第3章 華氏351度の狂想曲
夏と言えば海だ。糸島半島で湾岸ドライブを楽しんでから百道浜でひと泳ぎ。シメは大濠公園の花火大会が
バブル期の女子大生のスペシャルコースだった。たとえ高校生でも、若さと行動力を生かしてもっとイカした夏を楽しみたい。弘美たちにとって夢は空想じゃなくて直近の未来なのだ。
七月七日、生徒会長選挙立候補手続きの締め切り当日、シンパの同級生たちが教室の入り口にたむろして私を待ち受けていた。
「ねえ、弘美聞いた? 篠崎だけじゃなくって、アンヌも会長選挙出るんだってよ」
「うん。らしいね」
生徒会長選挙に急遽出馬を表明したもう一人のライバル、中井アンヌは母子家庭の一人娘で、母親は天神西通りにあるJC・JK御用達のスイーツショップ『セ・ラ・ヴィ』のパティシェールという「才女」では少数派に属する一般庶民である。
アンヌといってもハーフでも何でもなく、亡父が『ウルトラセブン』でひし美ゆり子扮するアンヌ隊員の大ファンだったという他愛もない理由による命名に過ぎない。それでも、父親の願いが星に届いたかのようなルックスは、綺麗どころ揃いの「才女」の中でも群を抜いている。
昨年の歌劇祭では準主役のヒロイン役に選ばれているが、身長が一五五cmと小柄でなければ、主役間違いなしという声が圧倒的だった。
天神の街を歩いていれば、通行人が振り返るほどの美形だけに、幾度となく芸能プロダクションから声を掛けられてはいるものの、医学部医学科への進学を希望しているため、学業との両立は不可能という理由で、その手の勧誘は完全にシャットアウトしている。
二万人に一人の難病で父を亡くしているアンヌは、ゲノム解析による遺伝子治療を学び、希少疾患に苦しむ患者たちを救うという崇高な目標が学生生活の全てにおいて優先しているため、性格もストイックで、男友達さえ一人もいない。
これだけモテながら男には見向きもしないことから、やがては月に帰ってゆくんじゃないか、という噂もあるほどで、ちょっぴりミステリアスなところが、アンヌの魅力をさらに引き立てている。
篠崎がヒラリー・クリントンのようにカリスマ的ではあっても、やや近づきがたい雰囲気を醸し出しているのに比べると、誰に対してもやさしく朗らかなアンヌは、下町の太陽とでもいうべき庶民的な一面もあって、学園全体でも好感度ナンバーワンであることは間違いない。
唯一のマイナス面は、いかなる生徒会活動にも部活動にも関わっていないがゆえに、先輩や後輩に対する根回しがやりづらいことだ。立候補が期限ぎりぎりと遅かったうえ、本人の控えめな性格も相まって、組織票が期待出来ないアンヌは、目下のところ篠崎ほど警戒すべき相手ではない。
「そうそう弘美、例の車仕上がったよ。運んで来ようか?」
不二子と親しくなって一年余り。アンビリーバボーな幸運に恵まれたこともない代わりに、特に不幸もなく、それなりに学生生活をエンジョイしている私にとって、この女陰陽師がもたらしてくれた最大のプレゼントが、ようやくレストアが終了したスカイラインスポーツ・コンバーティブルだった。
“彼女”との出会いは、初めて不二子の自宅に招かれた昨年の晩夏にさかのぼる。
広大な早良区の奥地、脇山にある巨大な屋敷は、にわか成金一家の趣味にしては出来すぎとでも言うべきネオ・ルネッサンス様式のお洒落な洋館だった(門の両側に大理石のシーサーが対で鎮座していたのは笑えたが)。屋内ガレージには例のロースルロイス・ゴーストと普段は父親が下駄代わりに使っているというシュビムワーゲンが無造作に放り込まれていたが、何故にシュビムワーゲンなのか尋ねてみると、その前に乗っていたポルシェカイエンは、釣り好きの麻吉親父が山間部の渓流を強引に渡河しようとしたところ、深みにはまって水没したため、不二子の薦めでこの水陸両用の軍用車両をドイツのフォルクスワーゲン専門のレストア業者から取り寄せたのだそうだ。
この水難事故で、意識不明のまま一キロ下流の浅瀬に打ち上げられているのを釣り人に発見され、命拾いした麻吉親父だったが、シュビムワーゲンを手に入れるや、性懲りもなくワイルドなアウトドアライフを満喫しているという。
使い方が荒いため、メンテナンスも大変だそうだが、手先が器用でメカにも詳しい不二子が、定期的にキャブレターの調整から配線チェック、各部のグリスアップまで抜かりなくやっているおかげで、これまでノントラブルだそうだ。もちろん試運転も彼女の仕事だから、不二子は無免許で近所を乗り回しているのだ。
