第二十五話 「野暮用です」
「お坊ちゃま! お戻りでしたか」
「先方と話を付けてきた。明日には大口の取引が出来そうだ」
「流石はお坊ちゃま。仕事がお早い」
キリオは外套をハンガーに掛けながら、肩越しに執事と話す。
まるで俺達を無視するかのように。いや応接間の入り口から見えるよね?
っていうか応接間よりまず、自分の部屋とかリビングとかありますよね?
「……おや? 皆様。奇遇ですね!」
と、ここでやっとキリオは俺達のほうに振り向く。ぶっちゃけ、すごく白々しい。
コイツは本当に何をやらせても胡散臭いな。
いや、問題はそこじゃない。
俺達がバラ撒いた地雷……つまり。
ルチアが居ないという事実にいつ触れるかだ。
「ど、どうも」
「お邪魔してまーす……!」
ファルドとアンジェリカは、玄関先で執事を相手にした時と全く同じ挨拶をする。
君達それもしかして気に入ってるの? リントレアでも同じ事言ってなかった?
「そう硬くならず。爺、そういえば出張先で新しいコーヒーを仕入れたのだが」
「おお!」
「素敵なお客様と一緒に一服しよう。この国一番のコーヒーも、アレには敵わん」
「それは楽しみですな!」
何だ。コーヒー好きなのか君達は。俺は砂糖とミルク無しじゃ飲めないぞ。
ましてや豆ごとの味の違いなんて、さっぱりだ。あいにく俺は、違いの分かる男じゃない。
「して、どちらに?」
「エントランスの荷物置き場に袋を置いてある」
「早速、取りに参りましょう!」
「今日一番の大仕事だ。確実に事を運ぶように、丁寧にやってくれよ」
「御意に! 爺は頑張りますぞ!」
あからさまに嬉しそうな執事が、スキップしながら退室する。開けっ放しのドアから鼻歌が響いてくる。
そんなにコーヒーが好きなのか。
「――それで、何故ルチアは居ないのでしょうね?」
ついに触れたか。その事実に。
応接間の空気が、そのたった一言で凍り付いたような気がした。
避けては通れないとは思っていたさ。いずれはこうなる運命だった。ルチアが外の空気を吸いに行った時点で、俺達は詰んだのだ。
俺達は顔面蒼白のまま、そこまでのいきさつを説明した。結果――。
「あのクソ親父ッ! あの世で母に詫びを入れさせてやるッ!!」
キリオがもの凄い剣幕でテーブルを叩き、立ち上がる。
完全にぶち切れたキリオに、俺達はすくみ上がった。
「失敬。取り乱してしまいましたね。もうすぐ爺がコーヒーをお出しするでしょうから、どうぞ変わらずお待ち下さい」
「あの、キリオさんは何処へ……」
「野暮用ですよ」
どう考えても家庭内暴力です。本当にありがとうございました。
扉を丁寧に閉める仕草が、逆にキリオの胸中に渦巻く激怒を暗示しているようで、恐ろしくて仕方が無い。
まずい、まずいぞ。
今まで片鱗こそ見せていたものの、今の奴なら片手で人を殴り殺せそうだ。
「なあ、ファルド。止めてやるべきだったと思うか?」
「いやー……親子水入らずって言うし、そっとしといてあげようぜ」
「私もそう思うわ」
「アンジェリカは単にドナートさんがボコられるのを期待してるだけじゃないか」
「悪い? 子供を泣かす親なんて、一発ブン殴られればいいのよ。私もそうすりゃ良かったわ」
女子二人に家庭環境の問題を担当させたのは、今にして思えば完全にミスったな。
下手に突っ込みも入れられないくらい、胸が痛む。
「アンジェリカ様、あまりご自身の親を悪く言うものではありません。めっ! ですぞ!」
執事、戻るの早ッ!? どんだけ楽しみにしてるんだよ、そのトレイに乗せられた七つのコーヒー!
