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秋深し 不憫な男の 嘆く声

作者: 腐れ大学生

たまには文学っぽいのを。

 だんだんと日の沈む時刻が早まってきた長月の頃。昔馴染みの友人から月見をしようとの誘いを受けたので、出掛けることにした。

 丁度大学での研究が行き詰っていたので、良い気分転換になると思ったのだ。

 友人の父親は寺の住職をしており、月見をする際には寺の縁側を借りられる手筈になっている。

 向こうで夕食を用意してくれているというので、待たせては悪いと日が沈む前に家を出ることにした。

 目当ての寺はとある山の中腹付近に位置している。山道には寺まで続く歪な石段らしきものがあり、その両脇で勢力を争うようにしてイロハモミジやオオモミジが群雄割拠している。もう少しすればこの無骨な山道も、乙女も恥じらうような紅葉のトンネルへと姿を変えることだろう。

 しかし彼の寺までの道のりはここまで厳しいものだっただろうか、などと益体もないことを考える。

 幼いころは友人と競うようにして石段を駆けあがっていた気がするのだが、いまや中腹の更に半分にも至らないうちに息を切らしている有様だ。

 思わぬところで自分が年をとったことを痛感してしまった。

 

 石段を登りきる頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。

 見覚えのある建物が見えてきて、やれ一息と思ったところで前方から「よう」と声をかけられる。

 声のした方を見ると、見慣れた顔が春日灯篭に寄りかかって立っていた。

 私が来るのが遅いので、心配して外まで見に来てくれたらしい。「石段に苦戦していた」と私が言うと、友人は呵々と笑って「運動しろ、運動」と言った。

 寺の一角にある座敷に通され、そこで夕食を頂くことになった。座敷には既に膳が二つ、向かい合うように用意されている。

 友人に促されて膳の前に座ると、何やら香ばしい匂いがした。

 目の前にはいくつかの紅食碗に料理が盛られている。しかしこの香りはそのどれのでもなく、食膳の脇に飾られた大きな葉から漂ってくるようだった。

「良い香りだな。これは木蓮の葉?」

「ああ、種類は同じらしいな。それはホオノキの葉だ」

 ホオノキと言えば、厚朴という生薬の原料にもなる樹木だ。薬効があるのは葉ではなく樹皮なのだが、葉のほうにも嗜好品としての使い道があるのだなと妙に感心した。

 研究室に籠ってばかりいると、どうしても実利以外が目に入りにくくなるからいけない。

 その旨を友人に伝えたところ、彼は首を左右に振って「この程度で満足していてはいかん」と言う。

 どういうことかと問うと、友人は山菜と味噌を盛った碗とホオノキの葉を持って不意に席を立った。「どこへ行くのか」と問うても何も言わずにずんずん行ってしまうので、慌てて私も彼を追うことにする。

 つるつるした縁側を歩いていると、冷えた風が私の頬をちくちくと突いた。少し前までは蒸し暑いくらいの湿り気を含んでいたくせに、気まぐれなやつだ。


 友人は縁側を通って昔よく遊んだ庭へと降り立つと、その場にしゃがみ込んで私に向かって手招きをしている。

 何事かと縁側から降りて彼の傍まで行くと、彼の隣に一つの七輪が置かれていた。

「ほお葉は良い香りがするが、惜しいことに食うことができない」

 彼は懐からマッチの箱を取り出し、その内の一本を擦って七輪に放り込む。着火剤でも仕込んであったのか、しばし待つだけで存外簡単に火が点った。

 冷涼な夜の空気を七輪の炎が嘗め、我々の体を心地よく温める。

「それで、七輪なんてどうするの?」

 まさか七輪で温まるためだけに外に出たのかという、一抹の不安を覚えての問いかけだったが、彼は「まぁ見ていろ」とだけ言って取り合おうとしない。

 友人は持ってきた碗の中の山菜と味噌を和え、ほお葉の上へとそれを移し始めた。

「何か読めてきた。中々愉快なことを考えるな」

「考えたのは俺ではないがな。たまには風流なのもいいだろう」

 味噌を載せたほお葉が七輪に架かった網に置かれ、七輪の炎は少しだけ小さくなった。

 私と友人は示し合わせたかのように押し黙り、葉の底面をちろりと撫でる熱の塊を見つめる。

 徐々に強くなるホオノキの葉の芳香が辺りを席巻した。

「そろそろ、いいんじゃないか」

 先に口を開いたのは私の方だった。心地よい静寂を壊すのは躊躇われたが、適当なところで引き上げないとほお葉が焼き切れて味噌が台無しになってしまうのではないかと気をもんだからだ。

