第八十三話 「あーあ、魔女になっちゃった……」
闇堕ち展開
「 お ま た せ 」
私、アンジェリカ・ルドフィートは今、魔女になろうとしている。
あれほど魔女にはなるまいと息巻いてたのに、不思議なものね。
……いいえ、それは違うわ。
実を言えば、私は心のどこかで諦めてたのよね。
結局は、なるようにしかならないって。
みんなには、悪いなとは思いつつね。
そうして、ついにその瞬間が来てしまったという事。
私は誰かに道を決められるのが嫌で、自分で道を探したかった。
その結果がこれだなんて、笑い話にもならないわね。
倒すべき魔王に、こうして力を借りようとしている。
魔王の言葉が真実かどうかも判らない。
なのに、奴の提案に乗るしかないんだもの。
馬鹿みたいでしょ。馬鹿よ。
……シンがメイという仲間を連れてきてから、私はすごくイライラしてた。
何を考えてるか判らない、張り付いたような笑顔。
レクリエーションとしてポーカーを提案してみたけど、やっぱりあの子はよく判らない。
シンがロイヤルストレートフラッシュで上がれるように仕組んでいたし。
好きだからって普通そこまでする?
それとメイは、最初の頃は力を失ったと主張していた。
今は取り戻して、瞬間移動で勝手に行方をくらませる程度には元気らしいけど。
初めから隠していたなんて事も有り得るじゃない。
もしも、メイがザイトンを隠れ蓑に暗躍していたとしたら?
その時は誰が戦うのか。
ファルドもルチアも、きっと優しいから手加減しちゃうかもね。
シンはあんな調子だし、ヴェルシェだって肝心な時にヘマをやらかす。
……現在進行形でヘマをやらかした私が言うのも何だけど。
それでも、いざという時に存分に戦える奴がいてもいい。
「もしもケリを付けたいなら、まずは生き残る事だ。で、その為にどうする?」
魔女になれば、良心の呵責が取り払われるかもしれない。
今まで出会ってきた魔女は、必ずしも魔王に付き従っているワケじゃない。
「魔王。私を、魔女にしなさい」
「契約成立だ」
――だから私は魔女になる。
何があっても、私の大切なみんなを失ったりしないように。
どんな危険な賭けだとしても、大切な誰かが一人でも勝てるように。
「ごめんね、シン」
私は魔王のほうへと向き直った。
こうして近くで見てみると、やっぱり怖い。
超然としていて、誰も手が届かないような……そんな怖さ。
「最初は痛いと思うが、我慢してくれ」
「いいから、早くしなさいよ」
精一杯、虚勢を張った。
それくらいなら、私にもできる。
「威勢のいい子は、嫌いじゃないぜ」
魔王の右手に、凝固した血液のようなドス黒い色のダガーが現れる。
魔王はそれを私の胸に、グサリと突き刺した。
「――ッ! う、ぐうう……!」
心臓が焼けるような痛みを発している。
その痛みが、じわじわと全身に脈打ちながら広がっていく。
なのに、身体はぴくりとも動かない。
完全に固定されている。
それから足元に、これまた黒々とした魔法陣が現れる。
魔法陣からは蛇のような塊が幾つも、私の身体に絡みついていく。
「うぅう……ぐ――!」
蛇が足元から這い上がって、ダガーを刺された場所に次々と流れ込んでくる。
私をその身体に結び付けて。
恐怖で喉に声がつまり、何もしゃべれなくなった。
恐ろしさに涙が出てきた。
激烈な痛みが暴れながら膨れ上がっていく。
「――! あ、ぐッ、う、ああああああっ!」
骨に染みるような痛み。
肉にではなく、骨に何かが染み渡っていく感じ。
根底から書き換えられるような……
頭の中は恐怖と苦痛でいっぱいになった。
何が「最初は痛いかも」よ!
ずっと痛いままじゃない!
確かにこれを受け入れるって言ったのは私。
こうするしかないって判断したのも私。
一本道なんて蹴散らしてやるなんて豪語しながら。
結局は予言通りに魔女になる道を選んだのは。
紛れも無く、この私自身なのよ。
だって、仕方ないじゃない。
魔王と戦う前に、あんな前時代の遺物と戦わなきゃいけなくなったんだもの!
