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第5章 二挺拳銃のカサノヴァ

本章より登場する最凶のスケコマシ、石山新次郎の正体やいかに。果たして弘美たちの敵か味方か。

 ハニートラップでいこう。


 一般にハニートラップというのは、男を色仕掛けで骨抜きにしてコントロールするものだが、私が考えたのはその逆バージョンだ。しかも、うってつけの男がいる。

 石山新次郎

 十九歳のフリーターで私たちが「ポチ」と呼んでいるその男は、私が知る限りの最凶のスケコマシである。

 桜町中学二年の時、交際中の彼女の母親から初めて性の手ほどきを受け、女たらしとしての才能に目覚めたというポチは、彼女の姉二人(高校生と大学生)まで口説き落とし、「桜中の胤馬」の異名を取るようになった。

 工業高校に進学すると、上玉の女生徒がいない鬱憤晴らしに育休明けの養護教諭とねんごろになったばかりか、新婚ほやほやの担任教師の奥さんを妊娠させてしまい、自主退学に追いやられている。

 一八〇センチの長身に腹筋が割れたプチマッチョ体型のポチは、ブラッド・ピットを意識したランニングとジーンズスタイルがそこそこに決まっているルックス上の下の典型的チャラ男である。本人はイケ面のつもりのようだが、第一印象がお笑い芸人「おっぱっぴー」こと小島よしおとしてインプットされた私のハードディスクはリライト不可となっており、何度会っても「小島よしお似のお友だち」の域を出ない。

 ただし、客観的に見ればポチがモテる男であることは間違いない。口達者でイタリア男のように四六時中女性を誉めちぎるところは巷の女たらしと変わりがないが、観察眼が鋭く誉めるポイントが一味違う。本人も意識していない潜在的な長所を探りあてると、そこを巧みに刺激して、「君の本当の良さがわかっているのは俺しかいない」という殺し文句を摺りこむのだ。それも、日頃から心理学や脳生理学の学術書を熱心に読んでいるという専門的知識の裏づけがあるため、女性のファイアーウォールを無力化し、カウンセラーか告解師のようにいとも簡単に心の中まで入り込んでしまうのだから、恋愛偏差値が低い女性では防ぎようがない。

 一度面白半分に「あんたがいくらカサノヴァ気取りでも、妊婦は落とせないでしょ」と挑発してみたところ、一ヶ月後に「才女」の産休間近の女体育教師と添い寝している写メを送りつけてきたのにはさすがの私も度肝を抜かれた。

 末恐ろしいやつだけど、使える。

 「小島よしお」という第一印象さえなければ、私でさえ性奴隷にされていたかもしれないほどずる賢く危険な男だが、所詮はイヌ科の狼だ。気まぐれで飼い主に対する忠義心のかけらもないネコ科の肉食獣と親友のような絆で結ばれている私にコントロールできないわけがない。そう踏んだ私はポチを仲間に加えることにした。

  

 ポチとの出会いは鯉のぼりのシーズンが終わりかけた頃のことだ。

 マリノアシティのオープンカフェスペースで、中間考査に備えて不二子に数学を教わっていたところに、にやけた若い男が声をかけてきた。

 「君たち才女の子でしょ?セレブの香りが通りまで漂ってたよ・・」という調子でペラペラまくしたてるのだが、こっちはチラ見でお笑い芸人の「小島よしお」とセンサーが認識したあとは、不二子の説明に必死に聞き入っていたので、もはや頭の中では存在すらワイプアウトされていた。

 そもそもソロの男子がペアの女子を同時にナンパするなんて尋常ではないが、後で聞いたところによると、才女よりワンランク下の紅徳女学園の子をマリナタウンでナンパし、その日にうちに二人まとめてラブホにお持ち帰りしたことがあるそうだ。これに味を占めて、最難関と言われる才女生にもチャレンジしてみたところ、よもやの地雷を踏んでしまったというわけだ。

