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第4章 慈悲深い野心家のマサイ族はノーベル平和賞を受賞できるか

頭でっかちで学歴自慢のエリートなんて本当のエリートじゃない。生態系の中で頂点に立てるポテンシャルを持った者しか私は認めない。弘美が語るエリート論と弘美流のノブレスオブリージュとは?

 私は生徒会長に立候補するにあたって、ブルジョワ女子たちのリーダーにふさわしいキャラクター作りと実績の積み重ねに三年以上の歳月をかけてきた。なにしろ、パリス・ヒルトンのミニチュア版ともいえる自己中心的なわがまま娘が机を並べる本校では、家柄や親の社会的地位、容姿、学力、身体能力、芸術的センスといった一般庶民からの羨望の対象となる素養のうち一つ、二つを持っていたところで大したアドバンテージにはならない。

 東大理Ⅲ間違いなしの三島彩にしかり、昨年インターハイ個人戦でベスト8に入り、美人剣士の誉れの高い榊原麻衣にしかり、将来的には、スマホアプリメーカーの社長の娘で、本校では十年ぶりの留年が決定した劣等生、東福由貴以上のセレブ生活を送る可能性は限りなくゼロに近い、というのが大半の才女生による人生レース予想である。

 天神西通りにある四階建ての本店ビルの他、九州全域にデジタル家電チェーン店を展開する東福家は推定年収十数億と言われており、盛りが短い芸能人やスポーツ選手ではとても太刀打ち出来ない。

 私の実家のような大規模な個人病院でさえ、設備投資や維持費に結構な額がかかるため、収入のわりには大した贅沢も出来ず、ハリウッドセレブたちから見れば、カースト制におけるハリジャン級に過ぎない。となると、東福家を凌ぐのは大手企業、銀行の創業家かCEOクラスに限られるから、父親が福岡県上級職の三島、地元私鉄本社の総務部長である榊原では、華麗なる一族の嫁にでもならない限りは、本物のセレブリティの仲間入りするチャンスはないということになる。

 三島や榊原なら、大学時代にそういう家系の御曹司と知り合い、恋に落ちる可能性はあるかもしれない。それでもいざ結婚となると、政略結婚が王道のVIPの世界ですんなりと受け入れてもらえるかどうかは疑問符が付く。

 逆に東福は品格に乏しく容姿も並以下だが、容姿は美容整形とライザップで何とでもなるし、なにより付属アイテムがデカい。四人姉妹の長女であり、姉妹の中でかりにも才女に一般入試で合格できるほどの学力を有する唯一の存在であることを考えれば、東福由貴が家業を継ぎ、婿養子を取る可能性が高い。したがって学生生活は暗く地味でも、金の力で愛までも手に入れられる東福の将来は明るいのだ。


 そうなると、ドライでシニカルな人生アナリスト諸子からの支持を得るためには、政治力や財力では賄えないステイタスと帰属意識を促すようなアイテムが不可欠ということになる。

 私の「才女」におけるポジションは、財力、政治力、学力、容姿は五段階評価でいえば3から4だが、スポーツや芸術的センスは4から5、知名度に至っては学内でも五指に入るだろう。しかもその五人の中には身内のマリリンとカトリーヌも含まれるから、選挙活動における生徒たちの関心度は間違いなくトップだ。

 とはいえ、目立つ人間はそのぶん反感も買いやすく、自己顕示欲が強く群れることを好まない子たちからは疎まれがちだ。


 そこで必要となるのが有名税を減額あるいは相殺する手段としての偽善行為である。

最も一般うけするのは何と言ってもボランティア活動だ。といっても校内での喜捨や街頭募金活動など珍しくも何ともないうえ、それらは他人の懐を当てにしているため、行動力のPRにはならない。

