どこがいいの?新撰組とか幕末とか?
幕末という時代を思い浮かべると、胸に広がるのは爽やかな維新の風ではなく、どす黒い血の臭いだ。
日本人同士が刀を抜き合い、互いの首を狙い、斬り倒し、斬り倒されていった時代。
尊皇攘夷という旗印の下で始まったはずの動きが、いつの間にか尊皇開国にすり替わり、結局は同じ日本人同士の殺し合いに終わった。
その渦中で、新撰組という集団は特に暗い影を落としている。
新撰組は、京都の治安維持を名目に結成された武装集団だった。
農民や町人出身の若者たちが、武士の身分を手に入れようと血を流した。
池田屋事件で長州・土佐の志士たちの暗殺計画を阻止した功績は確かにあるかもしれない。
だが、それで幕府の命脈が延びたとしても、歴史の流れは止まらなかった。
彼らはただ、時代の敗北を先送りしただけだ。
最終的に新政府軍に「賊軍」と烙印を押され、戊辰戦争で散っていった。
日本史全体で見れば、彼らの存在は「寄与」ではなく、むしろ内戦の象徴として、暗い記憶を残したに過ぎない。
内部の粛清が苛烈だったことも、忘れがたい。
芹沢鴨暗殺、伊東甲子太郎一派の油小路事件、山南敬助の切腹強要……。
「誠」を掲げながら、仲間を疑い、裏切りを恐れ、逃げたら斬る、裏切ったら斬るという掟で縛り続けた。
その掟は、組織を維持するための恐怖政治でしかなかった。
一時的に団結したように見えても、結局は内部で食い合い、殺し合い、弱体化していった。
薩長が「一つになる」ために手を組み、異なる者を排除しながら強くなったのとは対照的に、新撰組は二つに割れ、仲間を斬り捨て、最後まで分裂の血を流し続けた。
土方歳三という男も、その暗さを体現している。
鬼の副長と恐れられ、組織を鉄の掟で統率した。
だが、その冷徹さは手段を選ばない現実主義でしかなく、英雄的なものではない。
芹沢鴨を酒で酔わせ、無力化した上で寝込みを襲った行為は、まさに「逃げたら斬る」ルールを自ら破った典型だ。
仲間を血で縛りながら、自分たちは背後から斬る。
そんな矛盾を「組織のため」と正当化する姿に、浪漫など感じられない。
ただの暴力の連鎖、血の連鎖だ。
幕末は、理想を掲げた若者たちが、結局は互いを殺し合って終わった時代だった。
新撰組はその縮図のように思える。
尊皇の名の下に刀を振るい、幕府の名の下に刀を振るい、最後は「逆賊」として斬り捨てられた。
何を守り、何のために死んだのか。
答えが「節義」や「忠義」だけでは、あまりに薄っぺらい。
残るのは、血塗れの刀と、終わらない日本人同士の憎しみだけだ。
この暗さは、司馬遼太郎の小説を読んでも拭えない。
むしろ、美化されればされるほど、違和感が募る。
幕末や新撰組に感慨などない。
ただ、重く、冷たく、心に残る暗い影があるだけだ。
歴史とは悲しき命残り雪




