第4話 観察者の微笑【ゼフィル視点】
風が止まり、世界がその一瞬を見守るように静まった。
——忠誠の誓約。
二人の運命を繋ぐ、誓いの光景。
光が静まり、残滓がゆるやかに祠に漂っていた。
僕とノア様は、遮断結界の端からその光景を静かに見守っていた。
「……あれって、騎士流のプロポーズなのか?」
不意にノア様が口にした。
僕は小さく笑みを浮かべる。
「そうかも……しれませんね」
「意外だな。こういうことには奥手だと思ってたライエルがね」
「人は、誰かのためなら変わるものです」
朝の光が差し込み始める。
そして僕らは歩を進め、祠の前に立つ二人のもとへ向かった。
* * * * * *
朝焼けに染まる祠の前。
光の余韻がまだ地に漂う中、ライエル様とハルカ様は静かに立ち尽くしていた。
その空気を破ったのは、隣のノア様の飄々とした声だった。
「まさか、また熱っぽい雰囲気から救助する羽目になるとはねえ。……無事で何よりだけど」
彼はいつも通り皮肉を忘れない。
その横で、僕は一歩進み出て口を開いた。
「おめでとうございます。……想い、通じたんですね」
ハルカ様は目を瞬かせ、ライエル様は少し視線を逸らした。
「……見てたのか」
「ええ。ずっと。おふたりの未来がどちらに転ぶのか、見届けたくて」
そう答えながら、僕は微笑みを浮かべた。
けれど、その笑みの奥に宿った色を、果たして隠しきれていただろうか。
胸に疼いた感情は、観察者としての冷静さで覆い隠したつもりだった。
——それでも、揺らいでしまったのかもしれない。
* * * * * *
祠を満たしていた古い封印の残滓は、すでに霧散していた。
痕跡も、異界の気配も、跡形すら残していない。
後から駆けつけた調査隊と村人たちによって、事の真相は少しずつ形を帯びていった。
魂を犠牲とする古い封印は、今しがた完全に断たれた。
そして——人の命ではなく、心の共鳴によって新たな均衡が築かれたのだ。
「もう……子どもを贄に差し出さなくていいのかい……?」
誰かの震える声に、村人たちの表情が崩れた。
涙を拭い、空に祈り、何度も何度も“ありがとう”と繰り返す声が広がっていく。
人々の列の後ろから、僕らの前にゆっくりと一人の老婆が歩み出た。
やつれた顔に涙を流し、両手を胸の前で合わせている。
「……ほんとうに、ほんとうにありがとうございました……」
膝を折り、神仏に祈るように頭を垂れる。
「娘も……私も……これでようやく、浮かばれます……」
僕はその姿を、言葉もなく見つめていた。
かつて贄を送り出した母。その長い悔恨の果てに、ようやく彼女にも救いが訪れたのだ。
——ハルカ様とライエル様の、共鳴の光によって。
「お礼は、あちらの二人に言って欲しいね」
ノア様が肩をすくめて言う。
「彼女たちの魂の共鳴によって、封印の構造そのものが変わったんだから」
僕は小さく頷いた。
「……ノア様のおっしゃるとおりです」
……まさに奇跡。
観察者として超常現象を信じるほうではない僕でさえ、目の前の事実を前にすれば認めざるを得なかった。
やがて祠の調査も終わりを迎えた。
残滓は完全に消え、村人たちの表情からも長年の呪縛が解かれていくのがわかる。
僕たちは、王城への帰還準備に取りかかった。
新たな記録を胸に刻みながら——。
* * * * * *
「――なんだって? プロポーズはしてないだって?」
ノア様が、わざとらしく肩をすくめて声を上げる。
「……していない」
低い声で答えるライエル様。その頬はみるみる赤く染まっていく。
そんなやり取りが交わされたのは、王城での調査報告を終えた帰り道のことだった。
久方ぶりに顔を合わせた僕たちは、誰からともなく足を止め、中庭の片隅で足を緩めていた。
「でも、彼女にひざまずいて“忠誠の誓約”をやっておられたのでは?」
わざと無邪気に首をかしげてみせると、ライエル様の肩がぴくりと揺れる。
「……あれは、その……騎士として彼女を守る。そう誓っただけだ」
声はかすかに上ずり、頬はますます真っ赤に染まっていく。
必死に言い訳する彼に、ノア様は視線を送った。
「……で、彼女の返事は?」
「ああ……。微笑んでいたな」
「???」
僕とノア様は、思わず顔を見合わせる。
微笑んでいた、とは……返事にすらならない曖昧さだ。
「つまりその……ライエルとハルカは、心が通じあって、好きとか付き合うとか、そういう約束も?」
「……していない」
「じゃあ、彼女から想いを告げられたりは……?」
ノア様が矢継ぎ早に質問を畳みかける。
もはや尋問である。
「彼女からは何も言われてない……」
恥ずかしさの限界を突破したのか、虚無の顔で答えるライエル様。
さすがに少し気の毒になってきた。
一瞬の沈黙が降りる。
そして——僕は、唇の端に微笑を浮かべながら口を開いた。
「それじゃあ、僕の割り込む隙はまだあるということですね」
わざと軽く言ってみせると、二人の反応は実に分かりやすかった。
「……なに?」
ギョッとしたように目を見開くライエル様。
横にいたノア様も、珍しく言葉を失っていた。
その動揺ぶりが可笑しくて、思わず口元に笑みが浮かぶ。
「ふふ。冗談ですよ」
僕がそう告げると、ライエル様は肩の力を抜き、あからさまに安堵の息をついた。
「……なんだ。冗談か」
真剣な瞳に浮かんだ色が、胸の奥にちくりと刺さる。
——だからこそ、彼女をめぐる戦いはまだ終わらない、と確信するのだった。
* * * * * *
それから数日後。
王立魔導研究所の執務室では、ノアが黙々と報告書を整理していた。
静寂の中、ペン先の音だけが規則正しく響く。
そのとき——ノックも前触れもなく、扉が開いた。
「失礼します」
白を基調とした制服に身を包んだゼフィルが立っていた。
柔らかな笑みを浮かべつつも、赤い瞳はわずかに揺れ、光を宿している。
「君か。……用件は?」
顔を上げたノアの声は低く冷たい。
「観察記録の提出です。——それと」
ゼフィルは机上の書類に視線を落とし、ゆっくりと口元を上げた。
「ノア様、あなたも彼女の事が気になっているのは知っています。けれど——僕も同じですよ」
柔らかな声音とは裏腹に、その言葉には確かな宣戦布告の色があった。
「……ふん。面倒な奴だ」
ノアが冷ややかに返すと、ゼフィルは涼しい微笑を残し、静かに踵を返した。
赤い瞳の奥に揺れるものは、誰にも読み取れない。
——天使の仮面をまとった観察者の微笑が、静かに執務室に残された。




