第30章 D・DAY
ついに時代は動いた。染井良乃はわが国初の女性総理大臣となり、槙村弘美も内閣官房長官の座をつかみ取った。総理の座はすぐそこまでやってきたが、その前にやらなければいけないことが残っている。
九月十五日火曜日 田川市(福岡十一区)田川伊田駅二階バルコニーより 最後の立会演説会
消費税増税に法人税の減税、いつものことながら与党の稚拙な政策には頭が下がります。財源がないから税金を上げようなんて、大学なんて出てなくたって、小学生だって思いつきますよ。皆さんがかつて歴史の授業で学んだように、マクドナルド内閣のブロック経済やルーズベルト大統領のニューディール政策のように、新規の経済政策で財政危機を乗り越えるのがプロの政治家の仕事であって、「困った時の消費税」なんて、イカレた坊主のように同じ念仏ばかり唱えているような人たちはさっさと隠居してもらった方が世のため人のためというものです。
法人税の減税にしても、企業経営の健全化によって従業員の待遇を向上させるという名目ですが、減税によって浮いたお金をそのまま従業員にばらまくような気前のいい経営者や重役が本当にいると思われますか?
経営が悪化しても、本来経営責任を問われるべき高給取りの幹部たちはそのまま居座って、直接経営には関係のない末端の社員から容赦なく切り捨ててゆくのが恒常化している日本の社会で、厚顔無恥な経営陣にそんな温情を期待するなんて、空腹のライオンの前で菜食主義を説くようなものです。
儲かった分は上から順番にむしり取ってゆくのが普遍の社内生態系、いや資本主義社会の常道でしょう。
平社員の俸給が一万円上がったのに、トップも一万円増しで我慢するなんてことは絶対にありえません。最低でも昇給率は同等、場合によっては黒字経営への貢献という屁理屈をつけてどさくさまぎれに役員報酬を大幅アップしてしまうかもしれません。
与党の議員が説くところの、経営者層への支援が経済を活性化させ、やがて低所得者層にも富が流れ落ちる、というトリクルダウン理論なんて希望的観測に過ぎません。
シャンパンタワーは上のグラスから溢れたシャンパンが下方に向かって流れてゆきますが、現実社会は、上層のグラスが一斗樽のようにばかでかくてシャンパンを何本空けても、溢れることはないんです。
つまり法人税の減税が多少なりとも従業員の生活に反映されたとしても、それ以上に満たされるのは経営陣であって、生活の格差はかえって開く一方です。勝ちいくさには便乗しても痛み分けは徹底回避するのが彼らのやり方です。
法人税の減税は高額所得者がより多くの恩恵を受ける代わりに、消費税の増額は高額所得者にも低額所得者にも均等にかかってくるわけですから、こんな馬鹿な話はありません。といったところで、法律を決める人たち自身が高額所得者である以上、自分たちが不利になるような法案を審議するわけがありませんよね。
講演会は私の予想どおりの盛り上がりだった。
漆黒の駅舎とプラムカラーの党旗の色彩のマッチングは完璧だし、小さな党旗を振る学生集団の歓喜も最高の音響効果をもたらしてくれた。
これは一九四〇年六月十日、ヴェネチア宮殿のバルコニーから宣戦布告の演説を行ったムッソリーニを模倣したものだが、規模は小さくとも、これほど聴衆との一体感を感じたのは、新宿駅前で愛のゲリラライブに飛び入り参加して以来のことだった。
心にもないことを熱く人々に訴えかけているにもかかわらず、自分に酔っている私がそこにいた。
役者でなければ政治はできない。
腕力だけでマフィアの親分になれないのと同じことだ。
人間と猿の決定的な違いもそこにある。
ボス猿は群れの中で最強の猿がなるが、古代のバンド社会、集落レベルの集団でリーダーになった人間は、ビッグマンと呼ばれる周囲に気が行き届く気前の良い供給者だった。
弱者に手を差し伸べるやさしさがなくては、人は尊敬を得られず、協力者も期待できないのだ。
政治的、社会的リーダーは集団の構成員を適材適所に配置し、集団の機能を高める手腕が問われるが、一つにまとまった能力集団を強固な意思統一によって恒久的に機能させるためには、その役割に特化したもう一人のリーダーが必要だ。歴史的にその役割を担ってきたのが宗教家であり、フランク王国のシャルルマーニュはヨーロッパ世界の精神的主柱であったローマ教皇レオ3世と手を組んだことで、カエサルにもできなかった西ヨーロッパ世界の統一という大偉業を果たせたのだ。
オスマン=トルコのスルタンはカリフを兼任することで聖俗両権を掌握し、数百年もの栄華を築いたし、ナチスドイツの結束力もオカルト的な宗教儀礼が背景にあった。
