部屋の奥に踏み入った途端、肩からバスタオルを引っ掛けた保子莉の裸が目に飛び込んできた。きめ細やかな白い肌。小振りな胸。キュッと上向きにあがったお尻と猫の尻尾。健康的で引き締まった脚。その姿に見とれ、言葉を失うトオルだったが、保子莉と目が合った瞬間、すぐに顔を背けた。
「いや、違うんだ! 違うんだ! 保子莉さん! 見たくて見たんじゃないんだよ!」
出会い頭の事故だと言わんばかりの言い訳を並べ、部屋を出て行こうと踵を返そうとした途端、猫娘が宙を舞っていた。
「このノゾキ魔がぁぁぁあ!」
尻尾を逆立てて牙をむき、鋭い爪を振るって襲ってくる猫娘に対し、反射的に身を転がせば、五指の爪が頭の上を掠め、背後の壁を削っていた。
「うそ……」
保子莉を見れば、翠色の猫目に猛獣のような殺意を宿らせていた。武器である猫族の爪。そんなものに切り裂かれでもしたら、命がいくつあっても足りないだろう。事実、我を見失った保子莉が両腕を振り回す度に、備え付けの棚や置物がズタズタに切り裂かれていく。トオルは死に物狂いで逃げ回り、ベッドの影に身を隠して叫んだ。
「保子莉さん保子莉さんっ! 僕だよ僕! トオルだよ!」
命懸けだった。これで正気に戻らないようであれば死は確実。
「落ち着いてっ! お願いだから落ち着いてっ! 保子莉さん!」
トオルの必死の呼び掛けに、猫娘の瞳から殺意が消えた。
「ほ、保子莉さん?」
とベッドの陰から頭を出せば、保子莉が自身の素っ裸に驚いていた。
「ば、馬鹿者っ! コッチを見るでないわ!」
保子莉は顔を真っ赤にしながら、ベッドからシーツを剥ぎ取って体をくるんだ。
「なっ、何でわらわの裸を見たのじゃ!」
「だから、見たくて見たわけじゃないよ。部屋のドアが開けっ放しになってい……」
だが保子莉はろくすっぽ理由も聞かず、キッとトオルを睨みつけ、ドアをの方を指差した。
「今すぐ、ここから出てけぇぇぇぇぇっ!」
「分かったよ。出て行くから、そんなに怒らないでよ」
これ以上、機嫌を損ねてならないと、トオルがノソノソと立ち上がると
「怒ってなどおらんわいっ!」
猛り狂う保子莉に煽られるようにして、トオルは部屋の外へと飛び出した。
「いったい、なんなんだよ。ドアを開けっ放しにしている方が悪いのにさ」
文句を垂れながら、その場に腰を下ろし、閉めたドアに背中を預けた。
――でも、綺麗だったなぁ
事故とは言え、ちょっとだけ得した気分だった。白い柔肌とスラリとした細腕と脚。小柄で華奢だが、キュッと締まった細い括れと腰付きが女らしさを醸し出していた。
――子供っぽいのかと思ってたけど……結構、色っぽかったなぁ
もう一度、じっくり眺めてみたい。でもそれは無理だろう。あれだけ理性を見失い、取り乱していたのだ。今度、そんなことがあった日には命がいくつあっても足りないだろう。
そんなことを考えながら、まぶたの裏に焼きついた保子莉の裸を思い出していると
「智花ぁぁぁぁ! ……っん?」
唐突にドアが勢い良く開き、身構える暇もなく反対側の壁に弾き飛ばされた。
「おぬし。こんなところで、何をしておるのじゃ? まさか、覗きか?」
服を着ている保子莉に、トオルはひっくり返ったまま愛想笑いを浮かべた。
「いや、その……ちょっと……」
彼女の機嫌を損ねないように言い訳を模索した。……が保子莉はそのことを問い詰める気はないようで
「そんなことは、どうでも良いわ。それよりトオル。智花を見かけなかったか?」
ひっ迫した表情の保子莉に、トオルは身を起こしながら尋ねた。
「いや、見てないけど。智花がどうかしたの?」
「それがどこにもおらんのじゃ」
「たぶん散歩にでも出掛けたんじゃないの? 兄の僕が言うのもなんだけど、智花の行き当たりばったりの行動は今に始まったことじゃないよ」
すると保子莉が解せないとばかりに眉間に皺を寄せた。
「じゃあ、これを見て同じことが言えるのか?」
手招きされて部屋に入ると、保子莉が智花のベッドを指差した。
「兄のおぬしなら良く知っておるじゃろうから訊くが、智花はこんな脱ぎ散らかしたままで外出する性格なのか?」
ベッドの上に散乱している私物。枕元には妹のナップサックと携帯電話が放置されていた。まるで、つい今しがたまでそこに居たような痕跡だった。
「お風呂にでも、入ってんじゃないの?」
とは言え、先ほどの裸騒動のとき、妹の気配がまるでなかった。あれだけの大騒ぎを起こしたのだ。普通なら何かしらのリアクションがあっても良さそうだが。
「風呂に入っておったのはわらわだけで、智花は入っておらん」
苛立ちと動揺を隠しきれない保子莉に、トオルは冷静に言った。
「ドアが開いていたくらいなんだから、ジュースとか、買いに出かけたんじゃないの?」
すると、保子莉の顔色が一変した。
「ちょっと待て。ドアが開いていたと言うのは本当なのか?」
「うん。それがどうかしたの?」
と言うより、戸締まりをしてなかった方が驚きだ。すると保子莉が思索を巡らし……
「まさかとは思うが……。トオルよ、一緒にロビーへ参るぞ!」
理由も述べず、足早に部屋を出て行く彼女。
――べつに行方不明になったわけじゃないんだし、なにも、そんなに大騒ぎしなくても……
智花のことだ。どうせ、そのあたりをウロウロしてるに違いない。と思っていたトオルだったが……
「お客様と一緒にお帰りになられてからは、お連れの女性は一度も見ておりませんが」
受付のホテルマンの証言に、トオルと保子莉は青ざめた。
――いったい何がどうなってるんだ?