もっとも、三千坪の自宅敷地の周囲は森林や畑に囲まれており、私道も多いため、公道を走らない限りはたとえ無免許であっても警察権は及ばない。ましてや螻河内建設が、台風被害に遭った近隣のビニールハウス二十数棟を、ある時払いの催促なしで修繕した実績があるため、このあたりの私道のみならず私有地も全て自由に走行できることになっているそうだ。
車好きの私が不二子からワーゲンの説明を受けているところに、三頭の巨大なマスチーフを連れた麻吉親父が散歩から戻ってきた。
「こいつらくさ、あっちこっちん電柱で小便垂れよるけんが、大変やったばい」
汗だくになった麻吉親父が首輪の鎖を外しながら愚痴っていると、リードから放たれたマスチーフは一直線に不二子のもとに駆け寄り、尻尾を振りながら甘え始めた。
「弘美は私の友達だから、噛み付いたらダメだよ」
不二子の言葉がわかるのか、三頭揃って私の顔をじっと見つめた後、腹を出してごろりと寝そべった。
「これで弘美のこと認識したから、もう大丈夫。こっちに来てお腹を撫でてやって」
そう言われて恐る恐る近づいて腹を撫でてみると、三頭ともに先ほどまでの殺気が嘘のように穏やかな表情になった。
三頭いればライオンをも噛み殺すと言われる獰猛なマスチーフにはさすがの麻吉親父も手を焼いているようだが、不二子にかかっては、まるで人間に媚を売らなくては生きてゆけない愛玩動物のように従順だ。やっぱり不二子は魔女だ。間違いない。
「納屋にポンコツの何台かあるけんが、見ていきやい」
麻吉親父から案内されたログハウスのような納屋の入り口には、薄っぺらな車体に薪と炭俵を山積みにされたダークブラウンメタリックのジャガーXJSイベンターが、圧死したゴキブリのような憐れな姿を晒していた。
その向こうには部品取り車と化したフレーム剥き出しのフォルクスワーゲンと、埃まみれの白いコンバーティブルが無造作に折り重なっていたが、蜘蛛の巣を掻き分けて身を乗り出すようにして見てみると、ひび割れたフロントグリルにPのエンブレムが確認できた。
「もしかしてプリンスのスカイラインスポーツですか?」
「そがん古か車、よう知っとうね」
「父が旧車ファンで、祖父が乗っていたマセラティ三五〇〇GTとか、ダットサンフェアレディSP三一〇とか、まだ自家用で使っているので」
「フェアレディも格好良かけんが、狭いけん、我が運転席に入らんたい。これやったら、足元も広かて思うたばってん、不二子ん子供ん時、ハイキングば行った帰りに雨に遭うて、幌ば下しよったら頭のつかえて往生したばい」
「おまけに父ちゃんったら、いきなり山道に飛び出してきたイノシシからフロントフェンダー引っかかれた腹いせに、追いかけまわして轢き殺したから、フロントグリルぐちゃぐちゃ」
「だけどこんな稀少車寝かしておくのはもったいないですよ」
「あんた、そげん気に入っとうなら、持っていきんしゃい」
「頂きたいのはやまやまですけど、コンバーティブルは生産台数二十五台の希少車ですよ。恐れ多くって」
「なんぼ希少車っちゅうても、車は走ってなんぼで、ガレージで眺めるもんやなか。女もそうやろうが。乗ってなんぼ・・」
「ちょっと父ちゃん!」
「まあ、今は自家用にゴーストのあるけんよかて。これやったら熊でん即死たい」
「このままレッカーで別荘の車庫まで運んでも弘美も困るだろうから、十八歳で免許取るまでに私がレストアしておくよ」
というわけで、私は自動車税や取得税の諸経費の負担のみで、法律上は父親名義とはいえ、ジョバンニ・ミケロッティデザインの超高級国産スポーツカーのオーナーになったのだ。
私が十八歳になるのは来年の夏だが、ドミニカ国籍のカトリーヌは十六歳でライセンスを取っているので、彼女の編入を機に、ほぼ終了していたレストアのピッチを上げてもらい、夏に復活デビューと相成った。
かつて麻吉親父が惜しみなく金をつぎ込み、現代の交通事情でも過不足がないほどの実用性を手に入れたこのヴィンテージカーは、グランドグロリアG11型のエンジンに換装しているため、ノーマルの九十四馬力から一三〇馬力にスープアップし、最高速度も一七〇キロまではいける。
また快適性を考えて、グロリアオプションの吊り下げ式エアコンを組み込み、グロリア型のAT2速スペースフローを移植しているおかげで、夏場の市街地走行でも、脂汗を流しながら重いクラッチペダルと格闘する苦痛を味わわなくてもすむようになっている。