 友人もこれには同意したため、芳しい芳香を放つほお葉を手早く七輪から取り上げ、紅色の碗へと移した。

 葉が思ったよりも熱を持っており、一度落としそうになったのは御愛嬌だ。

 味噌の表面にはぷくぷくと泡のようなものが発っており、それがはじけては辺りに香気を振りまいているように思えた。

「これは朴葉味噌という。岐阜の高山というところの郷土料理だ」

「うまくしたものだな。ほお葉は食べられないから、その香りを味噌に移したと言う訳か」

「香りも楽しめるし、季節の山菜も楽しめる。更に飯も進むとなれば、一石三鳥だ」

 そんな言い方をされると、自分が抱えているものが随分と大層なものに感じられる。馥郁とした香りが鼻孔を通って食道へと流れてきたので、そのまま唾に溶かして嚥下してやると、腹の虫がぎゅるりと抗議の声を上げた。

 取り急ぎ温かいうちに米と食べてみようと座敷へと戻ろうとしたところ、後ろから「全部は使うなよ」と声がかかる。どうやら友人は私の人間性を著しく誤認しているらしい。

「私は独り占めなどしない」

 肩越しに振りかえり、断固とした口調で抗議すると、彼は掠れた笑い声を上げた。

「いや、そういう意味ではなく。食事では全て使うなということだ」

 友人は私の持つ朴葉味噌を指さすと、杯をあおるような仕草をした。

「月見酒。捗るぞ」

「なるほど」

 「一石四鳥」と呟きながら座敷へと戻る私の足取りは、先ほどよりも更に軽いものになっていた。


 食事は大変素晴らしいものだった。木通やしばかぶれを始めとした天麩羅はぱりぱりとした愉快な歯触りであるし、なめこの吸い物のぬめぬめとした喉越しも堪らない。

 そして何より朴葉味噌の力は凄まじいものがあり、最近とんと失せていたはずの食欲がとんぼ返りしてきて、白米をお代わりしろと切実に訴えてくる。

 私は自らの欲求に従って黙々と米と味噌の間に箸を行き来させていたのだが、お代わりが三杯目に突入した辺りで、私の健啖ぶりに嫉妬した友人に味噌を取り上げられてしまった。

「全部は食うなと言っただろうが」

「どうせ後で食うなら、今食っても一緒だろう」

「いいから酒と一緒に食ってみろ。今の台詞、必ず後悔することになるから」

「本当に?」

「ああ、酒もとっておきのやつだからな。楽しみにしていろ」

 そこまで言われてはこちらとしても従うしかない。渋々構えていた箸を下ろすと、友人は「酒をとってくる」と言って座敷の奥へと消えていった。

朴葉味噌を持っていくあたり、私は彼からおよそ信用というものを受けていないらしい。


 世の秋という秋を喰らい尽くした私は手持無沙汰になったので、一足先に縁側へ出ることにした。

 幸い雲はほとんど出ていないらしく、驚くべき丸さの月が遮るもののない夜空を煌々と照らしている。中秋の名月とはよく言ったものだ。初秋の澄んだ空気が怜悧な月光に一層の清涼感を持たせ、どこか神聖なものすら感じさせる。

