第2章 夜の太陽族
本当に頭が切れて行動力抜群の女子高生にとって、社会のルールなんて、権力欲、出世欲にとらわれたオヤジたちが作った偽善的な奨励目標でしかない。彼女たちは自由に生きる。青春の爆発的エネルギーは放電するためにあるもので蓄電に励んでも、時間の経過とともに漏電してゆくだけだ。
中洲川端の那珂川を見下ろすビルの二階にあるダイニング・カフェ『フィオ』が私たちのアジトだ。
「では、チアーズ!」
マリリンの掛け声でまずは乾杯だ。
ウゾのショットグラスを一息で空けると、間髪入れずに中ジョッキのハイネケンを火照った喉に流し込むマリリンは、ヤンキー娘のように豪快な飲みっぷりで、やはり絵になる女だ。
ウゾというのはグラッパやシュナップス並みに度数が高いギリシャの酒だが、薬効成分を含んでいて健康にも良いそうだ。古代ギリシャでは母乳分泌を促進する薬用酒として飲まれていたというから、案外マリリンの巨乳はウゾの効能によるものかもしれない。
私も貧乳の解消にと思って一度試したことがあるが、水で薄めると白濁して牛乳のようになるのでこれならいけそうと一気飲みしたところ、思いっきりむせて、放射能を吐くゴジラのように、目の前のマリリン目がけて逆噴射してしまった。
下戸の私にはミルクセーキかバナジューくらいがお似合いなのだが、さすがに格好がつかないので、みんなの前では粋がって、アイリッシュ・コーヒーをちびりちびりとストローですすっている。
隣のカトリーヌはお国柄かラムに目がなく、今日は中ジョッキのモヒートを(ラムとライムのカクテル)ジュース感覚であおっている。いつものセーラー服と違って、短パンにタンクトップ姿の彼女はジョセフィン・ベーカーのように妖艶で、首にニシキヘビでも巻きつけたらそのまま『ムーラン・ルージュ』(パリの有名な老舗キャバレー)のステージに立てそうだ。
ここでも浮いているのが不二子で、何故に十七歳の女子高生が目を血走らせて「森伊蔵」のオンザロックに舌鼓を打っているのかよくわからない。それも小皿の韓国産青唐辛子を齧りながらだ。
これが男なら「ワイルド」という良きも悪しきも一括りにした形容詞でごまかせなくもないが、コイツの場合は「狂気」こそがふさわしい。こんなヤツを合コンに連れて行ったら、ノーブラのマリリンを十人揃えても、宴席はチェルノブイリと化すに違いない。
「マスター、ナルケ(Narke)ありますぅ?」
「真里ちゃんのために、また仕入れといたよ」
「タック!(Tack*スウェーデン語で”有難う”)」
「真里ちゃんはビール通だから、私も勉強になるよ」
マスターの緒方さんは四十七歳の元戦場カメラマンだ。内戦中のカンボジアで地雷を踏んでしまい、商売替えを余儀なくされたのだが、世界中を食べ歩くのが趣味だっただけあって、料理の腕は確かだ。中でもランチタイム限定の牛もつ煮込みのイタリアン・ハンバーガー「パニーノ・コン・ミルツァ」は絶品で、もつのクニュクニュ感が苦手な私でさえぺロリといってしまう。
マスターによると、シチリアで仲良くなったグルメなマフィアの幹部からレシピを教えてもらったとのことだが、どうも胡散臭い。この間もハンバーガーの旨さに感動したOL二人に、「これはマフィアが処分に困った死体を牛の内臓に混ぜて貧民窟に差し入れしたのが始まりで、今でもたまにやってるらしいよ」と怪しげなウンチクを語っているのを耳にしたが、彼女たちは本気で引いているみたいだった。
店内にはP12号(652×500mm)に引き伸ばしたパネル写真が二枚飾ってある。
一枚はピンボケしたコーヒーとミルクが入り混じったようなモノクロ写真だが、撮ったマスター曰く、対人地雷で飛ばされた衝撃でシャッターを切った時のものだそうで、前後左右もわからない。
