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セーラー服と独裁者  作者: 滝 城太郎


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第7章 暗黒天使と小悪魔

生徒会長選挙勝利の影にはチェ・ゲバラを敬愛する一人の美少女がいた。弘美のもう一つの裏工作が明らかに。

 祝勝会は「フィオ」で行われた。マスターがご祝儀代わりに貸切にしてくれたので、今日は飲み放題の無礼講だ。選挙活動中は禁酒していたマリリンとカトリーヌは、「ユンケル黄帝液」と「ウコンの力」をチェイサー代わりにテーブルに並べて気合十分のようだ。


 「デハ、ミナサン、アーユーレディ?」

 カトリーヌがチンザノのロックグラスを高々と掲げたところで、私たちの背後から

 「ジャスッモーメン、カトリーヌ」

 鈴の音のような可愛らしい声が聞こえた。


 私が乾杯の音頭を制してドアの方に目配せすると、そこに立っていたのは中井アンヌだった。

 気まずそうな空気が流れる中、アンヌは私が差し出したクロンダイク・ハイボールを無言で受け取ると、小悪魔のような笑みを満面に浮かべ、「弘美、コングラチュレーション!」といきなり抱きついてきた。

 「ワッツ、ハプン(いったいどうなってるのよ)?」

 マリリンとカトリーヌとポチは突然の闖入者に動揺して目を白黒させている。

 それはそうだろう、アンヌと私は生徒会長の予備選で舌戦を繰り広げたライバル同士だからだ。

 「弘美、説明してあげなさいよ」

 不二子が促す。

 「話せば長くなるけど、実はこういうことなのよ・・」


 実は、選挙戦を前に私とアンヌは極秘裏に手を結んでいたのだ。

 アンヌの役割は浮動票の吸収だった。


 職業柄、政治的な駆け引きはお手のものの篠崎家のこと、娘にも高校生らしからぬ選挙テクニックを入れ知恵することはわかっていた。それもネガティブキャンペーンという形で。

 私は校内でもダントツに注目度が高い反面、一部の教師、生徒からはスタンドプレーが過ぎると見られている。取り巻きにしても、マリリンはともかくカトリーヌのようなラテン系は、厳格な子が多い才女では異端的な存在だし、不二子に至ってはマイナス要素しかない。

 したがって戦略的な観点からすれば、槙村弘美に勝つには、競ってその上をゆこうとするより足をすくった方が早い。篠崎の性格からすれば、必ずそうする。だからこそ私はあえてネガティブキャンペーンを助長するような噂を流すことにした。

 最初は陰湿な悪口程度から始まり、やがて根拠のない誹謗中傷、最終的には芸能ゴシップさえ超えるもはや現実世界ではありえない作り話レベルまで引き上げる。そこまでくると面白半分に煽りコメントを投稿していた連中もいささか食傷気味になる。そのタイミングで、あれは誰かが槙村を陥れるためにやっているんだというデマを再度流せば、中には篠崎自身が流した私に対する根拠ある批判でさえも作り話ではないかといぶかしがる生徒も出てくるはずだ。

 才女生は基本的には真面目で純情なお嬢さんだから、最初は興味本位や面白半分で盛り上がっても、プライバシーの侵害にあたるほどのえげつない内容になってくると、さすがに拒否反応を示すようになる可能性は高い。それどころか、デマに踊らされたことに対する罪滅ぼしの気持ちから、ゴシップ拡散によって利益を得た唯一の人物である篠崎に対する嫌悪感が芽生えても不思議ではない。

 だからといって、私に同情票が集中するほど世の中甘くはない。

 「確かに槙村も問題あるけど、陰湿な篠崎に入れるくらいなら中井の方がまし」むしろそう思ってくれることを期待して、私はアンヌに立候補を依頼し、三つ巴の争いを演出したのだ。

 不二子の分析によると、好感度とプレゼン能力は私に分があり、信頼度は篠崎がやや上回るが、一対一のクリーンファイトなら四分六で私の勝利だった。それがルール無用のセメントマッチとなると、ネガティブキャンペーン等による私の支持層の切り崩しと浮動票の取り込みによって、篠崎が逆転する可能性が出てしまう。

