第二十四話 「一応、方法はあります」
俺の華麗なる折り紙ムーブメントの翌日。
雪の翼亭の食堂に集合した俺達は、みんなして頭を抱えていた。
今日は俺がルチアと一緒に、ファルドがアンジェリカと一緒に出掛けてきた。
四人別々にすると、俺やファルドが下手に動いて話がこじれるらしい。余計なお世話だよ。
「アンジェリカ、どうだった?」
「全ッ然駄目。ご丁寧に一画ずつ全部違う筆跡で、特定できないって言われたわ……」
そりゃまた随分と手の込んだ偽装工作をしてくれたもんだな。
「つまり、複数犯の可能性があるって事だよな?」
「というか間違いなく複数犯でしょ。組織的犯行よ、これは」
「でも誰の仕業か解らないままなのですよね」
気色悪い話だ。まったく。
「それで、ルチアのほうはどう?」
「ザイトン司祭様の足取りは掴めずじまいでした。司祭様の派閥の方もいらっしゃるかもしれませんし、深追いはせず、打ち切ります」
「もうっ! これじゃあ誰が味方か判らないじゃない! こっちには魔王討伐っていう大事な使命があるのにぃ!」
アンジェリカが両手で頭をかきむしりながら、机に突っ伏す。
ファルドは右腕を押さえながら天井を仰ぎ見た。
別に何かが疼くとかじゃなくて、昨日の腕相撲が祟って筋肉痛になったそうだ。馬鹿だなあ。
とりあえず旅路が安全である保証さえ見る事が出来ればいいんだが。
王様の宣誓書だけだと、政権転覆を狙う誰かが俺達を暗殺するリスクもあるし。
現状、身動きが取れないのは痛手だ。
まったく、下手なアレンジシナリオ組み込みやがって! 脚本家は何やってんだ!
冒険にスリルサスペンス要素をブチ込んで成功させるのは、本当に腕のいい作家さんだけなんだぞ!
事実は小説よりなんたらって言うが、こういう形で来るのは頭が痛いな。
「一応、方法はあります」
あるんだ!? それはちょっと頼りたいな。
ルチアは、意を決した表情で立ち上がる。
「兄に会います。私の実家でもある、ドレッタ商会に足を運びましょう。そこでならある程度、確実ですから」
「え……」
ルチアを除く全員が固まる。
完全に地雷要素しかないが、果たして大丈夫なのか?
「や、やめたほうがいいんじゃね?」
「そうよ!」
「私達だけで動いても埒が明かないのでしたら、もう少し頼る範囲を広げる必要があります」
「そりゃ確かに、他にもう頼れそうな人はいないかもだが……」
「不本意ですけど、ね」
そう言って、ルチアは苦笑する。
* * *
俺達は城下町の商業区と呼ばれる区画にある、ドレッタ商会の本拠地に足を運んだ。
そこいらの貴族よりも立派な佇まいの、大きな屋敷だった。
ルチアが迷わず、塀の窪みに吊されていた紐を引っ張る。
すると、カランカランという音が屋敷の方角から響いて来た。呼び鈴か。
道中で見掛けた幾つかの屋敷には門番が必ず立っていたが、そういえばこの屋敷には気配が無い。
暫く待っていると屋敷の扉が開き、いかにも“爺や”と呼ばれてそうな執事がやってきた。
銀髪のオールバック、控えめな口髭、丸形眼鏡を掛けた理知的な眼差し。
こんなにテンプレめいた執事がルチアの世話役って、何だか違和感があるな。
ルチアは表面上こそ穏やかな物腰だが、それは貴族の令嬢というよりも、小鳥や小動物と戯れてそうな修道女って感じの雰囲気だ。
さてこの執事は、ルチアを見掛けるなり歩調を早めた。
「これはこれは、ルチアお嬢様! 本日はどのようなご用件――おや、あなた方は!」
「ど、どうも」
「お邪魔しまーす……!」
微妙に無遠慮なファルドとアンジェリカの挨拶にも、執事は温和な笑みで応じる。
対するルチアの表情は、いつになく強ばっていた。
「先日より変わらず、私は勇者一行のルチアとして、この扉を叩きます」
「然様ですか……爺はいつでもお待ちしておりますぞ。お嬢様がいつか、ルチア・ドレッタその人として、此処にご来訪下さる事を」
「あまり、期待はしないで下さいね」
がっくりと肩を落とした執事だが、やがて諦めたのか、それまでのスマイルを取り戻して俺達を案内する。
最初に俺達が通されたのは、ルチアの父親の書斎だ。
「あの……私達の用事は、兄と会いさえすればそれで済みます」
「お客人をお招きした際は、まずドナート様にお通しせよと固く言われていましてな」
「そうですか……」
まずはマネージャーを通さなきゃ駄目ってか。キリオはまるでプライベートの予定を訊かれるアイドルだな。
執事はそのドアをノックする。
「ドナート様、ルチアお嬢様がお戻りです」
ドアが半分ほど開かれ、そこから執事を覗き見たのは短髪をボサボサにした赤毛の中年。
頬は痩け、顎と口元には無精髭があり、前を開けたモスグリーンのスーツもヨレヨレだ。
何より、そこらのチンピラみたいな目付きだ。
ルチアの話から仕事一辺倒の堅苦しい感じのパパかと思ったら、想像してたのと違った。この屋敷には全く相応しくない。
「そうかい。応接間に案内してやれ。ここじゃあ、客人を持て成すにゃあ狭すぎらぁ」
見掛け通りのラフな口調だな。もしかしてアル中DV親父だったりするのか?
