神剣×黒翼 前篇
2013年9月23日、全面的に改稿しました。
2015年9月、2年ぶりに全面改稿しました。内容がやや変わっております。
2016年1月末、改
高層ビルにある、その部屋の窓からは、夕暮れに染まる空と海が見えた。
窓から差し込む茜色に、絨毯の繊維が燃えるような輝きを見せている。床の反射光が室内をほのかに明るくしている。
部屋の中には二人。そのうち一方は、革張りのソファに身を預けた少年だった。
年は十六、七歳くらいか。シャツにジャケットという出で立ちで、「だらしない」座り方をしているが、服の上からでも身体は引き締まっているのがわかる。
短髪から幾分か伸びた、黒に茶色っ毛の混ざったざんばら髪。その下には意志の強そうな黒瞳があった。
少年が見ているのは、数枚の写真。
「天叢雲剣、ねぇ」
写っているのは剣、というより鈍器に見えなくもない土と酸化鉄の塊だった。少年――水谷夏輝は胡散臭そうな目を向ける。癖なのか、そうすると眉根を寄り、目つきが悪くなった。
「これが伝説の剣? きったねえ」
「汚かろうが、行ってもらうわよ。その剣の回収があなたの仕事なんだから」
夏輝が資料から顔を上げる。正面の執務卓にいる上司と目が合った。
ダークスーツを着た、艶やかな黒髪を腰まで伸ばした女性だった。十代半ばにも二十代後半にも見える、不思議な様相を呈している。夏輝を映す、琥珀色の切れ長の瞳には、しかし年経た者のみの持つ深い知性があった。
薄い桜色をした彼女の口唇は、静かな笑みを形作っていた。
「内容、そこに全部書いてあるのだけど……説明した方がいい?」
「うん」
夏輝は読めない文字がまだある。
「この剣はつい最近出土したばかりで、近隣の術師たちが所有権を主張してる。もちろん、発掘を行っていた私たち桜宮財閥もね」
桜宮財閥は一般的に総合企業として名が通っているが、その名をより広く知らしめているのは裏の世界――民間企業に扮した魔術組織としてだ。
国内最大手の結社として、政府ともつながりをもつこの組織には、敵対する手合いも多い。
今回の仕事は、剣の権利を主張しているうち集団のうち、陰陽師の流れをくむ一族が保管場所を襲撃・強奪したことに端を発する。
「出雲衆という集団よ。職員が数名軽傷。今朝の話ね」
「財閥の施設だったんだろ。なんで一般人しかいなかったんだ?」
「中立性を保つようにとうるさく言われてね。別件で、人手が割けない状況っていうのもあったけれど」
困ったものよね、と言い、女性は続けた。
「今のところ、襲撃の情報は漏れてない。だから他の組織が動く前に……なにより財閥の施設を襲撃された以上、早急に剣を奪還する必要があるわ」
組織の沽券ってやつにも関わるから――そう言われ、夏輝が顔をしかめる。
「面倒そうだな。俺がやっていいのかよ?」
「当然。こういうデリケートかつ緊急の事態にこそ、エレメンツの出番よ」
女性が指を弾けば近くのモニターが起動し、倭国の簡易地図が広がった。
徐々に精細になるそれが、ある地方の山間部を映していく。
「剣は今、彼らの本拠にある。封印の解除をしているか、その後の段階……起動のための魔力充填を行ってるところかしらね」
魔道具は内部機構に魔術回路が組み込まれている。使用者はこの回路に一定量の魔力を注入し続けることで、タイムラグなしで魔法現象を引き起こせるという仕組みだ。
「天叢雲剣は古代文明の遺産よ。当時の魔術水準は現代よりもはるかに上……本来の機能を発揮した天叢雲剣は、近代兵器を軽く凌駕するわ」
「交戦になったら、暴れてもいい?」
「適度にね。こちらに手を出せばどういう目に遭うか、あなたの『力』を見せてやりなさい」
ただ、と上司は続けた。
「理想は起動前に確保すること。もし剣が起動し、その使い手と戦うのなら、十分用心しなさい」
輸送はヘリ。出発は二十分後。
その他の細かな指示を受け、夏輝は現地へと向かった。
――どう用心すればいいんだかな。
暗い視界の中、闇にまぎれた森が迫ってくる。ヘリからの落下速度を緩めず、夏輝は身体に<魔力>を漲らせた。
物質はすべからく、魔力を纏うと機能・組織保持力が強化される。それが肉体なら身体能力が上がり、更に術式を組み上げることで、その効果を数倍以上にまで高める事ができる。
夏輝は着地と同時に膝をたわめ、強化した下肢の筋肉で衝撃を押し殺した。生じたのは僅かな音のみ。ゆっくりと足を伸ばす。
「……ん?」
そして気の抜けた声を出した。
すでにそこは出雲衆の領地だった。てっきり財閥の対応を警戒する人員なり結界なりが存在するかと思ったが、周囲にそうした気配はない。
「なんだよ。隠密落下した意味ないのかよ」
暢気な声でそう呟いた夏輝の顔つきが、次の瞬間厳しいものへと変わった。
包み込んで来る闇の向こうから、深い緑の匂いが風に乗って押し寄せてくる。
上空にできた不自然な雲のせいだ。
右手を頭上に伸ばす。しばらく力を込めてみるが、やがて顔をしかめて手を下ろした。
「まずいな……全力出せねえじゃん」
内容とは裏腹に軽い声でそう言うと、夏輝は歩き出した。すでに樹間にわだかまる闇には目を慣らしてある。迷う心配もなかった。目的地は風の発生源に近い。風上に向かえばいい。
異変を感じたのは、しばらく歩いてからだった。
――なんだ?