 直接民主政による選挙であれば、いかなる立候補者が名乗りを上げようが、必ずどちらにも賛同しかねる中立的立場の者が出てくる。今回の選挙で私と篠崎が一対一で競った場合、結構アクの強い二人だけに、「二人ともいけ好かない」と思う者が一割、「どっちもどっち」と思う者が二割はいると見積もると、浮動票は三割ということになる。

 しかも投票は全員参加が原則で、無記名という形でのボイコットは許されないため、その三割の生徒も私か篠崎のどちらかを選ばなくてはならない。

 ところがここにアンヌが加われば、私寄りの票まで多少は持ってゆかれるにせよ、浮動票の大半が好感度ピカイチのアンヌに流れるのはほぼ確実だから、浮動票狙いの篠崎のロビー活動の効果は最小限に抑えられる。 


 アンヌがAO入試を受験する予定のF大医学部は、書類選考の段階で提出する推薦状が二次面接の合否を大きく左右する。中でも最も効力を発揮するのが現役医師による推薦状で、それもF大OBであればさらにポイントが高い。ところがアンヌの身内には医療関係者がいないため、仮に一次の英語、数学の筆記試験に合格できたとしてもかなりの高得点でない限り二次突破は難しい。

 そこでアンヌは身内にF大医学部出身者がいる才女生を探し出して色々と働きかけてみたのだが、該当者はいずれも別口から依頼を受けているか、自身も同じAO入試を目指すライバルだった。

 私一人を除いては。


 私の父、槙村敬一郎はF大医学部出身で兄の優作も同大学医学部に在学している。兄のおかげで私は医師という人生の選択肢を強要されずに済んだが、兄は現役生の時は評定値が低すぎてF大付属高校に在籍しながら付属高校推薦枠に入れず、三浪もしてようやく転がり込んだ医学部でも、留年すれすれの成績とあって、私もいつ父から医学部受験の勅令が下るか予断を許さない状況ではある。

 愚兄のことはさておき、学生時代の父は優等生で教授たちの覚えもよく、当時の主任教授だった現医学部付属病院長、山室信弥先生とは今でも実の親子のように親しくしている。私も学会出席のために来福した父に連れられ、何度か山室先生との夕食にご相伴させていただいたことがある。

 アンヌが推薦人探しで行き詰まっているという情報をキャッチした私は、それまでは顔見知り程度に過ぎなかった彼女に直接アプローチし、推薦状の手配を交換条件に選挙協力を依頼したのだ。


 曲がったことが嫌いで正義感の強いアンヌに裏工作の片棒を担がせるのは容易なことではない。

 とはいえ、融通のきかない堅物というわけでもなく、正義という大義名分のためには必ずしも正攻法をよしとしない進歩的な一面も持ち合わせている。

 私はあまり面識のないアンヌの志向や考え方の手掛かりを見つけるため、読書好きな彼女がいったいどんな本を読んでいるのか後輩の図書委員に調べてもらったところ、山村美紗、宮部みゆき、ジェフリー・ディーヴァーといった大御所に混じって、チェ・ゲバラの『モーターサイクル・ダイアリーズ』が混じっているのが目を引いた。

 最近の流行ということで興味本位で読んでみたのか、元々革命的志向を持っていたのかはわからないが、裕福な子女の中に混じった庶民というアンヌのわが校におけるポジションを考えると、後者という線も十分ありうると踏んだ。


 『私はキリストではないし、慈善事業家でもない。キリストとは正反対だ。正しいと信じるもののために、手に入る武器は何でも使って闘う。自分自身が十字架で磔になるよりは、敵を打ち負かそうと思うのだ』

 私の好きなゲバラの言葉だ。

 アンヌが、有能な医師でありながら理想主義に取りつかれた革命家でもあるゲバラに、少しでも魅力を感じているのであれば、必ず落とせる。私がフィデル・カストロになりさえすればいいのだ。


 「ねえアンヌ、あなたは私の欲しいものを持ってる。でもそれはあなたには何の役にもたたない。逆に私が持っているものは自分には不要だけど、あなたにとっては役に立つ。このままではお互い宝の持ち腐れだよね。で、それを交換すれば二人とも救われるとしたら、あなたならどうする」

 「弘美ちゃんって何でも欲しいものを手に入れてきたんじゃないの。それに友達だってたくさんいるし、私が持っていてあなたが持っていないものなんてちょっと想像つかないんだけど」