 私が考えたのは巷の就学困難家庭の子弟の救済策としての無料塾経営である。

 生活レベルの格差が顕在化している今日、塾に通うのも困難な義務教育課程の児童生徒は十五パーセントを超えているという。日本の学生の学力は世界的に傑出しているわけでもないのに、欧米では考えられないほど塾や予備校が一般化しており、それらを助長あるいは相互依存した教育産業が大きな顔をしていることは何とも腹立たしい。

 わが母校にしかり、小学校の授業の範囲を逸脱した中学入試問題を作成されれば、受験生は必然的に塾や家庭教師の世話にならざるをえない。これではいくら知能が高くとも、習ったことのない問題など解けるはずもないし、逆に塾通いによって合格した連中が優秀であるということにもならない。

 こういったアンフェアな受験戦争は、高校入試、大学入試、さらには就職試験まで続く。

 ところが一度社会人になってしまえば、会社の中で出世するノウハウを教えてくれる塾や昇任試験の高い合格率を誇る予備校などはもはや存在しない。つまり、それまで学力ドーピングによって高学歴を手に入れ、勝ち組といわれる就職先に落ち着いた連中は、初めてフェアな戦いを強いられるため偽エリートは次々と脱落してゆく。

 ここでいう偽エリートというのは、個人が持つ能力の氷山の一角しか見えない幼児段階で、ビルの高層階までノンストップで行けるエレベーターの搭乗権を手に入れた「幼稚舎組」から、受験産業という学力トレーニングジムの恩恵によって、受験用筋力を最大限にビルドアップし、出世への階段を猛ダッシュで駆け上ってゆく「受験マッチョ」まで、自己中心的で、他人を押しのけてでも自分がレースに勝つことこそがこの世に生まれた意義であると盲信している輩全てを含む。

 えてしてそういう連中は単一解を導き出すテクニックのみ伝授されているため、社会、経済、政治問題といった最適解が求められる実社会では、期待されたほどは役に立たない。これは逆三角形の筋肉美を誇る格闘家が、攻撃力を高める代償として敏捷性や柔軟性、持久力といった防御に必要な能力を犠牲にしてしまった結果、呆気ないほど打たれ弱いことが多いのによく似ている。


 過酷な自然の中で生きるマサイ族の身体能力はずば抜けているというが、ボディビルダーのようにムキムキのマサイ族などいやしない。筋肉はつきすぎると身体が重くなるうえ、関節の稼動域も狭くなるからだ。

 そういう意味ではマサイ族の身体こそ、狩猟者として食物連鎖の頂点に立つための最も理想的なフォルムといえよう。そこにあるのは人工的な造形美ではなく、弱肉強食という環境によって研磨された野生美である。手製の槍一本あれば一対一で百獣の王を仕留められる霊長類は彼らしかいない。

 理屈だけ教えても狩りは出来ないのと同様に、耐火煉瓦を拳で粉々に砕き、足刀でバット二本を同時にへし折る空手家は、理屈の上では素手でライオンを殺すことも可能なはずだが、実際に戦えば秒殺されることは目に見えている。たとえ空手の達人が十人がかりでも結果は同じだろう。

 両者の決定的な差は経験値とそれに基づく揺るぎない自信である。

 仮にライオンの生態と特性、肉体の構造を知識として学んでいたとしても、文明社会で暮らす人間である以上は、相対した瞬間から、過去に経験のない威圧感と恐怖で筋肉が固まってしまい、生贄同然に捕食されるのがおちだ。剣道やフェンシングの達人にしたところで、人間とは瞬発力、跳躍力ともに段違いの猛獣が相手では、間合いも読めず、せっかくの武器も空を切るだけだろう。

 マサイ族がライオンを前にしても冷静でいられるのは、彼らと共存して生活している中で、実体験として攻撃パターンとウィークポイントを熟知し、かつて肉と毛皮を得るために猛獣を狩っていた時代以来脈々と受け継がれてきた狩猟技術に絶対的な自信があるからだ。

