第6話 噂の「深夜の魔女」
帝都バルバロスの夜は、蒸気と鉄の匂いがする。
だが、ここ数日、騎士団の詰所では奇妙な噂がまことしやかに囁かれていた。
「おい、聞いたか? 宰相閣下の様子がおかしい」
「ああ。夕方になるとソワソワし始めて、定時になった瞬間に風のように消えるらしい」
「しかも、毎晩路地裏の奥深くへ吸い込まれていく姿が目撃されている」
「まさか……ハニートラップか?」
「いや、もっと恐ろしい噂だ。『深夜の魔女』が、閣下に謎の薬を盛って骨抜きにしているらしいぞ」
そんな噂話を耳にして、黙っていられない男が一人いた。
帝国の近衛騎士団長、レオンハルト・フォン・ベルガーである。
彼は豪快にバンッと机を叩いた。
「馬鹿な! あの『鉄の宰相』クラウスが、女ごときに現を抜かすはずがない!」
レオンハルトは立ち上がった。身長二メートル近い巨躯に、歴戦の傷跡が刻まれた強面。
クラウスとは幼馴染であり、彼の数少ない友人でもある。
「俺が確かめてくる。もし本当に魔女がクラウスをたぶらかしているなら、この剣で叩き斬ってやる!」
正義感(とお節介)に燃える騎士団長は、愛剣を腰に佩き、夜の街へと飛び出した。
◇
一方その頃、路地裏の屋台『極楽亭』。
「……んぐっ、はふっ」
クラウスは一心不乱にレンゲを動かしていた。
彼の目の前にあるのは、いつものラーメンではない。
黄金色に輝く山――『チャーハン』だ。
カッカッカッ!
ジャァァァァッ!!
厨房からは、小気味よいリズムとお玉が中華鍋(錬金術で作った特注品)に当たる金属音、そして食材が爆ぜる音が響き渡っている。
「お待ちどうさま! 騎士様も、お一ついかがですか?」
私が声をかけた相手は、屋台の入り口で呆然と立ち尽くしている大男だ。
先ほど勢いよく飛び込んできたかと思えば、「貴様か魔女は!」と叫んだきり、フリーズしてしまったのだ。
理由は単純。
私が鍋を振るう姿と、漂う香りに圧倒されたからだろう。
「……な、なんだその動きは」
大男――騎士団長レオンハルト様は、剣の柄に手をかけたまま、私の手元を凝視している。
私はニカッと笑い、中華鍋を大きく煽った。
中に入っているのは、硬めに炊いた白米、細かく刻んだオークのチャーシュー、ネギ、そしてたっぷりの卵だ。
強火の炎が鍋の中まで舞い上がり、米の一粒一粒を油と卵でコーティングしていく。
この火力こそが命。
家庭のコンロでは出せない、業務用の火力だ。
「魔術……いや、剣舞か?」
レオンハルト様が呟く。
彼には、私が鍋を振る姿が、高度な剣技のように見えているらしい。
あながち間違いではない。チャーハン作りは、炎と重力との戦いなのだから。
「はい、お待ち! 『極楽チャーハン』大盛りです!」
私はドンッ、とカウンターに皿を置いた。
湯気と共に立ち昇るのは、焦がし醤油とネギの香ばしさ、そしてラードの甘い香り。
頂上には、真っ赤な宝石――紅生姜を添えてある。
「さあ、まずは食べてみてください。話はそれからです」
「くっ、騙されんぞ! クラウス、お前もだ! そんな怪しいものを……」
レオンハルト様が隣を見ると、クラウス様は既に皿を空にしていた。
そして恍惚とした表情で、スープ(チャーハンについてくる中華スープ)をすすっている。
「……うるさいぞ、レオン。食事の邪魔をするな」
「ク、クラウス!? お前、その顔はどうした!?」
「どうしたもなにも、至福の時間に浸っているだけだ」
いつもの冷徹な仮面はどこへやら。
今のクラウス様は、口の端に米粒をつけたまま、とろんとした目で私を見ている。
「エレナ。……おかわりだ。この米料理、魔性の味がする」
「はいよ! じゃあ次はレオンさんの分と一緒に作りますね」
「なっ、俺は食わんぞ! 俺は魔女を成敗しに……」
レオンハルト様が抵抗しようとしたその時。
彼のお腹が、グゥゥゥゥゥゥッ! と盛大に鳴り響いた。
屋台が揺れるかと思うほどの重低音だ。
路地裏に沈黙が落ちる。
「……」
レオンハルト様は顔を真っ赤にして、咳払いをした。
「……毒見だ。あくまで、毒見として一口だけ頂く」