煙のように忽然と消えた妹。その謎の失踪に、トオルたちが困惑していると……
「自警団にお願いして、捜索してもらいましょうか?」
ホテル側からの申し出に、トオルは迷うことなく依頼を決断した。慣れぬ惑星で土地勘も働かないのだ。ここは地元の宇宙人たちに任せるのが妥当だろう。しかし……
「いや、結構じゃ」と保子莉が断った。
行方不明と確定するには、まだ早計ということなのだろうか。とトオルは保子莉の判断の元、ホテル内を捜索することにした。廊下や非常階段。共用部分のあらゆる場所を隈なく探す。だが、それでも妹を見つけることができなかった。
「もしかしたら、何者かに誘拐されたのかもしれん」
部屋に戻り、彼女はそう呟いた。各階をしらみつぶしにし、数時間にも及ぶローラー作戦を終えた結論だった。
「でも、なんで智花が狙われなければならないのさ?」
いったい誰が何の目的で。そもそも見ず知らずの妹を攫って何の得があるのか。
「おぬしの言わんとしていることは分かる。しかし智花が純人間である以上、それは人身売買の対象となるのじゃ。しかもここはおぬしたちの住んでいる治安の良い日本とは違い、人ひとり目の前で居なくなっても、何ら不思議なことではないのじゃ」
外国において邦人が誘拐される報道を目にしたことはあった。だが、それはあくまでも対岸の火事であり、まるで他人事のように思っていた。……が、まさかそんな恐ろしいことが身内に及ぶとは思いもしなかった。しかもここは見知らぬ惑星だけに、今後どのような対策を練ればいいのか、まったく分からなかった。とりあえず妹の荷物を調べてみる。パジャマや替えの下着がそのままのところをみると、着の身着のままのようだ。しかし、そこから先の行動において、一切の手掛かりが見当たらない。その神隠しのような失跡に、保子莉も焦燥を浮かべていた。
「智花……」
言い知れぬ重い空気が二人の気持ちを締め上げる。圏外表示のスマートフォンで時間を確認をすれば、智花失踪から、かれこれ五時間が経過しようとしていた。
「警察に連絡しよう。ね、保子莉さん。そうしようよ」
親の手の届かない場所で妹が行方不明になってしまった事態に、トオルは迷うことなく公安機関の要請を口にした。しかし彼女から返ってきた言葉はあまりにも残酷なものだった。
「残念じゃが、この星に警察など存在せん。おるのはこの辺り一帯を取り仕切る自警団だけじゃ」
「じゃあ、その自警団の人たちに智花を探してもらおうよ!」
「自警団とは観光用の肩書きであって、裏を返せば地元を牛耳るマフィアみたいな連中じゃ……。そんな輩が果たして素直に智花を探してくれるかどうか」
「でもこうやって困っているんだから、頼めば探してくれるよ!」
思わず声に力が入った。しかし
「人身売買において、わらわを含む純人間の類は高値で取引される世界なのじゃぞ。仮に、もし連中の中に邪な考えを持つ輩がおったりすれば、身柄を拘束されて売られる危険性を孕んでおる。何しろ連中が見つからなかったと隠蔽してしまえば、それまでなのじゃからのぉ」
いつになく消極的な保子莉に、トオルは声を失った。もしこの広い宇宙で、智花と離れ離れにでもなれば二度と会うことができなくなる。そんなことを想像した途端、切なく苦い想いが喉元に這い上がった。
「ダメだ。……絶対にダメだっ! 僕ら兄妹が一生、会えなくなるなんて絶対にあってはダメだっ!」
人一倍騒がしくハチャメチャな妹とは言え、姿はおろか声も聞けなくなるなんてことは、考えたくもなかった。
「もちろんじゃ。取り合えず、もう一度ホテル内を探してみよう。今度はホテル側の協力も得て、全ての部屋を徹底的に調べよう!」
意を決して頷く保子莉。その瞳には力強い光が宿っていた。
――どんなことをしてでも、智花を見つけなきゃ!
