第7話 正体バレと、皇帝からの勅命
「……はぁ。いつかこうなるとは思っていたが、早すぎる」
その夜、屋台『極楽亭』の暖簾をくぐったクラウスは、いつにも増して眉間の皺を深くしていた。
彼の後ろには、近衛騎士団長のレオンハルトもいるが、彼もまた神妙な顔つきだ。
「いらっしゃい。……なんだか空気が重いですね? ラーメン食べたら元気出ますよ?」
私は呑気に中華鍋を磨きながら声をかけた。
今日の仕込みは完璧だ。スープは黄金比率でブレンド済みだし、チャーシューもトロトロに仕上がっている。
クラウスはカウンターに座ると、重々しく口を開いた。
「エレナ。……今日は店を閉めてくれ」
「えっ? 何かトラブルですか?」
「トラブルではない。……招集がかかったのだ」
彼は天を仰いだ。
「皇帝陛下が、君の料理を所望されている」
◇
ガルディア帝国皇城、メインキッチン。
そこは、私の屋敷の地下厨房とは比べ物にならないほど広大で、最新の魔導調理器具が並ぶ洗練された空間だった。
「ここが、帝国の胃袋……」
私はキョロキョロと周囲を見渡した。
案内された私を、白いコックコートを着た屈強な料理人たちが、値踏みするような目で見ている。
「ふん。宰相閣下が連れてきた『深夜の魔女』とは、こんな小娘か」
料理長らしき髭面の男が、鼻で笑った。
「聞いたぞ。路地裏で魔獣の骨や脂を煮込んでいるそうだな。そのような下品な餌、高貴なる陛下のお口に合うはずがない」
「下品かどうかは、食べてから判断してください」
私は負けじと言い返した。
料理人の世界は実力主義だ。口で勝つより、皿の上で勝つしかない。
「エレナ、気にするな。彼らは『伝統』しか知らないのだ」
クラウスが私の隣に立ち、鋭い視線で料理人たちを黙らせた。
彼は私に耳打ちする。
「陛下は隣のダイニングルームでお待ちだ。……正直に言うと、陛下はここ最近、食欲不振で気難しくなっておられる。もし口に合わなければ、私ごと首が飛ぶかもしれん」
「プレッシャーかけないでくださいよ。……でも、任せてください」
私はマジックバッグから、愛用の寸胴鍋と食材を取り出した。
「魔獣ボアの骨、コカトリスのガラ、そして背脂……」
グロテスクな骨や脂の塊を見て、周囲の料理人たちが「ひっ」と声を上げる。
だが、私は構わずコンロに火を入れた。
「錬金術、展開。――加熱圧縮!」
時間がないので、錬金術で圧力をかけて一気に仕上げる。
鍋の中でスープが踊り、厨房内にあの香りが充満し始めた。
「な、なんだこの匂いは!?」
「獣臭い……いや、違う! 香ばしい!?」
料理人たちがざわめき始める。
ニンニクと焦がし醤油、そして乳化した豚骨の甘い香り。
彼らの常識を破壊する、食欲の暴力だ。
「麺、茹でます!」
私は大鍋に麺を躍らせた。
湯切りの音だけが、静まり返った厨房に響く。
チャッ、チャッ、チャッ!
丼にスープを張り、麺を入れ、特製チャーシューと煮卵、メンマ(タケノコモドキ)、ネギ、海苔をトッピングする。
仕上げに、今日は特別に『金粉』ならぬ『食用金箔ハーブ』を散らしてみた。少しは皇帝仕様だ。
「完成です。運びましょう」
◇
ダイニングルームには、長いテーブルの端に、一人の老人が座っていた。
白髪に蓄えられた髭、鋭い眼光。
ガルディア帝国皇帝、ジークフリート・フォン・ガルディア。
「武帝」とも呼ばれる、この国の絶対権力者だ。
「……遅い」
重厚な声が響く。
クラウスとレオンハルトが直立不動で敬礼する中、私は盆を持って進み出た。
「お待たせいたしました、陛下。特製『全部乗せ醤油豚骨ラーメン』でございます」
ドンッ。
湯気を立てる丼を、皇帝の目の前に置く。
皇帝は眉をひそめ、丼の中を覗き込んだ。
「……濁っておるな。宰相よ、これが噂の『魔女のスープ』か?」
「はっ。見かけは異質ですが、味は私が保証いたします。私の首を賭けて」
クラウスが言い切った。
そこまで言わなくてもいいのに。愛が重い。
皇帝は「ふん」と鼻を鳴らし、箸(クラウスが教えたらしい)を手に取った。
「余の舌を満足させられる料理など、この数十年出会っておらん。……どれ」
皇帝がスープを一口、口に含んだ。
厨房の入り口で、料理人たちが固唾を飲んで見守っている。
もし陛下が「不味い」と言えば、私は即刻処刑かもしれない。
しかし。
「――ほう」
皇帝の目が、わずかに見開かれた。
次いで、もう一口。
さらにもう一口。
「……」
無言のまま、皇帝は麺を箸で掴み、ズルズルと音を立ててすすり始めた。
その勢いは、最初の一口目とは比べ物にならないほど速い。
ズルッ、ズゾゾゾッ!