 懲りないポチは私たちが無視していても何とか気を惹こうとくだらないギャグまで飛ばし、それが小島よしおのイメージと相まって私も思わず口角が緩みそうになったほどだが、御馴染みの野太い声とともにチャラ男のソロ・リサイタルは唐突に幕を閉じた。

 「おい、コラ」

 振り返る間もなく麻吉親父のボディブローが腹筋にめり込み、ポチは一瞬私たちの視界から消えた。

 テーブルの下で舌を出して痙攣しているポチの首をつかんで引き起こした麻吉親父は、しげしげと苦悶に歪んだ顔を眺めていたが、どうやら心当たりがあったようだ。

 「きさん、ガソリンスタンドん坊主やな」

 ゆっくりと片目を開いたポチはしばらく目の焦点が合わずに朦朧としていたが、麻吉親父の顔を認識するや「螻河内(けらこうち)のおじさん・・」と喉から搾り出すような声でつぶやいた。

 実は、ポチは麻吉親父の契約スタンドでバイトをしていたのだ。やたら愛想が良く、客が少ない時は頼んでもいない車内清掃までやってくれるとあって、親父の覚えもよくチップをもらったことも一度や二度ではないらしい。

 「ワシん目の前でいい度胸じゃのう」

 「めっそうもないっス。僕はお嬢さんじゃなくて、こっちの方に声をかけていた❘」

 言い訳の途中で、目にも留まらぬ速さの裏拳が飛び、鼻の軟骨を粉砕されたポチは噴水のように鼻血を撒き散らしながら再び昏倒した。

 真っ白なテーブルに飛び散った血痕が、まるで赤い薔薇が爆ぜたようで妙に艶かしかった。


 「父ちゃん、可愛そうだからもうやめてあげなよ」

 不二子が助け舟を出してくれたおかげで、ポチは秒読み段階にあった要介護生活を回避出来た。

 「いくら女子高生をナンパしようとしてたって、ここまでやったら立派な傷害だよ。もう父ちゃん先に帰ってなよ」

 娘には弱い麻吉親父が渋々引き揚げると、不二子からティッシュを鼻の穴にねじ込まれてようやく出血が止まったポチを前に、私たちはさっそく事情徴収を開始した。

 「あんた、いい身体しているくせにからっきしだね」

 「いやあ、これはジムで鍛えているだけの見かけ倒しで、俺、暴力沙汰は苦手なんスよ」

 「でも、ただの人工的な筋肉とはつき方が違うわね」不二子が腕をつかんで堅さを確かめていると、

 「中・高と柔道やってたんで、一応三段っす。だけど気が弱いんで、喧嘩はノーサンキューで・・」

 「だけど、あんたのことだから、こんなシチュエーション、他にもあったでしょ」

 私が尋ねると、

 「まあ、一緒にいる時に偶然本命彼氏とバッタリ出くわしたり、旦那がいきなり帰宅したりというのはありましたよ。だけど、ハッタリかましてびびらせてました。ホラ、この胸の刺青、ステッカーなんだけど良く出来てるでしょ。勝手に筋モンと思わせとけば、女とも後腐れなく別れられるし・・」

 「確かに、その体格で凄めば、騙されるかもねえ。でも、父ちゃんの時は無理だと思った?」

 「そりゃあもう、声をかけられた瞬間から警報鳴りっぱなしっスよ。鍛えてなかったら内蔵破裂してますよ。俺だって・・もう漏らしてるんスから・・」


 さっきから異臭には気がついていたけど、さっきのボディブローでテーブルの下にゲロでも吐いたのかなと思ってた。それがウ○コとは・・

 「あんたまるでしつけの悪い犬だね。さっさとトイレに行ってきなさいよ」

 不二子から怒鳴られたポチはトイレまですっ飛んでいったが、十五分後、お利口にも私たちのテーブルに戻ってきた。以来、彼の呼び名は「ポチ」となった。


 ポチは悪質なスケコマシだが、話し上手で身内に被害が及ばないぶんには面白い男である。恋愛回想録を聞いているだけでも、ボッカチオの『デカメロン』のように一週間は楽しめることうけあいだ。