 「じゃあ、逆に聞くけど、アンヌが今一番手に入れたいものって何」

 「うーん、取りたてて欲しいものって思いつかないけど、夢が叶えばいいなあっていうところかしら」

 「じゃあ、その夢が叶うように手伝ってあげる」

 「えっ、どういうこと」

 「これ、あなたにプレゼントするわ」

 私はA4サイズのマニラ封筒をアンヌに手渡した。


 「F大医学部の推薦状・・・じゃない。でも私、弘美ちゃんのお父さんと会ったこともないよ」

 「日付はちゃんと来年度になってるし、私は医学部なんて興味がないから、どうぞ遠慮なく使って」

 「有り難いけど、やっぱり受け取れないわ。だって、私はあなたの要望に答えられそうにないもの」

 「その点はご心配なく。今のアンヌに出来ることしか頼むつもりはないから」

 「でも、こういうの何となくフェアじゃない気がするし・・・だからゴメンね」

 「やっぱりアンヌだね。そう言うと思ってた。だけど、あなたは医者になるってことがどれだけ大変なことなのかわかってない。努力すれば何とかなるって思ってるでしょ。それが甘いのよ」

 核心を突かれたからなのか、アンヌの表情が少し険しくなった。

 「確かに今の私の成績じゃ、一般入試は厳しいと思うよ。だからこそ、何とかAOでパスしようと色んなこと犠牲にして努力してるんじゃない」

 「あなたってホントにお人好しで世間知らずなのね」

 「私のどこがそうだっていうの?」珍しくアンヌが険しい表情を浮かべて言った。


 「政界と医学界は特別なのよ。内輪でつるんじゃって、余所から来る者はよほど自分たちにメリットがない限り容易には受け入れない。こういう言い方は失礼かも知れないけど、私は内輪でもあなたは余所者で、入り口の広さが違うのよ」

 「それは、医師の子弟の方が有利なんだろうなって思うこともないわけじゃないけど」

 「昭和の頃とは違って、今は三流医科大なんて言葉が死語になっているくらい医者の子供たちにとっても医学部は狭き門になっていることは事実だけど、それでも親族がOBなら二次のアドバンテージが大きいところもあるっていう話、聞いたことない?」

 「今時そんなことって・・。仮にあったとしても、ごく少数でしょ」

  

 「アンヌってピュアすぎるんだよ。自画自賛する気は毛頭ないけど、あなたがごく普通のアメリカ人だとしたら、私んちはWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の一員で、このカースト集団には法や一般常識にとらわれない独自の決まりごとがあるの。ここだけの話だけど、医学部入試における女性蔑視と身内重視は暗黙の了解であって、具体的な数字を挙げたらきっと愕然とするわよ。OBの子弟限定の推薦枠なんていう裏技だっていまだにまかり通っているんだから、率直に言って、アンヌの成績だとそのへんのとばっちりを受ける可能性だってあるわけでしょ。まあ仮に医学部に入ったとしても、実家が開業医じゃなく、医師の親族がいないとなると、就職先もかなりハードルを下げざるをえないよね。田舎の診療所じゃ、あなたの本来の目的である難病治療の研究なんて一生縁がないかもしれないよ」


 「・・・・・」

 

 「杉原千畝、知ってるよね」

 「あの日本のシンドラーと言われた人でしょ。ユダヤ人の国外脱出に手を貸した」

 「そう。彼は外務省の職員でありながら、上からの指示に従わなかったことで、戦後は冷遇されたよね。人道的には正しいことをしたにもかかわらず、外交官としての職権を私的利用したことが問題だった。当時の日本はナチスドイツと軍事同盟を結んでいたから、良しにつけ悪しきにつけ同盟国の政策を妨害するというのは許されない行為よね。自分のスタンドプレーが原因で国益を損なう可能性があったんだから。幸い、彼の英雄的行為が原因でドイツとの関係がぎくしゃくすることはなかったけど、仮にドイツからの技術支援が途絶えたことが原因で、杉原千畝が救ったユダヤ人よりも遥かに多くの日本の将兵の命が失われたとしたらどう。杉原千畝は今でも英雄視されていたかしら」