マリリンは、ロバート・キャパの『崩れ落ちる兵士』の逆バージョンだと高く評価しているが、前衛的な芸術に対する理解力が乏しい私には、意味不明な抽象画にしか見えない。マスターがマリリンにだけは「ちゃん」付けをして、私たちのことは「弘美」「カトリーヌ」「不二子」と呼び捨てにするのは、どうもその辺が関係しているのではないかと憶測している。
私も今でこそ常連扱いだが、以前はその他大勢の客同様、全く相手にされていなかった。
高一の夏のある日、ランチタイムはいつも満席の『フィオ』が局地的豪雨の影響で珍しくガラガラだったので、マスターも暇そうにカウンターの中でジタンを吹かしていた。
その日の私は、バニラジェラートをトッピングしたカルボナーラとカプレーゼを平らげた後、店内のステレオから流れるデューク・ジョーダンの『危険な関係のブルース(No Problem)』に耳を傾けながら、壁に飾ったもう一枚の写真をぼんやりと眺めていた。多分、一分以上まばたきもしなかっただろう。いつの間にか傍らにマスターが立っていた。
「あの写真どう思う」
「クララ・ペタッチですよね」
納屋のような場所で撮影されたと思われるその写真のぺタッチは、オフィシャルで見せる悩殺的な表情と違って、不安そうな目に男に縋ろうとする女の弱さが出ていて妙にしおらしかった。
「もしかして、撮影してるのはドゥーチェですか・・」
「そうだ。この十三時間後に二人とも死ぬんだ。この時点で彼らの運命は決まっていたんだ」
「でも、ぺタッチだけは助かるチャンスもあったはずですよね」
「この目をよく見るんだ。死んでもいい、って書いてあるだろう。愛する女性からこんなふうに見つめられたら、この先どんな運命が待っているにせよ、男に生まれてきたことを神に感謝しなくちゃいけない。普通は一生ないけどな」
「マスターはそういう人とは出会わなかったんですか」
「まあ今のところはな。あなたと同じ棺桶に入りたいとか、あなたが死んだら一緒に焼いてとか、寝物語じゃ調子のいいこと言うやつはいるけど、俺が片足になって自暴自棄な生活を送り始めたとたんに、一緒に暮らしていた女は荷物まとめて出て行ったよ。借金苦でも不治の病でもないのに、先行きが見えてしまった男の人生に相伴してくれる女なんて所詮小説の世界さ」
「私だったら、男を呪って思い切りじたばたしそう・・」
「賢い雌ライオンなら戦いに負けた雄は見限って勝者に媚びるさ。だからこそ生命力の強い優秀な遺伝子を残せるんだ」
「生物学的にはそうでしょうけど、私はぺタッチの弱さが好きです。人間として美しいと思います。生物の中でも人間の雌だけは、優性種でも自然の摂理に反して破滅的な行動を取ることがありますけど、大きな力に刃向かおうとする時に発散されるエネルギーが独特の儚い美を生むんじゃないでしょうか」
「じゃあ、ジャンヌ・ダルクやラクシュミー・バーイーもそうか」
「いえ、彼女たちの愛国心は男性ホルモンの成せる業であって、そこに女は感じません」
「女性ホルモンの過剰分泌が、国民をわが子のように思う母性愛を掻き立てたからだとは思わないのか」
「親子の絆と男女の腐れ縁は違います。ぺタッチは純粋に女だったんです」
「お前と議論しているとアルマゲドンにも気がつかないかも知れんな。まあ飲め」
「いただきます」
と勢いであおったグラッパがいけなかった。
こみ上げる吐き気を抑えようと息を止めたのも虚しく、私の鼻の穴から先ほど食べたカルボナーラがサナダムシのように溢れだし、私は涙でかすんだ視界の向こうにマスターの笑顔を見ながら失神した。
「はい、ナルケね。カトリーヌはプレスティッジでいいんだよな」
「グラシアス!」
「カトリーヌ、また一段とセクシーになったなあ」
「ムーチャス、グラシアス、マスター」
おいおいカトリーヌ、そのくらいの社交辞令で抱きついてキスは行き過ぎだろ。やっぱラテンの女は生殖本能剥き出しだな。マスター、今絡みついているのは可愛い女猫じゃなくて、繁殖期のインドコブラですよー。
「ねえねえマスター、今度入ったバーテンダーってどんな人?彼女いるの」
