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第8章 音速の不良老人

選挙戦では宿敵だった篠崎高子を味方に取り込んだ弘美は、ひょんなことから九州大手の海南銀行会長を

務める高子の祖父から気に入られてしまう。

 十一月一臂に業務引継ぎが行われ、二日に役員発表、祝日明けの四日からいよいよ新生徒会が発足した。

 生徒会長以下役員三役は、副会長に美樹本真里、幹事長に螻河内不二子、そして三役を補佐する監査役に中井アンヌ、文化委員長に弘中愛、体育委員長にカトリーヌ矢坂、風紀委員長に私の子飼いの一年生岡山美菜と決定した。

 本来なら生徒会顧問の最終承認を経て役員が決定するのだが、今回の選挙で神楽坂が惨敗した責任を取る形で、「民衆の敵」安永が顧問を辞したため、私の要望はすんなり通った。予備選ではライバル候補だったアンヌが執行部入りしたのには驚きを隠せなかった生徒も多かったようだが、現実の政治の世界ではよくあることで、私たちとアンヌの関係に気付いている者など一人もいない。

 実は、勉学に忙しいアンヌはあくまでも名義貸しで、実務は補佐役の後輩に一任している。これは部活動に所属していないアンヌに推薦書類上の箔をつけるための小細工であり、私からのささやかな恩返しということで執行部全員の了解を得ている。

 才女の生徒会執行役員経験者は、入試の書類選考では一般的な公立高校の生徒会長と同等かそれ以上の評価が得られると言われており、AO入試の大きな加点要素となるからだ。

 当初は固辞したアンヌも私のボディ連打で再び理性がKOされ、監査役就任に同意してくれた。

 アンヌの中の小悪魔はもう私たちのマブダチだ。


 後任の生徒会顧問三井佳代先生はアンチ安永派の二十九歳。目下婚活中で私たちとも恋バナに花を咲かせる気の置けない女性だ。あの安永が三井先生を推薦したのはまだポチの息がかかっているからで、今回の働きにはいつか報いてやらなくてはならないだろう。もっとも、もうじきハタチのオジンが、私たちのようなぴちぴちセブンティーンとつるんでいられるだけでも果報者だと思わないとね。


 先ず私たちがやらなければならないのは、一月に開かれる第一回生徒総会に備えて議案を練ることだ。すでに会長選挙以降、続々と生徒からの要望書が寄せられているが、執行部はそれを基に提出議案をまとめ、年明けに発行する生徒会報に掲載する。

 生徒総会では各議案に対する審議が行われ、生徒会側は生徒、職員による代表質問に応じなくてはならない。質疑応答の後、一・二年の生徒による多数決を経て、可決議案は管理職と主事、学年主任による運営委員会に提出される。そこで正式決定となるのだ。ただし、運営委員会には拒否権がある。それでも説明責任があるため、理不尽な否決はできず、財政的な問題等が生じない限りは、生徒総会の決議を尊重するのが慣例となっている。

 次期生徒総会の提出議案として私たちが考えているのは、長年の懸案であった服装問題である。制服自体は、これまで通りのシンプルなスタイルにほとんどの学生が満足しているので問題はない。ただし、大正ロマンの香り漂うクラシカルなコートだけはいただけない。トレンチではないので対候性も脆弱なうえ、見た目も古臭く、小雪混じりの朝の登校風景は、まるで八甲田山死の行進である。


 風紀には殊更に厳しい「才女」では、規定の着衣の上から何かを重ねて着ることは許されていないため、寒さが厳しい日でも、コートの下に厚着をして雪だるまになりたくなければ、やせ我慢するしかない。車で送迎してもらえる子たちはともかく、自転車通学組や私やカトリーヌのように公共の交通機関で通う生徒にとっては深刻な問題なのだ。

 以前からこの件に関しては総会で取り上げて欲しいという要望が多かった。ところが、校則の番人たる安永の干渉によって議案提出は阻止され続けてきた。だからこそ疫病神の失脚という絶好の機会に恵まれた今回の総会では、才女のブランド力向上も兼ねた斬新な改革案を通さなくてはならない。そこで私たちが発議したのが、才女オリジナルトレンチコートの採用である。

 近年は地球温暖化の影響からか、一年を通して予期せぬゲリラ豪雨に見舞われる機会が増えた。普通の雨ならまだしもゲリラ豪雨ともなると傘も役に立たないし、だからといって長靴に雨合羽というフル装備で登校するなど、人一倍身なりを気にする才女生に耐えられようはずがない(不二子は例外だが)。