 要するに私は、文明社会のトップアスリートよりもマサイ族の方に、磨きぬかれた身体能力の優越性と躍動美を感じるクチなのだ。だからこそ、抗生物質漬けの養殖エリートとは真逆の、雑菌まみれの過酷な環境の中で生存競争を勝ち抜いてきたタフな人材にこそ、将来私の手足となってもらうために、十分な資本を投下する必要があると考えている。


 私たちが主宰している「リトル・ピーセス(Little Pieces)」は、経済的に苦しい家庭の小学生から高校生までを対象とした夕食付きの塾で、講師は「才女生」と留学生が中心である。

 ピーセスには、私たち一人ひとりがパズルの断片であり、一つでも欠けると美しい絵(理想の世界)も画竜点睛を欠くという意味に、小さな平和(Little Peace)をかけている。

 ひとえに「才女生」といっても、ボランティアでこんなことがやれるのはマリリンや不二子のように塾通いの必要がなく比較的時間に余裕がある秀才タイプだけである。しかし、それが負けず嫌いの「才女生」のプライドを微妙に刺激したのか、今では塾通いの日数を減らしてまでボランティア講師を希望する子も随分増えた。

 トップクラスの中でもとりわけ自意識の強い子たちは、東大や京大に合格したという勲章よりも、いかに余裕を持って合格したかという内容にこだわるところがある。幸い「才女」にはそういう子が少なからずいるため、私たちはその屈折した自信とプライドを有効利用させてもらっているというわけだ。

 一方、留学生は英語と数学が担当だが、授業は全て英語である。英語はともかく、数学を英語でというのは一見ハードルが高いような気がするが、板書はどうせ数字とグラフと図形なので、慣れれば普通に理解出来るようになるのだ。

 ノルウェーとスウェーデンで幼少時代を送ったがゆえに英語がネイティブ級のマリリンによると、スウェーデンでは家庭での日常会話はスウェーデン語でも、子供時代の必須アイテムであるゲームソフトから、TVで放映される外国映画や人気アニメまで全て英語のため、特別な英語教育を施さなくても英語を普通に使えるようになるのだそうだ。

 それをヒントに「リトル・ピーセス」では休み時間に最新の海外輸出用ソフトによるゲームで息抜きができるようにしている。娯楽に飢え、学問にも飢えた子供たちにとっては、意思・情報の伝達ツールが英語であったとしても、それがゆえに遊ぶ機会を棒に振るのは愚行でしかないのだ。しかも、入塾当初は英語についてゆけない子も、マリリンやカトリーヌが通訳するか、場合によっては才女生が補講をすることでフォローしているので、塾生の成績は総じて高い。まさに「最高のスパイスは空腹」を地で行くのが「リトル・ピーセス」なのである。

 とはいえ私たちは全くの無償で教育ボランティアを行っているわけではない。恵まれていない者に施すのは人間の根本的な善意だが、一方的に与えられすぎると人は有り難味を忘れ、恵まれていないから施されるのが当たり前だと思うようになる。

 そこで私たちが塾生に課しているのが、障害児養育施設と小児がん患者病棟におけるボランティア慰問である。月に一回程度のわりで小中学生は何かレクリエーションイベントを考えて一緒に楽しみ、高校生は勉強を教えているが、これがなかなか好評で塾生たちにとっても大きな励みとなっている。こういう支え合いの精神こそ私が理想とする「ノブレス・オブリージュ」であり、その具現化に一役買っている「リトル・ピーセス」の活動は、昨年度のバイオレット・リチャードソン賞九州地区最優秀賞という形で社会的にも大きな評価を得た。

 ところで「リトル・ピーセス」運営の財源は何かというと、善意の寄付金プラス、インターネットを通じた配信サービスである。私たちは中2の時に「ROCK THIS TOWN」という福岡への旅行者向けの店舗や名所の紹介を各国語で行う宣伝動画を立ち上げたが、アクセス回数が急増してゆくにつれ、まとまった広告収入が入るようになり、今はそれだけでも月に二十万円前後に達している。

