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「毒薬を作っている」と追放されましたが、これは豚骨スープです。 ~冷徹宰相をラーメンで餌付けしたら溺愛されました~  作者: 月雅


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第1話 豚骨の香りは、別れの予感

グツ、グツ、グツ。


大鍋の底から湧き上がる気泡が、白濁したスープの表面で弾ける。

それと同時に、強烈な獣の臭気が地下の厨房に充満した。


腐敗臭に近い、鼻の奥をツンと刺すような刺激臭。

普通のご令嬢であれば、ハンカチで鼻を押さえて卒倒するレベルかもしれない。


けれど、私、エレナ・フォン・ワイズマンにとっては、これは勝利の凱歌だ。


「よし……乳化してきた。ここからが勝負ね」


私は額に滲む汗を袖口で拭うと、身長の半分ほどもある巨大な寸胴鍋の中を覗き込んだ。


鍋の中で踊っているのは、魔獣オークの大腿骨。通称「ゲンコツ」だ。

下処理で血抜きをし、ハンマーで叩き割って髄を露出させ、強火で十時間以上煮込み続けている。


この国ルシエラ王国では、オーク肉は下等な食材とされ、その骨など野犬のエサにしかならない。

だが、彼らは知らないのだ。

この骨の髄にこそ、天上の快楽とも呼べる「旨味」が詰まっていることを。


私は木べらを握り直し、渾身の力で鍋底をかき混ぜた。

焦がしてはいけない。けれど、骨同士をぶつけ合い、徹底的に粉砕していく必要がある。


「頼むわよ、私の可愛いスープちゃん。黄金色に輝く、極上のとんこつスープになってちょうだい」


前世の記憶。

日本のラーメン屋の娘として育った私が、事故でこの世界に転生して早二十年。

貴族として優雅な生活を送ってきたが、一つだけ我慢できないことがあった。


飯が、不味い。


この国の料理は「茹でる」か「焼く」のみ。味付けは塩。以上。

出汁という概念が存在しないのだ。

パンは石のように硬く、スープはただのお湯。


そんな食生活に耐えられず、私は夜な夜な屋敷の地下厨房に忍び込み、理想の味を追求してきた。

そして今夜、ついに完成しようとしている。

濃厚でクリーミーな、あの「呼び戻しスープ」が。


その時だった。


バンッ!


重厚な扉が乱暴に蹴破られ、静寂が破られた。

冷たい夜風と共に、武装した騎士たちが雪崩れ込んでくる。


「動くな! 悪逆非道な魔女め、ついに尻尾を掴んだぞ!」


怒声と共に突きつけられる数多の剣先。

私は木べらを持ったまま、呆然と振り返る。


そこには、豪奢な衣装に身を包んだ金髪の青年が立っていた。

この国の第一王子であり、私の婚約者でもあるフレデリック殿下だ。

その隣には、私の義理の妹であるマリアンヌが、怯えた様子で殿下の腕にしがみついている。


「フレデリック殿下? こんな夜更けに、一体何を」


「黙れ!」


フレデリック殿下は、ハンカチで鼻と口を強く押さえながら、侮蔑の眼差しを私に向けた。


「なんだこの異臭は! まるで死体が腐ったような……おぞましい臭いだ!」


「お、お姉様……。まさか本当に、この屋敷の地下で『呪いの毒』を作っていらしたのね」


マリアンヌが涙目で訴える。

私は首を傾げた。


「毒? 何をおっしゃっているのですか。これはスープです」


「嘘をつくな!」


殿下が叫び声を上げ、鍋を指差した。


「見ろ、この白く濁った不気味な液体を! 普通のスープは透き通っているものだ。このようにドロドロと白濁し、吐き気を催す臭いを発するものが、食べ物であるはずがない!」


ああ、なるほど。

この国ではスープといえばコンソメのような澄んだものが主流だ。

白湯パイタンスープの概念がない彼らにとって、骨の髄まで溶け出したこの濃厚スープは、確かに異質に映るかもしれない。

しかも、今はまだ煮込みの途中。換気も不十分な地下室だ。独特の獣臭さが一番キツイ時間帯である。


「殿下、誤解です。これはオークの骨を長時間煮込むことで、コラーゲンと脂質が乳化して白くなっているだけで……」


「ええい、言い訳は聞きたくない! マリアンヌの言った通りだ。お前は私に毒を盛り、この国を乗っ取ろうとしていたのだな!」


「は?」


話が飛躍しすぎていて、思考が追いつかない。

すると、マリアンヌが一歩前に進み出た。


「私、見てしまったのです。お姉様が、不気味な根菜……『キラーガーリック』や『ドラゴンジンジャー』を、その鍋に大量に投げ込んでいるところを!」


騎士たちがざわめく。

キラーガーリックもドラゴンジンジャーも、魔除けや薬の材料として使われる強い香草だ。

食用にするなど、この国では正気の沙汰ではないと思われている。


「それに、お姉様はいつもおっしゃっていました。『パンチが足りない』『中毒性が欲しい』と……。あれはきっと、殿下を毒薬の中毒にして操るつもりだったのですわ!」


「なんと恐ろしい……! エレナ、お前は私の愛するマリアンヌを虐げただけでなく、そのような邪悪な魔術に手を染めるとは」


虐げた覚えはない。

ただ、彼女が私のドレスを勝手に切り刻んだり、私の部屋にカエルを放り込んだりした時に、淡々と事実を指摘して注意しただけだ。

彼女はそれを「いじめられた」と殿下に泣きついていたらしい。


フレデリック殿下は、芝居がかった仕草で剣を抜き放ち、私に突きつけた。


「エレナ・フォン・ワイズマン! 貴様のような性根の腐った女に、次期王妃の座は務まらん。よって今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」