「ケイのことか。真里ちゃんのタイプかい」
「ど真ん中じゃないけど、オーランド・ブルームみたいで渋くない」
マリリン、目からレーザービーム出てるぞ。
「残念だけど、アイツはゲイだよ。昨晩、俺が試した」
「オー、ジーザス。マスター、バイセクシャルダッタデスカ」
「アホか。俺の下半身はサイボーグだから、使いもんになんねえよ」
「エッチナ“ロボコック”ネ」
カトリーヌはアルコールが入ると宴席のオヤジのような下卑たジョークを飛ばすが、酩酊すると英語とスペイン語がちゃんぽんになり、マリリン以外は理解不能になる。
私も不二子には及ばないまでも、日常会話くらいなら不自由しないくらいの英語コミュニケーション能力は持っているつもりだが、フォーレターワード連発のこの娘たちの会話にはさすがについてゆけない。
「冗談はさておき、ケイさん本当にゲイさんなんですか」マリリンがくすくす笑いながら尋ねると、
「アイツの携帯の待ちうけ画面何だと思う?ブリーフ姿のクリスティアーノ・ロナウドなんだぜ」
「ってことは女形ですかね」
さすが不二子、そうきたか。
「うーん。俺もヤツがロナウドのブリーフを脱がせたいのか、ブリーフ姿のロナウドに脱がされたいのかまではわからんよ。いずれにせよ、女性客の多いウチじゃ人畜無害だってことは確かだな」
そうなのだ。「フィオ」のバーテンときたら、ウォルドーフ・アストリアのポーターかルフトハンザのパーサーあがりかと思わせるほど接客マナーが行き届いていて、女性客に馴れ馴れしく話しかけてくるような育ちの悪いヤツはいなかった。
この間、カトリーヌと行ったダーツバーなんて、まるで警察の取調室だった。ドリンクを運んでくるたびに「君って何人?どこの大学?どこに住んでるの?彼氏いるの?」と刑事のように根掘り葉掘り尋ねてくるから、いい加減わずらわしくなったカトリーヌが、何を聞かれても「ユーブガットタイアード(お疲れさま)」って返答したら、みんな目が点になっていた。
この程度の基礎英語も聞き取れないくせに、見た目はほとんど外国人のカトリ―ヌにコナかけるなんてどういう神経してるんだろう。本当に馬鹿丸出し。
「そう言えば、二ヶ月前に初めてカトリーヌを連れて来た時、コースターの裏にメルアド書いて渡したあのハーフの人、最近見ないけど」
その男、カトリーヌが注文したキューバリブレにメルアドを書いたコースターを敷いたつもりが、見た目が良く似ている不二子のアカプルコ(スコッチの麦茶割り)と間違ってしまったのだ。不二子は面食いだが、愛国心が強く、外国人男性には全く関心がない。で、こっそりマスターにご注進に及んだというわけだが、それ以来、ハーフ男の姿を見かけなくなっていた。
「アイツね。利き手の親指と人差し指の腱を切断して放り出してやったよ。パレルモのダチの間じゃ手癖の悪い男はこうやって躾けていたものさ」
「マスター、カットシタノ、サム(親指)ジャナクテ、サン(息子)ジャナイノ?」
マスターのブラックな話題にカトリーヌがすかさずスウィートなジョークを振りかけてその場を笑いの渦に変えた。だけど、私は笑えない。
先週カウンターでミントティーを飲んでいた時、枝毛が気になって「マスター、鋏か何かないですか」と尋ねたら、たった今煙草の灰を灰皿に落としていたはずの左手の中から刃の開いた小さな折りたたみナイフが出てきた。
それまでにもマスターがジッポーを片手に何気なくワンアクションで煙草に火を点けているところを何度か見たことがあるが、まるでマジックを見ているような手さばきだった。
コースターだっていつの間にか手の中から出てくるし、その他にも同じような動作をする普通の人に比べると一コマか二コマ抜いたように見えることがしばしばある。
ゆったり構えているように見えて動作に無駄がなく、マスターのことを知らない人から義足の障害者と気付かれることはまずないだろう。それどころか、三分間クッキングのような速さで料理を作るところを傍で見ていたら、サイボーグ009島村ジョーのような加速装置でも付いているんじゃないかと思うかもしれない。
