おじいさんとインコ (冬の童話祭 応募作品)
山をこえ谷をこえ、気が遠くなるぐらい進んでいった森のおく――
草と空しかない、人ざとはなれただれもいないはずの場所にたった一人、あるおじいさんが住んでいました。
だだっ広い大草原のまんなかに、おじいさんの家はありました。
おじいさんの家の近くにはりっぱな木が一本とその下にボロボロになってしまった小さなゆりいすがありますが、それ以外には何もありません。
草と木、そしてそれをつつみこむように広がるはてしない空だけが、おじいさんと私にとっての世界でした。
私はおじいさんがかっているインコです。
名前はとくにありませんが、おじいさんがいうには「セキセイインコ」なんだそうです。
そして、私にはじまんできることが一つあります。
私はなんと人間のことばがすこしわかるのです!
すべてではありませんが、おじいさんと会話するぐらいならできます。
でも、このことはおじいさんにはないしょ。
人のことばがわかるインコなんて、きみがわるいでしょうから。
私はおじいさんと何年も生活をともにしてきました。
だからおじいさんについてのことはいちおう、だいたいしっているつもりです。
私が生まれたときからおじいさんはおじいさんでした。
今もむかしも、おじいさんの生活はあまりかわりません。
おじいさんの日課はまきを割って火をおこすことからはじまります。
朝の食事をかんたんにすませた後、おじいさんは外を散歩します。
そしてたまに食りょうを得るために、狩りに出てのうさぎやしかをかります。庭の野菜や花々に水をやるのも欠かしません。おじいさんは一人でここに住んでいるので全てのことを自分でしなくてはなりません。
おじいさんの家にはむかし牛やぶた、犬もいましたが、今はもう私しかいません。
私はいつも一人――いえ、いっぴき、家でおじいさんの帰りを待っているだけです。
午後になるとおじいさんは家に帰ってきます。
そうしてたいがい絵をかいたり、日記帳に私には分からない難しいことを書いたりしていました。
しかし最近はそれもおっくうなのか、昼寝をしていることも多いです。
たまにおじいさんは私といっしょに家のげんかんを出てすぐちかくにある木の下に出ます。
そしておじいさんは私といっしょに庭に出てゆりいすにすわると、いつも私に話しかけるのでした。
「気分はどうだい」とか、「おなかはすいていないかい」とか、とてもかんたんなことをききます。
さすがに鳥の私でも、これぐらいのことなら分かります。
私はおじいさんにたずねられるといつもきまって、「元気ですよ、おじいさん」とだけ答えます。
「いやぁ、今日はエサをたべすぎてしまっておなかがいたいなぁ」とか「ちょっと羽がよごれてしまったから行水したい」などといったら、きっとおじいさんはぎょうてんしてしまうだろうとおもうからです。
おじいさんは私が「元気ですよ」と言うのを聞きとどけると、「そうか、お前は頭がいいな」と言って、しわしわの手で私のあたまをやさしくなでるのでした。
そしておじいさんは太陽の光をあびながらうたたねをします。
もうおじいさんはずいぶん年です。
*
ある日、おじいさんはかりにいったまま、なかなかかえってきませんでした。
私はおじいさんを心配して、森にようすを見にいきました。
空から下をながめながらおじいさんをさがしていると、おじいさんは森のひらけた場所、がけのちかくにいました。
私はおじいさんにこちらに気がついてほしくて、パタパタと羽をはばたかせて大きな音をたてました。
するとおじいさんは、「おお、なんだお前か」と言って、私のほうにうでをさしだしました。
私はさっと飛びおりて、おじいさんの手の上にとまりました。
するとどうでしょう。
目の前に、あかあかともえるきれいな夕日が見えました。
おじいさんはがけの上からこれを見ていたのでした。
「これを見てみな。この美しさはことばではあらわせない」
おじいさんはしみじみと言いました。
私もそう思いました。
「ことばなんて、いらないんだ」
私はとてもあたたかい気分で、おじいさんによりそっていました。
私たち二人はしばらくそうしていました。
*
おじいさんはむかし博士だったそうです。
とてもむずかしいことを研究していたそうですが、今ではもういんたいしてこうして一人くらしているのだそうです。
おじいさんはむかし家族、おくさんや子どももいたそうです。
でももう今はいません。
というか、ここにはおじいさん以外の人がいないのです。
どうしておじいさんは、ほかの人たちといっしょにくらさないのか――
私にはよく分かりません。
おじいさんの話では、「しゃべるあいてなんて、いないほうがいい」ということなんだそうですが、話がむずかしかったのでやっぱり私には分かりません。
すくなくとも私は、おじいさんと二人でいっしょにくらしていてとてもしあわせでした。
たしかにここは食べるものもあまりありませんし楽しいこともすくないですが、なにもかもがとても静かでおだやかにすぎていきます。時がゆっくりしているのです。
私はおさないときから、おじいさんとすごすそうした時間が好きでした。
私がまだことばをおぼえたてのころ、私がカメラのシャッターの音をおもしろがってなんどもまねするのを聞いておじいさんが笑ったこと――