十年間も納屋に放置されていたおかげで腐食も進行し、さすがの不二子も一時はめげそうになっていたが、今年の元旦に、ハワイのホテル『ハレクラニ』で寝正月を過ごしていたダンキチを誘って、マリリンのパパが借りてくれたワイキキのオーシャンハウスで不二子を含めたプライベートな昼食会を催したのが効いて、俄然やる気になってくれた。
「夏に海の中道でやる屋外コンサートにはスカイラインで来てよ。関係者用の駐車スペース空けとくから」というダンキチのリップサービスはとどめとなった。
完全に瞳孔が開いた不二子にマリリンが「不二子、見える?」と手を振ると、
「L’ eternie. C’est la alle’e avec le soleil.(永遠が。太陽に溶ける海だ)」
フランス語でアルチュール・ランボーの詩をつぶやきながら、不二子は熱中症で意識を失った。
夏期集中講座の最終日、麻吉親父がトランスポーターを引いたゴーストで学校にやって来た。
トランスポーターのカバーの下から現れた純白のボディは、裸のマリリンのようにセクシーで、彼女の勝負下着と同色の深紅の牛革シートとのマッチングも申し分ない。
「ご老体やから、暖気ばしっかりしてやらんと」
麻吉親父がステアリングの右下にあるチョークを引いてイグニションキイを捻ると、SOHC直列六気筒エンジンは一発で目覚めた。
ト、ト、ト、ト、ト・・と渇いた排気音が耳にやさしく心地良い。不二子のキャブセッテイングは完璧のようだ。父が提供してくれたマッキントッシュのCDチェンジャーとBOSEのスピーカーも違和感なくコクピットに収まっているが、G11型エンジンのエグゾーストノートだけでも気分はアメリカングラフィティだ。
「ハーイ、オマタセー」
いよいよ真打ちの登場だ。
頭に豹柄のバンダナを巻いてレインのサングラスできめたカトリーヌはパリコレモデル顔負けだ。
ここでホリーズの『ロング・クール・ウーマン』でも流れてこようものなら、この場にいる全員がミュージッククリップのエキストラと化し、本日中に校内でファンクラブが結成されること間違いなしだ。
一歩間違えるとアウトオブデートのガングロ女子校生に見えなくもないが、素材が違う。私や不二子がこんな格好で出歩いたら、たちまち職質ものだろう。
麻吉親父は警備員に顔パス(というより見ないふり)とはいえ、下校時の校門の前にトランスポーターを引いたロールスとレトロなコンバーティブルが止まっていれば、注目されるのは当たり前だ。たちまち大勢のギャラリーに取り囲まれてしまった。
校門前が渋滞しているので、セーラー服の群れをかき分けながら、険しい顔をして私たちに小言の一言でも言おうと近づいてきた生徒指導部の体育教師もいたが、麻吉親父と目が合うや、きびすを返して私たちの視界から遠ざかっていった。
「弘美センパーイ!、真里センパーイ!、カトリーヌセンパーイ!」
後輩たちの黄色い嬌声が沸き起こる中、爆音を轟かせながらブルーメタのフェラーリ五七五Mマラネロが校門前の車列に割り込んできたが、誰も見向きもしない。
羨望の眼差しを期待していたであろう、アルマーニかヴェルサーチらしきホワイトジャケットを羽織ったクリスタル・ダンディ(センス良く着飾っているが頭髪の薄い中高年のこと)がきょとんとした表情でこちらを見ている。
そりゃあそうでしょ。当時の物価価値からすると巨人のONの月収でも買えなかったこの車と比べたら、マラネロなんてヤンキースの松井の週給でもポン買い出来ちゃうものね。それに低速ギアに入っている時の12気筒ときたら、豚のオナラのように耳障りな不協和音を奏でているだけで雑音もいいところ。速度制限四十~五十キロのけやき通りや西通り界隈を流すなら、国産か英国車でなきゃあ小学生の運動会に飛び入りしたウサイン・ボルトみたいで、KYなんだよね。
それにしても失敗したなあ。リアシートの私の横から身を乗り出してドライバーズシートのカトリーヌにあれこれ指示している不二子はともかく、モデルばりのカトリーヌとマリリンの存在感が、スタイリッシュなイタリアンデザインに溶け込みすぎて、私なんてアイドルのマネージャー程度の居場所しか見つからない(不二子は修理工がいいところだろう)。
写メを向けられているのもカトリーヌとマリリンばかりで、まるでモデルの撮影会だ。