「ほら、お前たちのリレーの勝利を祝って、これは俺からのおごりだ」
「ブエーノ!モシカシテ、クマモトノ、ホースミート(馬肉)デスカ?」
「いいや、これはヴェニスン(鹿肉)のタタキだよ。カトリーヌ」
私の父方の叔父は狩猟が趣味で、わが家にも時折獲物をおすそ分けしてくれていたおかげで、地元にいた頃は、雉のステーキや鴨の焼き鳥、野兎を使った本格的なパエリアといったジビエ料理を食する機会も少なくなかったが、マスターが調理した鹿肉のタタキには敵わない。
肉といえば、トナカイのグリルが最高といってはばからなかったマリリンでさえ、今ではすっかり鹿肉通になって「エルクのステーキはちょっと脂っこくてダメ。野生のキュウシュウジカを軽く炙ってからキンキンに冷やしたのを薄くスライスしてガーリック醤油でいただくの。これが肉食女子の王道よ」なんて、まるで料理評論家気取りである。
「赤身で癖がなくていくらでもいけちゃうね」と不二子。
「苦しみ抜いたぶん、痙攣した筋肉から旨み成分が分泌してるからなあ」
せっかく私たちが幸せ気分で食事を楽しんでいるところに、緒方さんがチャチャを入れる。
「ドッグハ、イジメテタベルト、オイシイト、キイタコトアリマス」
カトリーヌは日本語の語彙は小学生レベルのくせに、下司な話になると異常に反応がいい。
「パーシャルジャケット弾で肛門をぶち抜くのさ。すると弾頭が変形するから、運動エネルギーが効率よく伝わって内臓がユッケ状態になる。お前たちの頭ならわかるよな」
私たちをかついでいるのかどうかはわからないが、食事中にこんなエグい話をされた方はたまったものじゃない。マリリンと私の蔑むような視線に気付いた緒方さんは、慌てて目を逸らした。
「ほらスープも出来たから、機嫌直して飲めよ」
「クリーミーですっごく美味しい。野兎のシチューっぽい後味だけど」
美味しいものに目がないマリリンは、味覚で感情も左右されやすいのだ。
「猫のスープだよ」
「うえーっ」
マリリンは今にももどしそうだが、不二子とカトリーヌは淡々と味わっている。
「ちょっとお。何であんたたち、平気なのよ」
オセロットの飼い主である私もちょっと気色ばんだ。
「ワタシ、ペルーデ、キャットタベタコトアルヨ」
「ヨーロッパだって戦時中や飢饉のときは普通に猫食べてたし、戦後間もない頃の広島じゃ、猫のおでんが流行ったっていうよ」
不二子は当たり前のような顔をしてこうのたまった。
「でも、時代が違うでしょう」マリリンも納得がゆかないようだ。
「それは、昔は鯨油を取るためだけに鯨を大量殺戮していたくせに、必要なくなったとたんに可愛そうなんて言い始めたどこかの国の連中と同じ論理だよ。マリリンだって、ノルウェーじゃ鯨食べてたでしょ」
「そりゃあ、まあそうだけど。鯨は愛玩動物じゃないから」
「マリリン、ソレハチョットチガウヨ。フジコイズライト(不二子が正しい)」
私たちの口論が熱くなってきたのを察したのか、真顔の緒方さんが割って入った。
「お前らよく聴けよ。現代は食い過ぎと肥満が原因で死んでいるヤツの方が餓死者数を上回ってるんだそ。アフリカの貧困部落民の前で断食と菜食主義の功徳を説く根性のあるデブ以外は、偏見に満ちた肉食を語る資格なんてないんだよ」
実際に現地で本当の飢餓を目の当たりにしている緒方さんからこう言われるとグウの音も出ない。
「我々の食欲を満たすために犠牲になった猫に感謝の意を込めて、最後まで飲み干せよ」
ウチのドウーチェだって、野生だったら小猿を捕食してるわけだし、類人猿の子孫が猫を食べてもおあいこだよね。なーんて頭の中で屁理屈を捻り出してスープを飲んだら、確かに美味しかった。
横目でマリリンを見てみると、ぶつぶつ言いながらも最後まできれいに飲み干していた。