 それでも、登校時はある程度天候を見極めることが出来るぶん、それ相応の準備が可能だが、下校時に急な夕立などに遭ってしまうと目も当てられない。中でも自転車通学組は違法駐輪して建物に逃げ込むわけにもゆかず、雨の中家路を急ぐしかない。この際、突風が吹けばスカートは舞い上がるし、雨脚が強ければ夏服は下着まで透けて、道行く男たちの好奇な視線の餌食になるのがおちである。

 なまじマリリンのようなセクシー系ランジェリーを身につけていると、レインシャワーばかりか携帯のシャッターシャワーまで浴びるはめになってしまう。

 こういう悲劇を防ぐためにも、見た目もオシャレなトレンチコートが必要なのだ。防水性の薄手のレインキャップを内ポケットに畳み込めるようにしておけば、対候性は申し分ない。しかも高品質でファッション性が高ければ、日常的にも使用できるから卒業後も無駄にならない。ついでに夏用の薄手のレインコートもあれば言うことなしだ。

 ただこれを一流のデザイナーズブランドに依頼すると、デザイン料も含めてとんでもない額になるだろう。学校指定だから恒久的な購買が見込めることを考慮しても、中・高コースのお嬢以外は腰が引けてしまう可能性が高い。

 ではどうするか。ブランドを作っちゃえばいいのだ。


 私たちは「リトル・ピーセス」の活動第二弾として計画中だったベンチャービジネスをそのまま流用することにした。ブランド名は「フェア・チャイルド」。小児がんや希少疾患で苦しむ子供たちを物心両面で支援するためのボランティア企画である。ロゴは英字のFAIR CHILDを小さな四つの雨合羽で囲んだもので、雨合羽のイラストは、指定のフォーマットに先述の子供たちが自由に色を塗ったものをPCのイラストレーターを使って修正した。採用した二十人分の塗り絵は組み合わせによって全く同じ配色のロゴが存在しないようにしている。

 こうすれば、ネームを入れなくても自分のコートが簡単に判別できるし、自分だけのオリジナルということで、お嬢様方も愛着が湧くだろう。

 しかも愛娘に拝み倒されたマリリンのパパがデザインの監修を引き受けてくれたおかげで箔も付いた。これまでいかなるメーカーからの提携依頼も断り続けてきた美樹本英二のネーム『Ei-G』が全てのボタンとベルトバックルに刻まれるのだから、これだけでも希少価値は高い。

 もちろん製造コストも極力抑えるよう配慮した。生地は螻河内建設と繋がりがある加工工場から直接買い付け、シャッター商店街の老舗洋裁店で仕上げてもらうのだ。これに関しては、人海戦術を駆使して、職人としては腕利きであっても経営難に直面している店舗をピックアップし、商店組合や商工会議所のお偉いさんに顔が利く才女OBを通じて下交渉を続けている最中だが、まだ計画段階ながら十店舗ほどとすでに渡りをつけてある。

 ボタンとバックルの鋳型も麻吉親父と不二子が二日がかりで作り上げてしまったから、螻河内建設が提携する冶金工場に大量発注すれば、かなりの安上がりとなる。全校生徒の半数が注文すると見積もった場合、トレンチ採用初年度は梅雨入りまでに、最低五百着は揃えなくてはならないため、注文先は最低でも十数店舗は必要だろう。

 仮に一着二十万円のギャバジントレンチを一店舗あたり三十着請け負えば、一般的な原価率から想定すると、純利益で四百万は堅い。

 私たちのアイデアはこれで終わらない。トレンチのカラーを複数用意して自由に選べるようにすれば、中には二着、三着と注文する生徒が出てくるはずである。比較的財布の紐が緩い家庭が多いわが校のこと、追加注文だけでも二百着は下らないだろう。

 その追加注文分の純利益のうち十パーセントを難病と戦っている子供たちへの支援に充てるのだ。あくまでも総会で可決すればという仮定の話ではあるが、二年目以降も中・高等部合わせて二百四十名の新入生のうち半数がトレンチを注文するとすれば、契約店舗は年度末に確実な収入を期待できるとあって、交渉したほとんどの店舗が私たちの計画に賛同の意を示してくれた。

 最終的には、マフラー、手袋、防水ブーツなども西夏オリジナルブランドに組み入れ、収益の一部を、私たちの卒業後にNPO法人化した「リトル・ピーセス」の運営費に充てる予定だ。