ハフハフ、ガツガツッ!
「へ、陛下?」
控えていた侍従が驚きの声を上げる。
あのご高齢の陛下が、まるで若者のように丼にかじりついているのだ。
「美味い……! なんだこれは!」
皇帝が叫んだ。
「濃厚だ! なのにくどくない! 豚の脂がこれほど甘露だとは! 麺が喉を撫でる感触、肉の解ける柔らかさ……全てが未知の体験だ!」
「お気に召しましたか?」
私が尋ねると、皇帝は丼から顔を上げた。
その口元は脂でテカテカに光り、頬は紅潮している。
まるで少年の顔だ。
「気に入ったなどという言葉では足りん! これこそが、余が求めていた『活力』だ! 毎日食卓に並ぶ冷めたスープや硬い肉とは次元が違う!」
皇帝はあっという間に完食し、「替え玉!」と叫んだ。
クラウス、あなた皇帝陛下に何を教え込んだの。
◇
二杯目を完食し、満足げに茶をすする皇帝陛下。
その前で、私は改めて跪いた。
「見事だ。褒美を取らせる。……して、そなた、何者だ?」
皇帝の鋭い眼光が私を射抜く。
「ただの料理人には見えん。その所作、言葉遣い、そして錬金術を応用した調理法……。何処ぞの貴族か?」
隠してもバレるだろう。
私は顔を上げ、堂々と名乗ることにした。
「お初にお目にかかります。私はルシエラ王国、ワイズマン公爵家の長女……いえ、元・長女のエレナと申します」
「ほう? ワイズマン家といえば、王国の名門ではないか」
皇帝が興味深そうに顎を撫でる。
隣でクラウスが補足した。
「彼女は先日、王国を追放された身です」
「追放だと? これほどの腕を持つ者をか? 理由はなんだ」
「……このスープです」
私は空になった丼を指差した。
「王太子殿下と義妹に、『豚骨スープの匂いが毒薬のようだ』と断罪されまして。魔女の毒を作っているという冤罪で、国を追い出されました」
その瞬間。
ダイニングルームが静まり返った。
「……毒、だと?」
皇帝が低い声で呟く。
そして次の瞬間、
「ブワハハハハハハハ!!」
腹の底からの大爆笑が轟いた。
「毒! この至高のスープを毒だと! 王国の連中は鼻が詰まっているのか、それとも脳味噌が腐っているのか!」
「まったくです。おかげで私は、こうして帝国で店を開くことができましたが」
「愉快だ! 実に愉快だ!」
皇帝は涙を拭いながら笑った。
「噂には聞いていたが、ルシエラ王国がそこまで無能だとはな。伝統に縛られ、本質を見抜けない愚か者どもめ。……だが、礼を言わねばならんな。彼らが愚かだったおかげで、余はこうして最高のラーメンに出会えたのだから」
皇帝は表情を引き締め、私に向き直った。
「エレナよ。そなたを帝国の『食賓』として迎える。好きなだけ店をやるがいい。資金も場所も、余が保証しよう」
「本当ですか!?」
「うむ。その代わり……週に一度、いや三日に一度は城へ来て、余にラーメンを作ること。これは勅命である」
「喜んで! 替え玉無料券も差し上げます!」
「うむ、苦しゅうない!」
話がまとまった。
これで私は、帝国の皇帝公認のラーメン屋になったわけだ。
後ろで料理人たちが「信じられん……」と腰を抜かしているのが見える。
だが、一人だけ面白くなさそうな顔をしている男がいた。
クラウスだ。
帰り道、彼は馬車の中で大きなため息をついた。
「……はぁ。これで私の独占ではなくなってしまった」
「何言ってるんですか。お店に来ればいつでも食べられますよ」
「そうではない。……陛下だけでなく、これから多くの貴族たちが君を狙うだろう。君の価値が公になってしまった」
彼は眼鏡を直し、真剣な眼差しで私を見た。
「エレナ。君を守るために、護衛を強化する必要がある」
「レオンさんがいるから大丈夫じゃ?」
「あいつも君のチャーハン目当てで入り浸っているだけだ。……やはり、私がもっと近くにいなければ」
彼はブツブツと何か計画を練っているようだった。
過保護な常連さんだなぁ、と私は笑って流していたが、彼の心配は的中することになる。
なぜなら、国境の向こう側――ルシエラ王国で、私の作った「薬膳スープ」がなくなった影響が出始めていたからだ。
「くしゅん!」
私は大きなくしゃみをした。
「風邪か?」
「いえ……誰かが私の噂をしているみたいで」
そう。
私を追放した元婚約者たちが、今頃になって青い顔をしていることを、私はまだ知らなかった。