「……」


「さらに、お前が煮込んでいるその毒物は証拠品として処分し、貴様には国外追放を命じる! 二度と私の前に顔を見せるな!」


処分。

その単語が聞こえた瞬間、私の中で何かがプツリと切れた。


婚約破棄? どうでもいい。

国外追放? むしろありがたい。

だが、スープを捨てるだと?


私は木べらを強く握りしめ、ゆっくりと顔を上げた。

これまで見せたことのない冷ややかな視線を向けると、殿下がビクリと肩を震わせる。


「……殿下。今、なんと?」


「ひっ……な、なんだその目は」


「このスープを処分する、とおっしゃいましたか?」


「と、当然だ! そのような汚らわしい液体、下水に流してくれる!」


下水。

私が三日三晩、寝ずに火加減を調整し、丁寧にアクを取り除き、我が子のように慈しんで育てたこのスープを。

下水呼ばわりした。


私の中で、ルシエラ王国への未練が完全に消え去った。

こんな、味覚の未発達な文化不毛の地で、私の料理を理解してもらえるはずがない。


「……分かりました」


私は木べらを置き、パンパンと手を払った。


「婚約破棄、謹んでお受けいたします。これほど味音痴……いえ、食への理解がない方だとは知りませんでしたから」


「なっ、なんだその態度は!」


「国外追放も結構です。ですが、一つだけ条件があります」


私は背後に置いてあった愛用の鞄――空間魔法が付与された特注の『マジックバッグ』を手に取った。

そして、目の前の巨大な寸胴鍋に手を触れる。


「この鍋と中身は、私が持って行きます。これだけは譲れません」


「は? その毒物を?」


「ええ。貴方方には毒に見えるのでしょう? ならば、私が持ち去れば何の問題もないはずです」


殿下とマリアンヌは顔を見合わせ、気味悪そうに鼻を鳴らした。


「……勝手にしろ。そんな臭いもの、一秒でも早くここから消し去りたい」


「ありがとうございます。では」


私は魔法を発動させた。

巨大な寸胴鍋が、一瞬にして光の粒子となり、私のマジックバッグへと吸い込まれていく。

それだけでなく、厨房の棚に並べておいた自家製の麺、漬け込んでいた煮卵(魔獣の卵)、そして愛用の調理器具一式も、次々と収納していく。


「あ、あとこれも」


私は冷蔵魔道具の中から、大きな豚肉の塊……もとい、オーク肉のブロックを取り出し、バッグに放り込んだ。

これは三日前からタレに漬け込み、低温でじっくり火を通した特製チャーシューだ。

これがないとラーメンは完成しない。


「さようなら、フレデリック殿下。マリアンヌも、お幸せに。二人の愛が、その薄味のスープのように冷めないことを祈っているわ」


「き、貴様ぁ!」


激昂する殿下を無視して、私は踵を返した。

騎士たちが道を開ける。

誰も私に触れようとしない。

私の身から漂う、濃厚な豚骨の香りを恐れているからだ。


「ふん、臭い女だ。野垂れ死ぬがいい!」


背後から聞こえる罵声を、私は鼻歌混じりに聞き流した。


屋敷を出ると、外は満天の星空だった。

冷たい夜風が火照った頬に心地よい。

私は公爵家の紋章が入ったマントを脱ぎ捨て、厨房着の前掛けをしっかりと締め直した。


自由だ。

もう、行儀作法に縛られることもない。

不味い晩餐会で愛想笑いを浮かべる必要もない。


私は北の空を見上げた。

国境の向こうには、軍事大国ガルディア帝国がある。

実力至上主義のあの国なら、身分に関係なく、美味いものを作れば評価されるはずだ。

噂によれば、帝国の人々は激務に追われ、常に疲弊しているという。


疲れた体には何が必要か?

塩分だ。脂だ。炭水化物だ。

そして何より、脳髄を揺さぶるような強烈な旨味だ。


私はマジックバッグを背負い直し、力強く歩き出した。


「待ってなさい、帝国の民たちよ。私が本物の『飯』を教えてあげる」


上等じゃないか。

毒薬と罵られたこのスープで、世界最強の軍事国家の胃袋を征服してやる。


私の新しい人生は、湯気と香りと共に幕を開けた。

目指すは帝都。

そこで私は、世界一のラーメン屋になる。


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