ファルド、アンジェリカ、ルチア、俺、キリオ、執事、後はドナートか。
マジで全員分淹れたのね。ご苦労様です。
お茶請け(茶じゃなくてコーヒーだけど)のお菓子まで、もう片方のトレイに乗せている。
綺麗に六等分された、これは……バウムクーヘンじゃないか!
オレンジ色とも黄色とも付かない、シロップがかけられている。いいねえ。
思えばキリオは何故、あのタイミングでコーヒーをエントランスまで取りに行かせたのか。
もしかして:時間稼ぎ
……有り得ると思えてしまうから恐ろしい。
「アンタは私の執事じゃないでしょ」
「これは。してやられましたな。ハハハ」
執事さん、あんまりコイツを煽るんじゃないぞ。
その気になれば赤の他人だろうが手を出すからな。
まったく、なんで俺の周りにはキレる十代ばかり集まるんですかねえ……?
「爺、見てしまいましたぞ。お坊ちゃまが先程、凄まじい形相でドナート様の仕事部屋に向かわれたのを」
「野暮用って言ってましたよ」
「然様ですか。ではコーヒーでも飲みながらゆっくり待ちましょう」
「いいのかそれで……」
コーヒーは、執事が気を利かせて砂糖とミルクを用意してくれていた。
バウムクーヘンは名前もそのまんまだった。帝国の菓子職人を招いて作らせたんだそうだ。
シロップがいい具合に絡んで、程良く甘みがある。
が、食べかすがぼろぼろと落ちるのは俺の世界のバウムクーヘンと同じだな。
六等分にしたのは、ルチアが食べたがらないそうだ。理由は解らない。それもトラウマが原因なのか?
ちなみにファルドは手掴みで食べようとして、アンジェリカにその手をはたかれて止められていた。
「ところで、ルチアのお母さん……ローザさんは魔女にやられたのよね?
ルチアはそんな事、一言も言ってなかったわよ」
「その魔女は怪物に姿を変えましたからな。だからお嬢様は、ローザ様が魔女に殺されたとお気づきでないのでしょう」
「その口ぶりだと、誰も伝えなかったんだ」
「然様で御座います。お恥ずかしい事に」
トラウマを刺激する事にもなりかねないからな。言わなかったのも頷ける。
だが……本当にそれだけか? 何か引っ掛かるんだよな。
俺の脳裏の片隅に、魔女の墓場という単語がさっきからちらついてる。いや、それは無いと思いたい。
灰色装束の連中がドレッタ商会のクロスボウを使っていても、それが直接的な関係性には繋がらないだろう。
と思っていると、ドアがまたしても勢い良く開かれる。
ファルドがビクッとなるが、出て来たのはキリオだ。
親子だからなのか、変なところは似るんだよな。
「――やりましたよ、皆様! ルチアの前で土下座させるという形で交渉成立です!」
キリオはウィンクしながら両手でブイサインを決めてきた。
シスコンこじらせると親子喧嘩に発展するんだな。恐ろしいなあ。
「やりましたな、お坊ちゃま! それで、どのような交渉をなさったのですかな?」
「泣いて詫びるまで殴り続けてやった。他にも色々、親不孝を働いてやった」
「おお……何と無体な……爺も一度や二度ならず、それを考えた事はございますが、まさか本当にやってしまわれるとは!」
何度も考えたのかよ。
まあ、思うだけならタダだもんね。仕方ないね。
キリオの、丁寧な物腰の中に白々しさとか胡散臭さを漂わせる言動は、執事に似たのかな。
「爺、安心してくれ。私も爺も解雇はされない。当分の間、父上にもルチアにも口を利いて貰えなくなるだけだ」
「ハハハ……生き地獄ですな」
「先に本物の地獄を見せてやったよ。あの馬鹿親父に」
一体どんな地獄を見せたのか。怖い物見たさはあるが、ちょっと触れないでおこう。