宗教は民に精神的安定、幸福感をもたらすことで政権の正当性を支えるという側面も持っていたのだ。時に「神の意思」という切り札を利用し、人間としての常識を覆すことがあったにせよだ。
カエサルやナポレオンほどのカリスマ的指導者であっても、人間的な魅力と才能だけで大衆から崇拝されるのは十年が限度だった。それは彼らが所詮は民と同じ人間であって、統治期間が長くなるにつれ、個人的な欠点が露呈し、大なり小なりの政治的・経済的な政策失敗を伴うのが常だからだ。
その点、人間を超越した神を頂に置き、その下僕として民を統率するというスタンスを取った指導者は長期政権を樹立し、世襲的な支配体制を継続することができた。
もっとも、今日の大国の例を見てわかるように、民主化により国家元首の権威が薄れ、医学と科学の発達により宗教に対する依存度が低くなった現代社会でカリスマ的指導者になれるのは、反政府運動を起こすには国民の体力が不足している小国か途上国くらいなものである。
では、宗教に代わって抵抗勢力になりうる国民を手なづけ権威を維持する方法があるのかというと、フランクリン・ルーズベルトの最大のライバルだったヒューイ・ロングのように富の再分配を公約にすれば不可能ではない。
上位1パーセントの富裕層から一定額以上の富を再分配するという方針を政府として打ち出せば、その他のほとんどの有権者はそれを支持するだろう。
富裕層は羨望こそされ、医療研究機関やボランティア支援などで富を還元している者を除けば、自家用ジェットや高級別荘など庶民との格差感を強調するようなものに莫大な金を費やしていることで人間としては嫌悪感を抱かれている者が多いからだ。もちろん、革命のように富の所有者が代わるだけでは効果が薄いが、新たな指導者層がヒトラーのように物欲を捨てて権力だけに執着できればうまくゆくかもしれない。
ヒューイ・ロングは庶民から絶大な人気があったぶん、富裕層からは危険視され、大統領選前に暗殺されるという運命を辿ったが、これは傑出した個人を排除すればその運動が頓挫するという組織力の弱さを突かれた結果と言えるだろう。
プロレタリア市民革命は、政治的指導者であるレーニンと思想的指導者であるトロツキー、さらにはスターリンという冷酷な策謀家がいたため、誰か一人を排除したところでその流れを止めることはできない状況のまま、国際社会の干渉を受けながらも成就した。
例えが悪いかもしれないが、ナチス政権がムッソリーニのファシスト党政権よりずっと組織的で権力基盤が強固だったのは、総統を支えるゲッベルス、ハイドリッヒといった切れ者の軍師がいたうえ、抵抗勢力がステージ1レベルのうちに発見し、完全に駆除する高精度の危機管理システムが構築されていたからだ。ソ連共産党もこれと同じで、危機管理が甘く短期間で崩壊したパリ・コミューンと同じ轍は踏まなかった。
日和見主義者の娘婿チアノ伯爵を外相に抜擢したムッソリーニは、身内贔屓というだけでなく派手好きで見栄っ張りだったため、人気に翳りが見え始めた時点で側近から見限られたのだ。ドゥーチェのためなら死ねる、と言い切るほどの忠実かつ優秀な部下を育てようとするなら、出自に関係なく実力主義をとるべきだった。名家の出身でキャリアだけは立派だが、責任転嫁型のバドリオ元帥を参謀総長に任命したことも、後日ブーメランとなって自身の失脚を後押しした。
これは兄弟を重用したナポレオンにも当てはまることで、逆のケースの成功例が、縁もゆかりもない外国人を官僚や宰相として重用したチンギス・ハーンや、マリク・シャー、アッバース1世らである。
私は出会った当初からしばらくの間は忌み嫌っていた不二子の才能を認め、性格に目をつぶってまで軍師として全幅の信頼を置いてきた。かつてはライバルだった高子も、サイテー男のポチも、私にとって必要な能力の持ち主であるからこそ手を組み、時には支え合いながらここまで昇ってきた。
いうまでもなく私は自己中心的な人間で、心の中では常に彼らに忠誠を求めてきたが、今ではみんなのことを心から愛している。もしかしたら、彼らのためなら死ねるかもしれないと思うことさえある。
今回の選挙は私にとって初陣であると同時に、天下分け目の合戦でもある。
もし負けたら、これまで私を支えてくれた全ての人たちに申し訳が立たない。
その時はジーマから授かったこのペンダントナイフで潔くけじめをつけるつもりだ。
もちろんジーマからは延髄の神経束を一息で切断するこつも伝授してもらっている。