 下ネタ嫌いの不二子でさえ、彼の語るリアルな愛憎世界はウージェーヌ・シュー(19世紀フランスの人気小説家)の『パリの秘密』のように格調高い、と賛辞を惜しまない。ポチが語ると、恋の駆け引きは米ソ特務機関の頭脳戦のようなスリルに溢れ、ベッドサイドストーリーすら臨床心理学と生理学のミックス講義と化してしまうのだ。

 ポチは暇さえあればどこへでもやって来る重宝な語り部であり、プレイスポットにもやたら詳しい夜のナビゲイターでもある。

 恋の魔法が通じない私と麻吉親父という守護聖人のいる不二子の前では一切男を見せなかったポチも、マリリンとカトリーヌを紹介した時には、必死に煩悩と戦っているのが見て取れた。それを察知したカトリーヌが、カラオケボックスで盛り上がっている最中にテーブルの下でジーパン越しにポチの股間を愛撫していたところ、あえなく弁を全開にして自沈してしまった。

 「ミニットマーン(早漏男)!」

 突然カトリーヌが笑い始めると、眉間に皺を寄せたマリリンと不二子の蔑むような視線を向けられたポチは恍惚の表情から一転、「もう、やだー。まぼろしー」とおネエ言葉を発してその場から逃げ去ろうとした。

 咄嗟にマリリンが足を出して転倒させると、すかさず背後から馬乗りになったカトリーヌがキャメルクラッチホールドを決める。

 「ギブアップ?」

 私が耳元で囁くと、ポチはタップして服従の意を示した。


 カラオケボックスは告解には場違いだと考えた私たちは、店を出てタクシーに分乗するといつもの「フィオ」に向かった。

 無言で店に入ってきた私たちを見て何となく雰囲気を察したのだろう。緒方さんはフラパン・キュヴェ一八八八と淹れたてのコーヒーを無造作にテーブルに置くと、何も言わずに立ち去っていった。


 「ポチって本当はおネエなの」

 ここにいる四人の素朴な疑問を私が代弁すると、ポチはカトリーヌが火をつけて差し出したジョンプレイヤースペシャルを深々と吸ってから、苦しい胸のうちを少しずつ語り始めた。


 話はポチが桜町中学の二年生、まだ周囲から「イシ」と呼ばれていた頃に遡る。

 当時のポチは色白でもっと上品な顔立ちをしていたらしい。

 男らしくあろうと柔道部に在籍していたものの、小柄であまりスポーツは得意でないうえ、勉強もイマイチだったためクラスでも目立たない少年だった。

 そんなポチが憧れていたのが、剣道部の主将を務めるNという先輩で、堂本光一ばりの整った顔立ちに全県模試トップテンの常連という知性を兼ねた学園のプリンスだった。ストイックなNはいかなる女生徒の告白も全く受け付けず、ひらすら剣道に青春を燃やしていた。

 Nのようにありたいと思い、歩き方から仕草まで真似をしているうちに、中二の夏前からぐんぐんと背が伸びてきたポチは見てくれだけは次第に垢抜けてゆき、二学期の初めに物好きの女子から交際を申し込まれた。これが最初の彼女Fで「愛嬌がなければ単なるブチャイク」だったらしい。

 それでもその娘と交際を続けたのは、母親と二人の姉が顔はともかく揃いも揃って超巨乳(推定Gカップ)で、体育祭に家族で応援に来ていたのを見かけた瞬間から、猛烈に性欲をかきたてられたことによるものだ。