かぜをひいてしまって体がよわったときも、一生けん命看病してくれたこと――
まだ犬たちが家にいたころ、みんないっしょにテーブルをかこんでおじいさんと食事したこと――
おじいさんはとてもやさしい人でした。
文字がよめない私のかわりに本を読み聞かせてしてくれたり、森を散歩したりしました。
いつも、「お前はとても優秀だ」と言ってほめてくれました。
私はそれだけでよかったのです。
私は本当に、それだけでみちたりていました。
*
ある日、おじいさんはだいどころで朝食のじゅんびをしていたとき、きゅうに床へとたおれこみました。
私はあわてておじいさんのまわりをばたばたと飛び回りましたが、おじいさんの反応はありません。
こわくなった私は、大声でなんどもやかましく鳴いてみました。
この時私は、実はじぶんは人間のことばがはなせるということをおじいさんにうちあけることができたらどんなに心がはれるだろう、と思いました。
しかしおじいさんはしばらくして、苦しそうに起き上がると私を見て「あぁ……、だいじょうぶだよ」と力なく笑いました。
そしてその後「めまいがする」と言い残して、寝室にもどっていきました。
その日から、おじいさんは寝室で寝こむようになりました。
あまり外へは出ず、家の中ですごす時間ばかりがふえていきました。
おじいさんの部屋の戸はとじられていて、鳥の私は入ることができません。
もう以前のように、ゆりいすでいっしょに昼寝をすることもありません。
水をやらないせいでどんどんとしおれていく庭の野菜や、
掃除をしないせいでほこりがつもっていくリビングの家具、
日に日に弱っていくおじいさんの体。
長年おじいさんと生活してきた私にとってそれはとても、見るにたえないものでした。
そして――私はある決心をしました。
*
しばらくして、おじいさんはもうトイレ以外でベッドから起き上がることすらなくなりました。
たまに起きたとおもったら、ごほごほ、とせきこんだり息もあらいようすで、私はとても心配していました。
もう、おじいさんはながくはないのではないか、と。
ある日の朝、おじいさんはベッドに寝ていました。
そして私はベッドのわきにある止まり木の上で、羽を休めていました。
起きているのか、寝ているのか――
おじいさんは無表情で、目もうっすら開いているのみです。
やせこけてしまったおじいさんは、みるからにだいぶやつれてしまいました。
私は意をけっして、おじいさんに話しかけました。
「おじいさん」
その時、おじいさんは半開きの目を大きく開いて、こちらを見つめました。
「おじいさん、死なないで」
おじいさんがただただ驚くばかりなのをよそに、私は続けます。
「私はおじいさんがいなくなったら、とてもさみしいです。だからおじいさん、死なないで――」
「やめて……くれ……」
おじいさんは急に怖い顔になって、私のことばをさえぎりました。
そしてひどくおびえた目で私を見たのです。
よろこんでくれると思ったのに。
私はなぜおじいさんがなぜそんなことを言うのか分かりませんでした。
「……ごめん、な」
ふるえる声をふりしぼっておじいさんは苦しげにそう口にすると、そのまま大きくせきこんでからしゃべらなくなりました。
そうしておじいさんはなくなりました。
私はその日、悲しみにくれました。
人間だったら大つぶのなみだをながすところでしたが、私は人間ではないので泣くこともできませんでした。
*
しばらくして、おじいさんの家にだれかが来ました。
何人かの大人の男と女でした。
私はせわしくなく鳴いてかれらをおいはらおうとしましたが、人間たちはずかずかとおじいさんの家に上りこんできました。
そしてかれらはおじいさんのリビングにおいてあるいすにどすん、とこしかけると、むずかしい顔をしてぼそぼそと何かを話していました。
私はかれらの会話に聞き耳をたてました。
「おじいさん、家をほったらかしてかってに出ていってしまって、おくさんもこどもも、かわいそうだった」
「あげくのはてに一人のうのうとこんな山おくにくらしているなんて」
「ほんとうにひどい人だ」
「しかしあのころは、おくさんやむすこと口げんかばかりしていたから、おじいさんがいなくなってかえってせいせいしていたかもしれない」
「そうだな、こんな人いなくなったほうがよかったんだ」
かれらの話すことは私にとって聞くのがつらい内容でした。
私は自分の大切な人のことをここまでひどく言われるのがたえられませんでした。
「……ことばなんて、いらない」
私は思わずこんなことを口にしていました。
それはおじいさんといっしょに夕日を見た日のことばでした。
「ことばなんて、いらない! ことばなんて、いらない!」
私はみんながびっくりして私を見つめる中、部屋の中を飛びまわって叫びました。
「ことばなんて……」
するとある男の人が私を見て、あわれむようにこう言いました。
「かわいそうに、話しあいてがいないから、インコに話しかけてさみしさをまぎらわせていたのだな」
男はつづけます。
「ことばなんて、いらないさ。こんなじぶんかってな人間に。
まあでも、さいごまでだれとも話さずにはおれなかったんだ。やはりあの人も、人間だったということか……」
そしてその男の人はくらい顔でうつむいたまま、何もしゃべらなくなってしまいました。
私はかえすことばもなく、黙ってしまいました。