素直じゃないなぁ。
私は苦笑しながら、新しい鍋を振った。
数分後。
レオンハルト様の目の前にも、黄金の山が築かれた。
「これが……チャーハン……」
彼は恐る恐るレンゲを手に取り、山の一角を崩した。
パラリ。
米粒同士がくっつかず、見事にほぐれる。
それでいて、一粒一粒が黄金色の卵と油を纏い、艶やかに輝いている。
彼はそれを口に放り込んだ。
ハフッ、ハフッ。
熱々の米を咀嚼した瞬間。
カッ! と彼の目が見開かれた。
「――っ!?」
言葉が出ないらしい。
無理もない。
この世界の米料理といえば、ドロドロのお粥か、パサパサのリゾットもどきしかないのだから。
「パラパラ」で「ふっくら」という食感は、未体験の衝撃はずだ。
「……なんだこれは。口の中で、米が弾ける!」
彼は叫んだ。
「一粒一粒が独立しているのに、噛むと一体となって旨味が広がる! 肉の脂、卵の甘み、ネギの刺激……全てが完璧なバランスで踊っている!」
「紅生姜と一緒に食べると、さっぱりしてまた違った味になりますよ」
私が助言すると、彼は赤い生姜を混ぜてかき込んだ。
「酸っぱい!? ……いや、この酸味が脂を断ち切り、次の一口を欲させる! これは……戦術だ! 計算され尽くした布陣だ!」
彼は武人らしく、料理を戦術に例えて絶賛し始めた。
そして、その手はもう止まらない。
ガツガツッ!
カチャカチャッ!
レンゲが皿に当たる音と、咀嚼音だけが響く。
豪快な食べっぷりは見ていて気持ちがいい。
「おいレオン。私の分まで食うなよ」
「うるさい! 貴様だけこんな美味いものを独占していたのか! 抜け駆けは許さんぞ!」
「ふん、ここを見つけたのは私だ」
帝国のツートップである宰相と騎士団長が、路地裏の屋台でチャーハンを巡って子供のような言い争いをしている。
平和だなぁ。
「ぷはぁーっ!!」
レオンハルト様は、一粒残らず平らげると、空になった皿を掲げた。
「店主! これをもう一杯! いや、三杯だ!」
「ええっ、三杯も!?」
「俺の体はデカイからな、燃費が悪いんだ! あと、この『シュワシュワする麦酒』も樽ごと持ってこい!」
完全に常連コース入りました。
ありがとうございます。
「……はぁ。また騒がしくなるな」
クラウス様が眼鏡を拭きながらため息をついた。
その表情は呆れているが、どこか嬉しそうだ。
「だが、誤解は解けたようだな。彼女は魔女ではない」
「ああ、違いない。魔女どころか……これは『食の女神』だ!」
レオンハルト様が私の手をガシッと握りしめた。
「エレナ殿と言ったか! 感動した! 我が騎士団の糧食班長になってくれ! 兵士たちにこの飯を食わせれば、魔王軍など三日で殲滅できる!」
「お断りします!」
私は即答した。
「またか! なぜだ! 給金なら弾むぞ!」
「私はここがいいんです。地位とか名誉とか、そういう堅苦しいのはお腹いっぱいなので」
私は中華鍋をコンコンと叩いた。
「ここは『極楽亭』。身分も肩書きも関係なく、ただ美味しいものを食べて笑顔になる場所です。宰相様でも騎士団長様でも、ここではただの『お腹を空かせたお客さん』ですからね」
二人は顔を見合わせ、それから吹き出した。
「ハハハ! 違いない。ここでは俺も、ただの腹ペコだ」
「フッ……君には敵わないな」
こうして、騎士団長レオンハルト様も陥落。
「深夜の魔女」の噂は、「路地裏に極上の飯屋がある」という真実へと変わり、一部の上層部の間で極秘事項として共有されることになった。
だが、この賑わいが、さらなる大物を引き寄せることになる。
そう、この国の頂点に立つあのお方を。
「あ、そうだエレナ殿。明日は部下を数名連れてきてもいいか?」
「屋台に入り切る人数ならいいですけど……」
「大丈夫だ、立って食わせる!」
翌日、屋台の前には屈強な騎士たちの行列ができ、帝都の夜の新たな名所となるのだが、それはまた別の話。
「よし、追加のチャーハンお待ち! ついでに『唐揚げ』も揚げましたよ!」
「なんだその茶色い塊は! 香ばしい!」
「レオン、それは私の分だぞ」
帝国の夜は、今夜も脂と熱気に満ちている。




