第1話 消えた光【ノア視点】
この物語は外伝です。
本編、薔薇と鏡の王国《rewrite》の第17話までお読みいただくと、より一層楽しめます。
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眩い光が静まった後、僕の隣で立ち尽くすゼフィルの赤い瞳が、大きく揺れていた。
祠の奥に刻まれていた魔法陣は、供物と引き換えに時間を越える転移を起こす型だった。
ただし、未完成の代物だ。
そこへ二人が歩み寄った瞬間、光が弾け、跡形もなく姿を消した。
なぜこんなことになったのか——ここに至るまでの経緯を、僕は頭の中で反芻する。
王命により、僕らは辺境の村で相次ぐ失踪や魔力暴走の調査にあたっていた。
村人たちは固く口を閉ざしていた。
だが再び失踪が起きたとの報を受け、僕らは異変の中心に残された少女の痕跡を追う。
やがて辿り着いたのが、この祠だった。
そしてついに最深部の祭壇で、魔法陣を目にすることになる。
僕と共に調査にあたっていたハルカとライエルがそこに近づいた時、眩い光が迸り——二人は跡形もなく消えた。
中は冷え切っていた。
灯りの届かない石段を下りた時から感じていたが、空気はよどみ、古い封印の残滓のような魔力が肌にまとわりついてくる。
その静けさの中に、残されたのは僕とゼフィルだけ。
……そうして現在に至る。
「……時の転移、ね。粗雑で未完成な術式のくせに、ずいぶんと大仰だ。……まあ、知らない者には幻想的に映るかもしれないけど」
皮肉を口にする余裕はあっても、現実は笑えない。
冷笑を洩らしながら、僕は床に残る術式を睨みつけた。
僕の名はノア=アルフェリア。王立魔導研究所の主任研究員にして、戦場に立てば魔道士としても一流。
理論と戦術、その両面に通じた希少な存在として——人々は僕を“青の魔導士”と呼ぶ。
隣に立つのはゼフィル=アルネスト。王直属の監察官。
普段は天使のように柔らかな笑みを絶やさないが、いまは黙然と魔法陣の跡を見つめていた。
身にまとうのは、白を基調とした制服。胸元や袖口に文様が織り込まれ、彼が王直属の文官であることを雄弁に語る。
薄いプラチナブロンドの髪と透きとおるような白い肌は、絵画の聖人を思わせる整った顔立ちをいっそう際立たせていた。
そして、赤い瞳だけが静かな炎のように鮮烈に揺れている。
——僕から見ても“美しすぎる少年”だ。その微笑に騙される者は多いだろう。
だが、わずかな期間とはいえ共に行動しただけで、僕には気づけた。
この完璧な仮面の下に、冷ややかな裏の顔が潜んでいることに。
……そう考えながらも、視線は再び床に描かれた魔法陣へ落ちていた。
「未完成の術式なのに……なぜ、発動した?」
低く漏れた僕の疑問に、ゼフィルは静かに応じた。
「魂そのものが、過去から引き寄せられたのでしょう」
「……なるほど」
未完成の魔法陣が媒介となり、時空転移が発動した。恐らく少女の元へと引き寄せられたのだろう。
少女の魂と共鳴したハルカ。そして彼女と心を繋げていたライエルも、同じ波に呑まれたというわけか。
理屈としては説明がつく。……ただし、納得できるものではない。
沈黙を裂くように、上方から複数の足音が響いた。
石段を下りてくる重い靴音。鋼の軋む音と、人の声まで聞こえてくる。
「誰かいるのか!?」
煌聖騎士団——。
祠の揺れと光を見て、怪しんで捜しに来たのだろうか。
石段を下りてくる重い足音。
鋼の軋む音、甲冑の擦れる音が、じわりと近づいてくる。
「……面倒な連中が来たね」
息を殺しながら吐き捨てると、ゼフィルが小さく肩を竦めた。
この狭い場所でやりあうのは得策ではない——僕の思考を読んだのか、彼が低く囁く。
「さて、どう隠れましょうか」
返事を待つ間もなく、僕は肩を押され、石壁の隙間へと押し込まれた。
背中が冷たい石に当たり、思わず息を詰める。狭すぎる。
身体と身体が触れ合い、わずかに動くだけで衣擦れの音が響いた。
息がかかるほど近くにゼフィルの顔。赤い瞳が闇の中で静かに光っている。
「……やめてくれないか。君、女に触れる経験でも乏しいのか?」
皮肉で気を紛らわせようとした瞬間——
ゼフィルの体温がふっと近づき、背中がさらに石壁へ押しつけられる。
吐息が頬をかすめ、赤い瞳がすぐ傍で光を帯びた。
「それはあなたの方でしょう」
耳元で囁きが落ちる。微笑を含んだ声。
「女性に触れるときは、もっと優しくしないと」
——そう囁きながら、彼の指先が僕の胸元をゆるりと撫でた。
布越しに這うその動きは、わざと焦らすように緩慢で、熱を帯びて残響する。
「……っ!」
息が詰まり、喉の奥から声が漏れた。
「君、わざとだろう……!」
嘲笑うようにゼフィルがさらに身を寄せ、人差し指を僕の唇にあてる。
「しー……。見つかっちゃいますよ」
至近距離から射抜くように見つめられ、反論の言葉を探す間もなく鼓動だけが耳に響く。
騎士団の影がすぐ傍を通り過ぎていくのを、ただ息を殺してやりすごした。
* * * * * *
「……誰もいなくなったようですね。戻りましょう」
遠ざかる気配を確かめ、彼が囁くように告げる。
ようやく隙間から身を離した僕は、冷たい空気を大きく吸い込み、肩を上下させる。
……頭がまだ追いつかない。胸の奥に残るのは、先ほどの指先の感触と、至近距離で交わした赤い瞳。
「どうしました? 顔が赤いように見えますが」
涼しい声が落ちてきて、我に返る。
「……っ、ゼフィル!! 君っ……!」
我ながら珍しく声を荒げた。
そんな僕を横目に、彼は涼しい顔で手帳を取り出す。
「観察記録に追加しておきますね。青の魔導士は閉所において過敏な反応を示す……と」
「やめろっ!」
思わず声が裏返る。
——ゼフィルって……こんなタイプだったのか? 今まで猫をかぶってた?
「彼女の前にいる時と、ずいぶん態度が違うじゃないか」
「それはお互い様では?」
さらりと返し、赤い瞳が愉快そうに細められる。
「ノア様も、彼女の前ではいつもの毒舌をひそめていますよ」
「……そうだったのか? いや……確かに、彼女を前にすると僕は——」
言葉が喉で途切れる。自覚していなかった感情に気づきかけて、慌てて首を振った。
その仕草を、すぐ傍らから赤い瞳が逃さずに捉えている。
柔らかな微笑をたたえながらも、観察者の眼差しで。
「やめろ。僕を観察するな!」
「ふふ。観察は仕事ですから」
微笑を浮かべたゼフィルは、また一行、手帳に何かを書き加えた。