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2話

《嘘のない恋を頼んだら、言葉が減りました》

受信音のあと、相羽はしばらく画面を見なかった。

件名の後ろに、本文は二行だけぶらさがっている——「わたしたちは、ほんとうだ。なのに、沈黙の時間が増えている」。

※本案件は救い7:喪失3の調停を含みます。強い言及・告白の場面がありますが、暴力・ハラスメント描写はありません。


1|導入


「“嘘のない恋”の外注、ですか」

杁瀬が読み上げ、少し肩をすくめた。「人気メニューですよね。虚偽検出と回避を補助するやつ」

「人気だからこそ、縫い目が荒いことがある」相羽は答える。「嘘は消えたが、言葉も減った——よくある副作用だ」

差出人は二人連名。星野伊織と、早坂明里。依頼者はどちらでもない。契約者欄には「共有ウォレット:H+A」とだけ記されている。

「現地で聞こう」

相羽は《レーテ》と《モルペウス》のケースを持ち上げ、コートの襟を整えた。


2|ヒアリング


待ち合わせは、中野の小さな喫茶店だった。

四角いガラスのテーブルに、指の跡がのこる。

星野が先に来ていて、手元のノートを閉じる。

「ぼくら、つきあって五年です。喧嘩、何度もして、そのたびに言い訳で傷をふさいできたのが嫌で……二ヶ月前に“嘘のない関係”の外注を」

早坂が遅れて入ってくる。コートを膝に置き、湯気を軽く吸い込むみたいに小さく息をした。

「嘘は、なくなりました。“おいしい”と本当に思ってないときは、思ってないって言える。疲れてるとき、会いたくないって言える。……でも、」

「言葉が、短くなった」星野がつづけた。「“楽しいね”が“たのしい”。“きれい”が“きれい”。そこから広がらない。冗談が、届かない」

杁瀬が眉をひそめる。「冗談の位置、消されがちなんだよな……」

相羽は、二人のマグの距離を見る。四センチくらい。

テーブルの角に、《レーテ》を置く。

「外注の仕様を再確認します。虚偽検出の強化、誤魔化し回避の推奨、そして婉曲表現の抑制**。最後のが強すぎると、比喩と冗談が巻き込まれる」

早坂は頷いた。「最近、伊織の言葉から飾りが消えて。まっすぐ、いいはずなのに、温度がないみたいで」

星野は目を伏せる。「温度がないって言われると、正しいこと言っても、負けてる気分になる」

相羽は、二人のあいだの空気の速度を見計らうように、言葉を落とした。

「直すのは、嘘ではない。**言葉の“取っ手”**です。掴むところがないと、どれだけ“ほんとう”でも、持ち運べない」


3|現地検査


二人の家は徒歩圏にあったが、今は別々に暮らしているという。

まず星野の部屋へ。

白い壁、本棚には詩集と設計の本。机の上に、薄い紙の束。

《レーテ》を起動すると、部屋全体に灰色の網目が広がる。

「比喩の生成プロセスが、抑制されている」杁瀬が指差す。「“みたい”“もし”の分岐が薄い」

相羽はノートの端をめくった。メモの文が短い。

——“よかった”。

——“うまい”。

——“疲れた”。

少し前のページには、もう少し長い文章がある。

——“花粉のせいで鼻がへたになってる。たぶん味が半分”

——“雨が靴の底で歩いてる”