……挙句、シンを人質に取られた。
なんて、誰かのせいにしちゃいけない。
私の落ち度よ。
魔女の墓場に勝てるワケない、魔王に勝てないかもしれない。
少しでもそう思ってしまった。
冒険しながら、上辺では楽しみながら。
私はいつも逃げてきたの。
ファルドに付いて行く時は、煩わしい学校や親から。
逃げて、押しのけて、どこかに追いやって。
そのツケを払うのが今って事よ。
ここから先は真正面から戦いたい。
けど、それを私だけの力じゃ自信がない。
……ハッ、とんだ卑怯者ね。
格好つけてるだけで、結局は一人で何もできやしないんだから。
メイを疑ってる? いざという時に私がみんなを守る?
違うわ。
私は、怖かった。
幼馴染という関係にしがみついている、私自身の厚かましさが。
魔術は炎しか使えない。
みんなと違って特技があるワケじゃない。
愛想も無いし、素直じゃない。
いつ見捨てられてもおかしくないのに、私はいっちょまえに意見している。
悪魔に魂を売ってでも、存在価値を証明したいのよ……。
私は正しい事をしてきたって、その為に自分を犠牲にしたって認めて欲しかったのよ。
私は、自分が正しいと思ってこの道を進んだ。
だから後悔なんてしていない……そう認めさせたかったのよ。
「あっ……――」
身体の硬直が解かれ、私は地面に膝をつく。
気だるさで、瞼が自然と降りていった。
私の感情が、すうっと音もなく消えていく。
何も感じない。何も思えない。
寝起きのような、フラットな感情。
ふと、脳裏に奇妙な文字の羅列が浮き出た。
『最大体力:268
最大魔力:377
物理攻撃力:16
魔術攻撃力:84
物理防御力:12
魔術防御力:33
敏捷性:47』
なに、これ……?
「ステータスだよ。魔女になれば、そいつが見えるのさ」
頭の中に、声が直接響いてくる。
ステータス……よく解らないけど。
これが、私の身体能力を指し示してるって事?
「その通り。で、本題はここからだ。よく見ておけよ」
それぞれの項目の隣に記されていた数字が、増えていく。
初めは緩やかに。
でも、どんどん速く。
痛みが収まる頃には、以前とは比べ物にならない数値になっていた。
『最大体力:1815
最大魔力:781
物理攻撃力:455
魔術攻撃力:6812
物理防御力:38
魔術防御力:521
敏捷性:353』
魔術攻撃力なんて、桁が二つも増えた。
それを認識するよりも早く、ゾクゾクするような感覚が背中を突き上げる。
殺せ!
壊せ!
犯せ!
原始的な暴力の感情が、むくむくと膨れ上がっていく。
でもそれを、私は抗うこと無く受け入れた。
骨にまで染み渡る苦痛は、もはや快楽でしかない。
私はゆっくり瞼を開いた。
「ボス、時間です」
「丁度いい」
魔王が私の目の前からどいた。
結界を殴り続ける、憐れな自動人形達。
「俺の仕事はここまでだ。頑張って辿り着けよ」
魔王はそう言って、奇妙な乗り物で走り去っていった。
私は立ち上がる。
「あーあ、魔女になっちゃった……」
ぐわんぐわんって、頭なってる。
呼吸もおぼつかないけど、そうね。
これは酔っ払った時と一緒。
なるほどねえ!
魔女になるっていうのは、毎日酔っ払うのと同じなんだ!
こんなだったら、もっと早くに魔女になっておけば良かったわ。
だって、そしたら悩みに悩んで胃を痛めるなんて事にもならなかったもの。
あんなクソみたいな学校生活を思い出して、懐かしんだりすると同時に嫌な気持ちになったりしなくて良かったんだわ!
不器用で、馬鹿な私。
母さん! 私、やっちゃったわ。
ファルド! ごめんね。
……もうこれでみんな、私に気を使わなくていいのよ。
だってもう、憎まれるしかないのだから!
全身から力が湧いてくる。
溢れそうなくらいに魔力が全身に充満しているのが、すごくよく解る!
どうしよう?
こんなに気分がいいのは、初めて!
今なら、何でもできそうな気がする!