ドレッタ商会の闇は、あまりにも深すぎる……。
「そういえば、皆様はどういったご用件で?」
「爺はてっきりドナート様との面会かと」
「いや全然違うから……」
「アンタに会いに来たのよ!」
アンジェリカがキリオを指差す。
「……え?」
「……え?」
執事とキリオは同時に固まった。仲いいね君達。
怒濤の展開ですっかり忘れてたけど、このそそっかしい執事のせいで俺達はあんな目に遭ったんだよな。
っていうか、ルチアもルチアだ。
いくら反目し合ってるからって、あんなにツンケンした態度を取ったら、そりゃあ誰だって気を悪くする。
ましてやあのクソ親父は見るからに陰険な奴なんだから、ちょっと考えたら判るだろうに。
正直が過ぎると、碌でもない結果になるんだよ。
俺も昔はよく、お気に入りに入れた小説の感想欄を回ったりしたが、馬鹿正直に扱き下ろした感想を見る度に嫌な気分になった。
人間ってのはお互い、我慢しなきゃいけないんだ。
第三者の目の届くところでは特に。
「私、ですか。困りましたね、ハハハ……いざ頼まれる立場になると、どうすれば良いものか」
しどろもどろになっているキリオを余所に、アンジェリカが手紙を取り出す。
「他言無用ですよ。これが誰から送られてきたものか、調べて下さい」
キリオは手紙を受け取り、暫くそれを睨む。やがて、その手紙を執事へと手渡した。
「心得ました。爺、うちで取引をしている運送業者に掛け合ってくれるか。私は郵便局のツテを当たってみる」
「お安い御用で御座います」
俺達は、ホッと胸を撫で下ろす。ルチアが一緒に居る以上、キリオと執事は確実に味方してくれるだろう。
問題はあのクソ親父、ドナートだ。どういう横槍を入れてくるか。
などと俺が思案していると、今度はそのクソ親父様が応接間にやってきた。
顔には真新しいアザがある。結構派手にブン殴られたみたいだな。
まったく、嫌な密室劇だな。次から次へと出たり入ったり。ドアが過労死するぞ。
そのクソ親父はドアに寄り掛りながら、開口一番に、
「……バージル、お前はクビだ」
と、冷たく言い放った。バージルっていうのは執事の名前のようだ。
執事は驚いた拍子に手紙を床に落とし、それを拾う素振りも見せない。呆然と、立ち尽くしているだけだ。
それからドナートはキリオに詰めより、束ねた紙を叩き付ける。
「キリオ。お前に新しい事務所をくれてやるよ。俺の近くではもう働かせん。好きにやれ。小切手には好きな額を書いていいぞ」
「ルチアへの土下座はどうなったのですか」
「ヘッ! 土下座しようと思っても見付からねぇんだ。今度会った時にしてやるよ」
汚いな。流石クソ親父、汚い。
悪い大人の見本じゃないか。そんなのって、無いぞ。
粗末な抜け道こしらえて、無かった事にするなんて。
そりゃあキリオの暴力は、やりすぎって思ったけど。
お前が元凶なんだ。
「つまみ出すって言ったよな? キリオ! バージル! お前等もだ! さっさと荷物纏めて出て行きやがれ!」
ドナートが親指で首を掻ききる仕草をすると、ドアからぞろぞろと屈強なゴロツキ達が現れた。
用心棒だろうか。何処に控えてたのか知らんが、こんな顔ぶれの中で執事とキリオは暮らしてきたのか?
ファルドが剣を抜く。同時に、アンジェリカもロッドを取り出した。
「言わせておけば!」
「おい! あんたは自分の家族を何だと――」
「――おおっと!」
ドナートが片手で制する。ゴロツキ達は武器も取り出さず、みんなして腕を組んで見下した顔だ。
余裕って事ですか。不愉快な連中!