鹿肉に猫のスープなんて、猫好きの私としては不愉快極まりないが、この食べ合わせが結構いけるだけに、感動と悔しさが入り混じった複雑な思いだ。それでも茶目っ気のあるマスターから馬刺しを出されなかっただけマシだ。祝勝会で「馬鹿」で盛り上がってどうするってーの。
昨年、学年の社会見学で九州国立美術館を訪れた時のことだ。
折しも「ベルギー王立美術館展」が開催されており、お目当てだったピーテル・ブリューゲルの作品に見入っていると、突然、不二子が「弘美はこれだよ」と、かの名作『イカロスの墜落』(模作説も根強い)のカンバスの右下を指さした。
そこに小さく描かれているのは、海に墜落したイカロスの両足である。それは神をも恐れぬ野心を抱いた憐れな人間の末路を象徴していると言われている。これと対象的なのが絵の中央に大きく描かれた種を撒く農夫で、地道な日々の労働こそが神の祝福を受けるにふさわしいという意味らしい。
「私がイカロスだったら、不二子はここに描かれていないダイダロスだね」
「イカロスに翼を与えたってこと?」
「そう」
「だけど、所詮は蝋で固めた鳥の羽根だよ。リリエンタールが作ったグライダーじゃない」
「でも私はグライダーには興味がないの。だって高いところから下に向かってゆくだけじゃない」
「じゃあ、モンゴルフィエの気球だったら?」
「それだって風まかせでしょ。ただ浮いて流されているだけで、必ずしも自分の意思どおりの方向に行けるとは限らないじゃない」
「弘美って根っからの自由人なんだね。っていうか、野心家って言うべきかしらね」
「そうそう。“星を夢見る蛾の願い”ってやつよ」
「無謀だけど、あるべき自分の姿を追い求めるってなかなか出来ないことだよ」
「傍目にはドン・キホーテだもんね」
「それじゃあ、私はサンチョ・パンザかいって」
「ううん。不二子は単なる私の従者なんかじゃないよ。私に翼を与えてくれたダイダロスだよ。ダイダロスが飛ばせてくれなければ、私は飛翔する勇気もなく、遠くを見つめる日々を送ってたよ」
「まあ、仮に導いたのが私だとしても、勝手に太陽に向かっていったのは弘美だよ。勇気も行動力も私には欠如してるしね」
「だけど、最後の勝者はこの絵の農夫のように堅実なあなたかもよ」
「いや、私に言わせればこの農夫は全てを見て見ないふりをして自己満足を装っているだけ。下等な爬虫類ですら進化して空を飛んだのに、空を飛ぶ願望を持たない人間なんてありえないわよ。この時代にそういう人たちがいたとしたら、彼らは人類の進化に何も寄与することなく無駄に生れた神の失敗作だわ。全ての生命の源である母なる太陽に憧れを感じるのは種を超越した本能なのよ。近づけば確実に死ぬけど、死は生なるものの定めだから、母なる太陽の懐で死ねるのなら本望のはず。人類の進化の過程だってそうでしょ。飛行機が出来て空を飛べるようになってからの文明の発達は古代の千倍近いスピードだよね。そして大気圏外、月面とそれにともなって確実に太陽に近づいていってる。まるで太陽が導いているみたいに。でも、最後は太陽に到達するかしないかのところで、発達しすぎた科学を制御できなくなって人類は滅びるのよ。バベルの塔が天空に達する前に崩壊したようにね。私は臆病者だから飛びたくても飛べない。イカロスになりたくてもなれないの。その代わり、弘美という現代のイカロスが、見えなくなるまで高く飛んでゆくところをずっと眺めていたい。私はあなたが墜ちないような翼を作るわ。『イカロスの飛翔』を具現化することが、今の私の夢なのよ」
「ちょっと不二子ったら、買いかぶりすぎだよ。私の本当の姿、知ってるくせに」
不二子のことだから、ダイダロスの嫉妬深さと冷酷な側面も承知のうえだろう。
それでいてダイダロス役に徹してくれるのならこれほど心強いことはない。あとは私がイカロスのように調子に乗りすぎなければ、きっと全てはうまくゆくはずだ。
不二子と一蓮托生の運命を感じたのは、この日からのことだった。