私だって、だてに医師の娘をやっているわけではない。
何だかぞくぞくする。九年前のクラス対抗リレーの時の緊張感が甦ってくるようだ。
忘れかけていたこの感覚・・・
さあ行こう。勝利の美酒と万来の拍手が私を待っている場所へ。
ダンキチが巻き起こした旋風はやがて超巨大台風と化し、ついには七十年もの長きにわたって下関市にそびえ立っていた難攻不落の黒木田城をも根こそぎ崩壊させた。
山口の政財界は結束して黒木田支援に奔走したが、ピラミッドの上層部と中下層部は人口比率が違う。投票率が低ければまだしも、地域住民の異常な熱狂ぶりによって四区の投票率が八十三パーセントにも達した今回の選挙では手の施しようがなかった。
現職総理の小選挙区敗北という前代未聞の恥をさらした黒木田正明は、帝国ホテルでの記者会見の最中に、三ヶ月ほど前に罹患した新型コロナの後遺症に起因すると思われるくも膜下出血で倒れ、事実上の政界引退を余儀なくされた。玄関前に群がる大勢の報道陣とやじうまをかきわけるようにホテルから飛び出して行った救急車のサイレンが未明の霞ヶ関のビル街にこだまし、これが民友党の葬送曲となった。
時代はついに動いた。
一八四議席を獲得したアース・エンジェルはついに第一党となり、一三〇議席の民友党との連立によって、憲法改正に必要な衆議院の三分の二議席を確保した。これによって第一党党首である染井良乃代表が内閣総理大臣に指名され、わが国初の女性総理が誕生した。三十七歳という年齢も、伊藤博文の四十四歳を大幅に更新するわが国の憲政史上最年少記録であり、ブルース・ウェイン合衆国大統領からは「Dear Wonder Woman,」の書き出しで始まる祝辞が届いた。
福岡十一区から出馬し初当選を果たした私には、内閣官房長官のポストが与えられ、五区の那智さんはかねてよりの希望通り、国家公安委員長に任命された。
新人議員の閣僚というのは、5選以上という政界の慣習法による適齢期を無視したものだが、そんなしきたりは、有能な若手の抑圧策でしかない。
実力主義をモットーとするわが党の小御所会議では、染井代表による閣僚人事案を全会一致で可決し、重鎮、長老格が軒並み落選したあおりで、各派閥が弱体化した民友党のささやかな抵抗もねじ伏せた。
この異例の人事決定に、私と那智さんの選挙参謀としての集票実績が大きく関係していることは言うまでもないだろう。
他の議員にとっても、与党所属か野党所属かでは関連企業や後援者からの依存度が比較にならないからだ。
連合政権であっても、議員数が過半数を超えていさえすれば、支援者たちに見返りのある政策を施行することが可能だが、野党相手となると、せっかくの支援も偽ボランティア団体への献金に等しい。夢物語の語り部に入れ込んで出資までしてくれるようなお人好しの存在を信じる空想主義的理想論者は、そもそも国会議員になどなれやしない。
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総理官邸の五階にある官房長官室が新しい私の城だ。
長官室の椅子に座った私を、アルブレヒト・デューラーの『四人の騎士』が見下ろしている。
この年代物の木版画は、四年前に私の大学卒業祝いにジイから頂いたものだが、私が国会議員になるまで開封しないという条件付きで、私も中身を見ないまま海南銀行東京支店の貸金庫に直行していた。金庫の鍵こそ私が持っているが、暗証番号はジイしか知らず、ジイの存命中に私が国会議員になれなければ、母校西夏女学院に寄付されることになっていた。
『四人の騎士』を最初に見たのは中学一年の春休み、マリリンに誘われてストックホルムにある美樹本英二のアトリエを訪れた時のことだ。その時、マリリンのパパが書斎に飾ってあった『四人の騎士』について熱く語ってくれたのがとても印象的で、私が美術に大きな関心を持つきっかけとなった。
再会は中学三年の一月から二月にかけて、交換留学プロジェクトの一環としてドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴのジュニアハイスクールに短期留学中に親しくなったカトリーヌの自宅だった。
プンタ・アギラの海沿いにあるコテージのような邸宅を初めて訪れた時、二十畳はあろうかという白亜の玄関の天井から私を出迎えてくれた。
いくらデューラーの作品といっても、所詮は版画である。現存数によって数百万円から数千万円と幅があるものの、世界的芸術家とドミニカの富裕な貿易商が同じ作品を所有する偶然があってもおかしくはない。