設定も出番も作ってやらなかったツケが、こんな所にも。
今のところ、性格を設定済のキャラクターに関しては極端な改変は無かったからな。
執事の案内で応接間へと通され、俺達はソファに腰掛けた。
手入れの行き届いた黒革のソファに、これまた綺麗に磨かれた木製のテーブル。ニスはこまめに塗り直してるようだな。
俺達は緊張のせいか、はたまたあのドナート様(笑)のインパクトのせいか、此処まで一言も喋れずにいた。
十分もしない頃に、応接間のドアがバンと開かれる。
「待たせたな! ルチアは一昨日ぶりか。今日はお友達も連れて来たんだな。良かったじゃねぇか。ルチアにも、ついに友達が出来たんだなあ」
上座のソファにドンと腰掛けながら、矢継ぎ早に言葉を紡ぐドナート。執事の出した紅茶を一気飲みして、空のティーカップに手酌で注ぐ。
「からかわないで下さいっ!」
そんなドナートに、ルチアがテーブルを叩いて身を乗り出す。
コイツ、家族の事になると急に凶暴になるな。やっぱり、上手く行ってないんだな。
友達が出来たという冗談を言われるって事は、ルチアは友達が居なかったのか?
「それに友達ではなくて――」
「――知ってるよ。勇者様とそのご一行だろ。自己紹介は省略しよう。
俺はお前さん達を知ってる。お得意様が随分とお気に召してるみたいでよ」
いや俺はあんたの事、名前と親子関係くらいしか知らないからな?
実の娘のセリフを遮って、何を勝手に話を進めようとしているのかな?
「で、何だ。飛行船でも都合して欲しけりゃ、もう少ししたら安く仕入れてやれるかもしれん」
「本当ですか!?」
ファルドが身を乗り出し、アンジェリカがそれを押さえ付ける。ヴァン・タラーナの時も同じパターンだったな。
そういやお得意様って……ああそうか。コイツがモードマンの亡命を手引きしたんだっけ。
なるほど、こんな親父じゃキリオも微妙な顔をしたワケだ。
「ただなぁ……お前さん達がちょいと頑張って、先方のご機嫌を取らなきゃならねぇ。
営業に協力してくれるなら、相場より安く譲ってやってもいい」
「解りました。条件を教えて下さい!」
「ファルドさん? 少し、黙って貰えますか?」
「あ、うん……ごめん」
「おっかねぇな! どこぞの馬鹿息子に似たかぁ?」
手を叩いて笑うドナート。舐め腐った態度だ。
くそ、こんな事になるなら、しっかりと父親の性格を設定してやれば良かった。ごめんな、ルチア……。
まあ設定したとして、この世界でそれが完全に反映されるかどうかは微妙だが。
「お父様。本日はそのような下らない事ではありません」
「ふはは、下らねェだとよ! それで? 勇者一行のルチア殿は、ドレッタ商会のトップにどのようなご用件でおいでかな。アポも無しと来たら、急用に違いあるまい。なるほど、これは道理だ」
ドナートは二杯目の紅茶も飲み干し、カップを置いて立ち上がる。
それからドナートはルチアの髪を握り、引っ張りながら耳元で話す。
執事さん、止めて貰えませんか。
だが頼みの綱の執事は、ファルドが剣を引き抜こうとしているのを止めていた。
違う、そっちじゃない。
「だがなぁ……今、お前さんは俺を“お父様”と呼んじまった。その時点で負けさ。とっとと出てって墓参りでもしてきな。お前を産んだ俺の女房が、草葉の陰で泣いてるぜ」
乱暴に髪を手放し、ドナートは汚い物でも触れたかのように、ハンカチで手を拭きながら退室する。
「居座ろうとしても無駄だからな。仕事の邪魔する奴ぁ、誰だろうとつまみ出す」
「……商売人とは思えないな」
俺は無意識に、そう呟いた。ドナートはドアノブに手を掛けながら、俺を一瞥した。
「取引先には礼節を以て接するよ。お前さん達は商売にならねえだろ。違うかね?」
ドアは乱暴に閉ざされる。あんなの客人にやる態度かよ!?