 町おこしとボランティアと才女のトレンドアップを兼ねたこの三位一体作戦、私は結構気に入っている。しかし何事にも用意周到な不二子は、生徒たちへの根回しとして生徒会広報誌による宣伝工作の必要性にこだわった。

 結果、味気なかった広報誌のスタイルを一新し、ビジュアル色を全面に打ち出した新生徒会誌『プレイン・ソレイユ(太陽がいっぱいの意)』が誕生した。記念すべき創刊号は、マリリンやカトリーヌ、アンヌといったモデル級少女に様々なカラーの試作品のトレンチを着せたファッション特集で、これまでは発行日のうちに大半が校内のリサイクルラインに乗っていた生徒会誌が、ゴミ箱から完全に姿を消してしまった。

 過去に紙面の中心を占めていた学校行事や会計報告、先生のお奨めの本といったどうでもいい記事は片隅に追いやり、いかにも女子受けしそうなグラビア中心の雑誌に切り替えたのが当たったのだ。

 モデル写真も、「戦場」という枕詞が付くとはいえプロカメラマンでもある「フィオ」のマスター、緒方さんに撮影してもらっただけあって大手出版社のファッション雑誌にも引けを取らない仕上がりだった。とりわけ創刊号の表紙を飾った、セーラー服姿で右手に模造刀を下げたカトリーヌのモノクロームショットのインパクトは強烈で、下級生たちの間で「クール過ぎる」と大評判になった。

 その他、生徒と教師のプライベートな勝負ファッションも話題を呼んだが、三井先生のコスプレ姿だけは賛否両論の物議を醸し出した。さすが、自他共に認める「恋多き女」にして合コンお持ち帰られ率五十パーセント強の肉食系ハイミスだけにサービス精神も旺盛である。二十九歳のミニスカ&へそ出しセーラー服姿は、一部の生徒の大ブーイングを浴び、PTA役員から苦情の電話までかかったそうだが、管理職を含む男性教師たちの恥も外聞もない援護射撃のおかげで「特に風紀上不適切とは思われない」として不問に付された。

 というわけで数々の話題を振りまいた生徒会広報誌『プレイン・ソレイユ』の宣伝効果は絶大で、オリジナルトレンチコートの件も反対意見ゼロのフルマークで無事可決された。


 『プレイン・ソレイユ』第二号は、当世女子高生グルメライフと称してランチやスイーツ系の隠れ名店を特集した。紹介者自身のポートレートとルポを掲載するため、みんなプライドをかけて料理評論家顔負けの気合の入った文章を書いてくれたまではよかったが、ポートレートの方は意識過剰になりすぎたか、場に不似合いなコテコテのブランド服や場末のホステスのようなけばけばしいメイクで撮影に臨む生徒が続出し、写真担当のマリリンを辟易させた。とはいえ、怪我の功名というべきか、かえってセレブ女子の勘違いぶりがバカ受けし、これまた大好評を持って迎えられた。

 しかし第二号の本当のキモはあの篠崎高子をカバーガールに起用したことだ。

 篠崎と私は予備選から半月ほどの間はぎくしゃくとした関係だったが、下手に遺恨を残して今後の生徒会活動に支障をきたすとやっかいなので、ここは私の方から折れて十月三十一日、ハロウィンのお祝いがてらに「セ・ラ・ヴィ」の期間限定ハロウィンケーキを手土産に篠崎家を訪問した。

 最初は私のオファーに何か裏があるのではないかといぶかしがっていた篠崎も、私がヴィンテージカーマニアで、オーバーンをいたく気に入っていることがわかると、ちょっと気を許したのか、その後は居間に飾ってあったタマラ・ド・レンピッカの絵の話で盛り上がり、最後は快くカバーガールを引き受けてくれることになった。

 ルックスは並程度の篠崎を表紙に起用するのは冒険だったが、オーバーンのゴージャスな威容が全てを包み込んだ。篠崎家行きつけの山荘通りのカフェにオーバーンを横付けし、ドライバーズシートから後ろを振り返っている篠崎をリア側から撮ったショットは、オーバーンの脚線美が何とも言えず艶かしく、磨きぬかれたフェンダーに映る篠崎の笑顔までミランダー・カーに変えてしまった。

 専門のカーグラフィック誌でもこれほど見る者を魅了する写真はそうそう撮れないだろう。そもそもオーバーンクラスの超希少車をどこから調達するかが問題で、それもシングルナンバーとなると宝探しに近いものがある。