「バランスを考えて、ブレーキはサーボ付きだけどドラムのままだし、ギアも低速のトルク重視でセッティングを出してるから、慣らしの間は四千回転以上は回さないでよ」不二子が念を押すと、
「ロジャー!」
威勢のいい返事とともにカトリーヌがアクセルを踏み込んだ。
西新から百道浜に抜けてマリゾンに向かうまでの道のりは、ドライバーや沿道の人たちの注目の的だった。才女のセーラー服を着たアイドル級美人3名+1が、BOSEのスピーカーから大音量のテイラー・スウィフトをガンガン響かせながらイカしたコンバーティブルを転がしていれば、否が応でも目立つ。
一度、ノンアルコールビールをラッパ飲みしながら片手運転をしているカトリーヌを覗き込むように白バイ警官が併走してきたけど、カトリーヌの右手で追い払うような仕草があまりにも堂に入りすぎて、映画かドラマのロケかと思ったのだろう、申し訳なさそうに軽く挙手をして去っていった。
ちなみにパッセンジャーズシートで脚を組んで寝そべっているマリリンが口にしているのは本物の「クアーズ」で、その後ろで不二子がストローですすっているのはパック酒の「鬼ごろし」である。
アメリカングラフティを気取るためにマリリンが用意した携帯用クーラーボックスは二重底になっていて、上段にはダミーのノンアルコール類が、下段には本物のアルコールが入っているのだ。
もちろん健全な私はアップルタイザーだが、炭酸ガスが腹に溜まって今にもチクロンBを放出しそうなせいか、バックミラーに映る表情が妙に苦みばしっていて、胃潰瘍を病んだボギーのようだ。
浮世離れしたかりそめの自由を満喫している私たちは、ボニーとクライドのように節操がなく無鉄砲だが、何物からも拘束されず、倫理観も道徳心も捨て去った今この瞬間が純粋に楽しい。
今年の夏は、最高だ!
だけど、メフィストフェレスに魂を売っぱらってでも、きっとこれ以上の瞬間を手に入れてみせる。
至福の時は短かった。
波打ち際を駆けるカトリーヌとマリリンをビーチパラソルの下で眺める気分は最低だ。
二人ともちゃっかり制服の下にビキニを着込んでいたなんて、私としたことが不覚だった。
純白のハイレグのマリリンだけでも太陽のように眩しいのに、緋色のTバックのカトリーヌまで加わった日には、浜辺はメルトダウン状態だ。
彼女たちが海に飛び込むや、丘サーファーたちがぞろぞろ後を追いかけて泳ぎ始めたが、差は開く一方だ。
「君たち泳ぎ上手いね」なんて常套句で会話のきっかけでも作ろうと思っているんだろうけれど、あの娘たちは半端じゃない。力強いストロークで高速魚雷艇のように波を掻き分けて進むマリリンがイアン・ソープなら、優雅なバタフライでトビウオのように水面を跳ねるカトリーヌはマイケル・フェルプスだ。
そのまま洋上に浮かぶ能古島まで泳ぎ切ってしまいそうな勢いの二人の姿は、いつの間にか水平線の彼方に消えていった。
カッコ良すぎる。映画のラストシーンだよまるで。
それに引き換え私と不二子ときたら、セーラー服に腋汗びっしょりかいて、浜辺で焼きそばを頬張っている。
みじめだ。
それでも、こんな私たちにも時折、好奇の視線が注がれる。
「で、不二子さあ。このパラソル何なの」
「昔、懸賞で当たったのがデッドストックで倉庫にあったのよ。コンディションもいいでしょ」
「そういう問題じゃなくて、何よこのグリココーラって。いつの時代よ。コークのお洒落なパラソルがあるからって言ってたから期待してたのにー。それにこのグリコのおじさんも今のと違うし」
「じゃあ昔、九電記念体育館で東京プロレスの興行があった時、勧進元から頂いたアントニオ猪木と豊登のロゴ入りパラソルの方がよかった?父ちゃんの宝物なんだよ」
「んなもん論外よ!」
不二子ってドラえもんでも飼ってるんじゃないだろうか。センスが古すぎて付いてゆけないよ。
「ちょっと弘美、あれ見てよ」
不二子にそう言われて波打ち際に目をやると、海水浴客たちが海の方を指差して何かざわついていた。
「マリリンとカトリーヌがシンクロデュエットやってるんだよ」
身を乗り出す不二子の肩越しからでも、マリリンの組んだ拳を踏み切り台のようにしてカトリーヌがバック宙しているのがわかる。息もぴったり合って色違いの双子のようだ。
マリリンは無二の親友だが、カトリーヌと一緒の時の方が生き生きしているように思えるのは、私の嫉妬だろうか。もしかしたら私に本当にお似合いなのは不二子?
