第2話 帝都の片隅、屋台を引いて
ルシエラ王国を追放されてから十日後。
私は隣国、ガルディア帝国の帝都バルバロスに到着した。
目の前に広がるのは、鉄と蒸気に包まれた灰色の街並みだ。
王国の優雅な石造りの街とは違い、ここは空に無数のパイプが張り巡らされ、魔導機関車が重低音を響かせて走っている。
道ゆく人々も皆、軍服や実用的な作業着を身にまとい、殺伐とした空気を漂わせていた。
笑い声など一つも聞こえない。誰もが何かに追われるように早足で歩いている。
「……なるほど。これが『鉄と規律の国』ね」
私はフードを目深にかぶり、街の定食屋に入ってみた。
まずは敵情視察だ。この国の食レベルを知らなくてはならない。
出てきたのは、レンガのように硬い黒パンと、青菜が浮いただけのスープ。
スプーンですくって一口飲む。
「……しょっぱい」
ただの塩水だ。
野菜の甘みすら引き出されていない。
栄養補給のためだけに作られた、エサのような代物。
私はため息をつき、マジックバッグからこっそりと「乾燥ハーブ」を取り出してスープに混ぜ、なんとか胃に流し込んだ。
確信した。
この国には、娯楽がない。
そして、「食の快楽」を知らない人々が、ストレスを溜め込んで死んだような顔をしている。
ここなら、私のラーメンは爆発的に売れる。
勝算しか見えない。
「さて、まずは仕入れね」
私は店を出て、冒険者ギルドへと向かった。
◇
「は? 骨……ですか?」
ギルドの受付嬢が、素っ頓狂な声を上げた。
周囲の屈強な冒険者たちが、ギョッとして私を見る。
無理もない。
可憐な(と自分では思っている)元令嬢が、いきなり魔物の廃棄部位を大量注文しているのだから。
「ええ。グレート・ボアの大腿骨と背骨をありったけ。あと、コカトリスのガラがあればそれも」
「い、いや、ありますけど……。ボアの骨なんて、硬すぎて武具の素材にもなりませんし、肉もついていないので廃棄する予定でした」
「それを全て買い取ります。あと、背脂……いえ、皮の下についている白い脂肪の塊も、捨てずに残しておいてください」
「あんな油の塊、燃料にするくらいしか使い道がありませんよ?」
「いいんです。それが『宝』なんですから」
私は金貨を一枚カウンターに置いた。
王国を出る時に持ち出したへそくりだ。
受付嬢は目を丸くし、「ありがとうございます!」と頭を下げた。彼らにとってはゴミがお金に変わったのだから、大喜びだろう。
大量の骨と脂をマジックバッグに回収した私は、足取り軽く路地裏へと向かった。
◇
帝都の下町、さらにその奥。
蒸気パイプが入り組んだ薄暗い区画に、手頃な空き地を見つけた。
ここなら人通りも少なく、怪しまれずに準備ができる。
時刻は夕暮れ。
さあ、開店準備の時間だ。
「錬金術、展開」
私は地面に魔法陣を描き、バッグから木材と金属パーツを取り出した。
私の錬金術は、本来なら国を守るための兵器開発に使われるべき才能らしいが、そんなことは知ったことではない。
イメージするのは、前世の記憶にある「屋台」。
木材が組み上がり、車輪がつき、屋根ができあがる。
仕上げに、真っ赤な提灯を二つぶら下げた。
提灯には、こちらの文字で『極楽亭』と書き込んである。
「完璧ね」
リヤカー付きの移動式屋台の完成だ。
これなら衛兵に怒られても、すぐに撤収して逃げられる。
次に、一番重要なスープの仕上げだ。
私はバッグから、あの因縁の寸胴鍋を取り出した。
王国で煮込んでいたスープは、マジックバッグの時間停止機能のおかげで熱々のままだ。