それがたとえ宿泊中の客に迷惑が掛かろうとも、なりふり構ってなんかいられない。善は急げ。と再捜索に出かけようとした時だった。唐突に卓上通信モニターの電子音が響き渡った。
「何じゃ、この大事な時に」
憤慨する保子莉とは対象的に、トオルの心中に期待が満ちた。
「もしかして智花が保護されたんじゃ?」
「おおっ! そうかもしれんな!」
表情を明るくし、保子莉が卓上通信モニターにアクセス許可を出すと、ホテルマンの姿が立体映像として浮かび上がった。
『こちら受付で御座います。外線よりお客様宛に通信が入っておりすが、お繋ぎいたしますか?』
「外からじゃと?」
心当たりがないのだろうか、虚脱と共に眉を顰める保子莉。そしてトオルを一瞥しながら接続許可を出すと、ホテルマンと入れ替わりに『相手の都合により映像はありません』というメッセージが表示された。
『よぉぉん! チャップぅん! 元気かぁん?』
ガラの悪い陽気な声に、保子莉が猫目を見開いた。その反応にトオルは通信相手は彼女の知り合いだと解釈したのだが、保子莉は歓迎するどころか、硬い口調でもって応答する。
「どちらさまか存じませんが、私に何の御用でしょうか?」
『おやぁん? 何あらたまって敬語なんかぁん使ってんだぁん? 船の襲撃以来ぃん、もうその手は通用しないぜぇん』
――襲撃? 船? まさか相手は海賊?
人より察しの鈍いトオルでも、流石にこのキーワードは聞き逃さなかった。すると保子莉は態度を一転させ、フンっと鼻を鳴らした。
「それで、ジャゲがわらわに何用じゃ?」
『オイオイ~ン。手荒い歓迎をしておきながら、ずいぶんツレねぇ態度じゃねぇかぁん? あぁん?』
「生憎、海賊などの知り合いはおらんのでな。それで要件は何じゃ? さっさと申せ」
智花失踪に続き、敵対する海賊からの通信だけに、保子莉の表情にも余裕がない。
『まぁ、そう急くなぁん。ところでぇん、お前んとこの妹は元気かぁん?』
ジャゲの煽るセリフに、トオルは保子莉と共に卓上通信機に飛びついた。
「智花を攫ったのは貴様かぁぁあ!」
牙をむき出して取り乱す保子莉。相手は智花誘拐の犯人。それを知って、トオルの背筋が凍りついた。
『ウヨヨヨーヨン。気付くのが遅せぇんだよぉん、バーカァ!』
「貴様ぁぁ! 智花をどうするつもりじゃ!」
怒り心頭の保子莉に、誘拐犯がせせら笑った。
『はあぁん? そんな態度をしてぇん、妹がどうなってもいいのかぁん?』
相手の脅迫に、保子莉が言葉を詰まらせ……トオルも息を呑んで彼女の対応を見守った。
『あぁん? 返事がないなぁん? ウヨウヨウヨ。お前の泣きっ面を想像すっと、最高に愉快な気分だぁん』
「いったい何が目的じゃ! 金か?」
『身代金の要求も悪くはないなぁん。でもぉ俺様はぁ、お前の跪く姿が見たいんだぁん』
「ならば、無関係の智花を攫うことはなかろう!」
『バカかぁ? 人質無くして、お前と直接交渉なんて出来るわけないだろぉん』
「だったらすぐにおぬしのもとに参って、土下座でも何でもしてやるわい! だから今すぐ智花を解放せい!」
『それはダメだぁん。明朝、落ち合う場所を指定してやるからぁん、それまで、せいぜい自分の行ないを後悔して眠れぬ夜を過ごせぇん。ウヨヨヨーヨン』
下品な笑い声を残し、ジャゲは一方的に通話を切ってしまった。
「何ということじゃ。よりにもよって、あのジャゲに付け狙われておったとは」
愕然となってその場に跪く保子莉同様、トオルも目眩に襲われた。そもそも、どうして智花が攫われなければならなかったのか。いずれにしても詳しい事情なり理由を知る必要があった。
「保子莉さん。なんで智花が誘拐されることになったのか、教えてくれないかな」
トオルの眼差しを見据え、保子莉が重い口を開いた。
「そうじゃな。智花の身内であるおぬしには正直に話さねばならん」
彼女は顔を上げ、険しい表情のままで事の経緯を語り始めた。





