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地球を直径1センチとすると太陽までは60メートル

想像してみてほしい。地球を直径わずか1センチメートルの小さなビー玉のように縮小したとする。そのスケールで、太陽までの距離はどれくらいになるだろうか? 答えは約60メートル。学校のグラウンドを横断するくらいの長さだ。さて、そんな壮大なスケールを、教科書でどう表現する? 見開きページでさえ、せいぜい40センチか50センチ。綴じ込みのポスターを広げても、1メートルや2メートルが限界だろう。横幅60メートルの教科書など、見たことがない。いや、存在すらしない。そんな限られた紙面で、宇宙のスケールや科学の本質を本当に教えられるのだろうか? 私には疑問だ。科学教育は、しばしばこうした視覚的な限界に縛られ、子どもたちに本当の「大きさ」や「距離感」を伝えきれていないのではないか。

この比喩は、単なる遊びではない。私たちの日常的な認識が、いかに科学的事実から乖離しているかを示す好例だ。例えば、地球温暖化防止やクリーンエネルギー、カーボンニュートラルといった言葉が飛び交う現代社会を考えてみよう。これらは耳障りがよく、環境保護のスローガンとして機能しているが、本質を理解している人はどれだけいるだろうか? カーボンニュートラルとは、炭素排出をゼロに近づけることだが、待てよ、人間自身が炭素からできているではないか。私たちの体は、有機物の塊で、炭素が主成分だ。呼吸するだけで二酸化炭素を吐き出している。極論すれば、人間が存在する限り「炭素」は避けられない。クリーンエネルギーとは、何を指す? 風力や太陽光は「クリーン」だが、製造過程で大量の資源を消費し、廃棄物も出る。本当に「ゼロ」なのか? こうした議論は、しばしば感情論に傾き、科学的事実が置き去りにされる。

ここで、太陽の話をしよう。太陽は、私たちが大嫌いな「燃焼」ではなく、核融合反応でエネルギーを生み出している。空気のない宇宙空間で、膨大な熱と光を放ち続け、地球上の生命を支えている。あの太陽がなければ、私たちは存在しない。では、原子力発電はそんなに悪なのか? 原子力もまた、核分裂(または将来的には核融合)を利用したエネルギー源だ。太陽のミニチュア版のようなものではないか。太陽は悪か? もちろん違う。太陽は自然の恵みとして崇められるのに、原子力は「危険」「放射能」と忌み嫌われる。なぜか? それは、チェルノブイリや福島の事故が記憶に新しいからだ。しかし、問題の本質は技術そのものではなく、使う人間の覚悟にある。安全管理を徹底し、リスクを最小化する覚悟。廃棄物の処理を責任を持って行う覚悟。原子力は、化石燃料のように二酸化炭素を大量排出しない。クリーンエネルギーの一翼を担えるはずだ。

それなのに、原発反対を叫ぶ人々がいる。今まで電力を享受し、快適な生活を送ってきたくせに、突然「反対」と言うのはおかしいではないか。エアコン、スマホ、照明――これらすべてが電力なしでは成り立たない。電気のない生活ができるなら、言ってみろ。キャンプファイヤーで煮炊きをし、ろうそくで本を読み、手紙で連絡を取る生活を。現代社会は、原子力を含む多様なエネルギー源に依存している。反対するなら、まずは自分の生活を振り返るべきだ。科学的事実は、感情で曲げられるものではない。太陽までの60メートルの距離を想像するように、エネルギーのスケールを正しく認識しよう。そこから、真の議論が始まる。

結局のところ、科学は教科書のページを超えた視野を要求する。横幅60メートルの教科書がないように、私たちの知識も限界がある。だからこそ、謙虚に学び、覚悟を持って選択する。それが、人間として生きる道だ。


持ち札に切り札は無し山眠る

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