ところが三度続くとそれは偶然ではなく、神の啓示ではないかと思えてきた。三度目は二年前の夏、染井先輩のドイツ視察に同伴した際、ベルリン留学中の不二子から連絡があり、自宅に夕食に招かれた時のことだった。なんと『四人の騎士』が不二子の寝室に鎮座していたのだ。
もちろん学生である不二子が手に入れられるようなシロモノではなく、出所は成金趣味の麻吉親父だったが、この版画の前のオーナーは一年前に亡くなったアルベルト・シュペーア・ジュニアといういわくつきの一品だった。
シュペーア・ジュニアは北京オリンピックスタジアムの設計者としても有名だが、父はナチスドイツの宣伝相にしてヒトラーお気に入りの建築家だったという裏の顔も持つ。
実は麻吉親父、二十代の一時期、ドイツのアルベルト・シュペーア&パートナーで見習い設計士として武者修行したことがあるのだ。当時、シュペーア社長が応接室に飾っていた『四人の騎士』に魅せられ、こんな作品を所有できるような建築家になることをモチベーションに丁稚奉公に耐えていたのだそうだ。毎日応接室の掃除をする度に見上げていた『四人の騎士』が手に入ったのは、三年前に師匠の葬儀に出席した際、ベルリン時代の呑み仲間だった社長秘書の好意で、遺族から売却を一任されいた『四人の騎士』をオークション出品価格で買い取らせてもらうという幸運に与ったからだ。
今から三年前に入手した当初は、師匠と同じく螻河内建設本社ビルの応接室に飾っていたそうだが、正月に帰省した不二子からねだられ、何の因果かまたベルリンにとんぼ返りし、不二子の寝室でダンキチのポスターと寄り添うことになった。
私が不二子の寝室でデューラーと再会した時は、一瞬不二子に後光が差したかのように見えたが、至近距離でつぶさに見ているうちに、四人目の騎士、ペイルライダーが不二子に見えてきた。
思えば高校二年の体育祭の日から私は全力疾走で時代を駆け抜けてきた。
とにかく疲れた。
労苦の果ての眠り、荒海の果ての港、戦いの果ての平穏、生の果ての死は心地よし
今の気持ちを率直に表わすのに、エドマンド・スペンサーの詩ほどしっくりくるものはない。
アガサ・クリスティーがそうしたように、私の墓碑にもこの詩を刻むつもりだ。
男も知らないままいつの間にか二十六歳になってしまったが、普通の女の子の幸せは悪魔に売り払ってでも、私はもっと大きな夢をつかみたかった。
官房長官は事実上、国家のナンバーツーだ。それでもまだ上がある。私が総理になって、不二子を官房長官に、高子を財務大臣に、愛を文科大臣に、アンヌを厚労大臣にしてみせる。二重国籍のカトリーヌはドミニカの国籍を放棄させて外務大臣になってもらおう。マリリンは・・子供たくさん生みそうだから少子化担当大臣かな。ポチは一応役に立つ男だから内閣人事局長にでも採用してあげようか。そうそう、ほとぼりが冷めたらダンキチも合流させて総務大臣くらいにはしないとね。
ここまできたら二十代で総理の椅子に座ってみせる。
イギリスのウィリアム・ピットなんて、二十四歳でそこまで辿りついたんだもんね。
政権が軌道に乗ったら、染井先輩にも彼氏と籍を入れてもらおう。代表任期が終わるまで妊活に励んで子供を授かれば、次期代表選で私にバトンタッチして、最年少記録更新ってとこかな。あと三年で総理の椅子は私のもの。二十九歳で国家権力を手に入れるってどんな感じなんだろう。燃え尽きちゃうのかな。
やるだけやって政治に飽きちゃったら、稼いだお金をパーッと使って大好きな仲間たちと毎日弾けまくって楽しく過ごすっていうのもありかもね。
それにも飽きたら、不老不死を夢見て賢者の石探しに余生を費やすか。
そうそう、その前に男をなんとかしなきゃ。男も知らないまま、突然の交通事故か心臓発作でポックリ逝ったら、しゃれにならないよ。
幸い、今の私は運気がきてるから、何をやってもうまくゆくはずだ。
よーし、当たって砕けろの精神で、遅ればせながら“卒業試験”挑んでみようっと。
日本もこの作品で描いたような右極化した女性政権が誕生しそうな気配である。まだ平成の頃から書き始めたのだが、長期政権を築いた大物の退場も含めて、奇しくも世は私の創作した世界と似たような展開をたどっている。残念なのは新首相候補が女を武器にしてきたような年配者で、新時代を切り開いてゆくリーダーにしては若者たちを惹きつけるようなカリスマ性に乏しいことだ。やはり民衆を導くのはドラクロワの描く「自由の女神」のようでなければ絵にならないと思う。歴史はチープなストーリーを好まないからだ。




