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5話

《完璧なプレゼンを発注したら、拍手が揃いすぎる》


受信音が一度遅れて鳴った。

件名の下に短い本文——「質疑が消えました。拍手が、指揮者がいるみたいに揃います。反対意見が生まれません」。

※本案件は救い7:喪失3の調整を含みます。会議描写/職場の意思決定に関する話ですが、暴力や罵倒は登場しません。


1|導入


「“完璧なプレゼン”の外注、だね」

相羽が画面を閉じ、コートの襟を整える。

「人気オプション“会議演出補助”。成功率は上がるが、反対意見の死滅が副作用で出ることがある」

杁瀬が頷いた。「今回は拍手が揃いすぎ、か」

差出人は九条くじょう 真帆。ITベンチャーのプロダクトマネージャー。都内・品川のオフィス。

「行こう。揃った拍手は、時々、未来を空っぽにする」


2|ヒアリング


ガラス張りの会議室。ホワイトボードの端に消し跡が残る。

九条は黒のジャケット、短く切った前髪。口調は早いが、要点の置き方が上手い。

「二週間前に“会議演出補助”を契約しました。製造ラインへの実装を決める大事な提案で、失敗できないと思って。効果は……出すぎました」

彼女はタブレットをこちらへ向ける。録画の再生。

——スライド、適切な間。笑いどころで笑いが起き、拍手は面で揃う。

——質疑の時間、手が挙がらない。司会が促すと、事前に仕込んだような模範質問が二つ。

「反対も違和感も、現れない。導入後の一週間、致命的な見落としに気づけませんでした」

「見落とし?」杁瀬が問う。

「現場の温度センサーの設置位置。サンプルでは問題なかったんですが、冷却ダクトの前に配置しようとしていたことに最後まで誰もツッコミを入れなかった。導入前夜、現場の古株が私に個別で電話してくれて、やっと」

相羽は《レーテ》を起動。会議室の空間に微細な矢印が現れ、席から席へ、視線と頷きの流れを描く。

「プレゼンの“成功”を担保するため、同期信号が仕込まれている。拍手ユニゾンと頷きの位相合わせ。その代わりに、乱流が殺される」

九条は眉を寄せた。「乱流?」

「議論の乱れ。失礼な発言、間の悪い笑い、意地悪な質問、ズレ。それらが嫌われ、初期設定で除去される。——でも、ズレは発見の入口でもある」

九条は目を伏せ、息をつき、顔を上げた。

「直してください。拍手は減らなくていい。揃いを、少し崩してください」


3|現地検査


次の定例会がまもなく始まる時刻。

参加メンバーが入室し、席に着くたび、空間に薄いリズムが走る。《レーテ》越しに見ると、不可聴のカウントが天井から落ちてきて、頷きのタイミングを微調整しているのが分かる。