 彼女をダシに何とか3Gの一角だけでもゲットしたい。

 日々、悶々と卑猥な妄想に耽っていたポチにまるでチープなメロドラマのような出来事が降って湧いた。

 師走も間近なある日のこと。部活を終えて家路を急いでいると、季節外れのゲリラ豪雨に見舞われ通りがかりの美容院の軒先に駆け込んだ。

 ほっとしたのも束の間、背後から慌しいハイヒールの音とともに背骨が折れそうな衝撃を受けたポチは内開きのドアから店内にダイブした。

 ぶつかってきたのはその店のオーナーであるFの母親だった。客足が途切れた隙に最寄りのコンビニまで煙草を買いに行った帰りに夕立のような集中豪雨に遭い、全力疾走で戻ってきたところ、店の前のマンホールの蓋でヒールを滑らせたのだという。

 一向に雨が止む気配がないので、ドライヤーで学生服を乾かしてもらっていると、突然停電になった。暖房が切れて室温が下がってきたため、店のカットクロスを纏い、ソファーで肩を寄せ合って寒さをしのいでいたが、冬の雨で芯から冷え切った身体はやがて本能的に暖を求め合い、二人は合体した。

 暗闇と雷鳴、むせかえるような香水の香りによって視覚、聴覚、臭覚の三つが遮断されると触覚は一層研ぎ澄まされるのだという。


 「目隠しと耳栓をして鼻の穴を塞いでごらん。呼吸困難になってイク瞬間、本当にトリップしちゃうよ」とのたまうポチに骨抜きにされた女性は数知れない。恐ろしく学習能力の高い男である。

 

 かつて小倉の高級クラブでホステスをしていたというFの母親からベッドの内と外でマンツーマン指導をたっぷり受けたポチは男ぶりにも磨きがかかり、身長が一七五センチに達した中三の初め頃には、それまでお高く留まっていた女子までが笑顔で話しかけてくれるようになった。

 自信というのは恐ろしいもので、ガタイが良くなるにつれ柔道も強くなり、中学最後の県大会では中量級で個人戦三位という殊勲の星をあげた。この時、会場でタイムキーパーをしていたのがA女子大柔道部に席を置くFの長姉だった。

 試合後にスタバでキャラメルラテをご馳走になったのを機に長姉と意気投合したポチは、映画館などでデートを重ねた後、柔道部女子寮の畳の上で全裸で寝技のレッスンを受ける仲になった。

 これが中三の夏の終わり頃で、すでにFとは別れていた。

 その後、Fの次姉が付き合っていた先輩からフラれたという情報をキャッチするや、ダイエットのため次姉が通っているスイミングクラブに入会し、少々強引ながらシャワールームで思いを遂げた。

 Fから次姉は男好きでマッチョ系に弱いと聞いていたので、シックスパックの肉体美で挑発してみたところ、一週間足らずで向こうの方から秋波を送ってくるようになったのだという。

 これで母娘姉妹を完全制覇、幻の大四喜(麻雀のダブル役満)を達成したポチは、スケコマシの免許皆伝を確信した。時に平成二十年十一月二十三日、奇しくも勤労感謝の日に彼の長年の労苦が報われたのだった。

 自信という特殊成分を含んだ男性フェロモンの成せる業か、この頃になるとポチがデートに誘えば、三人に二人は喜んでOKし、そのうち一人はHまで許してくれるようになった。女子からも「イシ」と呼ばれていたのがいつの間にか「シンくん」へと変わり、自分を取り巻くクラスの雰囲気まで一年前とは全く違っていることをひしひしと感じるポチだった。

 実はポチ、本気で女性に惚れたことはないらしい。節操なく女を口説くのはコンプレックスの塊だった頃の反動で、一種の屈折したリベンジでもあった。

 モテなかった頃のポチは、自分が好意を寄せていた女の子たちが、外見も大したことのない口だけ達者な男たちとちちくり合ったり、草野球レベルのくせにエースや強打者気取りの野球部員にバレンタインチョコを送ったりする姿を苦々しい思いで眺めてきた。

 その反動からか、自分がモテるようになったことを自覚し始めると、あえてクラスのマドンナ的な女子をターゲットにし、事に及んだ後はその情報がそれとなく男子の間に広まるよう画策した。やがて一部の男子の間で蛇蝎のごとく嫌われるようになったのは言うまでもない。