風に、微かだが血の匂いが混ざっていた。緑の匂いが強くて判別つきがたいが、それが人の血のものだと夏輝は確信できた。
足を速める。進むたび、血臭は強くなっていった。一人や二人のものではない。何かが起きているのは明らかだった。
不意に木々が開け、同時に視界が明るくなる。
見えてきた光景に夏輝は息を吐いた。
「……何が起こってるんだかな」
それは出雲衆のものだったのだろう。
森の中に突如として現れたのは、いくつもの古風な屋敷の群れだった。
生活規模は数十人といったところ。そう想像できる集落は、惨状をさらしていた。壁が爆発でもあったかのように破壊され、崩れかかった家屋。ほかにも屋根に砲弾が直撃したような大穴を見せるものなど、無事なものはほとんど見当たらない。倒壊したものからは火の手があがり、夜闇を赤く染めていた。
そして炎に照らされ、倒れている人間がそこかしこに見えた。
無言のまま、夏輝は集落に入る。倒れた者たちを確認した。いずれも身体中を斬られ絶命している。装束を染める血が伝い流れ、地面に黒く染み込んでいた。
「ひでえな」
死んでいるのは出雲衆の術者とみて、ほぼ間違いなかった。集落の入り口近くだけで十数名。屋敷の様子では、犠牲者はこれだけではないだろう。
「情報は漏れてないんじゃなかったのかよ……」
世間一般には魔術師は存在しないことになっている。神秘の秘匿という暗黙の了解があるためだ。
もちろん、一般の衆目が及ばぬところで、魔術による命のやり取りが行われるのは珍しいことではない。それでも、これだけの人数を害したとなれば大事だ。
剣の起動儀式を行っていた出雲衆に、何者かが襲撃を仕掛けた。偶然なわけがない。剣を狙って動いた者の仕業だろう。
問題は、誰かやったかだが……。
考え込む夏輝はその時、音を聞いた。背後の下生えが踏まれる、微かな音。
とっさに地面を蹴ってその場を離れれば、寸前まで立っていた空間を斬撃が薙いでいた。
「お前が犯人か?」
振り返った先、炎の赤い光に浮かび上がったのは、全身を黒い装束で包んだ人影だった。顔は見えないがその手にした、やはり黒い刀からは血が垂れ落ちている。黒装束を見ていた夏輝が訝しげに眉を寄せた。
「人間じゃないな」
黒装束が静かに距離を詰めてきた。一足飛びからの鋭い横薙ぎだ。
対して、夏輝は悠長すぎるくらいの動きで手をかざし、刃の軌道を遮った。黒い刃は勢いのまま手を切断する――と思われた時、わずかな距離をおいて静止する。見えない壁に阻まれたような手応えに、黒装束が躊躇するような動きを見せた。
その時には、踏み込んだ夏輝の掌底が黒装束の顎をかちあげていた。さして力を込めているようにも思えない一打だったが、黒装束の頭部は爆散し、中身を盛大に撒き散らしている。首から上を失った黒装束はしばらく両腕をさまよわせ、それから倒れた。
その体は一瞬で色を失い、ばらばらになって風に吹き飛ばされていく。
「式神か」
宙に舞うのは大量の紙片――陰陽師が術の媒介に使用する呪符だ。
陰陽術は第二世代型魔術、錬金魔法大系の一系統だ。いわゆる『魔法陣』の欠片である式を呪符の状態として運用、状況に応じた魔術の高速起動とその応用変化に秀でている。高位術師ともなれば使い魔である式神を生み出し、己の手足として使役することが可能だ。
「仲間割れか?」
襲われた出雲衆も陰陽師だったので、そう呟いてみる。だが、直後に夏輝はその思考を打ち消した。ここで考えても意味はない。
それより式神がいたなら、近くに術者がいる可能性がある。
そいつを見つけた方が話は早い。
壊れた家屋の中を進む。目的地は出雲衆が聖地としている風穴だ。
燃えている屋敷を回り込む。ひとりの巫女が先ほどと同じ式神に囲まれているのが目に入った。出雲衆の生き残りがまだいたらしい。
だが壁際に追い詰められた彼女へと、黒装束の一体が剣を振り上げる。
舌打ち一つ、夏輝が地を蹴った。同時に精神は次元膜に干渉、反動で生み出された魔力を意図した術式に加工し、通り道を作り出す。
刹那、地面から土の槍がいくつも伸び生え、剣を振り下ろそうとした個体を含む、数体の式神を串刺しにした。呪符となって消滅する黒装束たちに、ほかの式神が反応する。そこに夏輝が駆け入った。
振り向いたばかりの手近な黒装束の眼前へ手刀を繰り出す。頭部を破壊された式神が地面に倒れたときには、夏輝は別の一体へと迫っている。流れるような動きに対し、黒装束の動きは致命的に遅かった。夏輝は迎撃の刃を身を沈めてやりすごし、相手の胸部にひじ打ちを叩き込む。黒装束は人間でいうところの心臓から上が衝撃で吹き飛び、紙片の雨と化した。
「お前らで最後だな」
夏輝の言葉に、残った二体の黒装束は無言のまま距離を詰めてきた。もとより式神は感情とは無縁だ。仲間の惨状に動きを停滞させることもなく、左右から斬りかかり――一足早く放たれた夏輝の回し蹴りに体を破壊される。
「大丈夫か」
夏輝が背後を振り返った。身体を硬直させる。
巫女の持つ銃が彼を捉えていた。
6399字→2779字→3297字(2016年1月31日)に
主人公が敵地で、プロローグで出てきた女性と出会う、というシチュエーションは同じ。経緯を変更。
世界設定に変更を加えた。