「お互い、反罪なんざ御免だろ? 御高説なら、あの馬鹿娘にでも垂れておくんだな」
「アンタなんて大嫌いよ!」
「そいつぁ結構! 大嫌いな俺のツラなんぞさっさと忘れて、冒険ごっこでもしとけ! ふはは!」
* * *
冷め切ったコーヒーを二つ残したまま、俺達は屋敷の外へと出された。
キリオと執事も、大きなトランクを両手に持って、遅れてやってきた。残りの荷物は引っ越し業者に手配するらしい。
ルチアは屋敷の門の外に居た。文字通り外の空気を吸いに行って、戻るに戻れなくなっていたんだろう。
そして、ルチアはキリオと執事の大荷物を見て、その場に泣き崩れた。
「にいさ――お兄様! 爺や……! ごめんなさい……私、何て事を……」
「良いのです。爺は、お坊ちゃまの所に再就職致しますぞ」
「遅かれ早かれ独立するつもりではいた。ルチアが気に病む事は無いんだよ」
号泣するルチアと、それを慰めるキリオと執事。
甘やかしてきたんだろうな、とは思う一方で、あんな親の下だから仕方が無いとも思う。
ぶっちゃけ、俺の内心はすごく複雑だ。
確かに、ここへ来ると言いったのはルチアだ。
だがそこには相当な覚悟があった筈なんだ。俺は、俺達は、それを支えてやるべきだったんじゃないのか?
謝るべきなんだが、声を掛けるべきタイミングが見当たらない。
俺達は途方に暮れながら、雪の翼亭への帰路に着いた。もちろん、キリオと執事も一緒だ。
「書類によれば、出向先である事務所の手配は一週間後だ。それまでは、何処かに宿を取らねばな」
「それならいい所を紹介しますよ!」
「おお、本当ですか!」
「流石はファルド様。頼もしいですな」
十中八九、雪の翼亭だな。
方角的にも、ファルドの性格もそうだ。
俺はふと、アンジェリカとルチアのほうに目をやった。
二人は肩を寄せ合い、色々と話をしている。
内容は他愛も無い世間話だが、よくよく注意深く聞いてみると、ルチアに気を使っているようだ。
あいつ、ガサツに見えてそういう部分は器用なんだよな。俺には無理だ。
胸が苦しくなってきた……。
「シン」
ファルドに肩を叩かれ、俺は振り向く。
「折り紙とかいうの、後で一緒に作ろうぜ。ルチアを元気にさせてやりたいんだ」
「……ああ。たっぷり作ってやろう」
コイツめ、ここに来て俺のハートを掴んでくれやがる。
俺はお前みたいな友達が欲しかったよ。
元の世界に戻ったら、お前とはもう二度と会えなくなるんだよな。
ちょっと、心が揺らぐな。
もうすぐ雪の翼亭に到着するといった頃合いだった。だが――。
「う、うう……」
路地裏からボロ布を羽織った人影が倒れ込んできた。
体格と声からすると、女の人だと思う。顔はフードでよく見えない。
「おい、大丈夫か!」
ファルドが人影を抱き起こす。他のみんなも、すぐに駆け寄ってきた。
ルチアが治癒の加護を使う。
「か、かなり衰弱しているみたいです。宿屋へ運びましょう!」
「シン、手伝ってくれ!」
「了解だ」
今日は乱入の多い一日だな、まったく。
人生、たまにはそういう日もあるかもしれないが。
そうして謎のボロ布羽織も加えた俺達七人は、雪の翼亭へと戻ってきた。
店主のおっさんが、ホットケーキを食べようとしたまま、口をあんぐりと開けて俺達を見ていた。
「おかえり、早かっ……ず、随分と、大所帯になったじゃねェか」
ザパのコーヒー豆
ゼルカニア共和国の農村ザパで収穫されるコーヒー豆。
これで作られたコーヒーは、コクと苦みを程良く兼ね備え、さっぱりとした飲み応えがある。
生産者ジェイナスはこの豆を大陸各国へと輸出し、ザパの農村へと投資し続けた。
ザパではコーヒー占いという習慣があるという事を、大半の顧客は知らない。
キリオ・ドレッタはこの占いで良い結果が出たというが、その真偽の程は不明である。