 写真の出来栄えを一番喜んでくれたのが、オーバーンのオーナーである篠崎の祖父、篠崎正蔵で、海南銀行の春のキャンペーンポスターにそのまま使用したいとまで言ってくれた。それも版権使用料三百万円という条件でだ。地元最大手の銀行が素人写真を宣材として使用してくれるだけでも光栄なのに、使用料まで頂いてはばちが当たる。そこで私は「使用料は結構ですから一度オーバーンに乗せてください」と無理を承知でお願いしてみたところ、正蔵翁は大乗り気で、自らオーバーンのステアリングを握って、佐賀市のコスモス園まで花見に連れて行ってくれることになった。

 お椀型のヘルメットにゴッグルという一九五〇年代のF1ドライバーのようないでたちで現れた正蔵翁は、当年八十歳とは思えぬようなハンドルさばきで、三瀬峠のつづら折りもなんのその、オーバーンの巨尻をスライドさせながら信じられないようなスピードでコーナーをクリアしてゆく。

 とんでもないスピード狂のジジイだ。

 別府城島高原パークの木製ジェットコースター「ジュピター」どころの話ではない。

 後で篠崎に聞いたところによると、翁は西ドイツ留学中の一九五七年、ニュルブルクリンクで開催されたドイツグランプリでファン・マヌエル・ファンジオの神業的走りを目の当たりにして以来、モータースポーツの虜になったそうで、近年までは家族の制止を振り切って、レース仕様のジャガーXK一二〇でミッレ・ミリアにも度々出走していたという。どおりで元気なわけだ。


 花見の最中は、父が学位取得のため一時期留学していたフライブルクに私も二週間ほど滞在したことがある関係で、ドイツの話で大いに盛り上がった。

 私にとって特に興味深かったのは、正蔵翁曰く、家族の誰も興味がなくろくに話も聞いてくれないというF1見聞記だった。先述のファンジオからスターリング・モス、ジム・クラークといった伝説のレーサーたちの走りをリアルタイムで観戦した時の話は臨場感たっぷりで、おしゃべりな私が会話を忘れるほど聞き惚れてしまった。

 私の祖父もカーマニアで、昭和三十六年に初めて購入した車がマセラッティ三五〇〇GTだったという話をしたところ、偶然にも翁がドイツで乗り回していたのが同じ三五〇〇のスパイダー、ヴィニャーレだったということで二人は完全に意気投合した。ただしこれは両家が同じ車種のマセラッティのオーナーだったというだけではない。正蔵翁が三五〇〇GTではなく、スパイダーを選んだのはそのデザインの良さに惚れこんだからである。そしてスパイダーのデザイナーは私の所有するスカイライン・スポーツと同じジョバンニ・ミケロッティだった。

 嗜好が似ていることで上機嫌になった翁は、花見酒の杯が進みすぎて酩酊してしまい、オーバーンはひとまず海南銀行佐賀支店に預けて、公用車で福岡の自宅まで送り届けてもらうことになったが、酔いつぶれて寝入る前に私の手を握りしめてこうつぶやいた。

 「お嬢さん、あんたは確かに切れる。高子じゃ勝負にならんことがようわかった。ただな、それだけ切れると敵も増える。じゃから何かやろうとする時は、一人で動くんじゃなかぞ。役に立ちそうじゃったら高子も使こうてくれ。それと勝負事は先に手を出すな。後の先じゃ。高子はうぬぼれの強い甘ちゃんじゃから、先に攻めてあんたに蹴繰られた。あんたは高子がどう動くかお見通しじゃった。そうじゃろ?」

 私が答えに躊躇している間に、翁はすやすやと寝息を立てていた。

 

 ひょんなことから篠崎家の権現様に気に入られたおかげで、篠崎高子との確執は完全に氷解し、今や彼女は私が執行部会にかけて特別に新設した広報室長の座に収まり、その明晰な頭脳と政治力を存分に発揮し、生徒会を支えてくれている。

 それからというもの私たち生徒会執行部は、篠崎シンパの生徒たちを広報誌の企画物に次々と登場させることで、優秀な人材を内輪に取り込んでゆき、生徒会を校長の権限を持ってしても容易には介入できないほど高度な自治組織へと改編していった。 

 「優秀な敵は、戦って叩き潰すのではなく、味方に取り込むのが最良の策」とは不二子が常々力説していた持論だが、篠崎のジイさまにも同じことを言われたことで、私は篠崎以上に不二子を敵に回さなくてよかったとしみじみ思った。

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