 サディスティックな感情に支配されたポチは、中学最後の春休みまでにクラスメート三名、その他のクラスの同級生二名、一学年後輩二名、他校生三名という戦果を上げ、生徒指導部のブラックリストにその名を刻んだ。何でも関係を持った十人のうちの半数は特定の彼氏がいたらしく、寝取られ男たちによるポチの私刑計画まであったと言われている。

 幸い、柔道の強豪校から推薦入学依頼が多数舞い込んでいたポチを腕力で押さえ込むのは困難、という理由でこの計画は未遂に終わったが、立案者の中に先ほどの口達者男と野球部の元エースがいたのは偶然ではない。

 いくらポチがモテるコツをつかんだとはいえ、十五歳の小僧だけにそれなりに失敗もあった。気が焦ってセーラー服姿のまま胸を揉んで「変態野郎」扱いされたことも一度や二度ではない。しかし、こういうことだけ研究熱心なポチは、失敗の要因を必ず分析し、高校一年まで関係が続いていたFの母親のアドバイスを受けながらスケコマシ道に磨きをかけていった。

 若い頃、数多くのエグゼクティブたちと寝物語を語り合っただけあって、Fの母親の恋愛指南はFBIの心理分析官並みに的確で、ポチは有益な場数を踏む中で恋愛のネゴシエイターとしての腕前を確かなものにしていったのだ。

 工業高校時代のポチは、この劣悪な条件の猟場の中でも、ハイミス女性事務員から既婚の養護教諭まで、おおよその高校生にとって射程距離に近づくことさえままならないターゲットまで射止める凄腕のスナイパーに成長していたが、本気で誰も愛せず、愛されることもないという新たなジレンマに苦しんでいた。

 修学旅行先の旅館で、夜中に仲居と露天風呂で混浴していたことが発覚し、帰校直後から自宅謹慎処分を受けていた高校二年の七月某日、気分転換に出かけたカットサロンで思わぬ人物に再会した。


 「君、柔道部の石山君だよね」

 具志堅用高似の店長の心地よいヘッドスパに身を委ねていたポチが左目を開けると、王子の百万ドルの笑顔がホローポイント弾となって網膜から脳髄まで一気に貫き、一瞬視界が真っ白になった。

 「N・・先輩・・」

 「やあ、石山君。しばらく見ないうちにイイ男になったじゃないか」

 今度は左耳から右耳へとマグナム弾が貫通していった。

 在学中は同じ武道場で汗を流しながら、一度も会話することがなかったN先輩が自分の名前を覚えていてくれた感激は、あのゲリラ豪雨の夜の興奮さえも忘却の彼方に追いやってしまった。

 鹿児島県の名門私学、ラ・セーヌ高校に進学していたN先輩は、夏休みで帰省していたのだ。

 恋愛の場数を踏み、クールな男を演じることでは人後に落ちないと自負していたポチも、その一挙手一投足を羨望の眼差しで追いかけていたN先輩の前では、アイドルの追っかけも同然だった。

 美容院を出た後、先輩からランチに誘われて天神地下街を歩いている間も、まともに顔を見ることが出来なかった。ショーウインドーに映る長身でスタイリッシュな二人の姿はまるで映画俳優さながらで、通りすがりの女性たちの熱い視線が体中に突き刺さるのがよくわかった。

 「俺がブラピなら、先輩はディカプリオかな。いや、めっそうもない、ディカプリオとアンガールズの田中だよな」

 ジャニーズ系の甘い顔立ちに福山雅治のクールさまで加わったN先輩は、未曾有のスピード出世を遂げたポチ以上に男ぶりを上げており、ポチにとってそれはもはや神の域に近かった。

 「先輩ってオシャレでカッケーから、女に不自由なんてしないでしょ」

 「何言ってるんだよ。あんな山奥で出会いなんてあるわけないだろ」

 「でも、休みの日とか町まで出るでしょ。大会の時だって他校の女子と出会う機会があるし・・」

 「それがね、剣道やってる時は舐められちゃいかんっていうんで、眉を剃ってチーク入れてたんだよ。角刈りでそうしてたら、後輩から凄みのあるヤクザに見えるって言われたよ。去年、まぐれで玉竜旗で十人抜きできたのもそのおかげかな」