 ごとり、と隣に何か固いものが置かれた音がした。

 見ると日本酒の酒瓶が月の光を受けて縁側に影を落としている。友人は酒瓶を隔てて私の隣に胡坐をかいた。

 いかな名酒を持って来たのかと胸を躍らせてラベルを確認したところ、存外ありきたりな銘柄であったため、若干気を落とす羽目になる。

「とっておきの酒と聞いたのだが。まぁ、只で飲めるなら文句はないけど」

「そうだ、文句を垂れるのは飲んでからにしろ」

 友人がおもむろに差し出した酒杯を手に取る。黒い杯の底には紅葉の絵が描かれていた。

 酒瓶の封が切られ、静かな宴会が始まる。

 先だって私が友人から酌を受けたとき、なんと杯に並々と注がれた液体の表面に突然紅葉が出現した。慌てて取り出そうとして、初めてそれには触れられないことに気付く。

 どうやら酒を注ぐと光の加減で杯の底の絵が浮かび上がって見える仕掛けらしい。

 隣の友人を睨みつけると、一見平素の通りの表情をしていたが、若干口元が緩んでいるのは隠し切れていなかった。酌を返す時はわざと服に零してやるとしよう。

 何はともあれ、最初の一杯を口に含む。飲み慣れた銘柄ではあるが、件の朴葉味噌を肴にすれば少しは違った雰囲気が味わえるかもしれない。

 そんなことを考えていた私の舌を、強烈な違和感が襲った。

「……何これ、おいしい?」

「そうだろう」

 友人は両手を組むと、得意げにうんうんと頷いた。

「これも何かからくりが?」

「うむ。実はそれはな、とある神社に奉納されていたお神酒を譲り受けたものなのだ。お前は確か薬学に携わる研究をしていたな。ならば少彦名命くらいは聞いたことがあるだろう」

「よく知っているわけではないが、彼の神は医薬の神ではなかったか。酒とは何の関係もない」

「酒は百薬の長というだろうが。酔わせるのも酔いを醒ますのも、全て少彦名命の守備範囲だよ。酒の神の祝福を受けた酒が不味いはずがない」

「何だそれ、出来レースじゃないか」

 友人は私の言ったフレーズが気に入ったらしく、しばしの間「そうだ、世の中出来レースばっかりだ!」と大声をあげて笑った。

 その頬はいつの間にか鬼灯のように赤く染まっている。私の気付かぬうちに勝手に酒を進めていたらしい。

「思ったんだが、君の場合は少彦名命ではなくて薬師如来に頼るべきではないのか?」

 何気なく思いついた疑問を口にすると、先ほどまで愉快そうだった友人の声の調子が急激に落ちた。

「俺は坊主じゃないよう」

「寺を継ぐんじゃなかったのか?」

「やむを得ず、だ。本当は坊主になんかなりたくない。だけど俺が継がなきゃ一族が路頭に迷う。だからせめて未だ坊主じゃない今を楽しむんだ」

「そういえば今日はやたらと趣向を凝らしていたな。これもその楽しみの一環なのか?」

 友人は私の問いには答えずにしばらく私を見つめた後、視線を空に移して押し黙った。一瞬何か不味いことを言ったかと逡巡したが、特に思い当たることはない。仕方がないので残りの朴葉味噌を舐めることにした。

 月光に照らされた地表では、無数の秋虫たちが子孫を残さんと求愛の歌を奏で続けている。

 自分が無数のラブソングの真っただ中にいると思うと、どこか気恥ずかしい気分になった。

「今日は、最後の晩餐だ」

 ぽつりと友人が呟いた。その目線は相変わらず秋月を捉えている。ひょっとすると無意識に放った言葉なのかもしれない。

「何だ、死ぬのか」

「もしかすると、もう死んでいるのかもしれないな」

 投げ遣りな口調で杯をあおる彼は、どこか諦観しているようだった。

「俺、来月結婚するんだ」

「おお、それはおめでとう」

「檀家の繋がりでさ、俺まだ相手のこと写真でしか見たことないんだよ。畜生、俺の人生出来レースもいいとこだ!」

 友人は縁側へと降り立つと、月に向かって大声で吠えた。それはきっと彼の断末魔だったのだろうが、私には共に酒を飲む以外は何をすることもできないようだ。

 月には僅かに雲がかかりはじめていた。


秋っぽいものをごった煮にしたらこんな感じに。

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