これが外部に漏れてみろ。金で揉み消そうとしたって、悪評は付いて回るもんだ。
勇者一行を邪険に扱ったっていう、最高に不名誉な悪評がな。
どんなに素晴らしい物を売ってたって、そのトップがこんな奴じゃな……。
くそ、この世界にインターネットがあったなら! お前は確実に大炎上だ!
許せない……何より俺自身が許せない。中学校の時、これの原作を書いていた当時の俺は一体、何を書いていたんだ。
日常編は大切だが、その中にほんの少しでも色々と描写を差し込んでいくもんだろ。
くっそ、後悔先に立たずとはこの事か。
「くッ、う……ひぐッ……」
見ろ! ルチアが啜り泣いてるじゃないか!
もしも、あのシスコン赤もやしがこの光景を見たら?
……きっと俺達は、地獄を見るハメになるぞ。
「ルチア、辛かったわね……何もしてあげられなくてごめんね……」
アンジェリカはルチアを抱き寄せ、頭を撫でてやっている。
流石の俺も、心の中で不謹慎な事を考えたりはしない。
この光景をリアルで見て百合だぞヤッターとか喜べる奴が居たら、神経を疑うわ。
思ったんだが、アンジェリカは同性を相手にしている時は割と女の子らしい態度をする。
特にルチアが相手の時は、親に苦労しているという共通点があるのか、その傾向が強いみたいだ。
執事がハンカチを取り出し、アンジェリカに手渡す。促すような眼差しは、これは多分、拭いて欲しいって事だな。
アンジェリカがそれを受け取り、ルチアの顔を拭こうとする。
が、ルチアはアンジェリカの腕を軽く叩いてから立ち上がった。
「少し、外の空気を、吸ってきます」
「付き合うわ」
「大丈夫です。一人にさせて下さい」
「わかった。けど、早まった事だけはしないでね」
こうしてルチアも出て行った今、この応接間に残されたのはファルドとアンジェリカと俺と、ハンカチ片手にしょんぼりしてる執事だけだ。
「お嬢様が戻られるまで、少し、この爺が昔話を致しましょう」
いきなり何を言い出すかと思えば、このお爺ちゃんはもう。
まあ、みんな口を開ける状態じゃないからな。正直、有り難いっちゃ有り難い。
「ドレッタ家の歴史は大戦中にまで遡ります」
耳をかっぽじって、よく聞いておかないとな。
何せこれは、謂わば俺が設定してこなかった、いつの間にか追加されてきた裏設定だ。
それも、メインキャラクターの過去に関わる、とびきり大切な。
パソコンを開き、テキストファイルの準備はオーケーだ。
「戦争の早期終結への貢献、迫害を受けた敵国貴族の亡命の援助、戦後の復興処理、各地の紛争撲滅……数えきれぬ功績を上げたからこそ得られた、掛け替えのない幸福。ドナート様はご多忙ながらも、充実した毎日を過ごされました。それは、ドナート様の傍らで支え続ける、ローザ様がいらしたからなのです」
俺はそれを一言一句聞き逃さず、限界までタイピングを加速して記録していく。
途中で誤字脱字があっても、後で直せばいい。
「流れゆくような歳月の中、ご夫妻は二人の子を設けられた。皆様もご存じの、ルチアお嬢様と、その兄であるキリオお坊ちゃまです」
つまり望まれて生まれてきた子供達だった、という事だ。
これも重要な情報だな。親子関係の良くない家族ってのは、大抵は望まない出産だろうから。
アンジェリカの場合はどうなんだろう……いや、それは後で調べればいい。
「かつてのルチアお嬢様とキリオお坊ちゃまは、それはそれは仲睦まじい兄妹でした。しっかり者のご両親にも恵まれ、夏には山へ、冬にはオペラ劇場へ」
「しっかり者……?」
「ファルド、気持ちは解るけど黙ってて」
「あ、うん」
「成金の商売人と揶揄される事も多々有りましたが、貴族に負けず劣らずの教養を身に着け、それでいて身分に縛られぬ柔軟性もありました」
時々、柔軟すぎて困る事もあったがな。
とりあえず、貴族ではなくて成金の商家だったのが解った。
「しかし、まだルチアお嬢様が五歳にも満たぬ時分、このドレッタ家に一つの、そして最大の悲劇が訪れました……」
それだよ。ルチアとリーオの母親が死んでしまったという話は、ルチア本人から聞いた。
だがその死因までは聞いていない。
「ドレッタ家の財産を狙う者達から、魔女が差し向けられたのです」
……魔女、だと?