 そう言って快活に笑う先輩は相変わらず眩しかった。部活の時、剣道部の後輩たちと談笑する先輩の姿を見て心底羨ましいと思っていたポチは、二人で旧友同士のように語らっているこの瞬間に陶酔した。

 「夏休みにでも鹿児島に遊びにおいでよ。僕が案内するから」

 別れ際の先輩の言葉は単なる社交辞令かと思っていたら、後日、新幹線の往復切符と霧島温泉の宿泊券が同封された暑中見舞いが届いた。ポチは盆休みの前後にぎっしりと詰まったデートスケジュールを全てキャンセルして一路鹿児島に向かった。

 かくして終戦記念日の夜、女たらしの暴君はN先輩に無条件降伏した。


 N先輩が本気だったのか単なる気まぐれだったのかは今でもわからない。

 その時からぷっつりと連絡を絶ったN先輩は、風の噂によるとドイツの高校に転学したらしい。

 魂が抜けたようになったポチは、柔道の練習にも身が入らなくなり強制退部させられた。さらに数学の授業中に、簡単な問題が答えられなかった自分のことを馬鹿扱いした担任を逆恨みし、事もあろうに新婚間もない担任の愛妻を寝取ったあげくに孕ませてしまったのだ。

 ここまでならスキャンダルの発覚を恐れた学校側が、示談という形で全てをうやむやにしてくれる可能性もあった。しかし、ポチの常軌を逸した行動はこれだけでは終わらなかった。

 新聞奨学生のため原付バイク通学を許可されていたポチは、学校帰りにコンビニの前に駐めたカブの後輪が歩道に接地しているという理由で、巡回中の警官から違反切符を切られた。駐輪スペースが満杯で他にも歩道にはみ出した自転車が何台もあったにもかかわらず、店内の客に注意を促すわけでもなく、自分だけに行政処分を下したその警官は、早速ポチのリベンジリストの最上位にランクされた。

 ポチがこれほど憎悪を燃やしたのは、警官の理不尽な言動だけではなく、一万円の罰金は貧しい母子家庭の石山家にとっては一週間分の食費に相当する大金だったからだ。


 身分証の提示を求めた際に氏名と所属を脳裏に焼き付けたポチは、OLから有閑マダムまで多岐に渡るセフレコネクションを総動員してくだんの警官の住所を突き止めると、世にもえげつない復讐劇を演出した。

 まず得意のハニートラップで高校生の一人娘を易々と生け捕り、頃合を見計らってからゲス仲間のハッカーに娘の携帯に侵入させ、そこからの誤送信という形で警官の父親あてに明らかに性行為後を匂わせるようなベッド上でのツーショット写真を送りつけるよう指示したのだ。

 白濁した液体が溜まった使用済みコンドームを指先にぶら下げて笑顔を見せているトップレスの娘の姿だけでも卒倒ものだが、最大の目的は、一緒に写り込んでいる男の顔を見た父親に、全ては自身の公務執行に対する極めて陰険な腹いせであることを悟らせることにあった。


 娘から得た情報によると、父親は筋金入りの親ばかで狂信的なほど娘を溺愛しているらしい。それならば、警官という立場も省みずに私的制裁に走る可能性も十分にでてくる。送付した写真に「また×××でキメて、失禁するくらい×××して!」などというビッチなセリフまで書き込んだのは、復讐心を煽ってより暴力的な行動に駆り立てるためだ。

 ツーショット写真をリベンジポルノと見なして不純異性交遊のかどで高校に訴え出れば、ポチは退学処分は免れないが、二人で違法薬物を摂取していたとなると、県立進学校に通う娘の人生まで産業廃棄場送りの危険性がある。かといって親としてこのまま二人の危険な関係を黙認しておくわけにもゆかないため、自らの手で制裁を加えたうえで娘との恒久的な別離を強要し、その際の暴力被害に対しては、公安組織の結束力を暗に匂わせながら泣き寝入りさせるくらいの荒療治もいとわないだろう。