「あんなに海を自由に泳げたら楽しいだろうな。あの二人そのうち翼も生えてくるんじゃない。弘美だって運動神経いいから、水泳も得意なんでしょ」
不二子の一言で我に返った。
「まあ人並み以上にはね」
別に謙遜しているわけではない。大分県と福岡県の県境にある山国川を泳ぎまわっていた子供の頃は「山国の雷魚」の異名をとったほど泳ぎは達者だ。小学校六年の時には、豊前市の水泳大会で大会記録を更新して優勝したこともある。だから今でもマリリンやカトリーヌに負けない自信はある。ただし平泳ぎでだ。
当時の私はクロールの男子と競争しても遜色がないほど速かったので、つい下らない妄想にとりつかれ、将来は中体連の自由形に平泳ぎで出場し、世間をあっと言わせてみせると決意したのが運のつきだった。
北島康介似の体育教師から「槙村ってちょっと岩﨑恭子に似てるね」と言われたことが迷いを振り切る最終的な要因になったにせよだ。
血迷った私は、クロールは自己流の「抜き手」から進化しないまま平泳ぎオンリーのスイマーとり、やがて時代から取り残されていった。中体連の自由形優勝などという誇大妄想以前に、私には水泳の才能はなかったようで、中二の県大会こそ現在は禁止になっている高速水着レーザーレーサーのご利益で百メートル平泳ぎ決勝まで進んだものの、晴れ舞台での最下位という屈辱とともに水泳熱も冷めてしまったのだ。
「そういうあなたはどうなのよ、不二子」
「私、泳ぎは苦手なんだ。平泳ぎでも潜ってしまうもん」
そりゃそうだよね。不二子が私より上なんてありえない。
「じゃあ、カナヅチってこと?」
「一概にそうとも言えないのよ。とりあえず二十五メートルプールでもちゃんと折り返せるもん」
「何、犬掻きかなんかで泳ぐってこと?」
「うーん、犬掻きだと二十五メートルも苦しいかな。だけど、潜水ならいけるよ」
「ええっ、不二子ってバサロ出来るの?」
「そうじゃなくて、ずっと潜ったままってことよ。三分間くらいは息しなくても大丈夫だから」
やっぱこの娘変だよ。潜ったまま三分なんて、まるで本職の海女さんじゃない。
「それだけ潜れるならバサロで背泳やればよかったのに」
「試したのは試したんだけど、途中から浮いてこれなくて結局五十メートル潜ったままだったの。男子からは人面魚って気味悪がられるし、それで水泳嫌いになっちゃった」
確かに不二子がバサロで泳いでいる姿見たら、落武者の水死体だものね。そういう意味じゃ、賢明な決断だったかもしれない。
「ヤッホー、お二人さん楽しんでるう?」
真夏の海に散々フェロモンを撒き散らしてきた、ホワイトシャークとマンタの御帰還だ。
「もういつまで待たせるのよ。私と弘美を天日干しにする気?」
「フジコ、モウスコシデ、グッテイストナバカラオ(塩漬けのタラで中南米では常食)ニナッテ、オナカスカシタオトコ、イッパイヨッテキタノニー」
「もうあんたの下らないジョークなんていいからさ、早く帰ろうよ」
もう不二子は冗談が通じない状態だ。こんなところで即身仏にでもなられたら、百道浜は今後数百年、溺死者が後を絶たない呪われた浜として封印されるに違いない。
真夏の渋滞に捕まったコンバーティブルほど悲惨なものはない。
炎天下の中、グラサンに片手運転で一見爽快そうに走るやせ我慢運転も辛いが、止まってしまうと走るサウナ風呂で、こうなるともはや拷問に近い。オープントップで渋滞に耐えているコンバーティブル野郎は、私に言わせれば立派なマゾで、サドの相方を募る求愛行為にしか見えない。
今日は大濠公園の花火大会の日だから、車の混み方も尋常ではなく、不二子を自宅に送った後、油山観光道路をマリリンの自宅がある六本松方面に向かう私たちは完全に渋滞につかまってしまった。