だが、まだ完成ではない。
「ここからが本番よ」
私は鍋を屋台のコンロに設置し、火の魔石で着火した。
ボアの骨と、先ほど仕入れた新鮮な背脂を追加投入する。
グツグツと煮立ち始めると、再びあの強烈な獣臭が立ち昇り始めた。
「くっ……やっぱり臭いわね」
王国での失敗を繰り返すわけにはいかない。
私はすかさず、風属性の魔法で屋台の周囲に結界を張った。
【エア・カーテン】
これで臭いは外に漏れず、屋台の中だけで循環する。
私は鼻栓をして、ひたすらアクを取り続けた。
一時間、二時間。
豚骨スープ作りは、臭いとの戦いだ。
けれど、ある一線を越えると、その悪臭は劇的に変化する。
コラーゲンがゼラチン質に変わり、脂と水が完全に乳化して混ざり合った時。
獣臭さは消え、脳をトロけさせるような甘く濃厚な芳香へと変わるのだ。
「……来た」
鍋の中身が、ドロリとした黄金色に近いクリーム色に変わった。
おたまでひとすくいし、味見をする。
「んんっ……!」
口の中に広がる、爆発的な旨味。
まろやかで、クリーミーで、それでいて野性味あふれるパンチ力。
これだ。これが私が求めていた「呼び戻しスープ」だ。
次に麺だ。
これには、帝国の鉱山で採れる『黄岩塩』を使った。
これに含まれる成分は、前世の「かんすい」に近い。
小麦粉に黄岩塩の水溶液を混ぜ、錬金術で圧力をかけて練り上げる。
コシを出すために何度も生地を折りたたみ、包丁で細く切り出す。
手の中で揉み込めば、スープによく絡む「中太ちぢれ麺」の出来上がりだ。
トッピングは、王国から持ってきた秘蔵のチャーシュー。
そして、現地の市場で見つけたメンマ代わりの「タケノコモドキ」の煮付け。
ネギ代わりの薬草「グリーンオニオン」を刻んで準備完了。
◇
気がつけば、日付が変わっていた。
深夜二時。
「草木も眠る丑三つ時」と言うが、帝都の夜は眠らない。
遠くの官庁街の窓には、まだ明かりが灯っているのが見える。
残業続きの官僚、夜勤の兵士、魔導技師たち。
彼らは今頃、小腹を空かせてゾンビのように彷徨っているはずだ。
私はエア・カーテンを解除した。
ふわぁっ……。
閉じ込められていたスープの香りが、夜の路地裏へと解き放たれる。
焦がし醤油とニンニク、そして濃厚な豚骨の香り。
それは暴力的なまでに食欲を刺激する「飯テロ」の狼煙だ。
「さあ、開店よ」
私は長い赤髪を一本に縛り、気合を入れて鉢巻を締めた。
屋台の前に、「営業中」の木札を掲げる。
場所は路地裏。客足など期待できないかもしれない。
でも、私の勘が告げている。
この匂いは、飢えた獣たちを引き寄せる最強の餌だと。
カツ、カツ、カツ。
ほら、来た。
足音が聞こえる。
重たく、引きずるような、疲れ切った足音が。
暗闇の向こうから現れたのは、一人の男性だった。
仕立ての良い服を着ているが、その着こなしは乱れ、銀色の髪はボサボサ。
眼鏡の奥の瞳は死んだ魚のように濁り、頬はこけている。
まるで亡霊だ。
あるいは、過労死寸前の社畜か。
彼は鼻をヒクつかせながら、ふらふらと屋台の前に立ち止まった。
その視線は私ではなく、湯気を立てる寸胴鍋に釘付けになっている。
「……なんだ、この匂いは」
声は枯れ、震えていた。
「いらっしゃいませ」
私は営業用の笑顔を浮かべ、彼に声をかける。
「温かいスープ、ありますよ。一杯いかがですか?」
これが、運命の出会い。
そして、私が帝国を胃袋から支配する伝説の始まりだった。