 「・・・・・」


 「でもアンヌが杉原千畝の立場だったら、外務省の指示には従わなかったでしょ」

 「それは、やっぱり目の前で救いを求めている人がいたら、それも私の一存でその人たちを救うことが出来るんだったら、杉原さんと同じことをしたと思うよ」

 「当然だよね。目の前にいる人の生死が自分の判断にかかっているにもかかわらず、組織のルールを遵守するようなヤツは人間のクズだよ」

 「うん」

 「それじゃあ、アンヌも杉原千畝になりなさいよ」

 「どういう意味?」

 「あなたは安全で裕福な日本にいるからこそそんな悠長な正義感に浸っていられるのよ。私はボランティアでコルコタの貧民を収容してる修道院に滞在したことがあるけど、それこそ毎日がお葬式だったわ。だんだん慣れっこになっていったけど、犬か猫でも入ってるんじゃないかっていうくらいの小さな棺を埋葬する時だけは涙が止まらなかった。それも難病とかじゃないんだよ。それこそ風邪をこじらせたとか、小さな傷から感染症になったとか、医者と薬さえあれば簡単に救える命なのに、私たちには何も出来ない。アンヌ、時間は止まってくれないんだよ。あなたが綺麗ごとばかりいって医者になるのが遅れれば遅れるほど、たくさんの命が失われてゆくの。お姉ちゃん、早く助けに来てって叫んでいるちびっこたちの前でもさっきと同じことが言える?」

 コルカタの話でアンヌの涙腺を緩めるつもりが、その時のことを思い出しているうちに私の方が目頭が熱くなってきた。


 「ずるいよ弘美ちゃん。そんな話するなんて」

 アンヌの瞳も潤んできた。私のボディブローがじわじわと効いてきたようだ。

 あと少しで落とせる。


 「私は自分に医師としての資質がないから、組織という形で支援に携わっていきたいと思ってるの。だけど客観的に見てアンヌは医師に向いてるし、私とアンヌが協力し合えば杉原千畝よりもっともっとたくさんの人たちが救えるって確信してる。このままじゃ私たち空転している歯車でしょ。歯車は噛み合わなきゃ動力を伝達出来ないんだよ」

 私のフィニッシュブローを受け止めてよアンヌ。

 「そう・・ね。くだらないプライドやポリシーのために、小さな命を犠牲にするわけにはゆかないも

のね」

 「有難うアンヌ。私もあなたの医学部合格のために全力を尽くすわ」

   

 純粋培養のアンヌを雑菌まみれの政治的駆け引きの世界に引きずり込んだことは心苦しいが、彼女の強い信念や医師としての資質を持ってしても、あの一途な性格では白い巨塔を上層階まで這い上がってゆくのは難業どころか、途中で遭難してしまうのは目に見えている。

 ノーベル医学・生理学賞を受賞できるほどの天才的な医学者でもない限り、白い巨塔の単独登攀は裸のサルがアイガー北壁をよじ登るのに等しい。

 私も当初は自身の利益目的でアンヌを利用することのみを考えていたが、彼女のことをよく調べ、話し込んでゆくうちに、この有益な人材を埋もれさせるわけにはゆかないと強く思うようになった。

 “神の手”と言われる世界的脳外科医福島正則先生ですら、院内の派閥抗争に敗れて海外に活路を見出さざるをえなかったほど、医療技術よりも政治力の方が幅を利かせているこの世界で、純粋な理想を追い求めてゆくためには、黒田官兵衛並みの軍師が必要だ。

 アンヌには下町の「赤ひげ先生」で終わってもらいたくはない。白い巨塔の高みまで登ってこそ、彼女の影響力は拡大し、理想の医療を広域にわたって具現化できるのだ。

 心の底で爆睡している小悪魔をちょっとの間だけでも目覚めさせることができれば、アンヌの可能性は限りなく広がるはずだ。私の渾身の一撃で理性が気を失ってる隙に、小悪魔さん、私と友だちになろうよ。


 「それで私、F大病院長の山室先生に連絡を取って、アンヌと一緒に院内の施設見学をさせてもらったのよ。山室先生ってちょっとお茶目なところがあるから、アンヌのこと孫娘だっていう触れ込みであちこちを案内してくれたんだけど、ナースステーションでも研究室でもみんな目が点になってたよ。だって、山室先生は志村けんみたいな顔してるのに、アンヌってこんなでしょ。誰がどう見ても、 遺伝子配列が違うもん。ダ・ビンチ(手術支援ロボット)の操作を教えてくれた先生なんて、アンヌの肩越しにスティックを動かす手が心なしか震えていたくらいだからね」