俺の心臓が、嫌な痛みを発した。この世界では、誰にどんな裏があるか判らない。
下手を打てば、俺達はとんでもない相手の所に来ちまったかもしれないのだ。
いや、予感はまだ確信じゃない。最後まで、落ち着いて聞かなきゃな。
「魔女はドナート様を誘惑し続けるも、それが通じぬと見るや、今度はローザ様やルチアお嬢様を狙うようになりました。
ドナート様の必死の抵抗も虚しく、ついにローザ様はルチアお嬢様を庇って……」
「……殺された、と」
「然様で御座います。しかしながら、ローザ様は只ではお逝きにならなかった。魔女の両腕を切り落とされたのです」
もしかしてルチアが子供が苦手だったり、グロいの見ると気絶したり、キリオがシスコンなのって、全部この辺りから来てるのか。
だとしたら……なんて重たい話なんだ!
体質じゃなくてトラウマかよ。余計にタチが悪い。
描写されなかったら勝手にハードモードにされちまうのか! 俺はそこまでハードにした覚えは無いぞ!
笑えない。全く笑えないぞ!
「とはいえ、たとえ魔女の両腕を切り落とした所で、ローザ様が蘇る訳でも無く。それはそれは、ドナート様は大層悲しまれました。キリオお坊ちゃまも、ルチアお嬢様も同じく……」
執事はただ、粛々と話す。
その両目は潤んでいるが、溢れるまでは行かない。
涙を堪えるのが上手なんだろうな。
だが、このタイミングで俺達に話したのは何故だ。
「以来、ドナート様は以前にも増して、それこそお二人のお子様を疎むかのように、仕事に没頭するようになってしまわれた」
家事とか育児とかは、この執事とキリオが折半してやってたのかな。
ルチアを見るに、三人で分担してた可能性もありそうだが。
「お坊ちゃまも、お嬢様も、心の底ではその理由を理解しておられたのでしょうな……だからお坊ちゃまはドナート様の仕事を手伝うべく、モードマン伯爵家へ丁稚奉公に。お嬢様はお二人から離れるように、教会へと」
キリオがどういういきさつでモードマンの家に行ったかはある程度は聞いていたが、なるほど。
根底には、母親を失った悲しみがそうさせたのか。ルチアは少し後ろ向きだな。
あまり詳しく訊いても、デリケートな話題でちょっと気が引ける。
時間を掛けて、ゆっくりと訊いたほうが良さそうだ。
何しろ、この執事さんは原作には居なかった上に、完全に初対面だし。
「お嬢様は、力強く成長なされた。往年のローザ様に、よく似ておいだ。ですが、まだお若い。皆様の手で、しっかりと支えてやっては頂けますかな。爺の、たった一つのお願いです」
俺達は執事の言葉に頷く。一応、この家を出て行った事になってるだろうからな。
執事として支えてやれる事は、もう殆ど無いんだろう。
それに、勇者一行として旅をしている以上、俺達のほうが一緒に居る時間が長くなるしな。
「……爺。お喋りが過ぎると、父上に蹴飛ばされるぞ」
き、聞き覚えのある声!
白い外套を羽織った、線の細い赤毛の男がそこに居た。
そもそも俺達は、コイツに会うために此処へ来たのだ。
遅かったじゃないか……キリオ。
ガルビアディのハンカチーフ
とある小国の牢獄街を解放した英雄、ガルビアディが肌身離さず持ち歩いていたハンカチーフ。
一見すると単なる白いハンカチだが、どんなに粘ついた汚れも、水でゆすげばたちまち洗い落とせる。
ガルビアディは牢獄街の民に多大な感謝を受けたが、このハンカチを置いて何処かへと消えてしまったという。
不要となったか、誰かの手に渡るべきと考えたのだろう。