そう、周りに立ちふさがる、私がこうなった原因を作った、忌々しい泥人形共!
昔に戦争した人達の、古い古い忘れ形見!
今からどうブッ壊してやろうか考えたら、もう笑いが止まらない!
アンジェリカ、駄目よ、まだ笑っちゃ駄目!
ひー頭痛い!
おでこを押さえて……天を仰ぐ!
「うふは、はは、は……あ゛はっ、アハハハハッ!!」
やっぱり駄目!
笑わないなんて無理でしょ!
だって! 何も! 怖くないんだもの!
「うふはははは! ――あ゛ぐッ!」
棍棒でお腹を殴られたけど、痛くない!
ちょっと転がされちゃったけど、痛くない!
角度を計~算~!
ぬかるみに左手を突っ込み、両足でその場に踏みとどまる。
ぬるっとした感触と一緒に、泥が跳ねた。
さて、体勢を整えなきゃ。
ガンツァ達は魔術を使おうとしていた。
でもね?
……遅すぎ♪
「焼けちゃえ!」
ただの炎は通用しなかったけど、もう大丈夫!
二百倍に増幅された魔力で、無理やり押し切ってしまえばいい。
手の形をした炎の塊を地面からたくさん生み出して、ガンツァをぎゅってする。
ぎゅう!
「ウェルダぁーン♪」
焼ける……。
焼ける。
焼ける、焼ける! 焼ける!!
「はあっ……はぁ……」
あ、気付いちゃったんだけど。
いつの間にか、服がビリビリに破けちゃってた。
腰に巻いてた上着もどっかいっちゃったし、スカートはボロボロ!
下着が? 丸見え!
「んっ……」
ふとももの内側を、ツーと透明な液体が粘りを帯びて垂れた。
感じちゃってるのね、私……。
ああん! どーうしよーう!
こんな恥ずかしい姿、ファルド達には絶対に見せられないね!?
見てないよね?
見てない見てない見てない!
だってここは深い深い深い深い霧の中!
のぞき見してる子なんて、いないいないいないいないいない!
だから仕返しに、この子たちをぶっ壊す!
叩き壊して、中身を頂戴するの。
錬金術の産物って言ったってねえ。
今の私にとっては、カニみたいなもんよ。
頭突きして。
首を突っ込んで。
はい! 心臓部をかじってゲット!
そのまま引きずり出して、早速これを食べてみようかしら。
いっただきま~す!
「ん。美味し♪」
マジックポーションより甘みがあって、それでいてサクサクした歯触り。
人間だったら歯がかける硬さでも、魔女の私にはスコーンと大差ないのよね。
……あれ?
もう残り半分?
仕方ないから生き残ったガンツァの皆さんにも、犠牲になっていただくとしよう。
まず目の前の一匹は、蹴倒す。
それから、鎧の隙間に熱いキスをお見舞いしてあげるの。
吐瀉物のように、私の口からドロドロと炎が吐き出される。
ワァオ! 私、まるでドラゴンみたいね!?
それだけでガンツァは真っ赤になって熱を帯びる。
「ふふ。ウブな子ね。お友達に自慢してらっしゃい」
私はそれを両手で持ち上げ、他のガンツァの群れに放り投げた。
アンタって最高にキュートね!
爆発して周りも木っ端微塵にしちゃうなんて!
「はい、おしまい! シンー? もう出てきてもいいのよ? あ、瓦礫に挟まって出られないんだっけ! オッケー今すぐ引っこ抜いてあげるわね! 両足切断のほうがいい? ウソウソ冗談です! 私は優しいのよ……? ゆっくりと、瓦礫をどかして助けてあげるに決まってるじゃない……なんちて! ねえねえ早く返事してよ~! どこにいるかわかんないんだから! ねえってば、あ゛は、うふふ……あーっははははははっ!!」
あーあ。
ファルド、私のこと見たら……きっと怒るだろうな。
ごめんね、みんな。
もう、後戻りなんてできない。
だって、こんなに強くなってしまったんだもの。
偽りの、貰い物の力だけど、それでもやみつきになっちゃったもの。
母さんに馬鹿にされちゃうかしら?
――ほら、言わんこっちゃないって。