 これならば娘には何も知られず、全てを闇に葬り去ることができるからだ。十六歳の娘にとって人生はまだ前座に過ぎない。これから先の長い道を慚悔の十字架を背負って歩ませるよりも、忌まわしい過去は、本人が腐臭に気付く前に完全密封して、人知れぬ深海に埋設するに越したことはない。

 私的制裁を決行するとすれば、対象者の現在地を最も特定しやすい時間帯を選ぶのが常道である。新聞配達をしているポチが朝刊配達後に一旦帰宅してから登校することは、警官でなくとも想像がつくだろうし、二~三日張り込めば帰宅時間もほぼ特定できるはずだ。季節柄、早朝はまだ暗く人目にもつきにくいことから、襲撃条件は揃っている。

 あとはどう返り討ちにするかだが、剣道初段程度の中肉中背の中年警官くらいは素手で一蹴できる自信はあるが、過剰防衛になるとヤバいので、防御名目で一撃で仕留める必要がある。

 幸い季節も晩秋で、手袋をしていても不自然ではないことから、ナックルパートをチタン合金で保護した軍用のタクティカルグローブを日頃から着用することにした。これなら金属バットの一撃さえ拳か掌で防ぐことが出来る一方で、反撃された方は空手の上級者といえども、ブロックした腕も肘も骨折は免れない。


 ゲス男の描いた世にもえげつない復讐計画は、まるで暇を持て余した神が刺激を求めて演出したかのように筋書き通り運んだ。

 

 ヤクザの鉄砲玉さながらにポチの帰宅をアパートの階段の陰で待ち伏せしていた警察官の父親は、いきなり特殊警棒を抜いて襲い掛かってきたが、すでに心の準備が出来ていたポチの慌てて反射的に繰り出したように見せかけた右ショートストレートを顎に喰らい、下顎部粉砕骨折の重傷を負った。

 もちろん正当防衛が成立した。理由はどうあれ現職警官の未成年に対する暴力行為の隠蔽にやっきになった県警は、この事件は面識のない両者による誤認的なトラブルだったというストーリーを捏造し、学校側もそれに同調する形で幕引きとなったが、見舞いを装ったポチが病室を訪れ、トドメの一言を吐いたのがいけなかった。

 「お前は俺に法律の番人づらして説教しやがったから、今度は俺が法律を口説いて味方につけたのさ。あばよ法律の犬さん」

 この捨てゼリフを偶然耳にした婦長から学校に抗議の電話が入ると、ポチの小悪党ぶりにブチ切れた校長は臨時生徒指導部会を招集し、石山新次郎に自主退学を促すことを全会一致で可決した。


 「もしかしてポチ、校長の家族にも手出さなかった?」私が探りを入れると、

 「いいや。校長んちは娘いないし、母ちゃんも見られたもんじゃなかったからね」

 「じゃあ、生徒指導主事とか・・」

 「あいつは奥さんと子供に愛想尽かされて、今は公団で一人暮らしだよ」

 「教頭や副校長じゃ、いまいち動機が弱いしねえ」

 推理モードに入った不二子の灰色の脳細胞が起動し始めたようだ。

 

 「お節介なチクリ屋の婦長かな。病院内で見知ったことをペラペラ口外するのは職務倫理に反するんでしょ」とマリリンがなかなか鋭いところを突いてきた。

 「でも婦長って独身多くない?」と私。

 「確かにあの婦長は独身だったよ」

 「いやそれでも、受領は転んだところに藁をもつかむ、を地でゆくポチのことだから、何かありそう」

 私がポチの目を見つめながら何かを読み取ろうとしていると、

 「これだけちゃっかりプライバシーを調査してるということは、婦長がらみに間違いないね。それもこいつの復讐計画の直接の犠牲者は若い女だから、その姪ッ子あたりだね。そうでしょ」

