4
「……あ……あの……」
ピンク髪の少女が怯えた顔で震えている。先程までシンと話をしていた少女だ。
「レミだったか?」
「え……!?」
「悪いな、ふたりの話は聞かせてもらった」
腰をかけるのにちょうど良さそうな倒木があったので、そこに座った。
レミも隣に座るように促すと、少し間をあけて大人しく腰を下ろした。
レミの表情からはまだ警戒心が見て取れた。当然だろう。今日村を訪れたばかりの見知らぬ男と森の中で二人きり。
俺だって警戒する。
いくら魔法が使えると言っても、非力な、年端もいかない少女の抵抗などたかがしれている。俺がその気になれば簡単に彼女を襲うことができる。もちろん襲ったりなんてしないが。
だが、こんな状況で少女を残して一人だけさっさと逃げていったシンには呆れてものも言えない。
あの少年の頭の中身はどうなっているんだ。まさか見捨てていくとは思わなかった。
まあ、シンのことは後回しだ。
それより先に少女への要件を済ませよう。彼女に伝えたいことがある。
「君が魔法を使えるというのは本当か?」
「……っ!」
少女はびくり、と大きく肩を震わせた。
どうやら嘘がつけない性格らしい。怯えた目には涙が浮かんでいた。
気がつかない振りで話を進める。
「回復魔法らしいが、どうやって覚えたんだ? 誰かに指示したのか?」
「…………」
考え込んでしまった少女を急かすことはせず、彼女が自分から口を開くのを静かに待った。
たっぷり五分は経った頃、ようやく落ち着いてきたのか、ポツリポツリと話をしてくれた。
「……巡礼の、司祭様の回復魔法を見た時に――」
魔法というのは、自分の魔力を使い、望むままに現象を起こすことだ。
魔力を持つ人間は少なく、また魔力には向き不向き、つまり適正が存在している。
そしてどうやら、レミは回復魔法の適性が高かったらしい。
二、三年に一度村を回ってけが人や病人に治療を施す巡礼司祭という制度があるのだが、その巡礼司祭が村で治療に使った魔法を見て、独学で回復魔法を覚えた、とレミは言った。
(なるほど、確かに凄い才能だ)
普通は魔法は誰か先達について教わるものなのだ。それを師となる人物もいないまま、見様見真似で魔力を使い魔法という形で発動できたのだから、間違いなく非凡な才能の持ち主と言えるだろう。
冒険者は怪我が絶えない。回復魔法の使い手となればそれだけで絶大なアドバンテージを得られる。
俺の知り合いの冒険者にも、大怪我を負って引退したり、後遺症が残ったり街の外での活動中に病を得たりした人間が何人もいた。彼らに回復魔法の助けがあれば、今でも元気に冒険者を続けていられたことだろう。シンが言っていたこともあながち間違いではない。
「そう、なんですか……回復魔法が……この力があれば……」
もしかして冒険者の話を詳しく聞いたのは初めてだったのだろうか。
俺が語った何人かの冒険者たちの末路を耳にして、何かを考え込むように再び黙り込んだ。
「……確かに君の魔法は魅力的だ。だが、はっきり言うぞ」
思考の海に沈みかけたレミを無理やり引き上げ、彼女に告げるべき言葉を口にする。
「君は冒険者にならない方がいい。真っ当な相手を探して結婚しろ。君は家庭に入るべきだ」
嫁に行き、子をもうけ、母となる。
ごく普通の人の暮らしを手に入れる。
それが彼女にとっての幸せだろう。
わざわざ冒険者などに身をやつすものではない。
「で、でも……シンくんが……それに、結婚相手なんていません……持参金も……」
「心配するな、あいつは俺が面倒を見る。やる気だけはあるようだし、特に問題はないだろう。そんなことよりも、だ」
農村部では子供は労働力だ。生めるだけ生んでおいて、成人後に縁談を用意できないなんて話はざらにある。そういう人間が街に来て冒険者になるのだ。
だが、その子供が魔法使いなら話は一変する。
「魔法というのは単純なものでも強力な効果をあらわす。それが回復魔法なら、どんなに簡単なものしか使えなくても婚姻の希望者が殺到するはずだ」
「え……?」
「持参金が用意できないという話だったが、回復魔法が使えるだけで十分な箔が付く。下手をすれば金貨を積み上げる以上の価値が有るだろうな。使える魔法の威力次第で貴族の末席にすら手が届くぞ」
「き、金貨……!? 貴族……!?」
「滅多にない話だが、回復魔法を使える平民の娘が騎士や男爵家の一員に迎えられたという話を聞いたことがある。さすがに正妻ではなかったそうだが、回復魔法の使い手として嫁入りしたのだからそう邪険にはされないだろう。この村で暮らし続けるよりいい暮らしができるのは間違いない」
回復魔法は基本的に教会に行くしか受けられない。喜捨という名の対価も必要になるし、受けるためにいくつかの手続きも必要となる面倒なものだ。
それが自宅で簡単に受けられるのだから、上流階級の人間にとっても回復魔法の人間を迎え入れるというのは大きなメリットになる。
「貴族ではなくても、大きな商会の会頭や兵士長といった街の名士に嫁いだり、あるいは婚姻をしないまま、どこかの家のお抱え回復魔法使いとして召抱えられたり。君の価値を示せばいくらでも道は拓ける」
「……私の……価値……」
「そうだ。だから、無理して冒険者になんてなるもんじゃない。よく考えるんだ」
「…………はい」
神妙な顔で頷く少女の姿を見て、俺はひと仕事終えたような気分になった。肩の荷が下りた。
何度も言うが、回復魔法が使えるというだけで彼女はいくらでもマシな暮らしを選べるのだ。
それなのに、他の選択肢の存在も知らないまま、冒険者なんていう仕事を選んでしまうのでは流石に不憫すぎる。
荒事に慣れている風にも見えないし、このまま街の人間と普通に結婚をして、普通に家庭に入るのが彼女の為だろう。
(回復魔法の使い手が入ってくれれば色々と助かったが……騙して引き入れるようなものじゃないからな)
ギルドの為に少女一人の人生を台無しにするようなことはできない。ギルドマスターも残念がるだろうがこの判断を支持してくれるだろう。
――話し込んでいる間にすっかり暗くなっていた。さすがに森で一晩明かすつもりはないので少女と一緒に村へと戻った。
村の明かりが見えてきたところで少女とは別れ、俺は祭のご馳走と酒を少しだけ楽しんで横になった。