こうなると旧車の性というか、エアコンを全開にしてゴー・ストップを繰り返しているとオーバーヒートの危険性があるため、水温の上昇を防ぐためにも、長い渋滞の中ではオープンのまま耐え忍ぶしかない。幌を広げて日差しだけでも遮るという手もあるが、狭く風通しの悪い後部座席はかえってオーブン状態になってしまうのだ。
さすがにカトリーヌは、ドミニカ出身だけあって暑さ自体はどうっていうこともないのだが、慣れない渋滞にはさすがに苛立ちを隠せないようで、制服姿にもかかわらず、先ほどからもどかしげにジョンプレイヤースペシャルをスパスパやっている。その隣のマリリンは、頭からタオルを被ったまま、溺死体のようにぐったりしているし、私は私で、酸欠の金魚さながらに、口をパクパクさせながらリアシートで意識を失いかけていた。
とかくお嬢様は虚弱体質である。エアコンと相思相愛の才女生は、年がら年中マスクを離せず鼻をぐずぐずさせている子が多い。とりわけ高温多湿の九州の夏は、彼女たちにとっては鬼門で、校庭で朝礼でもやろうものなら、熱中症と貧血で倒れる生徒が後を絶たなかったことから、十年前から日傘が解禁となったほどだ。
朝っぱらから黒い日傘をさした集団が校庭に集結している様は、「まるで黒ミサのようだ」とガングロ揃いの某おバカ女子高校の生徒から揶揄されているが、お嬢様たちはそんな風評など全くに意に介さず、「女性にとって最大の敵は紫外線ってことも知らない下等生物は、光合成でもしてればぁ」と完全に上から目線である。
私は日傘などという小洒落たものにはおおよそ馴染みのない田舎育ちで、自宅でも扇風機が主役だったので、比較的暑さには強い方だが、排気ガスまみれの都会の渋滞だけは耐え難い。酸化触媒を通してとはいえ、自動車が一分間に排出する数千リッターもの有毒ガスに比べれば、煙突娘のカトリーヌの副流煙など、お香を嗅いでいるようなものだ。
「このまま呼吸困難で逝ってしまうかも・・」そう思い始めた矢先に、パパパパーンと爆竹が弾けるような景気良い音が彼方から聞こえてきた。毎年恒例の大濠公園の花火大会が始まったのだ。
日没寸前の夜空に咲き誇る七色の光の花々が、周囲の景色を黄昏色に染めてゆく。
「ヘイ、マリリン、ウェイカップ!」
「うーん、もう着いたの・・・ワーォ、ヴァッキ!(Vacker)」
上下三車線の油山観光道路は大濠公園の手前まで一直線に開けているので、花火を鑑賞するにはぴったりのロケーションだ。さっきまで疲労困憊の体だったカトリーヌとマリリンも、ウインドシールドから身を乗り出すようにして艶やかな光の競演に見入っている。
やはり日本の花火は優美で、情緒があって、最高だ。
昨年、マリリンと弾丸旅行で観てきたロンドンのガイ・フォークス・ナイトも、迫力があって素敵だったが、日本と比べると、やみくもに夜空に向けて放つ対空砲火に近い。その昔、サーチライトに不気味に浮かびあがる鉤十字に向かって景気よく砲弾を打ち上げた名残なのだろうか。
公園やマンションのベランダから眺めるのもいいけれど、高層建築の谷間から垣間見える花火をオープンエアーの車内から堪能するのも悪くない。むしろ車の流れが遅いぶん、ドライブインシアターみたいで、ちょっぴりアメリカンな気分になれる。
ポップコーンがないのが残念だが、クーラーボックスで冷やした瓶入りのペプシを片手に、夜空のアートシアターを鑑賞している私たちって、意外と贅沢な時間を過ごしているのかもしれない。
夏の渋滞とコンバーティブル、嫌いだった男の子を好きになったみたいな不思議な気分だ。