 不二子が鬼の首を取ったような表情でポチに人差し指を突きつけた。

 「いやーまいったなー。不二子ちゃん鋭いね。実を言うと君たちがよく知っている人だよ」

 私にはピーンときた。こいつならありうると。

 私がニヤリと笑うと、ポチがウインクを返してきた。それを見たマリリンもカトリーヌも不二子も一斉に思い当たったようだ。

 「あーねー」三人がハモりながらため息をついた。


 ポチが私の携帯に転送してきた写メは、冗談でなくある教員一家を破滅に追いやる時限爆弾のようなものだ。それも歳月に比例して繁殖力を増し、関係者の心に治癒不能な病巣を広げてゆく凶悪なバイオ兵器だ。


 ポチの謎が解けた。彼が女に執着しているのは、天性の女好きだからではない。話を聞いたとおり毒牙にかかった犠牲者の一部はリベンジに関わるもので、これは多分に計画的な要素を含んでいる。

 しかし、一見無節操に思える残りの女性関係は、ポチのアイデンティティの回復に起因するものだ。N先輩から禁断の愛の扉をこじ開けられてしまったポチは、本当の自分がわからなくなった。

 「俺は男色家じゃない」

 心の叫びを具現化するように次々と女性に手を出すのだが、感情の高ぶりを覚えるのは肉体的欲求を満たすまでで、心の平穏を得られたためしがなかったのだ。


 「マルデ、ソドムトゴモラネ」


 「To be or not to be・・」


 「怨霊退散!」


 「あんたって人間のクズだけど、馬鹿正直で、何だか理性を忘れてきた自分を見てるみたい」


 いつの間にか、テーブルの上のフラパン・キュヴェが三分の一に減っていた。

 「ちょっとみんな飲み過ぎだよ。これ一体いくらすると思ってるのよ。ホストクラブでボトル入れたら、全員ブリーフ姿でラインダンス踊ってくれるくらいのシロモノよー」

 マリリンの囁きが静寂を破ると、私を除く三人で醜い責任のなすりあいが始まった。

 下戸の私はコーヒーに垂らして飲んでいただけだから員数外なのだ。いつもはマット・スカダー気取りでバーボンを半オンスだけ注ぐのが私の流儀だが、さすがに超高級コニャックは別物で、甘いバニラとチョコレートのフレーバーが鼻腔に染み付いたように心地いい。ひょっとすると今日は三オンスくらい空けているかもしれない。


 「みんないいって。俺がこのボトルキープするよ。まだクレジットのリミットまでは大丈夫だと思うから」

 ポチがおサイフ携帯で支払いを済ませると、みんな申し訳なさそうな顔をしてそそくさと後に続いた。カトリーヌが「アディオス・・」といつになく小声で挨拶してドアを閉めるや、大酒飲みの三人がポチを取り囲むようにして、「ねえ、いくらだったの?」「やばくない?」と口々にポチをつつき始めた。

 無言で携帯を取り出したポチが精算の画面を出すと、表示金額は何と「¥5」だった。

 「ひっひっひっ・・はっはっはっはー」

 ポチが大声で笑い始めると、それに釣られるようにみんな手を叩いて大笑いした。

 「これもいいご縁って意味かな」画面を見ながらマリリンがにっこりと微笑むと、

 「貧乏神でなきゃいいけどね」と不二子がポチをギロリと睨んだ。

 「あんたがお祓いしてやればいいでしょ。女泣かせの御本尊に五芒星でも彫ってやったら」

 私がつつくと、不二子の双眸から五〇〇〇ミリシーベルトのガンマ線がこちらに向かって照射された。

 「ちょっと、どういう意味よー弘美」

  

 聖天使ガブリエルか、はたまた堕天使ルシファーか。まだどちらとも言えないけど、必ずあなたを私たちのランプの精にしてみせる。そうでなきゃ一生座敷牢で飼い殺しちゃうからね。


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