「これが同期信号」杁瀬が呟く。「拍手の位相もここで作ってる」

相羽は壁のパネルの下、ケーブルダクトを指差す。

「会議演出補助の物理アンカー。ここに拍手テンプレがキャッシュされてる。さらに、司会者の手元のタイマーに**“質問のテンプレ”がリンク」

司会役の若手社員が入ってきた。肩にかけたタブレットの表示に、二つの“安全な質問”が薄く透けている。

九条が小声で言う。「これ、私も気づいてませんでした」

相羽はタブレットを指でさし、若手に一礼した。

「大丈夫。あなたのせいじゃない。成功率を上げるための護送だ。ただし、護送は景色を見えなくする」

会議が始まる。

九条のスライドが進むたび、頷きの波がきれいに走る。

相羽は《レーテ》で質問の出現確率**を読む。ゼロに近い。

「このままだと、何も生まれない」杁瀬が囁く。

「穴を開ける」

相羽は《モルペウス》を取り出した。


4|修理


「やることは三つ」相羽は低く言い、《モルペウス》の針を光にかざした。

「一、拍手テンプレの位相をわざとズラす——《一拍遅れ》を少数派に配布。

 二、質問テンプレの優先度を下げ、“野良質問”が上がりやすい乱数の穴を作る。

 三、“失敗のための拍手”を導入——ズレた拍手が先に鳴ったら、それが正解の合図になるよう反射を貼る」

「失敗のための……?」九条が小さく笑う。緊張が解けた顔だ。

「失敗にも、拍手が要る」相羽は答える。「全部は直さないで、崩れを持ち運べる形にする」

針先が、壁面パネルの内部にあるキャッシュを掠める。

見えない糸が一本、ほどけて光の埃になった。

次に司会者のタブレットの質問テンプレへ。《モルペウス》の糸で**“後回しタグ”を付け、同時に《レーテ》から“鼻息強度センサー”を会議室の空調に仮設する。

「鼻息?」杁瀬が笑いを噛む。

「言いかけの兆候だよ。人は、言い出す前に、ほんの少し鼻で合図を出す」

会議の空気が、わずかにほどける**。

拍手テンプレは0.2秒の遅延をもつミニ群に分割。先走る拍手も許容されるよう、反射の向きを調整。

九条がスライドのコスト比較に入る。

そのとき——一拍早い手が、右奥で一度だけ鳴った。

会議室が一瞬静まる。

若手の司会が、タブレットを見ずに息を吸った。

「……質問、お願いします」

《レーテ》がとらえた鼻息が二本、空中に白く浮いた。

現場の古株が手を上げる。

「冷却ダクトの前だと、温度の谷できます。センサー、たぶん嘘をつく」

二人目の手が上がる。

「比較の前提、これ、去年のラインのデータですよね。今期は床下に熱が回ってます」

九条の肩が小さく落ち、次の瞬間、まっすぐに上がった。

「ありがとうございます。その指摘がほしかった」

拍手が起きる。——揃わない拍手。

早い手、一拍遅い手、途中で止まる手。

相羽は《レーテ》を閉じ、目の前の乱れをそのまま見た。


5|回収


会議は、予定より十五分だけ長引いて終わった。

決定事項は一つ、センサー位置の再検討。

廊下に出ると、九条が深く頭を下げた。

「助かりました。拍手が揃わないの、気持ちいいですね」

「揃わないのは、悪くない」相羽は答える。「ズレは取っ手だ」

「取っ手……。次の全社会議でも、この設定、残せますか」

「残す。ただし、流行るとまたテンプレになる。ときどき、自分でズレを作って」

「どうやって?」

「最初の**“えーと”**を、消さない」

九条は笑った。

「それなら、得意です」

会議室のガラス越しに、片付ける人々の姿。

相羽は歩き出し、ふと立ち止まる。

廊下の角で、金属音が一度だけ鳴った。風鈴というには硬い、でも耳の奥に残る音。

ポケットの紙片——**匿名〈φ〉**を指先がなぞる。

(——まだ、読まない)

彼女は歩調を戻し、エレベータの呼び出しボタンを押した。


修理レポート(様式 GR-17)


案件名:会議演出補助の過剰適用による拍手ユニゾン固定/質疑消失


依頼番号:P-2025-10-05-1012


依頼人:九条 真帆(本人確認済)


症状:拍手の位相固定、頷きの同期、野良質問の出現率低下(0.8%→0.1%)、テンプレ質問への依存


原因:外注“会議演出補助”の同期信号が強すぎ、乱流ズレを抑圧。壁面アンカーに拍手テンプレキャッシュ、司会端末に質問テンプレ優先。


実施手順:


《レーテ》で視線・頷き・拍手の位相マップを可視化、壁面アンカー/司会端末の同期点を特定。


《モルペウス》で拍手テンプレを分割し、0.2秒遅延群+先走り群を導入(ユニゾン→合唱化)。


司会端末の質問テンプレに**“後回しタグ”を付与、空調に鼻息センサを仮設して言いかけ検出**→優先度上げ。


**“失敗のための拍手”**反射を設定:ズレた拍手が起点時、質疑誘発に正のフィードバック。


結果:質疑出現率が6.7%まで回復。揃わない拍手の発生を確認し、意見の多様性が復帰。意思決定は先送り一件(センサー位置再検討)だが、事故確率の低減が見込まれる。


副作用:会議時間が平均**+8〜15分**延長、集中力の谷が一度発生(推奨:水分ポイント設置)。


返金可否:不可(会議成功率は維持、演出の一部を“合唱化”)。


瑕疵条項:修理官は、自分の夢を外注してはならない。


——揃わないは、壊れていない。持ち運べるズレだ。全部は直さない。気づける余白を残す。

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