 「じゃあ、アンヌって下手に大病できないよね。開腹手術なんてことになったら、余計なところまでざっくりやられちゃうかもよ」マリリンが真顔で言う。

 「それはあなたも一緒でしょ。乳癌の手術でも受けようもんなら、みんなよだれ垂らしてGカップに見とれちゃって、いつまで経っても手術なんて始まらないわよ」

 「私って薄幸なんだぁ。でも、ヒロポンと不二子はきっと長生きだね」

 「それはどういう意味かなー。美樹本さん」


 ホルスタイン娘のたわ言はさておき、山室先生は、ものの十分とかからず医大生並みにロボットアームを使って人工皮膚を縫い合わせられるようになったアンヌの手先の器用さに驚いていた。

 小児病棟では見舞いの菓子箱の包み紙で大きなうさぎや亀を折って子供たちを喜ばせていたが、正方形でない紙を使って子供たちのリクエストに合わせて複雑な工程を要するものを折るのは至難の業である。一度頭の中に展開図を広げてから折ってゆくため、幾何学的センスが必要だし、緻密な作業を素早く正確にこなす器用さも持ち合わせていなければならないからだ。

 職員専用食堂でのランチの時には、アンヌが持参した手製のキャラメル・マンゴーパイをそこに居合わせた職員たちに振舞ったところ、大絶賛を浴び、『セ・ラ・ヴィ』の株までストップ高になった。 

 アンヌが院内であまりにも受けがいいので、いまさら孫じゃないと言い出せなくなった山室先生は「真実を伝えた時の職員たちの蔑むような視線を思うと、今でも怖いよ」と苦笑しつつも、

 「中井さん、君絶対にF大を受験しなさい。もう一通の推薦状は私が書くから、小論と面接対策だけはしっかりやっておくんだよ」と事実上のお墨付きを下さった。


 同じAO合格でも、上位三名はA特待となるため、ここで山室先生の眼鏡にかなったのは大きい。採点基準が非公開の面接と小論文による二次試験は、推薦者の格が大きくモノを言うからだ。特に人命を扱う医師の場合、たった二十分程度の面接と予備校講師に猛特訓を受けたであろう文章力だけでその職業的資質を判断するなんてどだい無茶な話である。

 職業柄、人の嘘を見抜くことにかけては他にひけを取らないはずの警察官でさえ、合コンに明け暮れるわ、被害者女性を口説こうとするわ、女性を盗撮するわとやりたい放題の破廉恥野郎が厳格な面接と人物査定を潜り抜けて大量になだれこんでくるご時勢に、「人物重視」など建て前に等しい。

 結局のところ、コネ、すなわち社会的に地位のある有力な後援者がいることで、それがストッパーとなり、「○○さんの手前、いい加減なことは出来ない」と自戒させる方が、後々大きなトラブルを引き起こす危険性は少ないのだ。

 F大医学部は、医学部長よりも山室先生の方が研究実績、出身大学ともに格上で派閥の力関係でも勝っている。ましてやシチリアの太陽のようなアンヌの存在感を考えると、面接官のオヤジたちは食虫植物に捕食される昆虫のように彼女が発散する洗脳フェロモンに導かれ、ためらいなくフルマークの面接点を付けるに違いない。

 A特待枠に入れば、入学金と授業料半額が免除となるから、六年間の学費負担は二千万円を切る。これに無利息二十年払いの奨学金を申請すれば、平均的な私大の理系と変わらない。

 

 人の心を虜にしてしまうアンヌの魅力、私は過小評価していたようだ。私が制した一年の二クラスはともにアンヌとの得票差は三票差以内であり、もしこれをアンヌが取っていたら中・高コース代表の座まで手に入れていたところだ。 

 しかし、篠崎は相当陰で動いていただけに、私以上にショックが大きかったはずだ。特に二年二組はアンヌが名乗りを上げさえしなければ、確実に篠崎支持に回っていたに違いないからだ。

 最も浮動票が多く予想がつかないといわれていた二年三組を私が抑えることができたのも、アンヌの参戦によって、「どちらもいけすかないけど、槙村より篠崎の方がマシ」と思っていた生徒がことごとくアンヌ支持に回ったおかげである。


 それはそうと、アンヌの表情が最近ちょっと蟲惑的になってきたような気がする。もしかして小悪魔ちゃん、目覚めさせちゃったかな。

 私はハデスの友だちのヒロ。あなたの仲間だよ。

 魔界へようこそ。

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