 当初は、英語、ノルウェー語、スウェーデン語に片言のドイツ語、デンマーク語を話せるマリリンと、母親が台湾人のクラスメートを使って、六ヶ国語で安くて美味しい博多のグルメレポートを配信していたが、その後、多くの留学生とネットを通じて親しくなってからは、韓国語、マレー語、タイ語、カンボジア語、ベンガル語、アラビア語・・とバリエーションを増やしてゆき、今では二十ヶ国語を超えるまでになった。

 民族によって食の嗜好が異なり、宗教的な制限もあるため、ミシュランガイドや地元のグルメマップだけでは旅行者によっては心もとないが、例えばムスリムのインドネシア人が、ここのラーメンは美味いし、禁忌の食材も使っていないと紹介すれは、食制限の多いムスリムにとっては、有り難いことこのうえない。

 特に好評だったのが、市内各校から選りすぐった美形女子高生によるグルメレポート動画だ。台本なしのぶっつけ本番だから、テンパってフリーズする子や通訳が必要なほどマイナーなギャル語を連発する子、言葉が見つからなくてジェスチャーで表現する子など天然っぽさが満載なぶん、グルメ気取りのタレントよりも親近感が湧く、という声が多かった。とりわけおじさん世代にとってはセーラー服女子の食事シーンを堪能できるとあってフォロワーの数、再生回数ともに半端ない。

 年頃の女の子ともなれば、仮に実の父親であっても、食事中に無言で見つめられてはDVに匹敵する嫌悪感をもよおすのが当たり前のご時世である。ましてや赤の他人ならセクハラものだけに、視聴者の方々には感謝しつつも、その姿を想像すると罪悪感を禁じえない。


 やがて紹介する対象の幅も広がり、昨年からは地域の町おこしや村おこしとのタイアップも実現し、謝礼として地域の特産物をいただく機会も増えた。おかげで材料費ゼロで生徒に夕食も提供出来ることになった。私は料理のセンスがないので戦力外だが、老舗割烹の娘をはじめとする才女生あるいは留学生が腕によりをかけて調理してくれる国際色豊かな料理は、ファミレスを超えるといわれる「才女」の学食が昭和の学校給食に見えるほどの出来栄えだ。


 塾事業の発足時は、リーマンショックの影響で閉店に追いこまれたうどん屋の店舗を丸ごと借り切って、カウンターやテーブル席で勉強を教えていたが、今年の春からは麻吉親父がリノベーションしてくれた六本松の旧喫茶店舗に移転した。

 建坪二十坪のこぢんまりとした築五十年の二階建て木造家屋だが、昭和初期に西夏女学院が勧業博覧会で出店した『カフェ・マリア』の内装を参考に改装しているだけあって、センスの良い落ち着いた空間に仕上がっている。


 結果、「リトル・ピーセス」の活動の中心となっている正会員あるいはイレギュラーで補佐する賛助員になることそのものがステイタス化し、中にはボランティア実績として大学の推薦入試におけるアドバンテージを得たいがために会員を希望する輩もいないではないが、メンバーが多ければ多いほど幅広い活動が出来るため、その点はあえて目をつぶるようにしている。それに大きなイベントとなると会員の父兄からの寄付金もばかにならないため、会員は多いにこしたことはない。

 昨年の夏は、寄付金を元手に小児科病棟から見える河川敷でプチ花火大会を催したところ、新聞紙上でも大々的に取り上げられ、「リトル・ピーセス」の名を県下全域に広めるきっかけとなったが、私の中では単なる売名行為だったにもかかわらず、車椅子から身を乗り出すようにしてはしゃいでいる子供たちや、目に涙を浮かべて花火に見入っている親御さんたちを見ているうちに、さすがの私も泣けてきた。

 私は野心家の悪党だが、どうやら最低限の母性本能は残っているらしい。


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