第2話 青と白の刃【ノア視点】
祠の外へ踏み出した瞬間だった。
「誰だ!!」
張り付いていた別働隊の騎士たちが一斉に剣を抜き、こちらへ殺到してくる。
鋼の軋む音と怒号。……厄介なことになった。
「王妃の犬どもは、本当に鬱陶しいね」
吐き捨てながら、僕は術式を展開する。
「《アンクレール・スクート》」
透明な障壁が光とともに立ち上がり、振り下ろされた剣を火花と轟音で弾き返す。
衝撃が腕にのしかかるが、踏みとどまった。
すかさず術式を組み替える。
爆ぜる閃光が闇を切り裂き、視界を白く染め上げる。
騎士たちが一瞬目を押さえた隙を逃さず、ゼフィルが滑り込む。
赤い瞳が閃いたかと思うと、彼は影のような速さで間合いを詰め、手刀や蹴りで次々と昏倒させていった。
「まだ来ます」
ゼフィルの冷静な声。
森の奥から、さらに複数の気配が迫ってくる。
増援か。……面倒だ。
僕は術式を操り、氷壁を立ち上げる。迫る剣を遮り、その隙に眠りの術式を散布する。
魔力に触れた騎士が呻き声を上げ、地面へと崩れ落ちた。
「退くぞ!」
視線を交わし、即座に撤退を選ぶ。
* * * * * *
鬱蒼とした森を駆け抜け、ようやく足音を撒いたのは、それからしばらくしてのことだった。
僕は木の根元に腰を落とした。
「もう……勘弁してくれ……」
息を吐きながら額を押さえる。
隣では、ゼフィルが涼しい顔のまま手帳を取り出した。
「青の魔導士は持久戦に不向き——」
さらさらと書き込む仕草に、思わず声を荒げる。
「やめろと言ってるだろう!」
苛立ちをぶつけながらも、心のどこかで理解していた。
——ゼフィルといると、調子が狂う……。
見やった横顔は、虫も殺さないような柔和さをまとっている。
だが、つい先ほどまで彼は影のような速さで間合いを詰め、騎士団を体術ひとつで無力化していた。
その落差に、思わず背筋が粟立つ。
赤い瞳がふとこちらに向き、柔らかな微笑が返された。
……だから余計に、恐ろしい。
だが、立ち止まってはいられない。
あの魔法陣が「時の転移」であったなら——仲間たちは過去のルルカの村に飛ばされた可能性が高い。
そこで少女の魂を鎮めることができれば、いずれ再びこの場所へ戻ってくるだろう。
問題は、それがいつになるか分からないということだ。
「ここからは、祠を見張れる場所に陣取りましょう」
ゼフィルが森の奥を指さす。鬱蒼とした木々に囲まれ、人目に付きにくい大樹の下。
「……ああ。煌聖騎士団に気づかれないように、だな」
苛立ちを押し殺し、僕も立ち上がった。
夜の森に身を潜めながら、僕らは再び祠を見張ることにした。
* * * * * *
夜の森は静まり返っていた。
祠を見張り始めてどれほど経っただろう。
何も起こらず、張り詰めていた神経がわずかに緩んだ、その時だった。
「……っ」
祠へと続く道に、ふいに小さな灯りが揺れた。
僕とゼフィルは同時に息を呑む。
ランプの火だろうか。誰かが——夜の闇を裂くように、ゆっくりと祠へ近づいていく。
距離があり、顔まではわからない。ただ、その背は小さく、頼りない足取りに見えた。
僕らは視線を交わし、言葉を交わさずに後を追う。
静かに、しかし確実に。
やがてその人物は祠の扉を押し開き、石段を下りていった。
祭壇の灯りに照らされて初めて、それが年老いた女であると気づく。
石段を降り、最深部の祭壇へと至った老婆は、震える手で荷を下ろした。
布袋を開けると、中から小さな白いウサギが三羽、怯えたように震えながら取り出される。
老婆は短刀を抜き、その刃を魔法陣の中央へと並べられたウサギに向けた。
「まさか……」
思わず息を呑む。
迷いもなく刃を振り下ろそうとした瞬間、僕は拘束術式を展開した。
光の鎖が奔り、老婆の腕を絡め取る。短刀が床に落ち、甲高い音が石室に響いた。
老婆は崩れ落ち、嗚咽混じりに叫んだ。
「やめて……!あの子が……私の娘が、怒っているんだ……!」
「無駄だ」
僕は冷ややかに言葉を投げた。
「その程度の贄で、時の転移の魔法陣が発動するはずがない。むしろ……事態はさらに歪むだろう」
ゼフィルが膝を折り、老婆の視線に合わせるように穏やかに囁いた。
「……大丈夫です。誰も、あなたを責めはしません。どうか、話してくれませんか」
老婆の肩が小刻みに震え、涙が頬を伝った。
やがて途切れ途切れの声で口を開く。
「……二十九年前のことです。
村の掟で、贄に選ばれたのは、わたしの娘——双子の妹でした。
けれど、その姉が言ったのです。“妹の代わりに、私が行く”と……。
止めなければならなかったのに……わたしは……何もできなかったのです。
“村を守るために選ばれるのは、嬉しいことなんだよ”と……あの子に言い聞かせただけで……」
声は震え、嗚咽にかき消されそうになりながらも続いた。
「なんて……残酷なことを……。わたしはずっと……後悔してきました……」
しばし、石室には老婆の慟哭だけが響いた。
老婆の話をまとめると——。
村の祠は、かつて“異世界との裂け目”を封じた場所だった。
その境界を維持するには、純度の濃い魂を贄として捧げる必要がある。
だから「最も純粋で優しい子」が選ばれる仕組みになっていた。
もっとも——子ども同士に「一番優しいと思う子を選ばせる」という形を取ったのは、大人たちの罪悪感を薄めるためだ。
選んだのは子どもたち自身。誰のせいにもできない。
……なんとも卑劣で、合理的な方法だ。
幼い娘を持っていたのなら、本来なら彼女はまだ五十代のはずだ。
だが目の前にいるのは、どう見ても八十を越えた老婆。
深い皺に覆われたその顔に、贄を送り出した母としての苦悩が刻まれていた。
老婆は肩を震わせ、涙に濡れた声で続けた。
「……贄となったあの子のあとを追うように、残された妹も……まもなく病で逝きました。
わたしは、二人とも失ったのです……」
「だから、最近の異変を見たとき、思わず考えてしまった。
あれはきっと……怒りに囚われた、あの子の魂の仕業だと。
鎮めなければならない、と……」
「方法を探しました。けれど、どこにも答えはなかった。
ただ古い書の中に、“時の転移”という術式が残されていて……。
贄を捧げれば、過去に戻り……あの子を救えるかもしれないと……信じてしまったのです……」
嗚咽と共に、老婆は顔を両手で覆った。
足元の布袋の上では、三羽のウサギが怯えたように身を寄せ合って震えている。
僕は老婆の足元に描かれた魔法陣へ視線を落とした。
床一面に広がる魔法陣は、いびつで粗雑だった。
直線は波打ち、円は歪み、ところどころは重ね塗りされて黒ずんでいる。
魔導研究所で見せれば、間違いなく未熟の烙印を押されるだろう。
けれど、その線は一本ごとに何度もなぞられ、消えかけては刻み直されていた。
震える手で棒を握りしめ、文献を頼りに、夜ごと描き続けたのだろう。
正確さには欠けても、そこには確かな執念が刻まれていた。
——娘を、どうしても救いたいという、母の祈り。
「……これで時を越えるつもりだったのか」
口に出してみれば、あまりに皮肉めいた響きだった。