「雨が靴の底で歩いてる、か」相羽は声に出した。「いい比喩だ」

星野が照れる。「前は、そういう言い方で明里に笑われるのが、好きでした」

「笑いが嘘扱いになって、削られた」

次に早坂の部屋。

キッチンに並ぶのはスパイスの瓶。ラベルに手書きで日付と用途が書かれている。

「これ、全部、明里さんの字?」

「はい。伊織が“おいしい”って言ってくれた日のメモも、最初は付けてたんです。でも、“本当に?”って聞く必要がなくなって、メモが減りました」

《レーテ》は、ダイニングテーブルの上で淡いノイズを拾った。

「この机の中央、沈黙の凹みができてます。言葉が戻れずに溜まる場所。いい沈黙もあるけど、いまは未分類で溜まりすぎてる」

「沈黙に、分類がいる?」

「いる。嘘を消したなら、沈黙に意味を与える必要がある」


4|修理


相羽は二人を早坂の部屋のテーブルに向かい合わせに座らせ、引き出しから白紙のメモカードを二十枚取り出した。

「“沈黙カード”を導入します。冗談が“偽”に分類されて弾かれるなら、冗談専用のレーンを作る。沈黙も同様。話したくない沈黙と、味わうための沈黙の区別を可視化する」

カードには、小さく記号を印刷する。《□》は“味わう沈黙”。《×》は“話さない沈黙”。《〜》は“冗談の通行証”。

「会話中、出す。見せびらかさず、テーブルの自分側に置くだけ。——レーンを別にするだけで、虚偽検出の回路から外れる」

杁瀬が《レーテ》の出力を星野の手元に重ねる。婉曲の分岐がわずかに太る。

「もう一手。《モルペウス》を使って、比喩の取っ手を少しだけ戻す。虚偽検出の精度は落とさない。その代わり、“飾り”を装飾ではなく取っ手として扱うタグを貼る」

針先が、カード束の上を撫でる。手品のように見える工程は、じつは論理の上書きだ。

星野がカードを一枚取り、テーブルの自分側に《〜》を出した。

「……冗談、言っていい?」

早坂が同じく《□》を出す。

「味わいながら、どうぞ」

星野は息を吸って、言葉を選んだ。

「明里の作るカレーは、香水が帰ってこれなくなる味がする」

早坂は一瞬まばたきして、それから笑った。

「ひどい。——でも、好き」

《レーテ》の網の色が、少しだけ暖色に寄る。冗談のレーンが、明確に切り分けられた。

次に相羽は、テーブルの中央、沈黙の凹みに針を落とした。

「二人の“黙る”の中には、不安と味わいが混ざっている。ここに仕切りを入れる。ルールは簡単。沈黙が十秒を越えたら、どちらかがカードで示す。言語化は後ででいい」

世界がひと呼吸、たわむ。

遠くの踏切の音が、部屋の空気を撫でて抜けた。

星野と早坂が、顔を見合わせる。

「やってみようか」

二人の声が、同時にこぼれた。


5|回収


その夜のうちに、短い確認のため二人のメッセージが返礼箱に届いた。

——《〜》のカードを出すの、楽しい。

——《□》の沈黙で食べたスープがおいしかった。

翌日、相羽と杁瀬は喫茶店で合流した。

「先輩、レーン分けって、結局は“嘘の回避”を迂回してるだけじゃないですか?」

「そうだよ。ルールは、いつも抜け道を前提に設計する。全部は直さないで、通るべき道を見つける」

「先輩はさ、恋、してないんですか」

相羽はマグに手をかけたまま、一秒だけ長く黙った。

「——沈黙カード、あるといいね」

杁瀬が照れて笑う。

店の窓の外、バス停の列に日がさし、誰かの影が重なって伸びた。

風鈴にも似た硬い金属音が、一度だけ、遠くで鳴った。


修理レポート(様式 GR-17)


案件名:虚偽検出強化に伴う比喩・冗談レーンの消失/ペア会話の沈黙分類不能


依頼番号:L-2025-10-04-1342


依頼人:H+A(共有決済)


症状:婉曲の抑制による語彙の短文化、冗談の“偽判定”、沈黙の未分類蓄積


原因:外注「嘘のない関係」オプションの過剰適用(虚偽検出の閾値が高すぎ、比喩が巻き込まれる)


実施手順:


《レーテ》で比喩分岐の抑制域を計測。


“沈黙カード”(《□》《×》《〜》)のレーン分岐を導入、会話プロトコルに明示的タグ付与。


《モルペウス》で比喩タグ=取っ手の意味付けを追加(虚偽検出の回路から除外)。


テーブル中央の沈黙凹みを仕切り縫合(10秒でカード提示のルール化)。


結果:語彙の短文化は維持しつつ、冗談の通行/味わう沈黙が回復。ペア会話の温度復帰を確認。


副作用:冗談の多用により、会話が時々はずす確率が3%上昇。


返金可否:不可(契約目的=虚偽回避は達成済)。


瑕疵条項:修理官は、自分の夢を外注してはならない。


——言葉の取っ手が戻ると、持ち運べる愛が増える。全部は直さないで、持てるぶんだけ。

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